如月7
次の日、朝教室に入ると、はなさんが前に立って、四角い紙を振りながら何か言っていた。
祢子はこずえちゃんに、何事か聞いてみる。
「はなさん、何を言ってるの?」
「先生に、色紙を書こうって。一組は、昨日書いたらしいよ」
「色紙って?」
「ほら、転校していく子に、みんなで書いたりするじゃない。あれ」
「ああ、寄せ書きか」
面倒くさいなと思ったが、もちろん口には出さない。
「先生に気づかれないように、休み時間とかにこっそり書いてって」
どういう順番だったのか。
五時間目が終わってから、祢子に色紙がまわって来た。
真ん中のきれいな円の中に、「田貫先生へ」と黒いマジックペンで太く書き込んである。
円は、カラフルな模様で飾ってある。
ラッションペンだろう。はなさんが持っていたはずだ。
円から放射状に、生徒たちの書き込みがある。八割くらい埋まっていた。
ざっと読むと、「ありがとうございました」の下に名前、というのがほとんどだ。
太くてきれいな字で、内容も長くて目立っているのは、はなさんの書き込みだ。
「先生に会えて、ほんとうに楽しかったです。
やる気をもって勉強にも行事にも取り組むことができました。
中学校でも先生から教えてもらったことを胸にがんばります」
祢子の胸は、騒ぎ始めた。
「二年間ありがとうございました。毛野」とだけ、目立たない場所に小さく鉛筆で書いて、まだ書いていない人に渡した。
はなさんの言葉は。
ひょっとしたら、祢子が書いていた言葉だったかもしれない。
はなさんでなく、祢子が色紙を準備して、みんなに回していたかもしれない。
そうならなくて残念だとは、全く、これっぽっちも思わない。
むしろ、そうなったかもしれないと思っただけで、背筋に寒気が走った。
気が付いてよかった。
自分の、滑稽さに。
田貫先生は、あの色紙を見て、嬉しいと思うのだろうか。
はなさんの他は、しかたなく書いたことが、ありありとわかるのに。
机の上に飾ったりするのだろうか。
恥ずかしげもなく。
わたしだったら、恥ずかしいけれど。
もうすぐさよならだと思うと、祢子は、田貫先生の何もかもが我慢ならなかった。
力がみなぎっている、頑丈な体や手足も。
自信にあふれた言い方も笑い方も。
決めつける怒り方も。くどくどしい話し方も。えこひいきも。
なぜ、あんなに、先生のお気に入りになりたかったのか。
あのころの自分も、反吐が出るくらい嫌いだ。
先生にすりよって、顔色をうかがって、先生のいない時は先生の代わりになろうとして。
先生の望み通りの生徒になろうとがんばって。
今の自分だって、そんなに好きなわけじゃないけれど、少なくともあの頃よりはましだ。