如月2
祢子は誕生日を迎えた。
やっと十二歳だ。
ほとんどの同級生たちは、とっくに十二歳になっている。
だが実のところ、早生まれだということを、祢子は気にしていない。
母さんは、事あるごとに「早生まれだから」と言うが、むしろ祢子はそのたびに、自分は特別なんだと感じる。
誕生日に友だちを呼んで、お誕生会をする子もいるようだ。
祢子も一年生の時に、一度、呼ばれたことがあった。
母さんが準備してくれた、かわいいハンカチのプレゼントを持って、祢子はその女の子の家に行った。
色紙で作った飾りや花をちりばめた部屋。
たくさんの友だちに囲まれたテーブルの上には、大きいケーキや山のようなお菓子。ジュースの小瓶。
呼ばれた子たちは、「おめでとう」と言って、プレゼントを渡す。
祢子もそうした。
その子は、もらったプレゼントを、開けないでそのまま棚の上に積み上げた。
その子のお母さんが、部屋を暗くして、ケーキのろうそくに火をともした。
みんなでハッピバスデートゥユーと歌う。
その子が立ち上がって、頬をふくらませてろうそくを吹き消した。
火が消えて暗くなった部屋にぱっと明かりがついた。
みんな、拍手した。
その子は、女王様のように晴れやかに笑っていた。
母さんに、誕生会をしてほしいとねだったこともある。
でも、父さんがいやがるからと言われて、あきらめた。
今は、プレゼントをもらったら、お返しをしなくてはならなくなる、ということに気づいた。
それは、面倒くさい。
少し前に、母さんから、プレゼントに何が欲しいかと聞かれた。
中学校入学のためにいろいろ買ってもらったから、ケーキだけでいい、と祢子は答えた。
それでも何か欲しいものがあるでしょ、言ってごらん、とまでは言われなかった。
誕生日の夕ご飯は、祢子の好きな、シチューにしてくれた。
母さんがホワイトソースを作るのを、祢子は横に立って見つめる。
鍋を弱火で温めて、バターを溶かす。
バターが完全に溶けたら、薄力粉を適当に振り入れて、木べらで混ぜる。
焦げ付かないように木べらを絶えず動かしながら、バターと小麦粉が混ざった物が、ふつふつと煮立つくらいしっかりと火を通す。
黄金色にたぎったら、牛乳を少しだけ注ぐ。
牛乳は、じゅわっといって、すぐに飲み込まれる。
牛乳を加えては練ることを繰り返すと、ぽってりした白っぽいかたまりはだんだんゆるくなり、ドロッとした液状になる。
グラタンを作るときは、ホワイトソースは固めに作って、具とあえる。
シチューのときは、途中からスープでゆるめて、具を煮込んだ鍋に移す。
シチューとトンカツの夕ご飯を前にしても、食卓は静かだ。
おじいちゃんの爆弾発言以降、祢子はおじいちゃんとどう接したらいいのかわからなくなっていた。
たぶん、父さんも母さんも健太もそうなのだろう。
おじいちゃんが言ったように、故郷の生活の方が、おじいちゃんにとっては楽しいだろう。
ここでは、おじいちゃんに話しかけるような近所の人もいない。
父さんは話そうとしないし、母さんも孫たちも話し相手としては不足だろう。
炊事や洗濯や掃除などを自分でするのは大変かもしれないが、こたつに座って一日することが何もないよりはいいのではないか。
そう思っても、罪悪感はぬぐい難かった。
以前の生活が戻ってくると思うと、正直祢子はほっとするからだ。
父さんは書斎が使えるようになるし、母さんは風呂掃除も洗濯も炊事も楽になる。
祢子だって、おじいちゃんの食器を洗ったりしなくて済むようになる。
母さんは前のように、こたつで堂々とうたた寝できるようになるだろうし、祢子もトイレや着替えのたびにおじいちゃんを意識しないで済む。
もし、小さいころから一緒に暮らしていたら、お互い慣れ親しんでいたのかもしれない。
祢子たち家族にとって、おじいちゃんの存在は、靴の中に入り込んで取れない小石のようだ。
おじいちゃん自身も、そのように感じていたのかもしれない。
母さんがケーキの準備をしていて、父さんと健太がちょっと席を外した時に、おじいちゃんが祢子の手に封筒を滑り込ませた。
祢子が口を開こうとすると、おじいちゃんは「しいっ」と指を口に当てた。
「お父さんやお母さんには黙っておいで。好きな本でも買いなさい」
祢子は黙ってうなずいた。
こっそり封筒の中を見ると、図書券が入っていた。
ありがとう、と言うべきなのか、ごめんなさい、と言うべきなのか。
祢子にはわからなかった。
母さんが買ってくれたチョコレートケーキには、ろうそくが十二本立っていた。
健太と母さんが、ハッピバースデーを歌ってくれた。
祢子は、ろうそくの火を思い切り吹き消した。