睦月9
祢子は、『風にのってきたメアリー・ポピンズ』も読んだ。
なにがなんだか、よくわからない。
子どもがいいか、家がいいかと聞かれて、子どもと答えるような家庭で、子どもを四人育てて、使用人を三人も四人もかかえている。
バンクスさんは銀行勤めらしいが、銀行員とはそんなにお金をもらえる仕事なのだろうか。
奥さんは直接家事はしない。
料理人のばあやがいるし、女中もいるし、雑用係の男もいるし、子どもたちにはメアリー・ポピンズをつけている。
メアリー・ポピンズは、どうも、住み込みで子どもたちの世話をする人らしい。
そのメアリー・ポピンズといっしょにいると、子どもたちは夢とも現実ともわからない不思議な冒険に巻き込まれる。
この物語の背景には、祢子の知らない、他国の文化や生活があるらしい。
意味がわからないところがたくさんあるが、読んでいるうちに、どんどんおもしろくなってくるのは不思議だ。
ジェーンとマイケルが、祢子と健太のようにも思えてくる。
自分勝手でも、いつも不機嫌でも大丈夫。
日常の中にだって、不思議な冒険への入り口は見つかる。
見つけようとすれば、いくらでも。
そして、冒険も人も、深く厚みのある魅力がありさえすれば、忘れがたく心に残る。
三学期が始まった。
小学校最後の学期だ。
ある午後、中学校の入学説明会が行われた。
保護者が来るので、体育館に大きい石油ファンヒーターが二つ置かれた。
祢子たちも、体育館ステージの下から、たくさんの折り畳み椅子を取り出して並べた。
保護者が体育館にどんどん入ってくる。
母さんの姿も見えたので、祢子は手を振った。
母さんはひときわ目立っているので、すぐにわかる。
横の席に母さんが来て、座った。
母さんは、厚手のコートを着ていて、首元にはマフラーを巻いている。
そして、外の冷たい空気の匂いがする。
ステージの上に校長先生が出てきてちょっとあいさつした後、今田先生が、中学校から来た先生の紹介をした。
中学校の先生が、中学校生活のルールや必要なものの説明を始める。
母さんは説明会のしおりに、ボールペンでいろいろ書き込む。祢子はそれを横からのぞきこむ。
母さんのコートの袖にくっついたら、温かい。
説明の後、続いて、制服や体操服の採寸と、必要品の購入申し込みがある。
男子は視聴覚室、女子は家庭科室だ。
母さんと祢子は、みんなの後について体育館を出て、家庭科室前の廊下に伸びた列に並んだ。
母さんは、配布された資料や申込用紙をしっかり持っている。
列はゆっくりと進む。
カーテンがかかっていて、外や廊下からは室内が見えない。
やっと教室の中に入ると、蛍光灯の下、業者の制服を着たおばさんたちがあちこちにいた。
おばさんたちは巻き尺を首にかけたり外したりして、女子生徒を次々に測っている。
「はい、次の人」
声をかけられて母さんと一緒にそこに行くと、おばさんが首の巻き尺をしゅるっと外し、鮮やかな手つきで祢子の体に巻き付けたり背中に沿わせたりした。
「今はSですけど、成長期だから、ちょっと大きめの方がいいですよ」
「そうですね」
「Mを試着してみますか?」
「どうする?」
母さんに聞かれて祢子は、試着する、と答えた。
服の上から紺色のセーラー服を着てみる。裏地がひんやりとして冷たい。
するっと着られたが、ずしっと重たい。
上衣は、服の上からでも十分余裕がある。スカートは、足首くらいまである。
ぴったりなのは、ウエストくらいだ。
「大きすぎない?」
祢子ががっかりして言うと、
「だいじょうぶ。母さんが丈を詰めてあげるから」
母さんは裁縫も得意だから、できるだろうけど。
「じゃあ、Mにしておきますね」
「お願いします」
「スカーフは、一枚にします? 二枚にします? 汚れた時のために二枚買う方が多いですけど」
「……じゃあ、二枚でお願いします」