皐月1
「あともうちょっとだったのに」
祢子は、石ころをけとばした。
石ころはとがった音を立てながら、右に曲がって草むらに消えた。
「なんで邪魔するかな。ゆきちゃんのいじわる」
ゆきちゃんちにはマンガが本棚いっぱいにある。
そう、うわさ話で聞いてからずっと、祢子は狙っていた。
いつかゆきちゃんちで思い切りマンガを読むんだ。
ゆきちゃんとは、五年生から、同じクラスになった。
一学年に二クラスしかない小さい小学校である。
ゆきちゃんとは住んでいる地区が近いこともあって、登下校の時によく見かける。でも、遊んだことはなかった。
ゆきちゃんはしっかり者でみんなに優しいから人気がある。
声をかけるチャンスさえ、なかなか見つからない。
思い切ってゆきちゃんを囲む子たちの中に割り込んで、強引に誘ってみた。
「ゆきちゃん、ゆきちゃんちで一緒に遊ぼう?」
ゆきちゃんはびっくりしたようだった。
「えっと、いいけど…」
「いつにする?」
「他の人とも約束しているから……」
「いいよ、待つから」
ゆきちゃんは、予定を確かめてからね、と言った。
祢子は次の日から何度もゆきちゃんに約束を迫って、やっと、五月の土曜日との言質を得た。
待ちに待った五月、土曜日の午後すぐ、祢子はいそいそとゆきちゃんの後について、ゆきちゃんの家に上がり込んだ。
部屋は広くはないが、ベッドがある。
ゆきちゃんちはお金持ちなのだろう。
女の子らしい、フリフリの白いレースの付いた枕やベッドカバー。クマやパンダやミニーのぬいぐるみ。
しかし、それよりもマンガの本棚だ。
それは、背の高い大きな本棚で、その中は全部少女マンガだった。
ピンクや赤や水色の背表紙でいっぱいだ。
祢子の夢見ていたものよりは小さいが、これでも十分読みごたえはありそうだ。
「こんなにたくさんあるなんて、すごいね。ゆきちゃんのお父さんとお母さん、お金持ちで優しいんだね」
祢子はそう言いながら、素早く読みたい少女漫画の一巻を抜き出した。
そのまま本棚の前に座り込んで読み始めた。
一巻を読んで二巻、三巻、四巻。
十二巻まであるので、早く読まないと、すぐに六時のサイレンが鳴ってしまう。
ゆきちゃんがもじもじしながら声をかけてきた。
「ねこちゃん、なにかして遊ぼう? マンガばかり読んでないで」
「まって、これだけ読んだら」
「さっきもそう言ったじゃない」
さっき? 言ったっけ?
そう思う端から、祢子は現実を忘れる。
また、ゆきちゃんの声が遠くから聞こえる。
「うん、もうちょっとだから」
「ねえ、ねこちゃん、」
「うん……」
なにか暗くて読みにくくなったな、と感じて、祢子は目を上げた。
薄暗いのに電灯もついていない。
ベッドに腰かけてこっちを見ていたゆきちゃんが、黙って祢子の手からマンガを取り上げた。
「もうすぐ六時。もう帰って」
十一巻を取り上げられた祢子は、続きが気になって上の空だ。
「また来てもいい?」
ゆきちゃんは無表情に部屋のドアを開けながら、怒ったように言った。
「だめ。もう来ないで」