❄❄ 8 ❄❄ 後ろ髪と足跡のヘジタシオン
「――ふむ、そうか。『雪解けを探す旅』か。誠に難解そうで、実に面白そうだな」
エルシーの自分語りがひと段落して、アオサンが満足げな溜息と共に簡潔な感想を漏らす。話し始めこそ矢継ぎ早に質問をしたり大げさな相槌を打ったりしていた彼だが、エルシーの語り自体が面白可笑しかったのもあるだろう、次第に口を挟むことなくじっと聞き入るようになっていた。
彼女は、出自や村での生活、村から出立する流れ、そしてこの街にたどり着くまでの一部始終を話していた。
事細かに語りつくしたせいか、辺りは若干暗くなり始めていた。ボクとエルシーは寒気に慣れているが、彼はそろそろ凍えていてもおかしくない。
しかしそんな素振りは欠片も見せず、アオサンはゆっくりとした口調で話し始めた。
「『ニンゲン』は途轍もない大きな力を持つ生き物だとわかっていたが……まさか、空を説得して雪まで降らせるとはね。羽が換わる前に雪が降るなど、中々ないからな。そういえば随分と前にそんなことも合ったような気がするが……まぁともかく他の仲間たちは、慌てふためいていたよ」
「空を説得……。ふふ、素敵な表現ね」
「ワタシからすれば空とは常に勝手気ままではあるが、それでも決まった大きな『流れ』がある。ワタシの仲間は、そういう『暑さ』から『寒さ』への移り変わりを感じて『渡り』を行ったり、羽が生え換わったりしていくのだ。いままで一度たりとも、例外はない」
アオサンが言いたいのは、季節の移り変わりのことだろう。
確かオシドリは、夏場は涼しい山地・冬場は暖かい平地というように、季節ごとに集団で住処を移動する、所謂『漂鳥』だ。そこに加えて換羽も行い、身体を気温の変化に順応させていく。
しかし、季節的にはまだ夏前の現在――羽も当然、夏仕様。体の準備が全くできていない野生動物からしたら、この突然の雪は慌てふためいて当然の事態に違いない。
「そんな強固に決まった流れを無理に変えるのだから、空を説得でもしなければ出来ない大業だろう?」
「えっと、ごめんね。私のせいでみんなを驚かせちゃったね」
「ん? なぁに、気にすることはない。空の気まぐれは、今に始まった話ではない。それに、雪を見た時のアイツらの顔と言ったら! キミらにも見せてやりたかったほどだぞ」
実際に見せられたところで彼らの顔の変化がわかるとも思えなかったが、他のオシドリたちは相当な取り乱しだったようだ。――トリだけに。
むしろ、全く動じていない彼が異常な部類であろう。
そしてエルシーも、同じようなことを思ったらしい。
「あはは、見てみたかったなぁ。でもすごい。アオサンだけは、全然驚いていないんだね」
「驚いていない、わけではない。ただ、騒いでも仕方ないことに慌ててもしょうがないだけだ。何が起こるにしろ、ワタシの居場所はずっとここだしな。……あとはあれだ。騒いでいる奴を目の前にすると、こちらは逆に冷静になるというのもある」
「あー……それはわかるかも」
あまりの身の覚えに、ボクは思わず声を出して同意してしまった。
急いで顔を逸らそうとするが、上から「そうなの?」と覗き込んでくるエルシーとバッチリ目が合ってしまう。アメトリン色の瞳のスクリーンに、彼女が闇鍋をしようとして緑色の大量の吹きこぼしを発生させたあの日のことや、魔女の真似をして薬品を混ぜ合わせたあげく紫色の煙が部屋に充満したあの日のことやらが次々と浮かぶけど――。
「…………いや、なんでもないよ」
頑張って言葉を飲み込む。
幸いにも彼女はそれ以上踏み込まず、小首だけ傾げて姿勢を前に戻した。アオサンも怪訝そうにこちらを見るが、「気にするな」という風に顎をしゃくって先を促してやる。
でも口を滑らせておいてなんだが、ボクはそれよりも彼がサラッと流した途中の言葉が、少し引っかかっていた。
――オシドリの『渡り』の話をさんざしておいて、当の自分はしないというようなニュアンスじゃなかったか?
「まぁ、共感してもらえて何よりだ。ともかく、キミのその――『雪呼び』については、キミ自身が思っているほどワタシたちに影響は出ていないし、そしてワタシはとても興味深く思っている」
「そっか、そうなんだ」
「しかし疑問なのだが、キミはそんなすごい力を持ちながら、どうしてそれを『解決』したがっているんだ?」
アオサンは心底不思議だというように、目をパチクリさせる。
対するエルシーは、言葉を選びながらゆっくりと返していく。
「うーん。私の雪のせいで悲しくなる人が一人でもいたら悲しいから、かな。それにほら……雪って冷たいじゃない? 雪って重たいじゃない? 雪って、色んなものを隠しちゃうじゃない? 雪って――その、普通はみんなを生きにくくしちゃうんじゃないかな。村のみんなも、本当はすごく大変だったんだと思う。嫌な顔ひとつしないし、いつも明るくて優しくて善い人たちばかりだったけど……」
「エルシー……」
そこまで言って、エルシーは口をつぐんだ。
これまで普通だと思っていた生活が、他人の努力によって成り立っていただなんて。そりゃ利他精神に溢れるエルシーにとっては、その『事実』こそが『真実』よりもずっとショックだったに違いない。
ボクも何か言おうと思ったけど、上手く言葉が出てこなかった。本当、情けないことに。
しかし聞いていたアオサンは、なおも首を傾ぐ。
「ふーむ。ふぅーむ……やっぱりワタシにはわからん。他人より抜きん出るところがあるのなら、誇りに思いこそすれ悩むことなんて無いじゃないか? 他人の生き方とキミの心がなぜ関係するのだ? キミが生来そうある存在なのなら、そのようにこの先も生きていくだけだと思うのだが……その『ニンゲン』的思考? が、ワタシにはさっぱり理解できんな」
「そう、なんだね」
「あぁそうとも。ちなみに、ワタシは雪が好きだぞ? 景色がガラリと変わるのは面白いし、何より『ニンゲン』たちの表情や行動が明確に変わるのだ。見ていて全く飽きが来ない。確かに多少寒くはあるが、ここにいる限り大概のことは『ニンゲン』のおこぼれで何とかなる。他の奴らだって、居辛いと思うならさっさと『渡り』をするだけのこと」
滔々と語るアオサンに、今度はエルシーが目をパチクリさせた。そしてたぶん、ボクも同じ感じの顔になっていたと思う。
だってまさか、旅先のオシドリに励まされ諭されるだなんて、誰も思わないじゃないか。
「キミが思うほど、他人はキミを気にしていないし、世の中を観察していないと思うぞ。ワタシが良い例だろう? ――それとも。通りすがりのオシドリごときの話は、取るに足らない内容だったかな?」
「……ふふ、ふふふ。あははっ! あははは!」
オシドリの悪戯っぽいような口ぶりの決め台詞に、エルシーはついに笑い出した。
最初は細く息が漏れ出すように。次第に膨らみ、最後には決壊するように。
その目尻には、薄っすらと涙の粒が浮かんでいた。
「ううん、違うよ。取るに足らなくなんてない! そうだね……アオサンの言う通り、そうなのかも!」
「はっはっは。そうだろう、そうだろうとも」
「ありがとう、アオサンっ。私、とっても嬉しいよ! 私の事をちゃんと考えてくれて。雪が好きって言ってくれて。――そういうことをちゃんと伝えてくれたのは、アウロラ以外に初めてかもしれないなぁ」
「……ボクほどじゃないけどね」
「うふふ、そうね。アウロラ」
ボクの負け惜しみを拾ったエルシーが、クスクス笑いながら指先で頭をこすってくる。
悔しいけれど、彼女に対して「他人を気にするな」「ありのままを受け入れろ」だなんて、ボクは言えたことがない。だから本当に、負け惜しみだ。
でも悔しい反面、アオサンには少し尊敬の念が芽生えていた。ここまで考え抜いた上で自由を満喫している人には、今までほとんど出会ったことがない。
もちろんエルシーほどじゃないにしろ、ボクだって世間知らずなのは言わずもがな。
笑顔を取り戻したエルシーは、もう一度「ありがとう」と伝えてから話を続けた。
……そうだ、確かこの辺りだった。
「――あとはね、『解決したい』だけじゃなくてね。私、外の世界を見たいって思う良いチャンスかも……ってなったんだ。たぶん、おばあちゃんがいなくならなかったら、外に出たいとすら考えないで、普通に村の中だけで一生幸せと思って生きていたんじゃないかな」
「なるほど、旅への純粋な憧れか。結構なことじゃないか」
「えへへ。まぁ、『渡り』での旅を知っているアオサンからしたら、何を今さらって感じかもしれないけどね」
その時、ボクは見てしまった。見逃せなかった。
エルシーの言葉を聞いたオシドリの黒目が、これまで見たことの無いような揺らぎを見せたことを。
彼女はどうやら、気が付いてなかったようだが。
――そしてそのまま、スキップで地雷原を進んでゆくことになるのだった。
「だから、アオサンからは旅の楽しみ方を教わりたいなぁ。正直私って、村をでるのも怖かったぐらいだし」
「あれで? というかエルシーは……」
「もうっ、アウロラったら。そうやって茶々入れないの! ほらアオサンなら、住み心地の良い湖を飛び出す気分を教えてくれそうだなって。私、アオサンが先生みたいに思えちゃってるもん!」
「えっと、エルシー。ちょっと……」
「こんな綺麗な湖に住んでいるアオサンなら、『渡り』の先もきっと美しい場所とか楽しい場所とかをたくさん知ってたりするんじゃないかなって。ねぇアオサン。例えば――」
「すまない」
ボクのやんわりとした制止に気が付かず、ウキウキで話すエルシーの言葉を、アオサンの硬い声が遮った。
ずっと忘れていた、雪の冷たさを感じた気がした。
「……いや、すまない。前も言ったと思うが、私はもう『渡り』をしないんだ。だから、話すことはできない」
「え、あの」
「先生と思ってくれるのは素直に嬉しい。ありがとう」
「アオサン、ごめん、何か……」
「良いんだ、気にしないでくれ。おや――」
そして、ここに繋がる。
「いつの間に暗くなったな。キミ達も寒いだろう? 今日はここら辺で解散としようじゃないか」
顔を見合わせたボクたちは、ただ「うん、そうだね」と頷くしかできなかった。
「また、明るくなったころ、ここでな」
ペタペタペタ、と去っていくアオサンの後ろ姿。
昨夜と変わらない光景のはずなのに。エルシーは彼が見えなくなってからも、しばらくぼんやりと見つめ続けていた。
❄ ❄ ❄
「やっぱり明日もう一回、アオサンに直接聞いてみるしかないよね。うん、そうだよね」
脱衣所の札を「空室」に戻しながら、エルシーは呟く。
どうやらそれが、アオサンとのやり取りをのぼせる直前まで反芻したエルシーの結論みたいだった。そっとしておく、見て見ぬふりをする――という選択肢は無いらしい。
上気した顔に決意を漲らせた彼女は、千鳥格子の浴衣に身を包み、帯をキュッと結んで「よしっ」と拳を握る。
「……ただの余計なお世話かもしれないよ?」
「そうかもしれないけど、せっかくあんなに仲良くなったんだもの。このまま捨て置くわけにはいかないよ!」
「まぁ『旅の恥は搔き捨て』って言うしね」
「そんなんじゃないもんっ。なんかうまく言えないんだけど……たぶんアオサンも、本当は『良い』と思ってないんじゃないかな。抜け出したいって、変えたいって、思ってるんじゃないかな」
「ふぅん」
「あともう一回だけ。どう思ってるのか、ちゃんと正面から話してみたいと思う。それでも拒絶されたらしょうがないけどさ。……うん、わかってる。雪解け探しには、何の関係もないよね。でもその……ダメ、かな?」
「ボクはダメだなんて、ひとことも言ってないよ」
――正直なところ、ボクはあのオシドリが傷つこうが何しようが、どうでもよかった。彼が雪解けの謎に関わっているのならともかく、旅先で偶然出会って少し話しただけの存在だ。
ボクはただ単に、エルシーが余計なモノに関わったせいで傷ついてしまったら、堪えられないだけだ。
でも彼女は、もう行動すると決めてしまっている。そうなったら、あとはボクに出来る事など一つしかない。
「……ボクは、キミに後悔を残してほしくないだけ。もうやるって決めてるんなら、エルシーが完全にスッキリサッパリするまでやり切ってよね。それぐらい、付き合うよ」
「アウロラっ……!」
「あっ。でも宿の無駄な延長はナシだよ? 明後日には絶対出発するからね?」
「うん。うん、わかってる! 大丈夫っ! えへへ、本当にありがとうっ! 大好きっ‼」
「っんぎゅ! く、苦しいっ」
感極まったらしいエルシーが、ボクを強く抱きしめる。湯上りの火照った彼女の体は温かく、ふわりと石鹸のいい匂いがして気持ち良――いや、そんな場合じゃなかった。顔を押し付けられて上手く息が出来ない……‼
ジタバタ必死にもがくが、どうやら彼女は気がついていないようだ。
「ほんと、持つべきものは友だねっ。よーし、じゃあ明日はちゃんと早起きして向かわなきゃね! いや、いつもの場所じゃなくて、先に私たちの方からアオサンのおうちに出向くのもアリかも。あーでもでも、大体の場所しかわからないしなぁ……」
「んーっ! んんんー‼」
エルシーはボクをホールドしたまま、次の思考へと移ってしまった。
意識がこちらから移ったせいか、こちらの声は全く届かないし、じわじわと力が強くなっている。
これは、ヤバい。
寝ぼけた彼女の抱き枕になって死にかけた時以来の大ピンチだ。
もうこうなったら、必殺の『肉球連弾』を繰り出すしかない。わずかに動く両腕だけを何とか自由にして振りかぶった……その時。
「おー、上がったのかい。湯加減は大丈夫だったかな?」
「あっ、おじさん。ありがとうございます、サイコーのお風呂でした!」
「……んぷはぁ!」
廊下左手の扉が開かれ、老主人がひょっこり顔を出した。食事の支度が終わったのか三角巾と割烹着は外され、今は鳶色の綿入れ袢纏姿になっている。
そして、彼が話しかけてくれたおかげで拘束が緩み、ボクはやっと抜け出すことができた。ぜぇぜぇと急いで酸素を補給するボクの上で、エルシーと老主人はにこやかに会話を続けている。
「ほっほぅ、そりゃあよかった。夕ご飯が出来ているけど、お嬢ちゃんよかったらこのまま居間で食べていくかい?」
「わーい! おなかペコペコなので、ぜひそうさせてもらいます!」
「今日は上等な干物が手に入ったからね、焼き物にしたよ」
「すんごく良い匂いしますもんねー。えへへ、楽しみだなぁ!」
「猫ちゃんの分も用意してあるからね、一緒に食べるといいよ。そこのテーブルを使っておくれ」
「あ、朝食にもつけてくれてましたよね。本当にありがとうございます! ――ほら、アウロラ。そんな変な顔してないで、行くよ?」
ようやくボクの恨みを込めた視線に気が付いたみたいだけど、残念ながら伝わらなかったようだ。
ただ、部屋から漂う芳ばしい香りに魅了されているのはボクも一緒なので、仕方なく鼻歌混じりの彼女についていく。
その視界の端。
玄関ホールの壁に掛けられた、額縁入りのオシドリの写真がふと入り込み、なんとなく複雑な気分になった。
「……お前のせいだからな」
当然のごとく、その小声の悪態への返事は無い。
ボクは大きな溜息を一つだけついて、山盛りになった魚のほぐし身へと足を向けるのだった。
あの時こうすれば。こう言えば。そうやって時々、人は後ろを見るらしい。
でもそれって別に、ニンゲンだけの特権じゃないんだよね。きっと。
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