❄❄ 7 ❄❄ 湯けむりのレメナージ
すっかり暗くなった、夜の街。
行きと同じくボクをフードに格納したエルシーは、街灯に照らされる雪をサクサクと鳴らしながら宿への帰路についていた。
「――ねぇ、アウロラ。どう思う?」
エルシーが、白い息混じりにぽつりと話しかけてくる。
目的語も無い曖昧な問いかけだ。しかし、「誰のこと」「何のこと」かは明白だった。
「そりゃあ……うん。間違いなく地雷だったよね」
「はぁぁぁ! やっぱり、そう思うよね⁈ やっちゃったかなぁ……」
彼とは、もちろんオシドリのアオサンのこと。
あれだけ熱心だったのに、彼自身のとある話題に移って急に口が重くなり、ついには――。
「いつの間に暗くなったな。キミ達も寒いだろう? 今日はここら辺で解散としようじゃないか」
などと、らしくない事を言って切り上げられてしまったのだ。
『怒った』というまでの雰囲気ではなかったものの、そこには明確な忌避の意図が感じられた。
「一応、また明日会おう的なことは言ってくれたけど……。踏み込んじゃいけないところ、だったのかな」
「エルシーが気が付くぐらいだからね。そうなんじゃない?」
「……もぉ、人を鈍感みたいに言ってさぁ」
いつも通りの、悪口交じりの軽口を投げかけるが、彼女の反応は重たい。そして、そのまま黙りこくってしまった。
機嫌を損ねたのではなく、本気で考え込んでいるのだろう。他人事に対して没頭する彼女には、よくあること。
まぁ今回は他鳥事だけど。
だからボクもフードの中で丸くなって、それ以上声を掛けることはしない。彼女を尊重して静かに見守ることは、うるさく小言をぶつけるのと同じくらい重要なボクの役目なのだ。
サクサクサク……。シャクシャクシャク……。
雰囲気とは裏腹の軽快な音を響かせて、彼女は無言のまま坂を上っていく。
そうすること、しばらく。
行き道よりだいぶ時間はかかってしまったが、白熱灯の光に照らされた『とりみ荘』の看板の前までたどり着いた。
エルシーが頭と体の雪を手で払ってから木製の引き戸を開けると、ガラガラという扉の音とカランカランと鈴の音が鳴り響く。同時に鼻腔をくすぐるのは、出汁の良い香り。どうやら夕食の支度中のようだ。
「――おや、おかえりなさい。一日中雪だったし、外は寒かっただろう。お風呂とご飯、どちらを先にするかい?」
すぐに老主人が鶴の描かれた暖簾をくぐって顔を出し、優しく声を掛けてくれる。雀柄の割烹着と三角巾を頭に付けているところをみると、どうやら彼が食事の支度までしてくれるらしい。気が付かなかったが、あの豪勢な朝食もそうだったんだろうか。
「ただいま、おじさん。ありがとうございます! それでは、先にお風呂いただいても良いですか?」
「もちろん。もう沸いているし、ゆっくりと温まっておいで。他にお客さんもいないからね。……ああ、場所はそこの廊下の突き当りだよ」
「あの、アウロラ――猫も一緒に入っていいでしょうか? ちゃんとお掃除もするので」
「ははは。構わないよ? ……それにしても、お風呂好きの猫とは珍しいねぇ」
老主人の快諾に、またエルシーが「ありがとうございます!」とお辞儀して返すので、ボクも仕方なくフードから顔を出して「にゃあ」と言ってやる。
そうすると老主人はニコリと微笑んで、暖簾の奥へと戻っていった。
だがしかし、ボクは決してお風呂が好きなわけじゃない。色んな意味で、困るのだ。
いつもエルシーは問答無用で連れていくから、もう慣れたけど。
それでも一応は抗議の意を込めて、彼女の後頭部を肉球で叩いておく。
「あたっ! もうっ、わがまま言わないの。ずっとお外にいたんだから、畳の部屋を汚しちゃ申し訳ないでしょ?」
「……何も言ってないし。それなら、たぶんフードの中も洗濯した方がいいと思うよ」
「わかってるって。ほらほら、支度して行くよー」
「はぁーあ」
ボクの溜息での返事を聞き流して、エルシーは二階の宿泊部屋へと上がって風呂支度をする。まぁ支度といっても、荷物を下ろしてタオルと浴衣を持ったぐらいだから、とんぼ返りですぐに降りることになった。
ギシギシ鳴る廊下を歩き、扉前に掛けられた札を「空室」から「使用中」に変え、ボクを連れた彼女は脱衣所へ。
どこかでしれっと逃げ出そうかとも思ったけど、がっちり脇に抱えられていたから到底無理だった。ちぇっ。
観念して洗面台の鏡で自分の体を見てみると、確かに足元は結構汚れてしまっている。よくよく考えてみれば、365日雪が降り続けていたあの村でボクたちは、ずっと厚い雪の層の上にいることが多かった。だから、濡れこそすれ汚れはあまり気にすることはなかったのだ。
全く新しい環境への旅立ちということで、この分ではボクも頭から抜け落ちてしまっていることがたくさんありそうである。
「――まったく。エルシーのこと言えないな」
「んー? アウロラ、何か言った?」
「うんにゃ、何でもないよ。さっさと入って、さっさと出よう」
「いーやっ! せっかくのお風呂なんだから、ゆっくり堪能するに決まってるでしょ。それに――」
「それに?」
エルシーは、脱いだ上着をぎゅっと抱きしめて言い淀む。
「――ちょっと、付き合ってくれたっていいじゃない」
何に? とは訊かなかった。
ボクはただ小さく頭を振って、彼女の足元につく。
「……ありがとう」
微笑んだエルシーが扉を開け、ボクたちは湯気立ち込める浴室へと入っていった。
そして、彼女は湯船に浸かりながら。ボクは風呂桶に浮かびながら。今日の事を一つずつ思い返していくのだった。
今まで通り、いつも通り。ふたりで、おしゃべりしながら。
ぽかぽか。あたたかな温度は、心をほぐす。
冷たい雪を溶かすみたいに、硬い氷を溶かすみたいに。
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