❄❄ 4 ❄❄ 言葉と意志のレゼオタージュ
「……すぅーっ」
変わっていく空気の中、彼女が目を閉じて石を握りこむ。
そして深く鋭く、鼻から息を吸いこむ。
同時にゆっくりとした動作で、握った右手を顔の前へと挙げていく。
まずは口先。唇に触れる寸前まで近づけて、ふぅっと息を一つ吹きかける。
次は額。とん、とん、とん。優しい手つきで、前髪の上から三度打ち付ける。
そして胸元。ぐっと押し付けたまま、小さな円を描くように二周動かす。
「ふうぅぅー……」
彼女が目を開き、細く長く息を吐きながら、右手を前に差し出していく。
伸ばす先は、雰囲気に飲まれおとなしくなっているオシドリの目先。
拳はゆっくりと、ゆっくりと近づいていき、そして彼の青から赤へグラデーションしている頭頂部に触れた。
「――、――」
最後にエルシーが、言葉にならない何かを小さく呟く。
すると一瞬。
ほんの一瞬だけ、彼女とオシドリの周りから雪が消えた。
まるでふたりを神秘的な空気が包みこみ、雪が避けていった、かのように――。
「これで、おしまいっ。さーてお待たせ、オシドリさん」
パンッ。左手と右拳を合わせ、エルシーがにっこりと笑う。先ほどまでの静謐な様子とは打って変わって、見慣れた明るい笑顔だ。
「……私の言葉、わかるかな?」
「…………おぉ、おぉぉぉおおっ!」
エルシーに問いかけられたオシドリは、雷が落ちたかのようにビクンと体を大きく震わせた。あまりに感動しすぎたせいか、嘴をパクパク開くものの言葉は一向に出てこない。
ボクは、彼女が同じ方法で動物と会話しようとしているのを、何回も見たことがある。びっくりして逃げたりする子もたくさんいたけど、この反応は初めて見た。
人間に自ら近づきたいと思う野生動物自体が珍しい、というのもあるだろうけども。
エルシーが握っている不思議な石。これこそが、『魔女の鞄』に入っていたという『秘密道具』の一つだ。
見た目こそ何の変哲もない石ころだが、『魔女』がまじないを込めて紋様を刻むことで、簡単な魔法――のような現象を発現できるようになる、らしい。
なんでも、同世代の友達がほとんどいないエルシーの事を気遣った魔女が、話し相手を作れるようにと拵えた代物だと聞いた。努力の方向性がどこかおかしいと思わなくもないが、当のエルシーは嬉々として受け取り、こうして実際によく使っている。旅中でも重宝した、『灯の水晶』の次ぐらいにお気に入りかもしれない。
魔女本人であれば、エルシーがやっていたような儀式的な動作も必要としないらしいが、そこは所詮借り物の力。何かしらの制約があるようだ。
「……まさか。本当に『ニンゲン』と話せる日がくるとは、ね」
しばらくしてから、やっと正気を取り戻したオシドリが、絞り出すように口を開いた。
「正直なところ、ワタシはほとんど諦めていたんだ。ちっぽけなワタシの願いなど、叶うはずがないと。いやはや、続けてみるものだな……」
「うふっ。私も、こんなに喜んでもらえて嬉しいよ」
「――ボクは、わざわざ聞いてやる必要なんてなかったと思うけどね」
「もう、アウロラってば。そんなこと言わないの! それで、何のお話しをするの?」
エルシーが笑みのまま、指先で強めに頭を撫でてくる。
だってそうじゃないか。
この好奇心旺盛なおしゃべり鳥が満足するまで付き合っていたら、きっとまたボクらはかまくらを作る羽目になってしまう。通常運転で無茶をする彼女は、いくら心配してもしたりないのだ。
そう、だからこれは嫉妬ではない。断じて、嫉妬なんかでは、ない。
――しかし、そんなボクの内心を察したのだろうか。
オシドリはこちらを交互に見ながら、「あー、それなんだがね」と申し訳なさそうに切り出した。
「キミたちに引き寄せられて思わず声を掛けてしまったが、実は塒に帰る途中だったのだ」
「あら、そうだったんだ」
「『ニンゲン』が湧き出てくるのは、決まって明るい時だろう? だからワタシも昼間にしっかり動けるよう、暗くなったら休むことを習慣にしているのだよ」
オシドリがきっちりとした生活リズムを送っていることに驚きながらも、ボクは安堵した。これで、少なくとも夜通し喋り通す心配はしなくてよさそうだ。
できれば、この面倒な約束自体をなかったことにしたいが……。
「ところで、キミたちは次に明るくなった時、またここらに来るのだろうか? できれば改めて話をする機会が欲しいのだが」
「ボクたちは旅中だから、すぐに次の――」
「いいよっ! また明日、お話ししましょう! ……ん? どうしたのアウロラ?」
「…………いや。なんでもないよ」
まぁ、うん。そうなると思ったよ。
この場で乗り気じゃないのは、面倒くさがっているボクだけなのだから。
エルシーは心底ワクワクしていそうな満面の笑みだし、彼女の色よい返事を聞いたオシドリは上機嫌に羽を震わせていた。
「おぉ、それはありがたい! 感謝するぞ、親切な『ニンゲン』!」
「どういたしまして! 私も鳥さんと喋るのは久々だから、とっても楽しみだよ」
「それはそれは。いやぁ、実に良い巡り合わせであった。それではまたしばらく後に会おう! 良い休息をっ!」
「あははっ、こちらこそ。オシドリさんも、えっと……良い休息をっ!」
最後に雪のような白い斑点が浮かぶ翼をバサっと広げながら、明るい別れの挨拶を交わしたオシドリは上機嫌で歩き去っていく。感動冷めやらぬせいか千鳥足――ならぬ、オシドリ足のふらふら歩調である。
彼の鮮やかなオレンジ色の背中と、青い無機質な何かが巻き付いた脚が宵闇にすっかり消えていくのを見届けてから、エルシーはようやく振っていた右手を下ろした。
辺りはつい先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになり、彼が残していったひし形の小さな足跡の上にも、新しい雪がみるみるうちに被さってゆく。
「――まったく。エルシーは、そうやってすぐ安請け合いするんだから」
「いいでしょ? お喋りするだけみたいだし、とっても面白そうな子じゃない」
「はいはい、お好きにどうぞ。……それだけで済めばいいけどね」
「ちょっとぉ。今夜はなんだか、随分トゲトゲしてるね?」
「べ・つ・にぃ? どうせ止めたって聞きやしないんだからさ」
ほんのり赤らんだ頬を膨らませるエルシーが、そっぽを向いたボクの顔を半目で覗き込んでくる。同時にぐりぐり押し付けられる指の感触に口が緩みそうになるが、努めて冷たくあしらった。
彼女には、ちゃんと『重要なタスク』を思い出してもらわなければならないのだから。
「――それより、エルシー」
「ん? なに?」
「まさか、こんな人が多い街中で、かまくら作って寝るつもりじゃないよね?」
「……えっ」
エルシーが動きを止め、目を見開く。
どうやら図星のようだ。
「ほらやっぱり! ボクは許さないよ? 山の中では他にやりようがなくてしょうがなく認めたけどさ。だいたい、無計画に一日中遊びまわってるから、こうなるんじゃないか!」
「だって! こんな素敵な景色、生まれて初めてだったから……」
「その『素敵な街』の人たちに変な目で見られないといいねー」
「それは、嫌……。ええっと、どど、どうしよう、アウロラ⁈」
「猫に聞くことじゃないと思うよ?」
「今こそ、猫の手も借りたいの!」
「はぁ。――とりあえず、宿を探せばいいんじゃないかな。どうやらここは観光地みたいだし、探せば一つぐらい空きあるんじゃない?」
ボクは鼻先で、少し離れたところに立っている看板を指し示す。
ところどころ赤錆が浮いている板面には、丸っこい文字で大きく『ようこそ安らぎの杜 美園湖町へ!』と書かれていた。
他にも湖の形と思われる図の周りには、温泉やキャンプ場やらの表示。そして野鳥観察なる文言も見られる。
野鳥……それってまさか、アイツのことじゃないよね?
「そっか、そうだよね! さすがアウロラ、頼りになる!」
「はいはい。急ぎ過ぎて転ばないようにね」
「わかってるって! えーっと……よし。あっちの方が建物多そうだね!」
そう言うと、エルシーはボクを背中のフードの中へ放り込み、握りっぱなしだった秘密道具――『理解の石』を魔女の鞄にしまって拾い上げ、街灯りの多そうなエリア目指して走り出した。
先ほどは小うるさく注意喚起したが、生まれてこの方雪道しか歩いたことのないエルシーだ。こんな程度の雪で転ぶなんてことは、まずないだろう。
「うわぉっととと!」
……ないよね?
思わずフードの中で爪をぎゅっと立ててしまったが、結局彼女はその後も転ばずに走り切った。
でも、エルシーには謝らなければいけない。
――雪に慣れた彼女を信用しなかったこと、ではない。心配することは、ボクの大事な役割だし。
でもボクは彼女を心配するあまり、大事なことに思い至ってなかったんだ。
「大変申し訳ございません、お客様。猫と一緒でのご宿泊は、ご遠慮いただいております」
……。
なんてこった!
新たな場所で、新たな出会い。
全くの未知との交流は、ふたりの旅の行方を未来へ転がしていく。
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