❄❄ 2 ❄❄ 追想と始走のデティクシオン
『エルシーの居るところは、常に雪が降る』
――という魔法の類が、彼女には掛けられているらしい。
それが、あの日ボクと彼女が『魔女の部屋』で見つけ出した真実の一端。
エルシーが生まれ育ったのは、雪深い山間の小さな村の中。
郵便屋さん以外に他所から人が来ることはほとんど無く、彼女自身もまた出ることを禁じられた、本当に狭く閉じた世界。
だからこそ、彼女は当然に思い込んでいた。
365日止むことなく続く雪降りは、この村の特徴なのだと。
彼女の両親は物心つく前に亡くなったらしく、ずっと腰の曲がったおばあちゃんとの二人暮らし。
しかも、ただでさえ外界から隔絶された村落なのに、さらに外れの森の中で小屋住まい。
そのおばあちゃんは普段から口数も表情も極端に乏しくて、随分とミステリアスな存在だったように思う。加えて、まじないや薬作りなんかを生業にしていたせいか、村の人々からは『魔女』と畏れをもって呼ばれていた。
そんな評判を聞いて、ボクも最初は近寄りがたく思っていたが――
「えーっ、全然こわくないよ! おばあちゃんはああ見えて、すごくすっごくやさしいんだよ? ――あ、やばっ。薬草とりをたのまれてたの、忘れてた! お、おばあちゃんに殺される‼」
「わたしのために何だってしてくれるし、学校の先生と同じくらい、たくさんの事を教えてくれるんだよ。料理とか、お花とか、薬草とか、うらないとか、森の生き物とか、外国の文字とか、ジョージ兄ちゃんの昔話とか……もうほんと、色々だよ。あれ? ジョージ兄ちゃん、そんな早足でどこ行くの?」
「みてみて、おばあちゃんが新しい髪留めを作ってくれたの! 夜のツキヨタケみたいに素敵な色でしょー? この……えっと、なんて読むかわからない文字もね、おまじないがこめられているんだって! マムシが踊ってるみたいで可愛いよねっ」
こんな調子で、彼女がいつも楽しそうに話してくれたおかげか、いつの間にか悪いイメージは無くなっていた。
そして、真剣な笑顔でこうも言っていた。
「おばあちゃんには、いつも感謝しているんだ。たぶん、私の人生だけじゃ返しきれないほどの恩があるの」
「だから誰かに言われたからとかじゃなくて。おばあちゃんが、ずっと村にいることを選んだ以上、私もずっと隣で支えていこうって。――そう、心から思ってる」
そんな健気な少女を置いて、無情にも魔女は姿を消したのだ。あの意味深長で、意味不明な一文だけを残して。
ボクは正直、彼女は立ち直れないんじゃないかと懸念もした。常に利他で生きる彼女にとって、『おばあちゃん』の喪失は人生の意味の喪失に等しいはずだから。
でもそれは杞憂で、彼女はちゃんと奮い立った。ついでに、ボクが隣につくことも認めてくれた。
――たぶん、だけどね。怖くてちゃんとは確認していない。
かくして、ボクたちは『魔女の部屋』の調査に取り掛かったわけだが……手がかり自体は、意外とすぐに見つかった。
もしかしたら、わざと見つけやすいようにしてあったのかもしれない。
ベッド脇の、小さなサイドテーブルの上。
それは、辞書ほどの厚みがある革張りの古ぼけた日記帳。表紙にはご丁寧に魔女の名前が彫り込まれていた。
中身の9割方は、エルシーに関する内容。筆圧の強い独特の字で、喜び、悩み、楽しみ、憤り……ありとあらゆる親としての感情と思索が事細かに書き込まれていた。
紙の上での魔女は、普段からは想像できないほど多弁だったのだ。
その一ページ目。日付は、十六年前のエルシーの誕生日。
『生まれてきてくれて、ありがとう。願わくば、彼女の運命に雪解けが訪れますように』
まさに、どんぴしゃ。これが手がかりそのものだとボクたちが直感するのに、十分すぎるワードだった。
さらに何時間も没頭して先を読み進めるうちに、真実の欠片がゆっくりと見えていった。
一通りを読み切ったあと。
彼女は重たい手つきでパタリと日記帳を閉じ、そこら中から薬草が吊り下げられた天井を仰いだ。
「そっか。そうなんだね、アウロラ。……はぁ。そういうことだったんだ。365日降り続けるこの雪は」
「……うん。ボクも信じられないよ、エルシー」
彼女のついた深く長いため息に、寄り添っていたボクもすぐに続いた。
「――『キミが居るところには、常に雪が降る』。しかも『魔法』だよ? そんな非常識なものがこの世に存在するだなんて、信じられないよ」
彼女もまた「信じられない」といった様子で、今一度大きく目を見開いた。
無理もない。
ひゅうっと大きく息を吸い込み、上を見て、右を見て、左を見て、もう一回上を見て。
最後にボクを見つめて、叫んだ。
「しゃっ……」
「しゃ?」
「喋ったああああ‼︎」
――そう。そういえばこの時、ボクは初めて自ら彼女に話しかけたんだった。
全く失礼な。
喋ったのがどこぞの野生動物ならともかく、こんなにキュートで、あんなに一緒に過ごした『ボク』だったというのにね。
ともあれ、彼女が落ち着くまでにちょっとだけ苦労したけど、それはまた別の話。
なんとか気を取り直した彼女とボクは、程なくして真夜中の村を発った。
作り置きのパンと、備蓄用の干し肉と、使い込まれたランタン。そしてあの重たい日記帳を、おばあちゃんから貰ったお気に入りの鞄に詰め込んで。
ボクは「そんな適当な準備で大丈夫?」と何度も確認したけど、彼女は「ふふふ」と笑って軽く受け流した。
「この鞄はね、『魔法の鞄』なんだ」
「その、くたびれた鞄が?」
「そう、このくたびれて古臭いオンボロ鞄が」
「ボクはそこまで言ってないけど……まぁ、長旅にしては心許ないような」
「長旅になるとも限らないよ? それにね、この中にはおばあちゃんがいざという時に用意してくれた秘密道具が詰まってるの。だから、きっとなんとかなるよ」
能天気な返答にも聞こえたが、魔女が『本物の魔女』らしいと判明した後では、多少の説得力もある。それに『秘密道具』というワードは、ボクの中の『男の子』を呼び起こし、リボンを巻いた首元をゾクゾクさせてくれた。
急いで出立したことについては――まぁ、結果的には良かったのだと、今は思う。
日が昇ってからだと、他の村人と出くわしてしまう可能性が高かった。
常日頃から「村を出るな」とあれだけ言っていた人たちだ。もし見つかったら、確実に咎められていたことだろう。
それらの噛み合いのおかげか、道中でエルシーの空腹以外にさしたる妨げはなかった。
ボクたちは他愛のない会話をしながら、ひたすら山道を突き進み……そして、丸二日後。
森の中から唐突に開けた光景を目にして、ボクたちは改めて「確信」を得た。
静かに揺れる広大な湖。優雅に浮かぶ水鳥たち。
鬱蒼と茂る木々の緑。色とりどりに咲く花々。
アスファルトと石畳で綺麗に舗装された地面。
雪は降りしきっているものの、いかにも『降りはじめ』と言った感じで、どこにも積雪は見られない。
街ゆく人々は一様に薄着で、怪訝な顔で空を見上げたり、手元の光る板を見つめて首を傾げたりしていた。
そう、やっぱり。
魔法は、本当だった。
彼女が来たから、ここも『雪』になってしまったのだ。
「エルシー、その……」
改めて事実に直面した彼女は、きっと落ち込んでいるだろう。
そう思ったボクが、おずおずと頭を上げて彼女の顔を見ると――。
「す、すすすっ、すごいすごいすごーい! こ、これが噂にきく『海』なのね⁈」
「…………いや、湖だよ」
それはもう。
これ以上ないぐらい、キラキラと目を輝かせていた。
「うわわーっ、すっごく綺麗だし、すっごくおっきい! 山にあった沼の何倍あるんだろう。きっとお魚もいっぱい居るんだろうなぁ。きっと、釣っても釣っても釣り切れないくらい! ……あっ、綺麗な鳥さんがいっぱい浮かんでる! なんていう鳥なのかな? あんなの、山には居なかったよね!」
雪の中、手をパタパタと振り回してはしゃぐ彼女を見て、ボクの不安は溜息と共に口から吹き出て霧散していった。
まぁ……いっか。彼女が前向きならそれで。
ボクは、彼女ほどの感動を得ることはできなかったけれど、くるくると表情を変えながら飛んで跳ねて走り回る彼女を見ているのは、退屈しなかった。
「ねぇ、アウロラ! むこう側にも行ってみようよ!」
「ねぇ、アウロラ! あれ、何かな? とってもいい匂い……美味しそうだねっ!」
「むぐっ、ごくん。あぁっ、アウロラ! あそこでボート借りれるみたいだよ! こ、こんな広い所、みんな戻ってこれるのかなぁ」
「アウロラアウロラっ。ねぇねぇ、あれは――」
――とまぁ、そんな彼女に付き合っているうちに、すっかり夜になっていたわけだ。
降り続けた雪は、この街を銀世界へと染め上げていた。
ボクたちが吐く白い息も、もう何回宙に消えただろうか。
ところで、彼女は街巡りに夢中で気がついていなさそうだが……一体、どこで眠るつもりなんだろうか。
ちなみに彼女ご自慢の魔法の鞄に、寝袋といったものは入っていない。これまでの道中は、雪とその辺の木の枝で簡単なかまくらを作って眠るというワイルドさで、なんとか凌いできたのだ。
しかし、さすがに人里でそれをやるわけにもいかないだろうし――
いや、まさか。やるつもりなのか?
「ねぇあのさ、エルシー。もしかして……」
ボクが恐る恐る彼女に話しかけた。
まさに、その時。
「やあっ! やぁやぁやぁやぁ! ちょいとそこの奇怪なネコ君!」
「んんにひぃっ⁈」
突然、妙に鋭く甲高い声で呼びかけられた。
ボクは意識と視界の外からの不意打ちに驚いて、思わず変な声を上げて硬直してしまう。
同時に全身の毛が逆立ち、髭までビリビリと震えが走った。
あぁっ、ボクとしたことが。誰かの接近に、全く気が付かないだなんて!
声の主が何者かは分からないが、迂闊に反応などしてはいけない。
なにせボクは、世間的には『ただの猫』。軽妙に喋るびっくりドッキリ面白生物だとバレたら、一体どうなってしまうことやら。
……いや、「ネコ君」と明確に呼びかけられているのだから、すでに手遅れかもしれない。エルシーとの会話を聞かれていたのだろうか。
いやいやいや、まだわからない。今ならまだ白を切り通して、勘違いということにできるかもしれない。
などと、ボクの小さい頭を雑多な思考が高速でぐるぐる巡る。
助けを求めるべく、エルシーの方へゆっくりと顔を逸らすが――。
「この辺りでは見ない顔だねぇ。もしかして『渡り』のモノかい? おっと、なに顔を逸らしているんだ、キミだよキミ! おーい‼」
なにやらこの闖入者、随分と無遠慮な上におしゃべりさんである。
引く様子も全くなさそうだが、無駄なあがきをしてみた。
「……にゃーご?」
「おいおい、下手な猫マネはやめたまえ。私も無駄に長く生きてきたが、やっとキミのように面白そうな存在に出会えて嬉しいんだ。少しぐらい話し相手になってくれても良いではないか?」
うん、ダメだったみたいだ。
しかも気に障ったようで、さらに語気を強めてピーピーまくし立てている。
ちなみにエルシーの顔を窺うと、キョトンとした顔で小首を傾げてボクたちを見ている。
はぁーあ。
ボクは観念して、大きく長いため息をつく。
そして、彼の方へと向き直った。
「…………えっと」
心底面倒くさい、といった感じを顔の全面に押し出した。
しかし、当の彼は至極嬉しそうだ。
「なんの用かな?――オシドリさん?」
ボクは、薄雪の上で胸を張ってふんぞり返るその一羽の『オシドリ』に、嫌々ながら返事をしたのだった。
エルシーに掛けられた「雪を呼ぶ魔法」を知ったふたりは、湖畔の町で新たな出会いを果たす。
騒々しい「彼」が話しかけてきた目的とは……?
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