プロローグⅢ
プロローグⅢ 夜の迎え
遠くから低い川の音がする。窓を僅かに開けると、隙間からまだ冬を残す冷気が入り込んできて、風呂上がりの雪華の体を冷やした。
もし天からの迎えがくるなら今だろう。窓も開けているし、夜空は斑に星々が輝いている。淡い光だ。もし、雪華の視力が小学校の頃のままだったら、空を埋め尽くすような満天の星を眺められたかもしれない。
風が強くなって、雪華の身体を刺すような感覚がした。先程まで外は嵐だったが、今は落ち着いている。この強い風は嵐の残り火なのかもしれない。
雪華の家は、新築と古い家々が交互に列ぶ閑静な住宅街の一角にある。3年前にこの地に引っ越してきたが、特別自然に恵まれているとか、交通の便がいいとか、これといった長所はないので、あまり特別に思っていない。外の景色はとても退屈だったので、雪華は手元の携帯に視線を落とした。
しばらくすると、首筋に生暖かい空気が流れてきた。風の冷たさに肌が慣れたのだろうか。遠くで犬の鳴き声と、鉄パイプがコンクリートに引きずられるような音がした。
何となく気味が悪かったので雪華は窓を閉めた。目覚まし時計をセットしようと時計を覗くと、夜の1時を過ぎていた。今日は午後の2時に布団から出たので、眠気を感じないのも妥当だと思った。机に時計を置き、すぐに布団に足を入れた。昼の自分の熱が微かに残っていて、生き物のような温かさが伝わった。
誰かが雪華のために、住宅街の屋根を転々と飛び跳ねて、窓の外から迎えに来るような気がしていた。何か人間ではないものが、自分を別の世界に連れていくのだ。ずっと子供の頃からそう思っていた。
夜、うとうとと布団の中で微睡んでいると、コンコンと窓ガラスがノックされ、別の世界の者が自分を迎えに来る。その者は見たことも無い美しい生き物だったりもするし、絶世の美男子だったりもする。そして、その者に手を導かれて美しい夜空の雲を越え、月の向こうの何処かに連れて行かれるのだ。
布団の傍にあるLEDスタンドを消し、雪華は布団を肩まで掛けた。3月初旬とはいえ、夜は身体が冷える。今は布団を4枚重ねいるが、少し乱れていて足首の辺りが心許なくなっていた。何度か寝返りを打つがなかなか眠れない。
小さい頃はもっと想像力があった。夜はかっこいい青年が白馬に乗って窓を叩き、自分は青年の背中にしがみついて夜の宴に連れて行かれると思っていた。その夜の宴には仮面を付けた豪奢な異世界人が、優しい笑みを雪華に向けてこう語るのだ。「ようこそ、こちらの世界へ」と。
布団に入ってうつらうつらと考えてていると、少しずつ眠くなってきた。ぬくぬくとした掛け布団が頭を火照らせ、心地よかった。
そういえば明日は入学式だっけ、と雪華が思い出したころには、とっくに夢の世界に落ちていた。