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第二帖 剣拳豪合〜京の娘の侠気か凶器〜 伍

 濃かろうが薄かろうが、万民に等しく流れるのが時間というヤツの特性で、この1週間は、特濃という言葉が事更似合う、素敵なウィークでありましたよ。

 急転直下の非常事態は、ややこしさを加速度的に増していって、全国の神社の総本山たる伊勢神宮から査察の連絡のあった翌日には、京都の双子巫女の同席が確定。

 こっちはこっちで、神事の状況説明用の資料作成に借り出され、デジカメ片手地図片手で、現場写真をバシャバシャと。

 翌々日の月曜日には、拍子抜けするほどアッサリと退学届が受理され、めでたくも社会的に、未成年無職少女Aが誕生。

 かといって、昼間から家でゴロゴロインターネットとは甘くなく、朝から夜まで神社に通い、神宮・御瑞姫みずきの仕組みにしきたり、祝詞や神楽を詰め込まれ、質・量ともに、高校レベルを超越した内容をとにかく鵜呑み。

 そんな平日が終わり、まったくと言っていいほど準備が整わないまま、裁きの日は訪れた。

 宮司さん、私、のぞみかなえ珠恵たまえはともかく、野次馬根性で姫子ひめこが参列。一直線に参道に並んで、高野たかや空海あけみ女史をお迎えする百々山組の向かいには、あの日の京都の双子巫女プラスその母親と、なぜか巨大人形までが直立不動でこちらを睨み、歓迎ムードは一触即発。天までが空気を呼んで、暗雲渦巻く絶好の査察日和。

 私ってばここ最近、運気下落傾向にあるんじゃなかろうか?

 あぁ、知らない人は本当に知らないだろうけど、運気っていうのは波の連続で、注意して観察していれば、おのずと自分の正負の運勢っていうのが見えてくる。

 それは言わば、補正値みたいなもので、運気絶好調の時は、何をやってもプラス補正がかかっていつもより上手くいくし、運気が底値の場合は、何をやっても失敗するマイナス補正がバリバリにかかる。

 ここで注意すべきなのは、自分の運気の読み方を知らない人は、運勢が底値の時にバリバリ頑張っちゃって、何をやっても大失敗して力尽きる。もしくは運気絶頂のときに実力を勘違いしちゃって、波が降下し始めたにも関わらず強引に事を推し進めて大失敗、の2パターンに陥りやすいってこと。

 つまり今、本来なら新しいことなんて一切やらず、おとなしく運気が回復するまで待てば海路の日和あり、を貫くのが本当の対処法なわけで。

 でも、ま、こうなったら、なるようになる。

 始まったら終わりがあるのは自明で、自分から墓穴を掘りにいかない限り、よっぽど悪い方向には転がり落ちない、と思いたい。

 そうして、生唾を飲み込む音すら響くような緊張感の中、時間ぴったりにその女は現れた――轟音と落雷を引き連れて。

 激しい閃光をバックに、鳥居に姿を現したその影は、巫女を形容するに相応しいかどうかと言われれば甚だ疑問なのだけれど、巨大な威圧感の塊だった。

 単純に背が高い、というだけじゃない。シャンプーのかわりに砂塵を浴びてきたかのごとく潤いのない長い髪は、そんじょそこらの男からは感じられない野生をビンビン感じさせるし、姫子に匹敵する巨乳の谷間を惜しげもなくガバッと開示しているにも関わらず、その谷間に顔を埋めたが最後、胸筋の働きだけで首をもぎ取られるような殺気が、見る者を圧倒する。何よりその、姿勢だ。礼儀正しく見目麗しい姿勢を、竹尺を背中に差し込んだ如き一直線の立ち姿だとするのなら、彼女はその竹尺を、背筋の働きでへし折ってやろうというほど上体を大きく逸らし、普通に立っているだけで、相手を見下ろす捕食者の視線を、右目のモノクルごしに獲得している。

 高野空海。神宮から使わされた御瑞姫。

 彼女は参道の両脇に並び立つ顔ぶれを一巡すると、銜えていたパイプを外し、野獣の笑みでこっちを激視。

稲田姫なだひめ野乃華ののかっ!」

 破裂するような激しい言葉。声量ではなく、突き刺さる鋭さでもって相手を屈服させる声だ。

「はいっ!」

 だけど、負けない。負けずに見返す。男の勝負が筋力なら、女の勝負は眼力で決まる。彼女が境内に入ってくるとき、大勢のカミ様たちが『やれやれ、狙って神鳴かみなるのも一苦労ですぅ』愚痴をこぼしてたのを聞き逃さなかったから、ハッタリかまして場の空気を乗っ取ろうなんて魂胆に、屈したりしない。

知流姫ちるひめあかりっ!」

「はい」

 続いて呼ばれたのは、安倍家の長髪の巫女。空海さんと比べると蚊の鳴く様な声には、感情がこもらず、不気味に響く。

「こたびの御瑞姫認定、両者の舞闘をもって再神事とする」

 はい?

「空海様!」

「高野御瑞姫!」

 突然の申し出に、宮司さんと安倍家の代表者(=双子の母)が同時に上げる抗議の声。

「異論は認めん。

 両者の報告書には目を通した。双方の言い分には食い違う点が多々あるが、芙由美ふゆみの言うような、稲田姫側による謎のカミの煽動は証拠がない。また同時に、安倍晴きよいに襲われた望、野乃華の両名からは、現場での晴の発言に、本人の意思が多分に含まれていたと判断するしかない語彙が多々、報告されている。

 謎のカミの乱入が、稲田姫神社による神事撹乱であったにせよ、安倍晴の暴走が本人の意思によるものであったにせよ、神事は行われ、安倍晴と茶吉尼だきにが、そこなる野乃華に撃退されたことは、疑う余地がない。

 疑わしきは罰せず。双方の憤りは、実力行使によって、それを発散するが良い。

 月見里野乃華、異論は?」

「……ありません」

「安倍明?」

「……私に同意を求めるは、無意味です」

「よろしい。安倍晴は先の神事の怪我の治療中ゆえ、その代理として明を安倍家の代表者とし、明日夕刻、高野空海が見届けの下、稲田姫神社御瑞姫認定再神事を執り行うこととする!」

 あ、カミ様たちが騒ぎ出し……

『打ち合わせと言葉が違うっ。とりあえず、落としとこっ』

 落雷!

 あぁ、まぁ、カミ様を使役して劇的演出を試みるってのは凄い発想だと思うけど、リハーサルなしの一発本番で、人神のコミュニケーションをスムーズにするのは難しいよね。

 一瞬遅れの落雷に、片眉がピクッと反応した空海さんは、こっちの思考を見抜いたのか、殺気をこめた視線で、私の臓腑を抉りにかかる。

「何か、異論が?」

 ありませんともっ!

 むしろ助かったっていうか、見事なお裁きって言うか。

 けど、一難去っただけのことで。

「安倍、明……」

 視線の先にいる、少女の名前。

 感情を見せぬ視線を、まばたきすらせずに私に投げかけ続けている、人形遣いの御瑞姫。

 明日、彼女と、闘う。

 っていうか、その隣にそびえる、6メートルの巨大な人形と、だけど。

 また一難、だわね。

 というか……七星剣、ちゃんと稼働するんでしょうね?





 極度の緊張を強いられた謁見は、実に10分に満たずに終わった。

 そう考えると、この1週間の地獄のような資料作成はなんだったのよ、と愚痴も言いたくなるところだけど、実際は気を抜いている時間なんて全くゼロで、

「作戦会議〜」

 やたら嬉しそうな姫子の発案で、私たち稲田姫巫女軍団+1による、対茶吉尼戦ブリーフィングの唐突開催。

「作戦会議はいいけど、誰かアレを見たことあるわけ?」

 プルプルプル、と私以外首振る4人で、

「駄目じゃん」

「あ、でもでも噂なら聞いたことあるよ」

 と、これまで何度も、空海さんや他の御瑞姫と、作戦なる対妖怪戦争を勝ち抜いてきた(らしい)姫子の言。

「俊敏にして正確無比な攻撃。軽快にして難攻不洛の装甲。右の拳は神速で獲物を破砕し、左手は異次元から召喚することで、遠距離から防御まで、あらゆる戦場に適応する、死角皆無の戦略的半自律駆動兵器。はっきり言って、並みの相手じゃ、その動きを捉えることすら無理だねっ!」

 キラリと歯を輝かせて、サムズアップ。

 ……相手を持ち上げてどうするよ。

「で、実際に戦ったことは?」肝心の問いに、「無い」即答された。

「帰れ」

「ひどっ」

 せめて建設的な意見を頂戴よ。

「ところで、のののん?」

 効いちゃないし。

「必殺技ってあるの?」

「必殺……技?」

「そうっ!」

 目をキラキラ輝かせ、さらに身を乗り出して迫ってくる。

「なんたって稲田姫の七星剣は、歴代最強の誉れを欲しいままにしている、最有力優勝候補だもんね。

 晴ちゃんや茶吉尼だって、七星剣特有の必殺技があったから、のののんでも倒せたんじゃないの?」

「歴代最強って? というか、優勝候補?」

「……知らないの?」

「何にも」

「まったく?」

「全然」

「さっぱり?」

「だって、御瑞姫認定1週間だし?」

「……プリンセスインザボックス」

「誰が箱入りじゃ!」

 そんなわけで、茶吉尼対策も重要だけど、いったい御瑞姫って何をするわけ? という根底の疑問を明らかにする方向に、話題をシフトさせようか。




 ああだこうだと、望、叶、珠恵と姫子から、御瑞姫とは何ぞやという事情を聞きだすこと3時間強。

「あぁ、もう我慢できない。お腹すいた」

 唐突に話題をブツ切りやがったよ、姫子め。

「どうせ今日はこのまま合宿コースだろうからなぁ、鍋にでもする?」

 望の提案に反対する理由もなく。明日は決戦という緊張感を欠片も滲ませずに、スーパーマーケットにキムチ鍋の材料を買出しに行く巫女5人。

「というか、私たちはともかく、あんたそれで平気なわけ?」

 姫子の、胸元全開超絶ミニスカートは、いわゆるコスプレ衣装と間違われても言い訳できない代物で、おまけに彼女は巨乳持ちでもあるわけだから、なんていうか、パッと見、痴女だ。

「でも、地元じゃ、この格好で仕事してるしなぁ」

 動じやしねぇ。

「仕事って、何の?」

「カミ様退治。ちなみにうちの町のネット掲示板、『今日の姫子たん』コーナーってあってさ、盗撮写真が匿名で続々と……」

「中止させろよっ」

「あれ、知らなかったの? のののんたちの写真も、ネットで投稿されてるよ。その筋じゃ、超有名人、私ら」

 マジですか!

 思わず周囲に殺意を撒き散らせど、カメラ小僧は見つからない。

「別に悪いことじゃないじゃん。地域密着型の巫女さんって、今じゃ貴重な存在よん」

 逆に明日から引き篭もりたくなったよ、私は。

「じゃ、何? あんたの町じゃ、みんながカミ様と闘っているって知っているわけ? この平成に?」

「ま・さ・か! そんな危険地帯にパンピー巻き込んだら、プロの仕事じゃないよ。あくまで、見えないところで大活躍が私のモットーだし。写真はまぁ、神社のPRかなぁ。ちょっとしたアイドル気分」

 とことん前向きでいやがりますね、この露出少女は。

「逆に言えば、巫女さんの需要って、その程度なんだよねぇ、今」

「どゆこと?」

 急にしんみり、遠くを見つめ始めた姫子。いきなりガバッと、こっちの首に腕を回して、

「というわけで。今日はとことん、騒ぐぞぉ!」

 恥ずかしいから、右腕振り上げて宣言すんの、やめれぇ〜。




「あ、この鳥団子の軟骨入り、美味〜」

「てか姫子っ! 白菜も食べなさいよっ!」

 こんなことしてて良いのかなぁと思いつつも、豚肉をシャブシャブするのを止められない。

「この各務原かかみがはらキムチ、イェスだね」

「と言うかさ。なんで普通にキムチ鍋してるの? あんたら」

 叶のツッコミキタァァァ! でもいち早く雑炊の準備してて説得力ねぇっ!

「結局、誰も20年前の七星剣の巫女さん、知らないんでしょ? だったら、どんな必殺技だったかとか、分からないままやるしかないんじゃない、明日は」

「でも稲田姫神社って、毎回優勝候補なんだけどなぁ、葦原舞闘神事の。それなのに、誰も技を継承していないって、不自然じゃないの?」

 姫子のツッコミはもっともだけど、

「というか舞闘神事って、カミ様への奉納の舞じゃないの? 優勝云々って、おかしくない? そもそも、舞闘神事って何するの?」

 私の疑問にも答えてくれ。

「御瑞姫10人が、5組に別れて闘うって事しか、お母さん教えてくれなかったからなぁ。で、最強の一組を決めることで、神事は終了するって」

「優勝することに、意味はあるわけ?」

「特に無いんじゃないかなぁ。あるんだったら、最初から教えておいたほうが、やる気でるわけだし」

「だったら、勝ちにこだわる必要はないんじゃない?」

「あ、それは諸説あってね」

 叶、説明モード。

「昔の巫女って血気盛んでさ。訓練にかこつけて、誰が一番か、決闘が頻発したんだって。

 でもそれじゃ、肝心な時に怪我で動けない危険があるっていうんで、神宮側が神事を利用して、巫女さんたちの名誉欲を誘導したらしいって」

「その巫女イメージ、野蛮人過ぎじゃね?」

「……姫子みたいなのが、たくさんいた?」

 地味に酷いこと言うよね、珠恵って。

「でもそれじゃ、カミ様への奉納が、後付って聞こえるけど?」

「そういう説もあるってこと。これ以上突っ込んだことは、神宮の研究職でもなけりゃ、調べようがないけど」

「そもそも、なんで巫女同士が闘うことが、奉納につながるわけ?」

「相撲だって、元を辿れば、カミ様を前にして行う八百長神事だったわけだから、無理はないんじゃないかな。それに日本じゃ代々、カミ様と人間を繋ぐシャーマンは、巫女独占だったわけだから……カミ様も、むさくるしい男の相撲より、乙女の舞のほうが好みだったってことじゃない? 野乃華だって毎年、御山の中で舞ってたでしょ? 同じ同じ」

「でも私たち、普段はカミ様退治してるんだよ?」

「崇拝対象が違うでしょ」

「というかさ、叶」

 いまいち腑に落ちていなかった事を、これ幸いと、切り出すことにする。

「なんで稲田姫神社って、祭神が稲田姫じゃないの? それじゃなくても一応神宮の系統だったらさ、古事記由来の神様勧請して、合祀するのが普通じゃないの?」

 さすがに、叶が黙した。突然訪れた沈黙を、しかし思いもよらない人物が切り拓く。

「もともと、神様なんていらないんだよ、この神社は」

 望だった。あらかた鍋の具材をさらえきった彼女が、仕舞いに白米を投入してコンロに火をつけて、言葉を繋ぐ。

「稲田姫神社は、いわゆる前線基地だから。名前の由来は諸説あるけど、一番有力なのは、この神社を基地とする軍団の、代々受け継がれてきた軍団長の称号じゃないかっていう話。実際、他の神社もほとんど、同じように『姫』って名前の神社ばっかりだし。

 日々カミ様と戦うのが目的の、戦乙女の拠点だもん。それに伊佐利と七星剣だけでも、十分崇拝の対象として、箔はあると思うけど? こまごまとしたカミだって、全部『御山』として祀っているわけだし」

 うん。その説明はもっともだ。もっともなんだけど、望とは絶対に共有できない感覚がある。

 カミと、触れ合えるかどうか。

 日常的に八百万のカミと対話をしている私から見れば、カミは崇拝するものじゃなくて、共生する対象だ。

 なのに、日本を守護しているはずの天津神を、これまで見たことがない。

 私の目に映るのは常に、名前もない、国津神とすら言えない、自然神ばかりなのだ。

 この現実との食い違いを、違和感と覚えるほうが間違っているのか。

 多分望たちは、目の前のカミを調伏するだけで精一杯だ。

 世界に仇なす存在を退ける。それは掃除と一緒で、絶対に怠ってはならない職務であり……職務に従事し続ける限り、現場作業員にはその『意味』までを理解する必要はない。

 グツグツと、キムチ汁を吸った白米が、芳しい匂いと共に咆哮を上げ続ける。

「……えと、卵ほしい人」

 結論の出ない議論を断ち切って、珠恵の質問に全員が挙手をした。

 煮えきる直前に投入された生卵を崩さないように、各自にキムチ雑炊が振舞われ……5分ほど、箸に息を吹きつける音と咀嚼の響きだけが、社務所内を支配した。

 ごっつぉさん、といち早く器を置いて、ゴロンと畳に横になったのは姫子。抜け目なく楊枝を抜き取って彼女は、それまでの議論をまったく気にしていなかったかのごとく、

「で結局。のののんは、どうするわけ? 明日の作戦」

 とりあえず人に楊枝向けるの、やめい。ま、埒の明かない議論をしていられる立場じゃないと、覚悟を固めて。

「相手の出方が分からないから、なんともなぁ。この前は、動き自体が単調だったのと、勝手に倒れてくれたから良かったけど……参考程度にさ、姫子ならどうする? あのデカ物相手。御瑞姫の先輩として、よろしく御教授」

 こっちも食べ終わって、後ろに手をついて寛ぎモードに突入、楊枝でシーシーしている姫子に水を向けた。あぁ、ちょっと食べ過ぎたかなぁ。

「昔、見越を倒した時は、どうしたかなぁ。あ、あん時は、相手が鈍間だったから、脚を折ってやったんだ」

「折れなかったら? 脚」

 実際、七星剣の全力でも斬れなかったし。この前。

「攻撃は、絶対に受けない。真正面から殴られたら、衝撃で身体飛ばされそうだしね。表面が堅いんだったら、関節狙うか、頭を狙うかかなぁ」

「……意外にえぐいね、御瑞姫」

「相手、化け物ばっかだからね。双頭なんてザラにいるし」

 本当に、今、21世紀?

「他には? 気をつける点ある?」

「さっき他の神社の人からメールで聞いたんだけどさ」

 おっと、叶の乱入だ。

「戦闘中、明御瑞姫の姿は見えなかったらしいよ」

「見えないって、どうやって操ってたの? 一応、操り人形なんでしょ、あれ」

「でも基本、山の中が戦場だから、多分無線なんじゃないかな。で、弱点たる操者は、なるべく身を晒さないようにするって事じゃないの?」

 無線って。太古からあるにしてはハイレベルなエレクトロニクスだこと。まぁ、カミ様のやることだからなぁ。理屈じゃないんだろうけど。

「でも明日は1対1でしょ? 隠れる場所なんてないんじゃない?」

「じゃ、のののんは、明ちん狙いで行くと? 意外にえぐいね、君も」

「んな事言ってないでしょ」

 思っていたけど。

「姫子ってさ。有効射程が広い敵に対しては、どう出るわけ?」

 なんたって姫子は、私よりも間合いが狭い、拳と拳のインファイトの達人だ。彼女の武器たる神宝は、両手の手甲。信じられないけど、生身での殴りあいを日常にしている彼女の敵は、言い分を鵜呑みにするなら化け物たるカミ様たち。まともに真正面から、正々堂々と試合をしてくれる相手だとは思えないけど。

「速攻で間合い潰して、一方的にボコる」

 聞いた私がバカだった。

「結局、相手を自分の間合いに閉じ込められるかどうかが勝負でしょ。のののんの得意レンジと、明ちんの守備レンジがどのくらい交錯しているのか分からないけど、相手の死角を狙っていくしか、狙いどころなんてないと思うけど。

 そもそも、のののんって、何が出来るの?

 剣を振り上げて竜巻飛ばすとか、超音速居合いでリンゴを切り刻むとか、衝撃波に指向性もたせて地面を走らせるとか、鷹に掴まって空から急降下とか、そういう必殺技ないわけ?」

「そんなゲームみたいな技無いわい。私は基本、七星剣を振り回すだけよ。振り下ろすか、横薙ぎするか、振り上げるか。まぁ、力を溜めて強撃するのも一つの手だけど。刀身でガードして、機を探ったりとか……」

「地味っ娘め」

「胸見て言うなっ! 大体あんたはどうなのよ、必殺技、あるわけ?」

「それは言えないなぁ。将来、ライバルになる可能性もあるわけだし」

 ぐぬぬぬ。おのれ、こやつ。

「姫子の技ったら、手甲内で呪符を炸裂させて、拳の破壊力を上げるってのが無かったっけ? 確か、6発装填式の……」

「叶っ! なんでバラすの!」

「なんでって、私、百々ももやまの女なんだけど」

「おおっ。そうだった。ここ、超アウェイじゃん」

 と言うか、姫子がここにいること自体、おかしいんだよ部外者め。大体、地元の平和はどうしたのよ。

「ん〜、まぁ、私がいなくても大丈夫なんじゃないの? 他にも、退魔の家系あるし」

 つくづく、この子と同じ現実を生きている気がしないなぁ。

 ま、御瑞姫とやらになったら、そういうカミ様退治に本格的に参入しないといけないんだろうけど。

 今までも妖怪相手に戦ってはいたけど、死線を潜るようなのは少なくて、大半は実体もろくにない、霊体が寄り集まって意思を生じたみたいな、幽霊のような霞の方が多かった。そんなのでも、悪霊の重力みたいな場を発起して、時には交通事故を誘発する、現実干渉を行ったりする。

 けれど、姫子の言うカミは、童話の鬼とか妖怪のように実体と意思を持った、実在の悪意だ。

 もちろんそういった存在を、今更否定しない……むしろ、手厚く保護して共存出来ないものか、と思うくらいで。

 無理だろうなぁ。互いに縄張りというか、望む環境が異なれば、どちらかの住み良い土地にしか変貌しないだろうし。

 ん? でも、いまだにそういう敵対意思が生きているって言うのは、どういう理屈なんだろう? 人間を敵視していて、巫女も撃退上等だったら、一方的に虐殺の上、滅亡させる方が、日常平和の理に適う気がしないこともないんだけど?

 そういえば、考えたことなかったな。今までは徒党を組まない単体ばっかりだったから、偶然強い相手に襲われたとしか思わなかったし。

 倒しても倒しても、祓っても祓っても、悪霊と言われる存在は生まれてくるってことは、もともとそれらは、穢れみたいなものってこと? つまり、エントロピー増大? 

 あぁ、もう、わけ分かんない。

 これ以上考えるのはよそう。

「んじゃ、姫子。最後に一つだけ」

 自分の決意のために、真剣に問う。

「御瑞姫になって、後悔したこと、ある?」

「ないよ」

「1回も?」

「まったく」

「なんで?」

「なんでって言われてもなぁ……御瑞姫になれるだけの力があって、周りがそれを望んでいるんだったら、八方丸く収まってみんなハッピーなんじゃない?」

 うん、ま。私が御瑞姫になる理由も、それくらいで十分だろうな。

 



 翌日は、日曜日だった。

 学校を辞めてから、毎日のように神社に通いつめていたおかげで、曜日感覚があやふやになっている。そういやこの一週間、テレビどころか新聞すら読んでいないわ。ネットサーフィンなんて贅沢言わないけど、世間の常識くらい知っておかなきゃいけないんじゃないだろうかねぇ。

 そんな事を思いながら、朝ぼらけの薄ら白い世界の下で、私は七星剣を握っていたりする。

「ちょっと聞きたいんだけどさ。あんた、必殺技とかあるの?」

『なんですか、藪から棒に』

 神樹みきは、拍子抜けするくらいに普通だった。

「いや、今日、決闘でしょ。何か切り札みたいなのがあるんだったら、知っておきたいじゃない」

『……なんだったら、また解放しますか、ヤツカ』

「却下よ」

『だったら七星剣、性能半減ッスからねぇ。この前みたいな幽体離脱戦法は、必殺技じゃないんですか』

「あれもねぇ。考えて見たら、生身野晒しだもん。失敗したら、あっけなく殺されるし。

 大体あんた、限界とか言って、勝手に神寄解いちゃったじゃない。おかげでこっちは、満身創痍の肉体に強制送還で、地獄の苦しみを味わったわよ」

『仕方ないじゃないッスか。前回のは急だったこともあって、全出力の8割を、こっちで負担していたんすから。最初っからフルスロットルだと、絶対にのの姉がもたないと思って……あと2、3回は実戦しないと、のの姉だけの魂じゃ、あの出力は維持できないでしょうし』

「……そりゃ、一方的に負担かけて悪かったわね。おかげで助かりましたぁっ!

 んじゃ、改めて相談したいんだけどさ。今日の決闘、どうしたら良いと思う?」

『と言っても、のの姉、基本は出来てると思うんすよね。足りないのは実戦経験だけで。あと、気づいていないと思いますけど、基本ポテンシャルは、物凄く高いですよ。歴代の御瑞姫に比べて』

「それは、身体が? 魂が?」

『魂ッス。特注品すから』

 だよなぁ。もともと、体育の成績良くなかったし。まぁ、球技が苦手ってだけで、剣道が授業にあったら、評価は一変してたかもだけど。

『神寄ッス。のの姉に足りないのは、神寄の習熟度だけッス。今日も、ボクに羽織ってください。のの姉の神寄は、ただマスターするだけで、他の御瑞姫とは決定的に違う特技として通用しますから』

「……相手が、飛び道具持ってきたら?」

『逃げましょう』

「……霊体にダイレクトアタックしかけてきたら?」

『旗色悪いッスね』

「……あんた、本当に歴代最強の神剣なの?」

『神宝のスペックだけが、舞闘の勝敗を決定する要素じゃないってことっすよ』

「それ言ったら、安倍家ってのは、生身でも巫女のスペシャリストじゃないの? 私、ただのアルバイト巫女なんだけど」

『のの姉、自分がこの10年で、どれだけ穢れを祓ってきたと思っているんです? 尋常な経験値じゃないっすよ。それに、他の巫女には絶対に真似できない特技を、のの姉は生まれながらに持っているんす。それは、無視できないアドバンテージっすよ』

「特技、ねぇ」

 それはきっと、この魂の事だ。

 カミと、直に触れ合える能力。

 自分もまた、高天原の眷属であるが故に。

『現人神ってだけでも自信を持ってくださいッス。というか、普通それだけで、十分天狗になれるッス』

 あぁ、まぁ、実感とか目に見えるメリットがないだけで、相当選ばれた資質だったんだっけ。危ない危ない。自覚してなきゃ、天然で相手を不快にさせるところだった。

『のの姉』

 神樹の声色が、固く、刺さる。

『肉体は、魂の傀儡。

 魂とは、即ち気概。

 神の御魂は、不敗。

 負ける要素は、無。

 あなたは特別です』

 そうだね。そうだった。

「ありがと、神樹。覚悟できたわ」

 私は、高天原の神の娘。

 魂からして、特注品。

 鍛えずして神樹を従え、集中なしにカミと戯れる存在。

 今までそれを、普通の人生と比較して、ずっと負い目だと思っていた。

 あんなモノが見えてしまうから、みんなのように生きられない、と。

 でも、違った。

 知らなかっただけで、社会は、日本は、巫女の魂を必要としている。

 それが表社会で認知されていないだけで、マスコミに報道されていないだけで、実は人間社会の縁の下、ずっと支え続けている。

 この魂は、いわば縁の下の大黒柱。もしくは大地に深々と突き刺さる基礎杭にも相当する存在。

 それを虐げられていると思うか、公への奉仕と誇るかは、表裏一体の心の構えの問題で。

 今、それは、鮮やかに裏返った。

「うん、勝とうか、神樹。神の娘の魂の力、下界の人間にとくと、見せてやらなきゃね」

 受け入れると、決めた。

 迷って立ち止まるくらいなら、迷いが振り切れるまで駆けてみよう。

 気持ちさえ上向きならきっといつか、高みへ到れると思うから。

 これが運命なら、どうせ逆らっても無意味なんだから、いっそ腹を括って返り討ちにした方がスッキリする。

 この魂と神樹と七星剣。

 三位一体、出たとこ勝負。

 駄目で元々勝てば官軍。

 ……痛いのだけは、勘弁だけど。

「ところで、あんたは、前回の御瑞姫のこと、知ってるわけ?」

『え?』

「いや、宮司さんはじめ、望たちも誰も知らないけど、神樹と依佐利だったら、前回とかずっと前までの神事のこと、知ってて当然かなって。あんたも闘ったんでしょ、20年前」

『いやぁ、依佐利なら知ってるでしょうけど、ボクは前回のこと、知らないッスよ?』

「はぁ? だってあんた、ずっと七星剣についてたんじゃないの?」

『いや、ボクはのの姉とセットですから』

「……使えない奴だなぁ、おい」

『それに前回までの記憶は、のの姉の参考にはならないッス』

「また、断言するわね。理由は?」

『前回までのカミは、ヤツカでしたから。歴代の御瑞姫はみんな、ヤツカに振り回されてただけだったと、思うんスよね』

 そう言えば、依佐利もそんな事話してたな。

『だから、のの姉は、のの姉だけの戦い方を、体得してください。ボクはそのために、七星剣を制御しますから』

 私がヤツカを、制御下におけるまで、かぁ。




「あの、本当に、ここで?」

「これほど最適な場所もあるまい?

 堅牢な決戒に囲まれ、外部からの侵入者はもとより、内部からの脱出も困難。最近では塀はより高く密になり、覗くことすら難しい。

 決戒内は完璧な別世界で外界の常識は通じず、なにが起きても全て揉み潰すことが出来るしな。市街地の中にありながら、完全に独立した、ある意味では国家ですらある。中にいる人間にとっては、捉え方一つで牢獄と化すほどだ。おまけに、舞うに最適な広場まで完備されている。

 どうせ今日は日曜日。誰も来ないことは保証済みだ。そして、日曜日であるからこそ、外からの目に留まることもない」

 私の動揺を無視して、高野たかや空海あけみさんの演説は絶好調。

「学校とは、まさに理想的な閉鎖空間だよ。不審者がどうのこうのと理由を付けて、結局は閉じこもる一方で、厄介ごとは全部内部処理。確かに外部からの脅威も減っただろうが、周辺地域からの隠蔽を完璧にすればするほど、中で何が起きても、外には漏れないと来ている。そもそも、純粋無垢な子供などいるものか。学校とは、個々では善良かもしれない人間が、集団を組むことでいかようにも黒く変色することが出来るという実例を、無数に観測できる場所だ。つまり、いずれは揉まれなければならない社会の荒波に対し、人という生き物が、いかに愚かで流されやすいものかという実例を持って知り、いざ事あらば、自分が巻き込まれないように立ち回り、情報収集と根回しと、無能な烏合の衆の『数』の力がどれだけ有効であるかと言う現実を、知りたくなくても知ってしまう場所だと言うことだ」

「いや、1週間前までここに通っていたんですけど」

 そう、今、私たちは今日の決闘場へと訪れている。

 県立金成木きせき高等学校、イコール元・我が母校。

「ほほう。それは奇遇だな。この高校は、稲田なだ姫神社と肩を並べる、この地域一帯の霊脈の要でな。少なからず神宮の庇護を受けている。校庭に一際大きい木があるだろう。あれは稲田姫神社の御神木の分け御魂でな……貴様、御瑞姫みずきになろうという者が、自分の守護地の霊脈も知らなかったのか?」

 ……何というか、やっぱ、運命?

 いや、校庭の木が凄い霊木だってことは分かってたけど、というかぶっちゃけ、毎朝挨拶して談笑するくらいの仲だったけど……そういや、依佐利いさりと雰囲気似てたなぁというか、世間ってもの凄い狭いっすね! 私の行動範囲、みんな監視付きみたいじゃね? そりゃ、巫女目当てのカメラ小僧だって湧くわよ。

「ま、そういうわけだ。伊勢神宮が口を聞いてくれるからな。少しくらい壊しても構わんぞ」

 空海さんは多分冗談で言ったんだと思うけど、対戦相手である女子中学生は、無言でしっかりと頷いて……あぁ、やる気満々だわ、ありゃ。

 なにしろ、こっちは全長2メートルの長剣。

 向こうは、全高6メートルの人形だからな。

 御瑞姫のでたらめさは前回の神寄で体験済みだから、本気でぶつかれば、校庭がどうなるかなんて想像したくもないけれど、地獄絵図が勝手に浮かび上がってくる。

 まぁ、ぶっちゃけもう、生徒でも何でもないんだけどね。

 ちなみに、今日これから神事を行うにあたって、姫子、かなえ珠恵たまえが学校の周辺に人避けの符を貼付しに走っている。そうすることで高校に近づこうという意志を強引にねじ曲げて、誰も近づかなくなるんだそうで……戦乙女たちが妖怪相手に“作戦”する時の常套手段=一般人への情報隠蔽技術を、巫女社会では“決戒”と呼ぶらしい。

 けど物損したら、隠蔽したってばれるだろうに。それすら誤魔化すんだとしたら……意外に巫女組織って、暴力的だなぁ。

 ま、今はそんな事を心配している場合じゃない。

 御瑞姫になれるかどうかというより、あの巨大な人形と闘って、無事で済むかどうかという切迫した問題だ。

 神樹みきは、大丈夫だと念を押してくれた。この魂が特注品だという理由で。

 のぞみ、叶、珠恵も、百々山のカミに、必勝を祈願してくれている。

 姫子は勝敗なんて二の次で、御瑞姫同士の舞闘がうらやましくて仕方がないという感じ。他の御瑞姫に肩入れするのが反則なのかもしれないけれど、一宿一飯の恩も忘れて傍観気取り。

 対して安倍家の方々は、朝から殺気ビンビンです。

 対戦相手である安倍明あかりは、外から見るぶんには無表情でいまいち覇気がないけれど、そんな妹の分も興奮しているのが、前回百々山で大暴れしてくれた姉のきよいで。というか、瀕死の傷で片腕脱臼していた割に、回復早いぞ。化け物かっ。で、その化け物のお母さんまで、必勝ムードというか、必殺モード全開で、視線に敵意をてんこ盛り。

 ……本当、無事に終わるんだろうか、この神事。

 秋の日は釣瓶落としって言うけれど、まだまだ西の空にしぶとく残っている陽光に照らされて、かつての学び舎は赤く輝いている。

 毎朝靴を脱いでいた下足箱も、4階まで上って行った教室も、毎日のように通って貸し出しカードを量産していた図書館も、1週間前とは変わっていないはずなのに、何故だろうか、すでに部外者となってしまった私の目には、触れてはならない聖域のように感じられた。

 校門から進むのは、校舎ではなく校庭で、そこには覚えているとおりの光景が広がっている……依佐利の兄弟だっていう霊木も含めて。

 平日だったら部活動でにぎわしいグラウンドも、休日には寂寥しか漂わない。

 通っていたときは広いように感じていたけど、こうして外部から見ると、空海さんの言い分じゃないけど、刑務所みたいに限られた場所に見える。

 外から見えないように、外周をグルリと囲んでいる街路樹も、フェンスも、確かに不審者の視線も遮るだろうけど、同じくらいに外部への流出を拒んでいる。

 中で何があっても、か。

 校舎側から見て、右手に体育館、左手にプールと部室棟。三方を建物に囲まれて、南側は鉄条網と街路樹に区切られた、東西に長い長方形の舞台。

 今、巫女服を着て、七星剣をその手に、その舞台に臨んでいる。

 1週間前までは、絶対に想像できなかったシチュエーションだ。

 そもそも、誰かを七星剣で叩くなんて、考えたことも無かったし。

 一般人には知られないように、妖怪と呼ばれるカミたちと、血で血を洗う戦争を繰り広げているという御瑞姫。

 その当事者に、なるかどうかの試験。

 ちなみに私が負けた場合は問答無用で、七星剣は伊勢神宮に取り上げられるらしい。来年からの、芦原舞闘神事とやらを、完遂するために。

 だったらわざと負けるっていうのも、一つの手ではあるんだよね。どうせ、神事は続くんだから。

 でも、稲田姫神社と七星剣には、1000年を越える縁起がある。伝統がある。何十人という巫女さんたちが、紡いできた歴史だ。私の勝手で途絶えさせるのは、さすがに抵抗があるんだよね。

 それに、今更、遅い。

 1週間前、望たちと闘って、晴とも闘って、七星剣と神樹と依佐利と、色々な諸々を聞いてしまっている。

 高天原たかまがはらで生まれた魂だからこそ、何かを成すために七星剣を託されたのだと、知ってしまっている。

 それは裏を返せば、この道を進んでいけば生みの親に繋がるかも知れないという、推論だ。

 確証は、ない。

 けど、どうして生まれて、なぜこの地で育てられたのか……カミが見えるなんていう特異体質に必然が、もしあるのなら、それを知りたいと思う。

 その覚悟はもう、決めたんだ。

 高校を中退した時点で。

 そう。

 ここで負けたら問答無用で無職。逃げ場のない背水の陣。だから最初から、選択肢すらない状況。

 勝つ。勝って、進む。

 七星剣を通して、この日本にまだ、妖怪と組織だって闘っている巫女がいると、知ってしまった。

 けれどまだ、それはほんの入り口。

 入場料を払っただけで、最初の扉すら潜っていない、お化け屋敷みたいなものだ。

 世界の裏が、私を待っている。知りたいのなら実力で越えてこいと、挑戦してきている。

 そう、知りたい。

 どうして、カミが見えるのか。

 どうして、巫女は未だ、カミを調伏しているのか。

 どうして、日本を守護しているはずの、天津神を見ることが出来ないのか。

 それは、物心ついたときからずっと、図書館で一人、黙々と調べ続けてきたライフワーク。

 それも、高校の図書館で、行き止まってしまった、研究途上。

 もしこの先を知りたいのなら、大学で考古学か民俗学を専攻して、フィールドワークに出るしかない。

 現実を、肌で、知る。

 そのために、今日、闘うのだ。

 果たして、知る権利があるのかどうかを。

 高天原まで、届く想いなのかどうかを。

 そのための、一歩。

 聳えるほど高い壁も、階段の一段に過ぎないから。

 息を深く、大きく、吸う。

 冷たい大気が、気道から肺を満たし、酸素を受け取った赤血球が、全身を駆け巡るのを感じて。

 その流れが、教えてくれる。コンディション・グリーン。体内環境、問題なし。

 続いて、意識するは、魂。

 肉体との境をより明確に意識して、どこもほころんでいないか、霊気の繋がりは万全か、隅々までスキャンする。

 うん。調子は上々。

 そして最後に、七星剣を握りしめる。

『神樹』

『準備オッケーっす』

『今日は、何をさせてくれるの?』

『神寄を。そして、霊を視る目を』

『霊を、視る?』

『相手の人形が遠隔操作なら、そこには霊が介在していると思うッス。逆に言えば、霊を視切ることが出来れば、相手の動きが分かるッス』

『……でも視ると言っても、ホットラインかどうかってだけでしょ?』

『そこを一歩押し進めれば……ラインの中を走っている情報まで、視えます』

 なるほど。ハッキングか。

『あんた、そこまで情報処理、できるわけ?』

『その分、肉体制御はのの姉に分担してもらうッス』

『了解。んじゃ、それで行ってみようか』

 今日という日を、神寄に費やした。

 午前中をすべて、山の中で過ごしたのだ。

 自分の限界を。神寄の補正値を。何が出来て、何が無理なのか。逐一すべて確認した。

 その上で、グラウンドを見る。

 狭い。

 神寄の全開を披露するには、あまりに狭い舞台だ。

 頭の中で常に、グラウンドにおける現在位置をマッピングしておかないと、すぐに壁際に追いやられるだろう。

 逆に言えば、こちらの立ち回り次第では、相手を追い込むことも可能だ。

 全高6メートルの巨体が、それほど小回り出来るとは考え辛い。私に狭いのなら、相手にとっては窮屈すぎる場所のはずだ。

 姫子のアドバイスにもあった。注意すべきは、間合い。相手のレンジを見切って、決して内部に飛び込まない事。派手な必殺技もない私は、一撃一撃を、大切に決めていくしかない。地味だ。堅実すぎる。姫子にとっては、ケレン味の少ない、つまらない舞に見えるだろう。

 だから、良い。それが月見里野乃華の舞だから。

 相手を、自分の空気に取り込むんだ。私の間合いで、相手をキリキリ舞わすために。

 



 時は来た。

 私は七星剣を、安倍明は水晶球を、それぞれ携えて舞台に出る。

 ごくごく普通の白衣に緋袴。寒さをしのぐために毛糸のパンツこそ遠慮したけど、ヒートテックのスポーツブラでせめてもの耐寒仕様。そして、正式な舞闘であるため略式ではあるけれど、両袖には五色の布と鈴をあしらって、舞に優雅を備える仕様になっている。

 歩みを止め、舞台の中央に向き直れば、シャランと鈴が鳴り響き、その視界には、同じようにこちらに向きを変えた安倍明が映る。

 小振りな丸顔に、ちょこんと鼻と唇を浮かべて、不釣り合いなほどに瞳だけが、黒々と丸く大きく、ドールのような無表情に漆黒を穿っている。姉と反しての長髪は、シャンプーのCMモデルとして出演してもおかしくないほど艶やかで、彼女の身の動きに応じて、サラリと雅に揺れる。

 身を包む白衣も特徴あるデザインながら、一見して目を引くのは、頭から被って前後に垂らしている長方形の布だ。姉の晴も同じような形状の布を纏っていたから、それが安倍家の意匠ということなんだろうけど、神樹が言うにはその布地に織り込まれた紋様には、永久循環型の霊力向上の祝いが込められている。

 そんな彼女もまた、衣装の端々に鈴を結びつけていて、私たち2人が奏でる音色が、静寂の満ちる舞台に、明朗と響きわたった。

 舞台の外には、高野空海さんと、安倍家の2人、稲田姫関係者と姫子が固めて。

 人形はまだ、無い。

 というか、どこ?

「舞闘、起神!」

 一歩、前へ進み出た空海さんが、舞台の閉鎖を宣言する。

 あらかじめ周囲に用意されていた神符が、宣言を受けて一斉に直立していく。その高さは3メートル弱。カミを宿されたそれは空海さんの特注で、ある程度までの衝撃は受け止めてくれるらしい。

 逆に言えば、手出し無用の……いわゆる金網デスマッチ?

「双方、神宝を!」

 私は七星剣を、明は水晶球を、それぞれ両手に持って前にかざした。

神寄かみよりっ!」

 空海さんの言に弾かれ、双方の神具から霞が立つ。

 琥珀色の霞が。

同じ、色?

 理由は分からない。

 剣から伸びた霞は、この魂と肉体の間に、水晶球から伸びた霞は、明の魂の外に。

 それぞれの神具に宿った神は今、巫女へと憑依し、力となった。

 双方の全身が、琥珀色に輝きを放つ。

「神宝、封解っ!」

 その言に、七星剣は応じない。

 明の水晶球もまた、変化がない……そう思った直後。

 彼女の背後、グラウンドの端に置かれていた長持ながもちが、浮いた。

 2メートルほどの長さの、木製の直方体……天秤棒を通して前後で2人の人間が運ぶように作られた、時代劇で見るような運搬用具だ。

 どうして、それを見落としていたのか。

『隠蔽の祝呪ッス』

『祝呪?』

『神の名による、物理現象への強制介入ッスよ』

 つまり魔法みたいなものか。

 そして、驚きは止まらない。

 浮かんだ長持が直立したと見えた途端……信じがたい事が、起きた。

 一瞬の出来事。

 そのありのままを言うなら……箱がひっくり返って人形に変化した。

「なんてインチキッ!」

 せいぜい、1秒あったかどうかの短時間で、箱が内から開いたと思った直後には手足が飛び出してきて、あっと言う間に見上げるほどの大巨人に変形終了!

 へ、変形プロセスの再現を要求するっ!

『さすが……安倍家の絡繰技術からくりは天下一品』

「感心してる場合かっ!」

 グラウンドに降り立つ、白い巨人。

 全身を鋭殻に覆われた、力の化身。

 1週間前、ヤツカに乗っ取られ、殴りかかってきた時は、七星剣の刃が通らなかった。

 外見に、傷跡は見えない。

 不安を増長するような隻腕に、鋭い弧を描いて背中にある、三日月状の突起。

 何かある。隻腕である理由が。それが分からない今はとにかく、相手の出方を探るしかない。

 しかし、改めて思う。

 反則でしょ。何このハンデ。無差別級にもほどがあるわ。

文妖ふよう、合図を」

 直立してグラウンドを囲んだ符の壁を飛び越えて、空海さんの言葉に従って来たのは、スラリと伸びた白い肢体に純白の羽衣を纏った若い女、の姿をしたカミ。

 その身が紙で出来ていると聞いたけれど、それがどんな技術なのか、ペーパークラフトなんか足下にも及ばないどころか、体温すら想像できるほど滑らかで柔らかさを備えた人形代ひとかたしろが……それでも紙であることを強調するかのように、風に流されてフワリと舞台に降り立った。

 血の通っていない肌は、上質の白磁のようで、腰まで伸びた髪すらも絹のように白いとあっては、瞳の黒さと紅を引いた唇だけが、鮮やかに浮かび上がって視線を惹く。

 美女だ。まぁ、人形代だから当たり前だけど、その妖艶な雰囲気の正体が別にあることを、私と空海さんだけは知っている。

 目の前にいる文妖こそが、高野空海さんが稲田姫神社に来た日に、背景で稲妻を操っていた張本人。

 年月を経た書物に宿る、文車妖妃ふぐるまようひという由緒あるカミらしい彼女が、どういう理由で空海さんと結託しているのか知らないけれど、文妖と、それを操ってみせる空海さんが、並外れた実力を持っていることは、痛感させられている。

 このグラウンドの周囲を、1ミリの隙もなく、瞬きするほどの間に、呪符で覆い尽くしてしまった手腕にて。

 呪符を作るという点においては、私の周囲にも叶という達人がいるので、それがどれだけ多機能でミスがない逸品であっても、だいたいの製造過程を予測することは、出来る。

 作り方とコツさえ分かれば、要する技術が極端に個人に依存していない限り、再現できるというのが私の自慢だ。けれど、目の前の文妖と空海さんがやったのは、1枚1枚は理解できる精密作業だとしても、それを工場のように一瞬で大量生産するという離れ業であって……今、それを理解できる実力が、私にはない。

 世界は広いな。

 この町において、七星剣を握っている限り、それがどんなに恐ろしそうなカミや妖怪であっても、負けるということがなかった。それが自慢だったし、巫女を続ける原動力でもあったし、周囲と馴染めない自分への慰めでもあって……私は、こと巫女という分野においては、日本でも屈指の存在であると、どこかで思い上がっていた。

 空海さんと文妖に見せつけられた外周への瞬時配符は、そんな天狗の鼻をへし折るのに、地味に有効だった。

 彼女たちはそれを、当たり前として、誇ろうとすらしない。

 今目の前にいる文妖が、なぜか羽衣から片肌だして……紙で出来た肩と鎖骨を見せつけて、紙の身にわざわざサラシ巻いて胸元隠していたりして……人形代だから仕方ないけど、無意味に巨乳にする必要ないでしょ。

「どちらさまも、おひけえなすって」

 仁義きらなくていいから。

「よろしいですか? よろしいですね?」

 否があるはずがない。

 双方、構えた神宝に、揺れる袖の端の鈴だけが鋭く、承諾の調べを打った。

「ではっ! 入ります」

 スッと、手品のように、文妖の身体が空間に溶けて――世界は変容した。

 文妖の消失と連動して発動した外周の符が、囲んだ内部の空気を一変させたのだ。空気が、としか形容できないのは、微風が一瞬で途切れた以外は、眼前の景色が保たれていたからで……それでも肌は、魂は、この場所が霊的に、特殊な力で満たされたことを、敏感に受け止めた。

 そしてそれが、開始の合図であることも。

『のの姉っ!』

 先手は、意外な形できた。

「くっ」

 明が、左手に水晶球を握りしめて、間合いを一瞬で潰して殴りかかってきたのだっ!



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