第五帖 天神地祇~御魂の旅路の終着か始発~ 壱
高野空海は頽れない。
しかし愚痴くらいは吐きたくなる。
部下の暴走と命令無視と戦場の混乱と戦術のご破算と、説明のつかない事象に立て続けに見舞われて、応急処置を施すのが手一杯で、脳の分析回路に糖分を回す余裕が微塵もない。
そもそもの発端は、稲田姫、野乃華だ。
あのド素人が、こちらが決死で花道をこしらえてやったというのに、前方不注意の衝突事故で、一時的に戦闘不能に陥ったのが腹立たしい。
その後シレッと、どんな魔法を使ったのか何事もなかった如く再起動しておきながら、こちらからの連絡は完全無視で、敵の総大将の首を落とすという最優先戦術目標から転進して晴と合流。以後も呼びかけには不通を貫いて、この命令違反は正直万死に値する。
が、いちいち出頭させて弁解を聞く間もなければ懲罰にかける余裕もなかったのが実態だ。
なんだかんだで敵の指揮官の首を落とし、今も一応は一翼の進撃を食い止めているのだから、遊んでいるわけではない。
「が、手綱の握れぬ兵はゴミ同然だ」
逆に、ここまで素直に期待に応えてくれていたのが、意外や意外、神代姫子である。
一時的に水金地火木土天命戒で自由を剥奪した時は不満タラタラだったのだが、自由を得ると途端に、こちらの意向を先取りしたかのような動きを見せ始めた。
それも厳密には、空海からの指示を的確に実行しているわけではなかったのだが、むしろ、コスト度外視+現場最優先のあのバカに、少しでも長期的視野とか戦略的思考とか大局観の萌芽みたいなものが生じたのだとしたら、それはこの馬鹿げた戦の、数少ない収穫になるのかも知れないと無理矢理、喉まで出掛かった罵倒を呑み込んで納得したというのに、ここに来て、
「誰か! あの馬鹿をぶん殴ってふん縛って簀巻きにしてここまで連れてこい!!」
まさかの暴走である。
それもただの暴走ではない。
制御すべき神力の制御弁を解き放った、完全なる乗っ取られだ。
眼前で動くもの全てに殴りかかるという、野生動物以下の単細胞生物並みの反射行動で、それでも一応指向性を有した暴力行為ではあるのだが、おそらくあの状態では、敵味方の識別が出来ているのどうか、甚だしく怪しいと言わざるを得ない。
今はまだ人里離れた山の中、それも国津神に対して向けられている敵意であるから自軍に被害がないと言え、どういった条件で発動し、何をゴールに終息するのかが分からない以上、一時間後には周囲一帯が火の海と化して壊滅し、なおも荒ぶったままで都市部に進撃していく可能性を排除できない。
「そうなる前に、沈黙させねば」
こういう事態においては、空海に姫子への情はない。
究極的には、御瑞姫は全員、敵同士だからだ。
狭いとは言え1億強の人口を有する日本全国の、各地方の代表として配置された御瑞姫の本来の役割は、20年に一度、その後の20年の覇権を賭けバトルロワイヤルである。
ものすごく雑に断言すれば、勝者が今後20年間の女王となる。
もちろん、ごくごく限られた狭い業界内での権力争いではあるのだが、その恩恵は、神なる恵みの再分配なのだから、陰に陽に、民草の生活への影響力は計り知れない。天津神の覚えの目出度い地域は、天災を避け、疾病は逃げ、物資は集中し、夜も眠らぬ賑わいを約束される道理である。
今まではそれを、野乃華が属する稲田姫神社がほぼ、独占していた。
が、今年こそはそれを覆さんと、空海は歴代の壬の御瑞姫に誓ったのである。
であれば、ここで姫子一人を脱落させるくらい、痛む良心は持ち合わせちゃいない。
このまま暴走を続けさせて国津神を潰乱に追いやり、タイミングを見計らって戦闘力を削ぐことが出来れば、そんな旨い話はないのだ。
が、あくまで任務が最優先である。
まずはこの戦場を操りきれなければ、立場的にクビとなるのは、最高指揮官たる空海だからだ。
「たく、敵が躍起になって死に物狂いで姫子に特攻をかけてくれているからまだ、ありがたいものだが」
内線でありながら全方位同時突破などという無茶を、無限とも言える兵力をもって具現化しようとした敵が今、その全兵力をたった一点、姫子の阻止に注いでいる。
もちろん、姫子の進撃は脅威だ。巫女を倒す動機は、彼らにはあり余るほどある。
「なぜ、逃げぬ。姫子の目的は何だ?」
そこに思い至れば、自ずと答えは見えてくる。
「敵の総大将、御首か」
神ならぬ身なればさすがの空海も、神狩という太古の盟約までは見抜けなかったし、野乃華の魂がそっくりそのまま入れ替わって、完全なる天津神としてまさか、猿田彦大神の膝元にいるなどとは、推測できるわけがない。
「鈴瞳、全軍を再構築だ。可能な隊から中央へと後退させろ」
「……それはええけど、御瑞姫はどーするん? まだ決着ついとらん所があるで」
「では、決着がつき次第、姫子の確保に向かわせろ。抵抗するのなら、殺しても構わん」
「あれ、うかつに触って大丈夫なん? 穢れたりせぇへん?」
「あの家は昔から独特すぎるからな。正直、なにをしでかすか、読めん」
「仲間殺しは後味悪いで」
そう言いながらも鈴瞳の指は、口とは無関係に必要な指示を連打して処理していく。そろそろ精神的にも限界が来ているだろうに、それを見せようとしないところは、さすがに歴戦の現場で揉まれ続けてきただけはある。
「なぁに、だが、これで、なんとか……」
勝機は見えた。各所で散発的に小競り合いは残っているものの、再度全面侵攻に逆戻りする気配はない。姫子にはもう暫く、敵の注意を惹いて貰うとして、こちらはこちらで、戦場の後片付けを見据えておかねばならない。
(結局、盤上通りとはいかなかったか)
それでも、全力でなんとか、凌ぎきったという実感はある。
(次は……さすがにないな)
フッと一瞬、終戦の空気に、さすがの空海でも、気を抜いてしまった。
それが合図となったわけではあるまい。
しかし、
「なん……だと……」
これだけの激戦を経てもまだ、驚愕する展開があるのだと、その場に居合わせた全ての巫女が、魂に訓戒を刻まれた。
戦場のど真ん中、神代姫子を迎え撃つ体で、全高五〇メートルは下らない、大太郎法師が出現していたからである。
なるほど、開幕初撃のシンクロナイズドスイミングは、こういうカラクリだったのかと、私は眼前の光景を呆然と眺めていた。
見上げる巨躯、光り輝く巨人はまさしく、全国各地に伝わる古代の大人、ダイダラボッチに他ならない。曰く、山をうずたかくするために地面を削って湖にした、曰く、土を運んでいたらこぼれてしまった土塊が山となった。その足跡は池となり、山と山を腰掛けて、各地の地形を由来する伝説として名を残した、天津神よりもよっぽど、国土に根ざした創世神。
その正体、というか理屈は、私がヤツカを制御下においたのと同じで、肉体の外側に拡張した魂に神力を封入することによって形成した、風船人形状態だ。
空中に浮遊した猿田彦大神が、自身の魂を拡張することによって器を展開。
そこへ数多の国津神たちが、空気注入よろしく神力を送り込んで、その密度を実体化可能領域まで高め、物理で殴れる巨人と成す。
……これは、手間だわ。
開幕初撃という、準備期間が取れる場合なら奇襲として成立するけれど、実戦において気軽に投入するには、いささか手順が煩雑だ。
そういう意味では、空海さんがやらかした、水金地火木土天命戒と同じ。
加えてダイダラボッチは、貴重な戦力の大量一点投入という博打要素も孕んでいる。次から次へと神力を送神できる兵站管理も重要で、なるほど「切り札」と言うに相応しい。
そして、そんな大仰な準備の果てに相手するのが、狂った巫女たった一人という、この理不尽極まる状況。
いくら御瑞姫が一姫当千と言ったって、ダイダラボッチ一体と相対するほどの化け物かと言われれば、それは違うだろ、とツッコミたくもなる。
けれど、ダイダラボッチの、上空からの拳の一撃はなんとっ! 姫子によって、受け止められてしまっていた。
デタラメすぎでしょ、神狩。
というか、そんな力があったら、国津神なんて一人で全滅させられるでしょ。
そもそも、天津神って、そんな馬鹿げた戦闘力で挑んでも、勝てなかったほど強大な存在だったん?
え? 私の魂って、そんな潜在能力秘めてるの?
いやいやいやいや、いくらなんでも、それはないでしょ。
けれど、目の前の現実は、超巨人と生身で殴り合う、たった一人の女子高生だ。
その女子高生から生えた二本の神力の巨腕が、天から降り注ぐ圧力と、拮抗している事実。その拳大が人家にも匹敵しようかという巨神の渾身の振り下ろしにすら、潰されずに五体を保ち、戦意を挫かず、それでもさすがに、圧されている。ダイダラボッチの一撃をいなすたびに、姫子も徐々に後退せざるをえない。大圧を受け止めた肉体は地に沈み、しかたなくバックジャンプで距離を取れば、姫子はこちらに辿り着けない。
私一人を渡さないために展開されたダイダラボッチには、全国数千柱の国津神が必死に神力を込め。VS。それを殺さんと、たった一人で挑み続ける、狂える現役女子高生巫女。
……なんだ、この、マンガみたいな展開は。
いや、もちろん、天津神の娘なんていう存在自体が、漫画かライトノベルか伝奇小説の世界の住人なんだから、今更リアルどうこうは野暮に過ぎる。
過ぎるけれど、こんなロマン展開、目の当たりにする時が来ようとは。
御瑞姫やってて、本当によかったっ!
『眼福に浸ってる場合っすか!』
いやだって今、ぶっちゃけ景品状態で、暇なんだもん。
『ここでダイダラボッチが突破されたら、今度こそ、一巻の終わりっすよ』
いやいやいや、あの戦力差だよ。いくら敵中一点突破がロマンだからって、荒唐無稽すぎるっしょ。現実はそこまで甘くないの……だ、よ?
『全面対決になりつつあるっすね』
突如、ダイダラボッチの上半身が揺らいだかと思えば、巫女隊の方から一斉砲撃が行われていた。
あ、完璧に存在を忘れてた。
空海さんから見れば、ここは姫子を全力応援して、こちら側を殲滅ターンなのか。
あれ? ちょっと、やばめ?
『どーすんすか! 今から鞍替えします?』
おう、まずい。ここで姫子に勝たれたら、私の生まれてきた意味を知るという、我が人生の最大目標が潰えてしまう。
どーしたもんか。
『考えたふりしながら、剣を構えるの、矛盾してないっすか?』
いや、ちゃんと考えてるよ。どうやったら、身バレしないで事態を好転できるか。
『とゆーか、のの姉、一回死んじゃった事で、全部リセットして頭の中まで生まれ変わっちゃってません? つい一時間前まで、猿田彦大神の頸を狩ることが至上命題だったんすよ? それが何でいともたやすく、立場逆転しちゃってるんすか?』
ん? けど、自分の出生の秘密を追い求める、という一点においては、矛盾していないよ?
『命令違反、職務放棄、離反行為、ぶっちゃけ人類への裏切りは、考慮ナッシング?』
うーむ。そう言われると実は、ちょっとね。
『……なんです?』
あっちの肉体の時の記憶が、薄れつつある。
『マジっすか? それって駄目なやつじゃないですか!』
いや、まぁ、そーっちゃぁそうなんだけれど、こっちの人形の方がシックリ来ているのも事実でさ。
私、開眼?
ここからが本当の人生のスタート!
これまでの報われなかった私、さようならっ、てくらいには、違和感がないのよね。
『……そりゃ、そう創られたわけですからね。人間だった時の倫理とか道徳とか一般常識とかは、俎上に上らない感じっすか』
ま、人間やめちゃったのなら、人間社会の常識に従う義理はないよね。
『駄目だこの人、早くなんとかしないと』
七星剣から弾かれておいて、シレッとこっちの大剣に落ち着いている尻軽神に言われる筋合いはないわ。
『……そもそもボクも、なんなんすかね?』
私を監視するための、オマケ? てか、その辺り、伊佐利と綿密に打ち合わせてたり、なかったの? いやそもそも、神樹、あんた一体、何年前に発生したのよ?
『……この会話、やめませんか?』
要するに私ら、中心人物のはずなのに、圧倒的部外者なんだよね。
必要な情報が何も与えられず、勝手な計画のタイムライン上で、相手の都合に振り回されるだけの役どころ。多分おそらくなんらかの、国家運営に関わる規模の陰謀に巻き込まれているのだろうけれど、だったらせめて、最低限のビジョンくらいはプレゼンしておいて欲しいって感じだわ。
もう、一切合切全部まとめて、ちゃぶ台返しちゃおっかなぁ。
『多分、のの姉がそんなだから、必要な情報を与えなかったんだと思うっすよ?』
情報漏洩の恐れがあるから?
『反射的に、面白い方を優先するっすよね、毎回』
……否定できないのが悔しいけれど、だからといって、信頼関係の醸成は、必要最低限の情報開示だと思わない?
『とりあえず、腹はくくったんすか?』
まぁ、望たちには悪いけれど、稲田姫神社は脱退するしかないわね。いや、代理はいるみたいだから、私が勝手に人間界を離脱するだけなのか。
ふむ、と腕組みして沈思黙考。
この馬鹿げた大戦がそもそも、私一人を引き抜くために計画された茶番だったとして、それに天津神も国津神も関わった上で、肝心の神宮に話が通っていなかったという事は、カミによる人間へのクーデーターだと捉えればいいのだろうか?
というか、神宮が「天津神の娘」を確保していながら、当の天津神は猿田彦大神と共謀していたという現実は、裏を返せば、神宮を初めとした巫女組織は、高天原と繋がっていなかった事を如実に示している。
『それは薄々、感づいていたっすよね』
うん。つまり、神宮と高天原は、敵対とまでは言わなくても、少なくとも互恵関係ではない。
高天原にとって、神宮側に私がいる以上、下手な情報を渡して人間に計画を知られるのは都合が悪かった。故に、戦死あつかいという芝居を入れてまで、私を確保する必要があった。それは高天原にとって、私という駒が必要な時期が訪れた、という事だろう。それも、神宮とは全く異なる思惑でもって。
しかしそれなら一体神宮というか神社組織の巫女たちは一体、誰のために奉仕しているんだろう? 他ならぬ、天照大御神の名前を騙って。
『建前は、人間社会を脅かす、順ろわぬ神の調伏のための組織って事で、いいんじゃないっすか?』
つまり実際の所は、天照大御神にご神託を頂いて、神の意志を忠実に実行するだけの組織、じゃなかったって事だよね。
『のの姉だって、高天原の娘って言いながら、天の声一つとして受信してないっすよね?』
ま、だから結局、こんな戦場くんだりまで、自分探しする羽目になったんですけどね!
あぁ、本当。碌でもない世界でつまんない内輪もめに巻き込まれてる感じがする。
『というか、そろそろ現実に目を向けましょうよ!』
そうね。私はいままで「高天原は存在しない」という仮説を元に論を組んでいた。神宮で御瑞姫に協力したのは、その確信を得るためだった。その仮説が間違っていたのなら、もう、御瑞姫として活動する意味がない。
『そっちじゃなくって!』
戦場を、見る。
まだ、拮抗していた。
それはそうだ。何と言っても国津神側は、圧倒的に数が多い。今ではその全戦力を、一点に集中運用している。むしろ、それでも反撃を続けている姫子がありえない化け物だ。あれじゃ、どっちが妖怪か、分かりゃしない。
神狩だかなんだか知らないけれど、あれだけの力を秘めていて、なんで今まで大人しく収まっていたんだ?
『のの姉のせいで、たがが外れたんじゃないっすか?』
けれど、国津神相手でも容赦しないんだったら、ただの狂犬じゃん?
『……今までも、そんな感じでしたけど?』
いや、まぁ、うん、そうか。
で、当の姫子はこっちの感想なんかおかまいなしで、元気にピョンピョン飛び跳ね続けている。立体機動装置もないくせに、よくやるわ。地面にめり込んだダイダラボッチの拳に飛び乗って、腕を伝って首を狙いに行く元気は評価するけれど、当然、相手に振り払われて地面に落ちる直前に体勢を立て直そうとしたところを踏み潰されそうになって、ゴロゴロと斜面を転がりながら距離を取ってはフリダシに戻る。
一体、何回同じ事を繰り返したら学習するんだ、あの馬鹿。
体力が無尽蔵にあるにしたって、もうちょっと工夫をするとか、正面以外を突破するとか、いっそ撤退するとか、他の可能性を考慮しないのか。
もちろん、戦乙女からの支援砲撃は続いている。
けれど、姫子が指示を出しているわけでもなければ、空海さんの指示に従っているわけでもないので、その両者がリンクしない。
なので、わざわざ砲撃の着弾予定地点に突っ込んでいって、味方の方が慌てて砲の向きを修正する、なんて混乱が起こり始めている。
そうこうしている間に、国津神側も、手の空いた部隊は再度展開。ダイダラボッチへの砲撃を邪魔するために動き出す気配を見せていて、このままでは単なる消耗戦に突入するだけだ。
さて、どうするべきか?
理想を言うなら、こっちの身バレはなしで、双方の犠牲を最小限にして姫子を黙らせて、そのままダイダラボッチと一緒にドロンして、根の国に行ってしまいたい。というか、そうするべきだ。国津神の目的が「巫女に殺されて人間に転生する」なんていう中二病的な自滅願望だったとしても、当初の目的である私の確保が出来たのならば、無駄なエネルギーをこれ以上費やす必要がない。
ぶっちゃけ、このまま疲労状態が蓄積すれば、巫女側の人的被害もバカに出来ないだろう。
私は、これ以上神宮の味方にはならないけれど、だからと言って積極的に、御瑞姫を殺して回ろうなんてつもりはない。彼女たちの行動が、たとえ神託の後ろ盾を持たない詐欺みたいな目的だったとしても、それは結局、民草の生活を守るという一点においては、徹底されているからだ。
過去のある時点で人は、神を必要とせず、かえって邪魔にすら思い始めて、人は人として神から独立し、独自の道を進み始めたんだろう。
それを、反逆と捉えるか、独り立ちと評価するか。
私は多分、そのどちらでも構わない。
私にとって重要なのは、名前があろうがなかろうが、天地草木すべてのものに、確固として宿っている神性とは、できれば共存共栄して欲しいだけだ。
だって、すごく勿体ない。
神力は文字通り、奇跡すら具現化する神の力だ。
こんな無意味な戦いで空費するのは、無意味どころが有害ですらある。
別に全てを、人間の生活向上に活かす必要なんてない。どころか、人類社会は、それを必要としないシステムを構築してしまっている。
だったらもう、お互いの線引きを決めてしまって、共栄は無理でも併存する道は模索するべきだし、人間の側からもっと、神に寄り添う存在が流入したって構わないはずだ。
少なくとも科学全盛の時代が訪れるまでは、人々と神々は、互いを認め合って生きてきたはずだろう。
それは、お互いを意識し、信頼し、時に感謝を神に捧げて、この過酷な世界で生活を成立させてきた歴史だ。
過去において人類は、災害が起こるたびに、また災害を未然に防ぐために、家畜のみならず人柱すらも、神々に捧げてきた。
それが、苛烈な代償だったかどうかは、今の価値で量るべきじゃないと思う。
ただ、それを野蛮として、隆盛を誇るようになった大宗教は、神への贖罪は終わったものとして、現世利益を最大限に求めるようになってしまった。
全ては、人の、人々のために。
知恵の実によって欺瞞を覚えた末に、人間は、神に捧げなくても良い理由ばかりを、飽きることなく積み上げてきたのだ。
その結果としての繁栄と安定した生活を、嘆くのは歴史に対する冒涜だと、反論を抑圧して。
けれどそれは結果として、神々の衰退を招いて、かつてのバランスを著しくねじ曲げてしまった。
一方的な搾取は、共存とは言わない。
その不均衡を是正しなければ、権利を求める闘争は終わらないんだ。
『完っ全に、神の思考になってますね、もはや』
いや、人間の身体を捨ててしまえば、際限なく正論ぶちまけられるわけよ。やっぱり、魂を重力に惹かれた旧人類は駄目だわ。
『まさか、月見里野乃華が、人類を粛清するんすか?』
もしかしたら最終的には、地球に一万年くらい、休んで貰わないといけないかもね。
『で、手始めに?』
うん。姫子を黙らせよう。
カチリと、大剣を正眼に構える。
七星剣と趣は異なるけれど、こちらも鉄板と称して構わない威圧の塊だ。
その刀身に無数に彫り込まれた線からは、神力の光が常に循環し、得体の知れない力がどこからか供給されている気配がある。
これ、銘はあるんだろうか?
『天醒剣、ですかね?』
どこかに製品情報でも内蔵されてるわけ?
『いや、多分、ボクたちは、最初にこの剣に乗って……』
おっと、事態が動いた。
業を煮やした猿田彦大神が、蚊トンボを追い払おうと、腕を六本に増やしてめっちゃ乱打を地面に叩き込んでいる。
天空から常時大岩が落ちてくるような状況にも関わらず、それでも何とか、紙一重か二重くらいで躱し続けている姫子。
うん、けど、ここらが潮時だろう。
さて、行くかね。
『ところで……』
なんで出鼻を挫くかな、あんたは。
『のの姉はもう、のの姉ではなくなるんですよね?』
戸籍上の名前を失う、という意味で?
『月見里野乃華という名前は、あくまで、あの肉体に与えられた名前っすよね? 月見里野乃華としての人生は、あっちの肉体が朽ちるまで、この社会で続いていくわけですから、混乱の無いように、名前を変えてしまうべきでは?』
うーむ、ま、それは今後の課題としておこう。
『吃緊じゃないんすか』
では、気を取り直して。
ちょっと天津神の一柱として、下界の下世話な事情に一撃、武力介入と参りますかね。
で、跳躍した。
いや、本当に便利だわ、この躯体。
念を込めれば一瞬で、ダイダラボッチの肩の上へ。気分はもっぱら、巨大ロボットに指示を出す少年よね。
うむ。この戦場全てを睥睨する全能感っ! 絶景かな絶景かな!
『このバっ……なぜ来た!』
バカという言葉を咄嗟に飲み込めるだけの理性が凄いな、猿田彦大神。
なぜと問われれば答えてあげるが渡世の義理よ。
『膠着した事態を攪乱に』
そんな間にも、ダイダラボッチの拳は振り下ろされ続けているし、姫子も大概ハチャメチャな動きで避けまくっているのだけれど、これはもう、双方が示し合わせてダラダラと不格好なダンスを踊っているだけにしか見えなくなっている。
週刊連載に追いついちゃったテレビアニメじゃあるまいに。
『自分の立場をっ』
知ったこっちゃねーです。ちゃんとした説明、受けてないから。
だから、まぁ。別に指揮下に入ったつもりもないし、協力するに吝かではないけれど、だからって後方待機で放置され続ける謂われもないわさよっ、トン、とダイダラボッチの肩を蹴った。
向かうは直下。
戦場のどん底で、まさに私の首と取らんと覚醒した姫子に一直線。
まぁ、ともに御瑞姫の切り込み隊長を任された者同士、どこかで優劣つけなきゃならないのは、お約束っちゃお約束、だよね!
完全に意識をダイダラボッチに全振りしていた姫子の横っ面に、渾身の勢いを込めたつま先が吸い込まれる!
想定以上の衝撃! に、こっちの体勢が崩れ、それでもなんとか着地。
完璧な不意打ちに吹き飛ばされた姫子の方は、きりきり舞いながら地面を跳ね飛んでいっている。
うん、これで黙るか?
一応大剣は構えるけれど、ここで本気の殺しあいを始める気はサラサラない。
その気ならむしろ、このタイミングで追撃をかけている。
その意味を、戦闘バカの姫子なら酌んでくれるはずだけれど……あいつはむしろ、同じ思考の同士に喜んでタイマン勝負に移行するか。
で、ダメージを全然感じさせないような、スプリング起き上がりこぼしみたいな勢いで、姫子がピョコッと飛び上がった。
……本当に人類の骨格しているのか、あいつは?
最初は何が起こったのか理解不能という感じで周囲を見回して頭をかいていたけれど、その両瞳がこちらの姿をロックオン。
で、私をマジマジと見つめて、ゴシゴシと両目をこすって、もう一回食い入るように凝視して、震える人差し指をこちらに突きつけて開口一番、
「の、の、のん、だぁ!!」
満面に喜色を浮かべて戦闘態勢解除しやがった。
「なんでなんでなんでなんで? なんでのののんここにいるのん! しんでなかった! でもいきしてない! なんでなんでなんでなんで! けど、うごいててよかった!!」
うわぁ、喜びすぎて感情爆発して理性蒸発して知性の欠片もない。
というか、一瞬で神狩の神力を解除して人間の制御取り戻しているけれど、どうなってんだ、こいつ?
あれ? 天津神絶対に殺す神、に心身乗っ取られて暴走しているじゃなかったん?
と言うか、何というか、姫子の肌、やけに内側からキラキラしてない?
なに? キラキラの殴姫とかにクラスチェンジしちゃってる?
『一体、何がどうして、こうなったのか説明して貰おうか?』
ビックリしたっ! 振り向いたらダイダラボッチの臑からヒョッコリ、猿田彦大神が頭だけ出して覗き込んできてる。て、そんな器用なこと出来るんですね!
『神狩を押さえ込んだのは、お主か?』
押さえ込む? 神狩を? なんのこっちゃ?
『……では、この娘、自力で神狩を押さえ込んで呑み込んで、おまけに正気を保っているというのか?』
あ、そういう事。
納得した。
神狩の神様を自分の魂の内側に取り込んじゃったから、姫子の肌、あんなにキラキラ輝いているのか。え、それって、凄くない?
『凄いとか凄くないとかの問題ではない! 人間業どころか、吾でも不可能だぞ!』
えーと、一応聞くか。
『姫子、あんた、正気?』
「正気に本気! 元気に無敵! のののんこそ、その新しい身体と大剣、格好いいよね!」
あ、こりゃいつもの姫子だ、間違いない。
むしろ、太古の神がこんなハイテンションだったら、激萎えるわ。
『正真正銘、人間が主体ですね、こいつ』
『ありえぬ。どういう理屈だ?』
いや、ごめんなさい。姫子に関しては、理屈が通用しないので。
え、じゃぁ、
『あんた、どうしてダイダラボッチと戦ってたん?』
神狩に操られて私を殺しに向かっていたんじゃなかったら?
「え、だって、のののん。国津神に捕まっちゃってたんじゃないの? 向こうの野乃華は偽物だから、こっちののののんを助けなきゃ! と思って、そしたら魂の内側からご先祖様が力を貸してくれたから、ありがたーく全部使わせて貰ったんだけれど?」
あー。脳味噌が茹で上がりすぎて、呪いとか理解できなかった感じか。
神狩の神様も、とんだご子孫に恵まれたもんだわ。
『で、あんたは、私をのののんと認めるわけか』
「なんたって、魂の同志! だかんね!」
無駄に胸を張るな、バカ。
あぁもう、こいつが絡むと全てがどーでも良くなってくる。
『そんなわけで猿田彦大神。目下の作戦は完遂しましたので、このまま根の国にゴーホームでございます』
『ん? いや、それは……いいの、か?』
うんうん。それがまっとうな感覚ですよね! いやぁ、まっとうな大人って久しぶりで気分がいいなぁ。
『考えたら、負けです!』
ビシッと言い切ったら、まだモゴモゴと混乱していたけれど、猿田彦大神も引き際を弁えてくれたらしい。
とりあえず地上に展開していた国津神軍に退却命令を発して、自分は殿として巫女隊を最後まで迎撃すると相成った。
ま、といっても巫女隊の方も、地底にまで進軍してくるだけの余裕はない。
元々、国津神の出鼻を挫いて耐え凌ぐってのが関の山だ。
だから、わざわざこっちまで出向いてくるバカはいない……はずだったんだけど。
「お、突進してくる隊がいるね」
今更何しに誰が来るってんだ?
と、神力を巡らせ索敵すること五秒後。
『阿倍晴、と佳紅矢ちゃん?』
近接接触は危ないと見てか、御瑞姫の中の遠距離攻撃ツートップを差し向けてきていた。
ま、月見里野乃華に突進してこられるよりはマシか。お互いに肉体交換終わったんだから、後腐れ無く言葉も交わさず背中を向け合って永久の別れ、の方が気が楽だもんね。
「戦う? 戦う?」
戦いません! てか、姫子は十分暴れたでしょ!
「メインディッシュは終わったけれど、デザートは別腹だよ!」
あんたにとっちゃ、同僚をぶち殴る行為がデザートなんか。
「神事以外で御瑞姫とガチバトれるなんて、ご褒美じゃなくて何だと?」
拷問だろ、常考。ていうか。猿田彦大神、完全撤退はまだかしら?
と、暢気に構えていたら、いきなり背後から姫子に両腕を捕まれて、
「のののん、ばりあー!!」
全力で持ち上げられたかと思うと、そのまま左前方に向きを変えられ、
『あだ? あだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ』
天醒剣ごしに、もの凄い数の銃弾と矢尻の衝撃に見舞われた。
晴と佳紅矢からの超長距離射撃が届いたのだ。
『てめぇ、このバカ姫子! 痛いじゃないのよ!』
数にして百発以上。一射でカミが吹き飛ぶ全力攻撃の楯にされれば、たまったものじゃない。
「え? 本当に? その身体だったら痛覚ないんじゃないの?」
ん? なるほどそういう事か。だったら別に生身で受けても支障は無いって事に?
「と言うわけで、もう一回、のののんばりあー!!」
あ? え? あだ? あだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!!
痛覚は遮断されていても、人間の尊厳をゴッソリと抉られるような重い衝撃の嵐に全身が乱打されて、人間の肉体だったら四肢が肉片と化すような物理的恐怖に晒された。
『痛覚がない方がよっぽど怖いわ!!』
「あ、やっぱり? いやぁ、のののんだったらノリでやってくれると思ってさ、うん。やっぱり本物だね!」
あんたは魂の同士の確認のために、仲間の肉体を楯にするんかい!
「え? 問答無用の奇襲で顎先を全力で蹴りとばした事はノーカンなん?」
とはいえ、いつまでもここにいるのは、ちょっと生命の危機を覚えてきたぞ。
「今の二斉射、あたしごと消し飛んでも構わないって感じだったよね?」
そもそも姫子は、神狩のカミに乗っ取られて暴走中という設定になってなかったっけ?
「ひょっとして、御瑞姫としては除名されて、ダイダラボッチと同程度の滅殺対象にカウントされてる?」
『ご愁傷様だわね』
「いやいやいやいや。のののんみたく、肉体が乗っ取られて仮の人形に借り暮らしなんて状況の方がありえんて」
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 言うなや!!
と、
「いつまでダラダラ遊んでいるんすか。獲る者取ったら、さっさと還ってくるくる」
聞いたことない気怠げな声が、しかし大音声で戦場一帯に響き渡った。
なんだなんだ?
「宇宙人の侵略?」
この状況でその方向性はないだろ、さすがに。
『あと五分、持ちこたえられるか?』
猿田彦大神の懇願は誰に向けられたものなのか。
答えは得られずとも、成果は如実に現実として立ち上る。
「か、しこま、りぃ!」
ドバッと、瞬時に、視界全体が極彩色に染まった。
戦場に咲く、ハイビスカスとブーゲンビリアの花の乱舞。
どこかで見たことのある、琉球紅型の意匠の花々。
神力で編まれた花型の防護壁が、隙間なく空間を遮断して、巫女側と国津神側を厳密に区別する。
そこに、晴と佳紅矢ちゃんの射撃が集中しても、花の一つ一つが散るだけで、すぐに周囲から花柄が流れ込んで崩壊しない。砕け散ることで衝撃を相殺し、全体で補完することで堅牢性を保っている。
でも、これって、
「御瑞姫の、誰?」
この戦場に八人集っている御瑞姫以外なら、残る可能性は不在の二名。だけど何故、その御瑞姫が、よりによって敵側の防御に出てくるのか?
『説明は後だ。全力で撤退する!』
『んじゃ、姫子、行くわよ!』
「行くって、どこへ?」
『根の国!』
「まーじーでー?!」
そんな暢気な悲鳴すら呑み込んで、戦場の足下は直後、根国路之深痕の顎を大きく開き、一体何度目かとため息をつきたくなるような、地下へのダイブが決行される。
ふはははははは!!
さらばだ、人類!!
また会う日まで!!
そんな今生最後の記憶に焼き付けられたのは、視界いっぱいに広がる色とりどりの南国の花々が、やけくそのような射撃によってハラハラと花弁を散らす光景で、この世界にこれほど目を奪われる美しいものは他にあるのだろうかと、柄にもなく感慨にふけってしまったのであった。