第一帖 神器一転〜御山の姫の奇勝か絶望〜 弐
そもそもその日、私が稲田姫神社を訪れたのは、サラリーマンが毎朝出社するのと同じ理由……その日にその場で仕事があったからで。
平日の朝、ホワイトデニムにチェックのパーカーを合わせて自転車にまたがった私は、堂々と学校を休む理由を持っていた。
今では日本国民の1割、おまけにその内8割が高齢者となってしまったとはいえ、ちょっと前までこの国は、それこそ100年ほど前までは、世界に胸を張って誇れる、農業大国だったわけ。
神社という神社に課せられた使命は、春先の種まきに際して、山の神を勧請して田畑に加護を願い、秋の収穫を祝って、山の神に恵みを供えて感謝の気持ちを盛大に表わすこと。
あまたの神事のことごとくが実りへの願いを発端として、そうして田畑に生き、種まきと育成、収穫に休耕というサイクルを延々と回し続けてきた二千年以上。
農作という、天候に左右され、見えないほど小さな病原菌に悩まされ、地震台風雷竜巻火山に洪水、一撃必滅どんでん返しな天災の恐怖がつきまとう生業だからこそ、見えざる神に祈り、天の怒りを鎮めんと多くの命が失われてきた、素朴にしてその実、神任せも同然な、気まぐれに振り回されることを是として来年に期待しよう、な、呑気な気質。
実際に天下を動かし、文字という記録を残してきたのが公家なり武士であるから騙されてるけど、そういった記録って、日本書紀しかり、ほとんどが自分に都合の良い事しか書かないもので……日本人の国民性というか遺伝子は、絶対に田畑を耕す農民根性が根底だよなぁ、と、兼業巫女なんてしながら実際にカミ様たちと戯れている私の目には映るわけで。
見渡す限りの黄金の原を自転車で疾走しながら、切り割く大気はむせかえるほどの田園臭。案山子が猫耳つけてる現代風を、たわわに実って頭を垂れる稲穂の群れを、ど田舎負け組と笑わば笑え。都会暮らし高層ビル勤めがどれだけおしゃれでスマートだろうと、その皮をひん剥いて血肉と内蔵をあらわにしたら、ここに実る日本米が活きていない細胞なんて一体どこにあるというのか。日々の代謝の結果3カ月ターンで作り変わるが人の身ならば、結局口から入って胃腸で消化したものが原材料なわけで、日本人なんて、その大半が米で作られた米造人間であると言い切っちゃって何が悪い?
年に一回、そんな気持ちで農道を突っ走るのは、我が勤め先の稲田姫神社もまた、その名に恥じない広大な田園の豊作豊穣を司る由緒正しい社なわけで、初穂を神様に奉納する伝統的な神事に欠かせないのが、神剣『七星剣』を振るう巫女舞なのですよ、これが。
と言っても、馬鹿に出来ない神の国、ニッポン。
神事という厳粛な行為に際して、前日からの泊り込みによる精進潔斎は最低限。それこそ昔は一週間かけて、下界の穢れを祓い清めて神事に臨んだというのだから恐れ入る。
そんなことを小学生から続けてきた私は、どこで回路を間違えたのか、学校生活よりも神事を優先する、反社会的思考を身につけてしまっていて、
「おっはよ、望」
「あ、野乃華、はよっ。おっかれさん」
早朝から白衣緋袴、誰が決めたか竹箒、な幼なじみの巫女を見つけて挨拶する。
「叶と珠恵も?」
「うん。今頃、磐堺の紙垂付けじゃないかな」
望、叶、珠恵の三人は、私が神剣の舞手となった十年前から一緒にお祓いをしている、生粋の巫女見習いだ。校区が違うから夕方にしか会えないけど、放課後の友達って特別なもので、生死の境を何度もさまよった巫女手伝いを今まで続けられたのも、3人がいたお蔭と言うほかない。
挨拶もそこそこに望と別れ、山中へと続く石段の脇で自転車を降りると、長年登りなれた階を、リズムよく駆け上がる。
階下から数えて2つ目の鳥居をくぐれば、そこが神苑、稲田姫神社が心臓部。もともと山肌を平らげて境内とした神社だから、四方を囲むのは手入れをされた森林で、砂利を敷かれた空間には、手水舎から拝殿、社務所、斎館までが配置の妙で広々と並んでいる。ちなみに、稲田姫神社はその名にそぐわぬ、百々山そのものを神奈備と尊ぶ神社であって、御山そのものが神様で本殿な古代式。そして斎場にして神楽舞を奉納する仮設舞台は、一般に禁足地として、境内から更に登った山中に、人知れず設けられる。
ま、だから私が巫女舞を踊っているって言っても、誰も見ることが出来ないのよ、普通は。神様だけに魅せる、お礼の気持ちなわけなんで。
ただ長年の疑問なのは、なんで稲田姫なんて人格称を神社の名に戴いているのに、肝心の祭神はその姫じゃないのかなぁ、というか、それらしいカミ様を見たことないって事なんですが。
と、忘れちゃいけない。
私は手水舎で浄めると、『伊佐利』と名付けられた御神木に、いの一番に駆け寄った。
「おはようございます」
『彼』こそが掛け値なしに、稲田姫神社のナンバーワン。樹齢1500年とも言われる巨木は、実際には立ち枯れて切られた株から何度も蘇ったっていう伝説の持ち主で、『彼』の言葉を鵜呑みにするなら、神代から葦原中国を見守ってきたなんていう大法螺吹きだ。ある意味では『彼』こそがこの神社の祭神で、だったら普通に伊佐利神社でいいじゃんと思いながらも、そうならなかった事情を、何度問い合わせても教えてくれない、けちなお方。
そしてそんな守り神の足元にこそ、私の相棒にして愛すべからざる秘密保持者、神樹は鎮座ましましている。
見上げるほどの宝倉に直立に収められているのは、神剣『七星剣』。恐れ多くも、というより、大胆不敵で厚顔無恥にも程がある、聖徳太子が所持していたという宝剣と同じ名前。それ以上に、製作者と意匠考案者の頭の悪さを確信するのは、幅30センチ、長さ2メートル、重さは優に100キロ以上っていうその造形で。
初めから展覧のみが目的で、拝観者の心理的充足感と、盗難防止を両立させるために持ち運び激難な馬鹿でかい置物を作ったっていうのなら、まだ分かる。
けど七星剣が開放型の宝倉に収められているのは、有事の際にすぐに取り出せるようにという実用的な配慮のためで、実際に私は毎日持ち出しているわけだし、今日と明日は神事にも用いるのが必定の、言わば日用神具。
さぁ、ここで問題です。
普通に持ち上げるだけでも難しい100キロ以上の大剣を、私はどうやって、振り回しているのでしょうか?
1、幼少時代から筋トレの鬼で、折り曲げた腕の筋肉の盛り上がりだけで割り箸を折れる鋼鉄の女だから。
2、七星剣専用のクレーンが開発されていて、それを操縦しているから。
3、七星剣に選ばれた巫女さんの時だけ、剣のカミ様が下から支えてくれるから。
はい、そこ、呆れない呆れない。
実際私だって、馬鹿なこと言ってるなって思っているんだから。
そう、正解は3番。
周りからどう見えるかはともかく、実際に持ち歩いている私には、竹刀程度の適度な重さしか伝わってこないんですよ、これが。
そういった能力だけは、神剣の面目躍如だよね。見た目はとても剣に見えないんだけど。
今、私の目の前にあるものを視覚的に説明したら、今まで神剣として築かれたイメージが轟音をたてて崩れていくであろうことは、想像に難くない。というか、神剣目当てで神社に来た人は例外なく、そのあまりの姿に愕然として、憮然として、ガッカリという表現以外ではそぐわない顔で神社を後にするのが日常でして。
石段登って鳥居を抜けて、宝倉を御神木の脇に見つけた瞬間、その瞳に映るのは真っ白な棒状の物体。50メートル離れても見えるその白さは、神剣と言う響きと相まって、自ら光り輝く神聖な存在をビシビシ感じさせてくれて、期待は否が応にも右肩上がり。
逸る心を抑えて手を清め、参道の端を歩きながら拝殿前を横切って、近づくにつれて明らかになるディテールは、呪布と呪符にてグルグル巻きにされた、直線部分が驚くほど見当たらない長方形。
更に近づいて、もう触れるほどの距離になると、期待は一気に落胆に変わり、それがおよそ剣という言葉に集約されたあらゆる機能を持っていないことが白日の元に浮き上がる。
布と紙で偏執的に覆われた真っ白な刀身は、それが何重に巻かれているのかも判断できないほど膨れ上がり、凸凹になった表面は、およそ『切る』という性能を感じさせない複雑かつ柔らかな稜線を描いている。
言うなればそれは、『白くて長くて重い棒』という表現が一番しっくりくる外観であり、余すところなく包まれた本体は、本来の鋼のラインが全くわからないほどの着膨れ。身体のラインが分からなくて許されるのはゲレンデのスキーウェアくらいなもので、神剣と聞いて胸を高鳴らせて来てみれば、不器用な子が指先に巻いた包帯の塊といった方がピッタリくる代物だったのでは、ジャロに通報されても文句言えない。
ま、それはそれで、ずっと外気にさらされているにも関わらず全然汚れが見えなかったり、巻かれている布と紙に切れ目が存在しないメビウスの環だったりと、実は不思議で未知な素敵装飾なんだけど、剣じゃないよねぇ、剣じゃ。
「起・き・ろ」
『ほえ?』
剣のくせに寝てるんじゃないよ、全く。
『のの姉っすか。今日はまたこんな日中から』
蹴った。刀身を。
『痛いっす……心が』
「私は爪先が痛いわよ。寝ぼけてないで、とっとと神事の準備するわよ」
眼前、七星剣を抱きしめてグッスリ寝ていた神樹が、芸細なことにワザワザ「ん〜」と身体を伸ばしている。といっても、見えるのは私だけ。ちなみに神域に入ってからずっと、描写していないだけで、BGMではカミ様たちがペチャクチャずっと騒いでいるのが私の日常。ま、年に一度の初穂奉納だしね。奉納なくても同じだけど。
で、神樹を引きずって向かうは社務所。
着替えとみそぎのシーンは割愛して。
浴びる水の冷たさに季節を感じるのは和の骨頂だけど、年々冷たさが和らいでる気がするのは、地球温暖化世代ならでは。
浴衣の着付けも知らないくせに、巫女服だったら目を瞑っても大丈夫。最後に両袖を握ってウンと引っ張れば、ピンと皺が伸びて、シャンとやる気充填!
秋晴れのすがすがしい朝に、胸を一杯開いて大気を吸えば、細胞の隅々まで行き渡る冴えた神気がキリリと旨い。
「いってきます」と神事用具を掃除している近所のおばさんたちに断って、神樹を担いで向かうは山中。
百々山の中腹から見下ろす田園風景は、まるで金色の獣が伏して寝息をたてている様。大地が全身で喜びを発しているのを横目に楽しみながら、神職関係者しか知らない道を登っていく。
百々山はいわゆる禁足地で、狩猟も採集も伐りだしも戒められている、人里に接しているのに稀有なくらいの他界。目指す斎場までの目印は一切なく、下草と枝を掃ってあるだけの森の中を、時には這うようにして登っていかなくちゃならない。時々物音がするのは、人間に反応して逃げていく小動物たちで、物怖じせずにはしゃぎっぱなしなのは、久しぶりに姿を見せた私を歓迎するカミ様たち……私にとって、静けさなんて望むだけ無駄なのよ。
そうやって20分も登り続けて、視界は断りもなく、ポッカリと晴れ渡った。
麓からは見えない絶妙な角度で、その大岩は、中腹に張り出している。宅地換算で、およそ20畳。遮るものなく空を望む清々しさは、なるほど、ここの他に神事を執り行うに相応しい場所はない。
「宮司さん、おはようございます。叶、珠恵、おっはよ」
すでに大岩の四方には榊が飾られ、3人は榊と榊を繋ぐ荒縄に、紙垂と呼ばれる折り紙を取り付けている最中だった。
私も舞手としては、舞台の様子や広さを確認しておきたい。3人の作業を手伝いながら、私は自分が舞う姿をイメージしていた。下界からは見えず、山頂を臨んで行う神楽舞。気の早いカミ様たちが囃し立てる中、斎場準備はつつがなく完了し、気がついたら太陽は中天に差しかかっている。どうりで、額が汗に濡れてくるわけだ。
神事全体の準備としては、それでもまだ半分といったところ。午後からは拝殿周辺の掃除を始め、神田で初穂を刈り取る用具も揃えなくちゃいけない。今ごろは近所のおばちゃんたち(含む母)が集まって精進料理を作ってくれているはずで、屋台こそ並ばないものの、戦国江戸明治大正、そして大戦を挟んで昭和をもくぐり抜けた伝統は、なかなか大して、地元に根ざして全員参加の大所帯。それこそ戦前はこのお祭りに合わせて男も子供も総動員で稲刈りに突入していたっていうから……日本人って集団活動大好きだなぁ……と感慨深い。
ま、その風習が形だけでも残っている稲田姫神社は、格という意味では周辺市町村でもずば抜けている。神剣目当て、だけでなくても、年末年始の初詣シーズンは、地元女子高生の稼ぎ時! なくらいには盛り上がる。そんなわけで、昼食会場たる社務所にはそれなりの大広間があるわけで、総勢50人ほど(内八割おばさま)も集まれば、その姦しさは殺人級。情け容赦も呵責もなく、弾幕のごとく飛び交う噂話はそのことごとくが本来特秘事項で門外不出。およそプライバシーなるものの萌芽など、女という性には定着のしようがないことを改めて実感させてくれ……って、どうでもいいけど、せめて下ネタやめろっ! 生々しいからっ! 納得しちゃうからっ! 私らまだ夢見てるからっ!
そうして、おいしい食事も味が分からないくらいの緊張を強いられて、さて午後の作業にとりかかろうと、ここまでは、確かに、例年通りだったのだ。
私と望、叶、珠恵の4人が斎館で、明日の本番の舞の準備を始めてさえいれば。
なのに、
「なに、それ?」
望の手には金属バット。
「間違えてない?」
叶の手には符帳と筆。
「冗談、だよね?」
珠恵すら、両手に鐸を持っていれば、それは夜のパトロール、悪霊退散用のいわば戦闘準備であって、最後に2人の巫女を引き連れて現れた宮司が、ひきつった笑顔でのたまったわけですよ、日常を木っ端微塵に破壊する、爆弾発言ってやつを。
「今から、あなたたちに、殺し合いをしてもらいます」
「はい?」
当然、私の頭脳は容量オーバー。にも関わらず、望たちの表情は沈痛に黙したままで、初見の中学生らしき2人の巫女は、そっくりな顔(双子?)に喜と無を浮かべて、まるで計画通りと言わんばかりの動揺皆無。
って、ちょい待ち。じゃ、今の状況に順応できていないのって私だけ? それって、なんて空気読め? 頑張れ私! 取り乱さずに乗り切れ私!
「質問がありますっ!」
「……普通、私の説明が先だと思うんだが」
よしっ、イニシアチブ、ゲット!
「終了条件は?
戦闘続行不可能でもオーケー?
その2人もメンバーなんですか?」
畳みかける。
追い詰める。
「えっと……」
目が泳いだっ! 追い打ちっ!
「はい、か、いいえで!」
「無茶言うなっ!」
どうせ、拒否権は認められないんだろうから、せめて質問ぐらいこっちのを呑ませなきゃ、割にあわない。
「目的は?
ていうか、いきなり言われても、いきなりじゃなくても、私は誰も殺したりなんてしない!
それとも、これが、今年の神事なんですか!?」
長い沈黙の末、
「……そうだ。これが今年の、強いて言えば来年に向けての、避けられない神事なんだ」
認めた。
なら、仕方ない。これが神事で、私は七星剣の巫女なのだから、
「……だったら、質問の答えを、教えてください」
覚悟を、決めた。
事情くらい、あとで神樹から嫌ってほど聞かされるだろうから。