第四帖 萬神騒威~八十万の神の凱旋か零落~ 弐
前回までの荒筋
氷河期に海峡を歩いて渡ってきた大陸系狩猟民族と、黒潮に乗って沖縄・大隅半島に流れ着いた漁猟民族、そして東シナ海経由で稲作を伝えた農耕民族が複雑に交配を重ねることで、日本人は出来上がった。
大木信仰と狩猟採集を生活の基盤としていた出雲系を代表とする縄文人たちは、農耕と鉄文化の獲得で人口を増やしてきた筑紫系弥生人たちに徐々に呑みこまれ、稲作の東進は各地の狩猟民と衝突を繰り返しながらも、順調に進捗。
神武天皇の東征から始まった大和王朝によって、日本の農耕化は国家事業として加速され、地方との衝突は激化。農耕文化を拒む民族は『土蜘蛛』などと敵視され、武力制圧されて山へ山へと追い込まれていく。
それに平行して、各地豪族の姫は『神の血を分ける』という名目で大和に集められ……天津神を奉じる祭こそが国家祭祀として、各地方へ拡散。
世代を重ねることで朝廷の教えは日本各地で定着……しかし尚も、各山などを中心とした村々の信仰は根強く、中央の目が届かない地方では、古い神と新しい神が複雑に交わって共栄関係へと発展。
ここに更に、中国から仏教が伝来し、天皇が信仰に嵌ることで日本の宗教観は複雑化。最初こそは、神社の片隅に神宮寺として設置された寺院だったが、朝廷の後ろ盾を笠に着て増長。日本の神は仏の卵である、などと詭弁(本地垂迹)を弄して神道を呑みこもうとしたが、神社側の激しい抵抗にあって神仏習合という形で手打ち。
時に荒ぶり、時に祟る日本のカミは、生活に密着した今生の関わりだったが、来世での救済を前面に打ち出した仏には実害がなく、祈りに応じて幸福が保証されるという手軽さ(それは日本の曲解だが)もあってか、急速に民衆へ伝播。
かつての素朴な山岳信仰も、猟師が追い詰めた獣が仏に化ける、という開山伝説の後付で仏教へと塗り替えられ。
別々に信仰を受けていたはずのカミと仏も、いつしか交じり合って複数の名を持つ存在へと変化。
外来のモノであったはずの仏は、土地に根付いてより信仰を篤く集め、人々は明治時代になるまで、神と仏を分け隔てなく、崇めるようになった。
……そんな在野の信仰の変遷の裏では、伊勢神宮を守る巫女である斎宮を頂点とした、御瑞姫たち巫女軍による国津神の駆除が粛々と行われ、天津神の巫女による平定が常態化。しかし、根の国に堕とされた国津神の抵抗はしぶとく、全国各地で開けられた根国路乃深痕での衝突は一定周期で繰り返され、歴史の裏側で、今日まで、連綿と攻防を重ねてきた。
そして現在、月見里野乃華は、七星剣のカミであるヤツカを押さえ込み、見事神器の主となったが、同時期に根国路乃深痕の蠢動が発覚。御瑞姫たちは休む暇も与えられず現地へと召集され……作戦会議の夜が明けた。
8脚の足踏みは、見事だった。
奇襲によって、こちらの陣営を乱し。
急激な震動で一部の地表が液状化、表層の樹木を伴って窪地に流れ込み。
結果、戦場のイニシアチブを掌握。
戦陣を展開しておいて、相手の奇襲に文句を言う権利はない。
むしろ、相手が穴から這いだして、窪地に陣形を整える時間を与えたかと言えば、Noだろう。その前に徹底的な砲撃を加えて、出る杭は打ちまくり、相手の戦意を挫く策を取るはずで……そりゃ敵だって、この地形の不利は知りすぎるくらい知っているんだから、何らかの策は弄するわな。
故に、こちらも即応した。
「いきなり反対側っ!」
右手甲に、さきほどもらったばかりの符から文字が浮かび上がり、盆地の反対側に行けと、早速の無茶ブリだ。
それでも、走り出さないといけない。
七星剣を取り、初めて纏った鎧を鳴らして、視界にソートされたヴァーチャル矢印の示す方向へ、全速力で山肌を蹴って、行く。
混乱から立ち直った巫女たちは、反撃の砲撃を窪地にたたき込み始めていた。
怒声がそこかしこで上がり、応ずるように爆音が連続する。昨日一日でこんなに展開を終えていたのか、と驚くと同時に、行く先々で通路が地滑りのために分断されていて……単なる足踏みとはいえ、戦略的効果はなかなか天晴れと、賞賛せざるをえない。
「野乃華っ!」
悪路を抜け、孤独に山道を飛び跳ねていたら、いきなり横合いから殴るような声が飛んできた。
「望っ?」
「あんた! 一緒に行くって約束してたでしょ!」
んなこと言ったって、あのタイミングで、望を探してる暇なんて、なかったんだもん。
全速で行くコチラに追いついて、望はしかし、それ以上は聞かなかった。息が乱れているのは、よほど無茶な走りをしてきたんだろう。
だけど、こっちはまだ神寄をしていない。危急の事態が生じたら、問答無用で加速をいれる必要があるだろう。だから、
「足手まとい!」
「……つよ……がりを」
ばれてるし。
とは言え、望をフォローできるほど精神的余裕はない。本当に駄目だと判断したら、彼女の方から折れるだろうと信頼して……さらに速度を追加した。
「ちょ……」
望の抗議は置き去って、視界の端々、樹木の隙間から見える窪地に、敵が展開を始めているのを見る。
それに対して、こちらの山から茶吉尼の砲撃の音が、あちらの山からは極太の矢杭が撃ち込まれるのが見えたが、染み出した敵の影を押さえ込むには圧倒的に量が足りない。
『ていうか、あれ、決戒のための砲撃だし』
叶から、霊話による解説がきた。
『杭と砲弾を神力で結ぶことで、檻を作り出して相手の行動を限定すんのよね。ほら、一昨日も射ってたでしょ、あのぶっとい楔矢。あの矢を地面におっ立てることで、篦に刻まれた祝いが発動して、カミを縛る波動を発振するの』
『じゃ、私がわざわざ回り込んでいるのは、どんな目的があっての指示なわけ?』
『……保険?』
なんつうアバウトな。が、右手甲の指示は揺るがず、視界に映るヴァーチャルな矢印は、相変わらず前進を促している。
まだ接敵はない。
しかし、声は届いている。
雄叫びは戦意の高揚を呼ぶ。ウォーは、戦場での咆哮を語源にすると言われているほどだ。獣が主力をなす国津神であれば尚更、魂を震わす叫びが戦場のあちこちで放たれ、共鳴を呼び、轟き渡る。
音に対するは、大音量しかない。
敵に応じて、巫女側から、太鼓や法螺貝の低音が圧し下る。遠くまで届けるなら金属的な高音が適当だが、肌すら震わせる低音に期待するのは、戦意の挫きだ。
『こっちの音色には、神力の祝いが込められているからね。特に珠恵の波動を嫌がるカミは多いし、逆に巫女は高揚するし、一石二鳥だよね』
故に、敵も黙ってはいない。
音源を潰すために、実力行使にでる。
具体的には、湖底の泥を掬って、楽団の位置を見当つけて、やたらめったら、投げ始めていた。
「うわぁ、ガキの喧嘩じゃないんだから」
『遠目に見てると楽しそうだけど、あの泥の固まり、平気で10キログラム越えてるからね……まともに当たったら骨折するよ』
あ、よくよく比率を考えたら、泥投げてるの巨人族じゃん。なにげに泥田坊が泥弾を形成して供給体制作ってるし。ぬぬぬ、侮れぬ。
『だから、迎え撃つよね、当然』
まるで叶の言葉が号令になったがごとく、三方向から泥弾撃墜の射撃が走る。
空中で泥を散らせるのは、佳紅矢の射と、明の砲、そして晴の銃だ。
「あいつ、もうあんなところに」
正反対の方向に向かっていた晴は、窪地を挟んで、こちらを上回るペースで戦場を駆け抜けていた。その上で、正確無比な射撃を披露して、仲間の被害を食い止めている。
……性格には難あるとしても、御瑞姫としての仕事は一流にこなしてんだなぁ。
それも、中学生なのに、だ。もっとも、安倍家ってのは生まれながらに御瑞姫になることが決まってる家柄らしいから、一般的な感覚じゃ測れないところがあるとしても。
「もう、全部彼女らに任せちゃっていいんじゃない?」
そうも言いたくなる。なにせ、こっちは昨日今日で戦場にかり出された素人だ。妖怪相手なら多少は良心の呵責が緩むといえ、それでも殺し合いの場にノコノコ顔を出すほど、空気が読めないわけじゃなし……むしろ、足を引っ張りかねないわけで。
だってさ、いきなり日本を守るために戦えって言われても、その、現実感乏しいじゃん?
『その辺、どうよ、神樹?』
『ふぇ? 今までずっと無視しておいて、いきなり前振りなしの同意求めっすか?』
『うん、ごめんごめん。素で存在忘れてた』
『抑揚なしの棒読み謝罪ひでぇぇぇぇ!』
記者会見とかじゃよくある事じゃないの、心ない「心からのお詫び」なんて、うん、日本人の習慣習慣。正面衝突を避ける処世術ってやつ。
『そんな悪しき慣習は滅びるべきっす』
『んなこと言ったって、私も一応建前上は人間の味方だし、日本の美徳っていうか伝統は守らにゃだし?』
『建前って……じゃ、本音は?』
『セレブもリア充もDQNもニートも売国もLRウイングも、歴史を疎かにする日本人なんて全員滅びればいいのに』
『……ある意味バランス取ってる?』
誰も知らない戦場に送り込まれて、私たちだけが一方的に貧乏くじを引かされ続ける現状の日本なんて、大っ嫌いだ! だいたいそもそも、日本中の至る所に水田が広がっているという景色そのものが本当は『不自然』なの分かってる? 森林を切り拓いて川の流れを変えて自分たちの都合のいいように環境を弄り倒して、里山って言えば聞こえがいいけど、実際は枯れ枝や枯葉を堆肥や燃料として村へ持ち出しちゃった結果、山の中の養分が少なくなってアカマツしか生えないような低栄養土にされたから動物達が寄り付かなくなったっていうのが実情で……おまけに戦後は戦後で、杉と檜が売れるからって言って広葉樹を切り倒して針葉樹ばっかの山にしちゃって、材木が売れなくなったら用なしと言わんばかりの放置プレイで山が荒れたって、そんなの人間の勝手であって動物達が怒るのは当たり前じゃん? なのになんで、私がそんな頭の悪かった大人たちの尻拭いをするために、血と汗を流さないといけないのよ!
という冗談はおいておいて。
『いや、本音って……』
おいておいて。
『いや、本……』
おいておいて。
『……』
おいておいて。
『沈黙すら許されない!?』
『神樹のせいで話が脱線しまくりじゃない』
『結局単なる八つ当たりだ、これぇぇ!』
分かってるんなら黙って八つ当たられろ。
こっちゃ、考えれば考えるほど、誰のために戦ってるのか分かんなくなんだよ。
いや、だからこそ姫子の助言か。
いっそ戦を楽しんでしまえ。仕事と割り切ってたら心がもたないぞ、と。
それも処世術だよねぇ。自分たちの戦争こそが正義だなんて断言できるほど恥知らずじゃないし、聖戦だって昂揚するには圧倒的に信心が足りないし、いっそ開き直った方が楽になんだろうし。
『野乃華っ! 進路変更!』
おぅ?! 矢印の向きが90度変わった、上方へ。
『敵の航空戦力が出てきた!』
前方の立ち木にジャンプして、幹に両足で着地することで急制動をかけ、
「あれか」
戦場を見る。
泥弾が迎撃されたことで、敵は戦術を変更してきた。天狗や怪鳥による航空戦力群でもって、こちらの砲撃部隊を直接潰しに来たって事か。
「望、今度は上に行けって」
「人使い荒すぎだろ、JK」
だから、ついてくんなって助言したのに。JKって女子高生の略だよね、常識的に考えて。
「こっちの上ってことは、明か!」
樹齢100年はあろうかというブナの大木が、私の衝撃を吸収して悲鳴を上げ……だが復元力を逆手にとって、一気に空高く跳び上がる。
「バカ、置いてくな!」
望の文句はもっともだ。
酷いことしてるって自覚もある。
けど、こんな過酷な仕事……分かち合わされた相手が不幸過ぎるし。
『神樹、神寄っ!』
『っす!』
慣れてしまった神人合一。
取り込んだばかりのヤツカの荒魂が、私と神樹に挟まれて暴れ回るのを感じる。同時に、和ヤツカが、それを中和していく過程もリアルに伝わってきて、
「行くか」
琥珀色の輝きが、肌を内から輝かせる。
神を羽織るでなく、神に羽織る、私だけの神寄。
世界は即座に色を変える。
私が変わる。
飛ぶように、木々を蹴って跳んでいく。
頭上が騒がしくなってきた。
人の喧噪と、鳥の鳴き声が、不揃いなリズムを刻んで空気を削りあっている。
視界は、急に開けた。
左腕が大砲のままの茶吉尼に、天狗たちが頭上から群がり、戦乙女たちが撃ち落とそうと懸命に祝詞を上げている。
「知流姫(明)っ!」
「稲田姫(野乃華)?」
明は、茶吉尼のコントローラーたる水晶球で、必死に一羽の天狗と格闘していた。その天狗を七星剣の腹で思い切りぶん殴り、
「今の内に左腕を!」
「終わりました」
言う間にも、見上げる茶吉尼の左腕が虚空へと存在を薄くして……間髪入れずに白板が4枚、生物のようにウネりながら、空中の天狗たちに突き刺さっていく。
それだけで、場の空気は一変した。
烏の化け物のような怪鳥らは、戦乙女が放つ符によって羽根を散らし、天狗たちも茶吉尼の一撃を受けては、上空へと待避していく。
「続きを!」
「やっています」
明は感謝も謝罪もしない。ただ、やるべきことだけを為す。茶吉尼の左腕には即座に大砲がセットされ、こちらの戦意高揚楽団への泥砲弾を、片っ端から撃ち落とす作業が再開される。
『しばらく、ここの護衛でいいの?』
が、叶からの応答はない。
右手甲にも新たな指示はなく、視界の矢印も不動だ。
まさか、本部に何かあった?
見れば、上空の天狗たちは散開し、異なる戦場へと翼を傾けていく。
「ちょっと借りるよ」
返事を待たず、私は茶吉尼を駆け上がり、
「だ、茶吉尼を踏み台に!」
苦情もスルー。地上6メートルの展望台上から眼下を眺めれば、戦場の半分ほどが容易に視界に収まって、
「向こうが苦戦してる?」
戦場を挟んで反対側の峰に烏たちが群がって、漆黒に空を埋めていた。矢の射も途絶え、おまけにコチラにいた天狗たちが増援に向かっている。
「大丈夫です。加流姫(晴)が向かっています」
地上から明の叫び。
「それより、窪地で相対が生じています」
「ん?」
言われたまま視線を下げれば、窪地は既に、黒山のカミだかり。その先端が我が本体へと伸びつつあり、
「あ、爆発した」
それが姫子か慧凛ちゃんか、まるで間欠泉のごとく、地面ごと妖怪たちが数匹、勢いよくぶち上げられていた。
「派手だね、どうも」
一番高いモノで10メートル、大きく放物線を描いて同胞の群に落ちていく敵さんには同情も覚えるけど、
「降りて」
いきなり、茶吉尼が私を振り落とした。
「うぉっ?!」
急な足場の消失に無重力を覚えた眼前は、しかし陰ったかと思うと、鋭い爪を輝かせた鳥の足が一閃、虚空を裂いて上空へと引き返っていく。
……ひょっとして、危機一発?
受け身をとってクルリと回って体勢を立て直し、見上げた空にいたのは、特大の怪鳥。
天狗たちは諦めて反対側に去ったんじゃなく、大物に場を譲っただけだったか。
鳥類にあるまじき、翼長のみならず首と尾羽根まで極端に長い怪鳥は、重力を腕力でねじ伏せたか、奇怪な軌跡で宙を舞い、間抜けな表情を浮かべては『以津真出ェ』と震える声で鳴く。
「あれはっ! 怪鳥・以津真出っ?!」
いや、明さん、こんな時ばっかり感情籠もった演技いらないから。
「それが礼儀と教わりましたから」
「……全っ然、余裕だよね、君ら」
「この世に不思議なことなんてありません」
「……月のモノには狼狽えてたくせに」
ボソリと呟いた瞬間、ゴッソリ空間を穿たれた……茶吉尼の右腕に、主に私の頭部が位置していた座標を。
「あ、あああああ、危ないじゃない!」
「おや、どうしました、稲田姫? フレンドリーファイヤーでも名誉の戦死って扱いで報告しますからご安心を」
だれがそんな名誉の心配をしてますかっ!
「古伝照合、個体名、夏羽と呼ばれるモノです」
ケロリと明はこちらを無視して、視線は頭上へロックオン。
「稲田姫は、早々にこの場を離れなさい……あれは、場を乱します」
一体何を、と聞く間もなく、現実が動き出す。上空からの声が空間に満ちるや否や、茶吉尼がいきなり稼働停止に陥ったからだ。
『れ、霊場の法則が乱れて』
「ジャミングかよ!」
すでに明は茶吉尼へと駆け寄り、水晶球をダイレクトに接続することで、巨大人形の制御を取り戻している。
「この場は凌ぎます。貴女は行くべきです」
「けど!」
茶吉尼の肩によじ登り、こちらを見下ろす彼女の瞳は真剣で、
「足止めが彼らの目的です。意図に沿ってやる義理はありません」
正論なれば黙るしかない。
本部からの連絡が途絶えている今、ここに長居をするのは損失だ。おまけに、
「稲田姫、本部から直電です!」
空海女史がこだわった、有線電話が私を呼ぶ。こういう事態を見越していたのか、受話器を受け取ったコチラへの命令は単純明快。
「離脱しろ。貴様の仕事は別にある」
「具体的にどこに?」
「追って指示する、今は動け」
全く、人使いが荒すぎる。
見上げれば、巨鳥と巨人の怪獣大戦争が繰り広げられていて、
「……確かに、付け入る隙もないかもね」
イキイキと茶吉尼を手繰る明を残して、再度、山中へと走り出す。
世界が、線を引いて流れていく。
後方へ、後方へと、省みられることもなく。
急な斜面を転がり落ちるように移動しながら、でも私は、後ろ髪を引かれるような粘りを、ずっと感じていた。
――山が、喜んでいる。
カミたちが、この戦を、悦しんでいるからだ。
古い山だ。巫女による要塞化処置が所々施されているとは言え、生活感のないそれらの設備はササや苔に呑み込まれ、むしろカミガミの隠れ場にすらなっている。
そんな、原生の姿を留めた山が……はしゃいでいる。この戦を。天津神を奉ずる巫女たちと、国土の奪還をはかる国津神たちの必死の攻防を、まるでイベントか野球観戦のような軽いノリで、浮かれている。
なんだ、この違和感?
国津神は、土着の信仰神のはず。
大和王朝によって服従を命じられ、時には武力制圧されて地に封じられた、妖怪たちの大元のはず……この山のカミガミは、そんな国津神たちの同属、もしくは母胎じゃないの?
確かに、山の精霊たちには特定の名前がない。歴史があったとしても村単位の崇拝がせいぜいで、彼らはどちらかというと野生の動物に近く、感情はあっても知性は希薄で、静かに人々の営みを観ているだけの傍観者。人への干渉は悪戯程度で、本気で祟る力は無く。
私はずっと、そんな彼らを、国津神の原形だと思っていた。素朴なカミガミだからこそ、系統だった信仰を持ち、組織化した神道によって取り込まれて、名を与えられ崇拝を集め、徐々に力を得たのだと考えてきた。
もっと言えば、カミという存在を、天津神と国津神という、単純な二択で捉えていた。
なのに何故――この山のカミガミは、この戦争を、まったくの他人事として楽しんでいる?
いや、むしろ、戦という荒ぶる場を歓迎し、数多の存在の跳梁跋扈を、まるで祭りのような高揚感で無邪気に受け入れている。
それはまるで、国津神・天津神という区分さえ関係ない……どんな系統にも属さない無関係の第三者のような、けれど確かに存在し、この国土に遍く広がり……私と日々語らい、共に生活してきたのに……その実、あらゆる世界から見捨てられ、忘却の彼方に押しやられていたような……
「あ? 野乃華!」
「間が悪いなぁ、あんたは」
思考の渦に呑み込まれ、ほとんど反射神経だけで山道を飛び跳ねていたら、途中で望がバテていた。
「執念深さだけが売りなんでね……急いでどうしたの? 何か動きが?」
「逆。邪魔だから他に行けって追い返された」
まぁ、嘘ではない。
「そりゃ、ちょうど良かった。さっきから、野乃華と連絡がとれなくなったって、叶がヒスっててさ」
『ヒスってないわよ!』
「あぁ、夏羽とかいう怪鳥のせいで、山頂一帯がジャミングされてたせいだね。盆地じゃ遂に激突が始まったし、そろそろ忙しくなりそうよ」
言う間にも、右手に新しい指令が届く。
「……敵さん、正面突破が困難と見たか、後方から迂回も始めやがったわ。向かわないと!」
「人気者は辛いねぇ」
望が立ち上がろうとする。膝が笑っているにも関わらず。
「あんたはお呼びじゃないでしょ」
「肉の壁、欲しいんじゃなかったの?」
「楯にしたって持ち運ぶのが重いわよ!」
「誰が重いって?! 野乃華よりは軽いわよ!」
瞬間、女の意地が睨みあい……空しくなって即座に停戦。
全く、そこまで尽くされるほど、私に価値なんてないのに。
「別に、野乃華の命が心配で意地張ってんじゃないわ、よ!」
望が気合いで背を伸ばす。
疲労禊ぎの符を一枚、ドンと胸に貼って深呼吸、気の流れを整えた彼女は、
「こっちゃ、あんたが学校でノホホンしてる間も、死ぬ思いで訓練してきたんだよ。御瑞姫だか何だか知らないけどさ、素質ってだけで活躍されちゃ……この16年の努力が報われないでしょ!」
「はいはい、邪魔だけはしないでよ」
「そっちこそ、頼りないと判断したら、後ろからバッサリよ」
笑いあうしかない。
さて、じゃ、気を取り直して。
『神樹、ヤツカ、索敵を』
『確かに、軍勢が移動してるっす……振動から察するに、大型四足獣』
そうか、だったら。
確かめてみよう。
この違和感を。
長年の疑問。
私の特技。
カミよ。
来よ。
――心を、鎮めろ
――気を、巡らせ
――一は、広がり
――全は、集まる
――見よ、遠くを
――聞け、近くを
――我よ、膨らめ
――繋げ、命の経
「な、何っ!?」
望がおののく。
無理もない。
私は今まで、これを人前に解放したことがなかったから。
「気を落ち着けて……呼んだだけだから」
「呼んだって、何を?」
「八百万のカミ……今この瞬間も息づき、踊り、人々に知られぬまま自然に溶け込んでいる精霊たち」
瞬間、私の周囲に流れ込んできていた風が膨れ上がって、上昇に転じた。
声が、満ちる。
気が、溢れ出す。
この山に棲む、ありとあらゆるカミが繋がって今、この点へと収束する。
『のの姉、何を?!』
「力を借りるだけよ……森羅万象の声を聞き、彼らと望む結果を掴むために」
「……なに、考えてるの?」
具体的に、何かを考えているわけじゃない。
ただ、試したくなったから、試すだけだ。
私たちが奉ずる天津神。
私たちが封じる国津神。
――その、どちらにも属さぬ、古い古いカミが、この地にはこんなにも溢れているというのに。
「確かめたいの……何が、正しいのか。ただ、それだけ」
この国の、大和というカタチすべてを、例え否定することになろうとも。
「私には、こんなにもハッキリと見えるカミたちが……」
声を集める、流れを通す、熱いほどのカミの息吹を全身に浴びて、
「どうして、無視され続けているのかっ」
左足裏から流れ込んできた神力は、左半身を満たすと頭脳を貫き、右半身を暴れ下って、右足裏から再び山へと抜けていく。
――通ったッ!
今、私は、この山の一部として、カミガミの中に繋がり……瞬間、全身から虹色の輝きが、盛大に吹き出して――。
ブナの巨木によじ登り、山の主たるツキノワグマは、枝又にこしらえた棚に座り込み、周囲の枝から秋の実りを口に運びつつ、眼下の騒ぎを優雅に高見す。
「来た来た来たぁ」
泥沼をラッセルして、
「猪祭りだ、ヒャッホーイ!」
横一列、怒れる猛進が姫子を押し潰さんと迫ってくる。成長すれば100キロにも達する巨体を短い四肢で加速して、筋肉質な鼻で泥地を拓きながら、猪たちの口元にきらめくは唾液という潤滑液を輝かせた鋭い犬歯。
「フンッ!」
しかし、見据える姫子は怖じ気ない。
構えを一新、脚を開いて重心落とし、半身にて右手を引き絞れば、彼女の両拳を覆う手甲『零』と『千』、紅き霞を立ち昇らせ、迎撃準備完了、口元がクワッと開く。
「甕姫が神代、その一喝は天裂き地割り星墜つる! 日輪霧散月光割断大地鳴動大津波! 穿ち砕き千切り捻るが我が千手! 寄らば功名怯みて安堵、貴賤なかりき与うは平等、なれど来るなら、ぶっ飛ばすっ!!」
装甲が鳴り、符が輝き、排気のために放熱板が開いた右手甲『零』、
『初撃臨界』
「瞬撃のぉ、ファーストォ……」
迫り来る「面」に、「点」が迷わず迎え撃つ。
光凝縮によって物質化させた神力符が零の中で爆散、溢れ出すエネルギーを全て拳の破壊力に変換して、左足を軸に奇転する姫子の拳は、迫る猪の横っ面をぶん殴り、併走していた十数頭もろとも、直線だったベクトルを直角にへし折った。
「爆砕のぉ、セカンドォ……」
吹き飛ぶ猪の群れをバックに、更に姫子の舞いは続く。
眼前、開いた空間に右足の踏み込みを入れ、零に追加の指示を下し、手甲の中で二枚目の神力符が炸裂、再撃は、前線を真後ろから追っていた第二陣の顎を舐めるような低空から捉え……ぬかるんだ泥地ごと、数頭を頭上高く打ち上げた。
広がる混乱を横目に、神楽は粛々と、熱量を増して進む。
「獄炎のぉ、サァドォ……」
セカンドの勢いを得て空中に跳ねていた彼女が、回り回り回って得た遠心力に、躊躇なく神力符による加速を追加、眼下、御瑞姫の狂態を眺めるしかない猪たちの群れの中へ、
「ブラストォォォォォ!」
赤々と燃える流星と化して突き刺さった。ぬかるんだ大地はその一撃に、まるでゼリーのように大きく凹み、しかし許容限界を迎え、大量の猪たちを巻き込んで、勢いを空へと散らす。
「ぬっはぁ! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よぉ! だが、悪党に名乗る名前は、ないっ!」
動くモノの絶えたクレーターを睥睨し、神代姫子は天に向かって一本指をピンと伸ばした。
静止した一瞬――四方八方から猛初速で射出された鋼糸が、姫子の腕を絡めとる。
「うぉっ?! なんじゃこりゃぁ! 硬ぇ、硬ぇくせにしなやかぇ?」
片手を突き上げた不自然な姿勢のまま、身動きを封じられた姫子の耳が捉える、サクサクと細い針で布を突き破るような小気味良い音の連続は、間もなく、八脚にて巨体を木々の狭間に浮かせた、鬼の形相の蜘蛛となって現れた。
「つ、土蜘蛛っ?!」
しかし、その驚愕にフォローはなく、軽業的なバランスで木の幹に脚を突き刺すその蜘蛛の、不気味に膨らんだ腹からヌルリと、蠍のような「ア○ルビ○ズ?!」のような尾状器官が、迷うそぶりも見せずに、囚われの御瑞姫に向かって鎌首を持ち上げる。
餌の豊富な樹上を飛び交うモモンガが、しかし枝の先端に捕まって、ジッと機を窺っている。飛び移るべき樹を見定めるためではなく、人とカミが織りなす騒ぎを、その瞳に吸い込むために。
「狼怖い狼怖い狼怖い!」
「なにが怖いもんかよ。赤頭巾なんて嘘八百。家畜ならともかく、人間を襲う狼なんてのは、狂犬病にかかった奴か、餌付けされて人間に慣れた奴だけだ……そもそも秋津島にゃ、狂犬病なんて昔は無かったしな」
逆鉾慧凛の悲鳴は、お供であるトラジマに軽~く流された。
姫子が右翼ならこちらは左翼、彼女が対峙するは横一列に鋭利な瞳を輝かせる狼の群れだ。
かつて日本列島の生態系の頂点を担っていた彼らは、鹿などの大型草食動物のみならず、ニホンザルすら補食し、それによって鹿や猿による農作物の食害が抑制されていたことから、長い間守り神として尊ばれていた。
が、明治期の鹿の乱獲によって餌が少なくなり、家畜保護を目的とした毒物などによる積極駆除も相まって、百余年前の捕獲を最後に、絶滅種の扱いを受けている。その後、大正期から終戦後高度成長期まで、日本人による狩猟は山々を荒らし尽くし、平行して奥山伐採と集中的な人工杉の造林によって、一時は猿すらも、絶滅が危惧された。その反動か、動物愛護精神の萌芽と材木需要の減退などが重なり、また人口の都市集中によって人々の視線は山から都市へシフト……今や天敵の消えた森山では、鹿や猿、猪が増加の一途を辿り、人里に降りては畑を荒らし、所によって新芽や樹皮を食い尽くすことで森そのものが消滅するという、獣による環境破壊が進んでいる。
群れなし、少女を取り巻く彼らにとって、自分たちを絶滅に追い込みながら、山の荒廃に目を向けない人間は、憎悪の対象なのだろう。丸く陣して距離を埋めようとしない統制された動きながら、その瞳には隠せない殺意が宿っている。普通の少女であれば、その殺気だけで失神してもおかしくない、それほどの覇気。
が、すでに慧凛は神寄、臨戦態勢。白く纏った霞は神力の証で、小さな身体に合わぬ巨大な鎚を、軽々と持ち上げているからこその御瑞姫の称号……どれほど恐怖を覚えようが、敵に見せる背中はない。
何より、生まれも育ちも二十一世紀の彼女にとって、明治どころか二十世紀すら昔話の範疇だ。鹿、猪、猿のみならず、熊すら人里に降りてくるのが当たり前の世の中で、狼たちの憎しみを彼女が受け止めるには……あまりにオツムが弱すぎた。
故に、トラジマは慧凛を操る。
「所詮自然は弱肉強食。滅んだってことは、自己責任。今更化けて出てくるなんて、逆恨みもはなはだし!」
「なるほど! じゃ、遠慮しなくても……」
「よしっ! やっちまえ、慧凛!」
「合点承知!」
食肉目である山猫にとって、群れで効率的に狩りをする狼たちは終生のライバルであり、目の上のタンコブ、排除すべき対象だ。犬猿の仲でなくとも、トラジマは生理的に彼らを受け入れるわけにはいかぬよって、
「飛んでけぇ!」
恐れを払拭され、大義名分すら得た慧凛は、喜々として大得物『火愚鎚』をフルスイングッ! 空振るも、発生した風圧が周囲に唸り、大木すら枝をしならせれば、狼たちの頭を押さえられる。
犬属は利口だ。効率的な狩りを信条とし、勝てぬ戦は挑まぬよう、遺伝子に刻み込んでいる。
慧凛の一振りは、だからこそ、事態の硬直を生む……かと思われた。
「んなっ!」
局所的な地震が泥地を揺さぶり、火愚鎚を振りかぶっていた慧凛がバランスを崩してタタラを踏んだ直後……文字通り大地の底から雄叫びを上げて、一対の鹿角が泥底から突きあがった!
不幸、巨大な角の一撃の、おまけの暴風をまともに受けて、トラジマだけが宙に舞う。
なんとか踏ん張って慧凛が体勢を整えた時には、見上げるほどの巨駒が、鼻息を荒げて戦場の中心を占めていた。
「でっか! 鹿っ?!」
慧凛の知識では真実に届くはずもなく、おまけに相手は、沈思黙考の時を与えてくれるほど優しくなかった。出現と同時に慧凛を敵と認めた乱入者は、息を整える間もなく、巨大な角を地面スレスレに構えて突進してきたのである。
「あぶねっ!」
緊急回避は間に合った。
泥に装束がまみれる躊躇など、する暇もないほどの反射的行動が、かろうじて慧凛の命を救う。
「四肢は日本羚羊のそれとして……あの頭部、エルクか!?」
トラジマも、実物は見たことがない欧米のエルク。身の倍はあろうほど左右に広がった立派な角が、まるで篦のように膜状に成長することから、和名をヘラジカと名付けられた、シカ科大型草食動物。
対して四肢は、カモシカのような美脚、の形容の元となった、ウシ科に属する羚羊のそれである。日本の山中においては、険しい断崖絶壁すら軽々と渡っていくその姿を、空を飛ぶと勘違いされるほどの身軽さを備えた列島固有種、特別天然記念物。
合成獣、ではあるまい。あれこそまさしく、
「……国摩呂が、まだ生きていたか。カミだ! 気をつけろ、慧凛!」
トラジマの忠告は、しかしカミの突進を追いかけていた少女に届いたかどうか。
突進の終了に併せて天高く振り上げた大鎚を、全力で叩きつけた彼女は……クルリと大躯を回転させながら後ずさりした相手の動きに追随できず、痺れる両手で急いで鎚を持ち上げようともがく姿、まさに無防備。前髪をフワリと浮かせるほどの近さで、生暖かい荒い鼻息が慧凛の鼻先を撫で……
「逃げろっ」
相棒の悲鳴より早く、頭を低く下げてブルドーザーのように角を構えたカミの突進が、逆鉾慧凛の小さな身体を、軽々と秋空へ高くはね飛ばし、轢き逃げていった。
青天の霹靂にも似た上空の騒動に耐えかねたか、巨木の樹洞から飛び出したコウモリたちが、黒々と空へ染み出していく……だが、彼らは逃げるために外を目指したのではない……薄く広がった彼らは、耳を現場に向け、周波数を変移しながら、騒動の中身を詳細に分析し――。
「楯姫(佳紅矢)、いったん退く?」
「そ、そんなこと言われても、どうやって?」
蒼天を埋め尽くす勢いで殺到してきた天狗たちに追いつめられ、晴と佳紅矢は背中合わせに、事態の打開を思案する。
「一点突破しかあるまい……このまま封じられては、全体の作戦に関わるぞ」
狼たるヤツフサの言は尤もだ。天狗たちの目的も御瑞姫二人の封殺なのか、積極的な攻勢ではなく、適度な距離を保って戦線を自由自在に脈動させ、佳紅矢と晴に照準を合わせる隙を与えない。
戦乙女たちも、先から襲撃してきた大烏などの対応に追われており、事態は完全に膠着状態に陥っている。
「くっそ、もう我慢ならない!」
意を決したのは晴だった。彼女の右手甲には、少し前から連続して早期解決を促す指示が飛び込んできており、何より、上空から彼女たちを嘲る天狗たちの嘲笑が、癇に障って堪忍袋の緒を切った。
白衣にタスキかけした弾帯から取り出したのは、12発限定の祝弾の1つ『辰』。実弾主体の黒い拳銃神器『仏滅』を華麗に開くと、流れる動きで祝弾を装填、ニヤリ、口元に勝ち誇りの笑みを浮かべて、
「水司たる異形の雷帝、辰!」
トリガーを引き絞る。
目映い光を伴って、祝弾が蒼空を裂き……瞬後、爆雷が大気を弾き飛ばした。
晴天に生んだ霹靂。
神力によって弾丸に封じられた大電荷が急激な電位差を空間に生みだし、均衡破れた電界に、電子の奔流が流れ込む。
祝弾を中心に雷光が渦を巻き、戦場は一挙に嵐に見舞われた。放電の閃光が間断なく空気を白熱させ、荒れ狂う電子の流れに焼かれた上空の天狗たちの悲鳴と、焼けた羽根の匂いが場に溢れ出す。
言うなれば、戦術的天災兵装。
人為的に生み出した神罰が空を焼き、カミを裂き、ピリピリと帯電した大気に皆が息を呑んで佇んで、
「楯姫、あとは頼んだよ!」
晴は、包囲網を突破して山を下っていった。
「惚けている暇はないぞ、今のうちに蹴散らせ!」
ヤツフサの叱咤に、佳紅矢は弾かれたように弓を取る。
敵は、もはや烏合の衆だ。
活気を取り戻した戦乙女たちが反撃を激しくし、佳紅矢もまた、握り直した鳴弓『射狩禍』を弾き、脅威の排除に従事した。
見上げれば、雷弾が暴れた空が、ポッカリと開いている。
「これが、安倍家の、力……」
奇跡すら制御せんとする、人間の業。
神への畏れを忘れ去り、科学信仰に傾倒した人類の傲慢は、しかし、夜の闇すら人工の明かりで退ける現代においてもなお、天罰という名で処断される。
天、にわかに掻き曇り、
「え、何?」
雷鳴轟き、稲光が煌めいた。
「祝弾の反動? いや、違う! 警戒しろ、佳紅矢!」
ゴゴゴゴゴと、臓腑を震わす低音が、押し潰すような威圧感を伴って、上空から降りてくる。突如吹き渡る風は生温く、ジットリと重く手足にまとわりつき、魂を直に震わせるは神力の波動っ!
「龍っ!?」
それは、暗雲を掻き分けて顔を見せた。
鹿の角持つ異形の頭部。鰐にも似た口元から真っ赤な舌を覗かせて、金色の瞳が怪しく光る。鱗と剛毛に覆われた長大な胴が、雲の切れ目にヌラヌラと動きを見せ、その全長は計り知れない。
「津頬か! 貴様、性懲りもなく」
「獣風情が、まだ地を這っておるか、ヤツフサ」
龍狼、相睨み……オロオロと対応に困る佳紅矢を置き去りにして、緊張感だけが際限なく高まっていく。
指令所は、すでに蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。そんな巫女たちの狼狽をあざ笑うのか、猿の群が栗の木によじ登ってイガを剥きつつ耳を澄ませ……地上では、テン、イタチらが、何かを嗅ぎつけたか、脱兎の勢いで駆け巡っている。
「弾幕を絶やすな! 敵の進路は限られている! 今を凌げば、御瑞姫たちは動き出す!」
空海の怒号が、巫女らの戦意を鼓舞する。
明、姫子、慧凛、佳紅矢の四人が、銘有りの大型カミの襲撃を受けて動きを封じられた今、敵の戦力は怒濤の勢いで本隊に襲いかかってきていた。
「稲田姫(野乃華)と加流姫(晴)は何をやっている?! 第1陣の後背をついて、敵を壊乱させろっ」
空海すら、休む間なく符を増産し、前線の固持に努めていた。
彼女の神器『韻画凰砲』は筆である。その柱のような巨大な円筒の中で空海が指を踊らせれば、数十という符に彼女の意志が伝達され、瞬く間に迎撃符と成って射出されていくのだ。
「簡単に言うけどな」
そんな彼女の背後で陣を管理している鈴瞳の処理は煩雑を極めている。
彼女をグルリと半円状に、2メートルの高さに整列して取り巻く白い帯は、すべて整然と並べられた情報符だ。その数は刻一刻と増えていき、事務的に処理できる情報は後方の情報軍に自動的に配分されるとは言え、鈴瞳の瞳に映る符の列は、流れが加速されることこそあれ、止まることを知らない。
十指がちぎれるかと思うほどの勢いで浮かぶ符を叩くたび、的確な指示が飛び、情報が集積され、量産絡繰による支援砲撃が弾道軌道を描いて空を貫く。
が、情報を処理すれば処理するほど、両軍の情勢を数値化したグラフは国津神優勢に傾いていく。減り続ける備蓄、漸増する被害、地の利を活かして凌いではいるが、それも御瑞姫が万全であるというのが前提だ。
敵がエース級を各御瑞姫にぶつけてきた今となっては、比我の戦力差だけが物を言う。想定されていなかった事態ではない。ミスがあったとすれば、晴と野乃華という遊撃隊を、稜線の救援に回してしまったことだ。
晴が物理的に、野乃華が電子的に隔離されてしまったため、タイムラグが生じ、その隙につけ込まれる形で、本隊への総攻撃を受けてしまった。
「楽できるなんて、思ってなかったけどな」
迎撃を考慮して、戦力は集中的に運用している。こちらの方が少数であるからと言って、戦線を薄く延ばす愚は犯していない。
最前を尽くしても、最良の結果となるわけではない。
むしろ世界はいつだって冷淡で、どこまでいっても世知辛く、こちらの思惑の斜め上を爆走しつつ、時に優しい顔を見せつけて派手に裏切ってくれるが常道。
「こちらの砲撃が弾かれていますっ!」
最前線から悲鳴が上がる。
送られてきた映像に、空海と鈴瞳の口元が、同時に笑みを浮かべた。
「塗り壁の集中運用によるグレートウォール作戦かっ!」
横一列、隙間なく並んだ塗り壁の、文字通りの歩く防壁が、時に砲弾によろめきながら、着実に本隊との距離を埋めてくる……。
私は、見た。
すべてを、観た。
この山に住まう、ありとあらゆる動物たちの、目と耳と鼻を駆使して……55万3千6百53柱のカミたちとの、神体連結をもって、それを可能となさしめた。
「もう、野乃華のやることについてけないわ」
望は驚愕し、動揺し、最初こそ喚いていたが……すぐに事態に順応して今や諦観の極みに達している。
無理もない。私が自分の魂を解放して、この山の霊脈に直結、それによって、身動きする必要なく、この山中で繰り広げられている状況を把握する……と説明したって、一笑に付されるのがオチだ。現実に目の当たりにしたところで、望にその恩恵が与えられるわけでもないんだから、私が潜神している間、彼女は虹色に輝きだした同僚の姿を、眺めていることしか出来ない。
『のの姉のやることは、いつもいつだって思いつきで即断即決、テストなしのぶっつけ本番で、付き合わされる方が災難す』
『まったくだ……我は剣を制御するが本業、流れ込んでくるカミガミの思考をせき止め、余計な物を排除し、必要な情報だけを巫女に流すなどという作業に没頭するは、屈辱ですらある』
そう、この荒行は、私一人の実力じゃない。神樹、ヤツカ(荒・和)という3柱の神のバックアップがあると、確信していたからこその暴挙。でなきゃこんな短時間に、膨大な神との対話を完遂することなんて出来やしない。
「で、何か分かったわけ?」
望の投げやりな問いに、
「うん……負けてる」
率直な感想を伝えた。
「嘘っ!? じゃ、こんなとこで悠長に休んでいる場合じゃないじゃない!」
それに関しては概ね同意。ここから一番近いのは逆鉾慧凛ちゃんの前線だけど……さて、本部の意向はどうなのか?
『叶、そっちは持ちそう?』
『塗り壁が想定以上に厚くて押し返せない……そこから敵の後ろに回り込んで何とかして!』
『了、解!』
山との接続をワイヤレスに切り替える。
同時に気持ちも、戦闘態勢に移行する。
「これより稲田姫2名は、窪地に特攻、本隊に肉迫する敵の後背を衝き、その勢いを削ぎ落とす! で、どうよ?」
「どうもこうも、行くだけっしょ!」
やるべき事とやりたい事が一致して、望が元気に立ち上がる。
頷き合い、一歩を踏み出して。
さぁ、戦果を、上げて行こうかっ!
『のの姉!』
『空海とやらが動いたぞ』
冷や水をかけられた。
神樹とヤツカの警告が同時。
「いったい、何だっていうの……よ?」
変化はすぐに訪れた。
世界が、突然、色を変えたのだ。
「これって……」
「神力の光?」
白と黒に明滅する粒子が、波紋のように揺れながら空間に満ちていく。質量の感じられない輝きは、紛うことなく霊的なものだ。そして、その波動に、私は覚えがある。
「空海女史と……鈴瞳さんの、神力?」
『水金治火木土天命戒が発動されたわっ!』
タイミング良く(悪く?)、叶の興奮した解説が入る。
「水金治火木土天命戒?」
私の疑問に、舌打ちしたのはヤツカ(和)だ。
『厄介なものを発動しおって。コレは呪いだ。水の気と金の気が、火木土の気を押さえ込み、一時的に霊場の属性を完全支配する……操られるぞ、野乃華』
「操られるって」
『五行相克を知っておるだろ?』
「木は土に克ち、土は水に克ち、水は火に、火は金に、金は木に克つっていう、あれだよね?」
『そうだ。ゆえに、壬の紀里姫(鈴瞳)は丙と丁を抑え込み、庚の勢里姫(空海)は甲と乙を抑え込む』
「ん? じゃ、私は?」
『稲田姫と知流姫は、己と戊の二面関係だろうが!』
って、御瑞姫ってそんな五行十干関係にあったのか? あ、あれ? 神寄の時の霞の色が違うのって、そういう理由だったの?
『知らずに御瑞姫になったのか、お前は!』
いや、誰も教えてくれなかったし。ていうか、
「それなら、土属性の私と明は、直接支配されないんじゃ?」
『それを拡大解釈し、木を支配すれば間接的に土を抑えられるというのが、水金治火木土天命戒の真骨頂だ。この神力溢れる空間では、全てが水と金に有利に働く』
なんつう反則技か。
言われれば、確かに、この空気は気持ち悪い。身動きが封じられる気がする。
間接的被害って言う私でこれなら、直接影響を受けてる姫子と晴は、一体どんな苦痛を感じているんだか。
が、私はまず、元凶にスポットを当てた。
山のカミガミを通じて、本部近辺の動物達の目を借りれば……濃い、この場所とは比べ物にならない濃厚な白黒の神力に覆われた本部が見えてくる。
その中心で、手を繋いで神力を噴出しているは、紛れもなく空海女史と鈴瞳さんだ。
2人の格好が一変していて、言うなれば白い割烹着と、黒いメイド服に身を包んだような……もう巫女ですらないんですけど。
そんな2人から放たれる、白黒マーブルの力の奔流が、本部へと肉薄していた塗り壁たちを、怒涛の勢いで押し返している。
「す、凄い」
『見とれてる場合じゃないでしょ! 野乃華も早く、敵の後背を突いてよ!』
叶に怒られる……同時に、肌に触れる二色の神力の、圧力が高まってくる。
――これは、確かに厄介な。
とにかく、迷っている場合じゃない。
「気を取り直して、行くよ、望!」
「もう、何が何だか分かんないけど、とにかく合点!」
双方ともに譲らぬ攻防が、更に混乱の度合いを増していく。