第三帖 国史夢想~根の国の主か逆賊~ 伍
人物照会
『野乃華』:主人公。天津神生まれ。不幸。『神樹』:七星剣の鞘。変態。『ヤツカ』:七星剣の剣。横柄。
『晴』:安倍家の双子の姉。銃狂。『明』:安倍家の双子の妹。人形狂。
『姫子』:御瑞姫。オタ。バカ。熱血。
『空海』:御瑞姫。天上天下唯我独占。筆女。『鈴瞳』:御瑞姫。超有能超不幸。箒女。
『慧凛』:御瑞姫。小学生。鎚っ子。『佳紅矢』:御瑞姫。中学生。弓娘。
『望、叶、珠恵』:戦乙女。稲田姫神社勤務。野乃華の友人。
安倍晴は思った。
(私、なんでこんな事してんの?)
時は午後8時過ぎ。それが日曜日ともなれば、月曜日から始まる日常のために、皆自宅でくつろいでいるであろう時間帯に、
「ほら、駄々こねんな! とっとと行くぞ!」
10歳の少女のツインテールの右側を引っ掴んで、誘拐紛いの強制召還。
「痛い痛い痛い痛いっ! 今夜はあたしの大河ドラマデビューなんだぞ! あと5分で出番なんだぞ! リアルタイムで拝ませろ! 馬鹿!」
「あ~、はいはい。すごいすごい。ブログにゃ適当に書き込んどいてやるから気にすんな」
「炎上させる気かぁ!」
目的の少女は東京のアパートで一人、生意気にも手料理を夕食にして、テレビの前で正座待機していたところを発見した。
逆鉾慧凛。10歳。
現役の巫女でありながら、チャイドルコンテストで入賞して以来、子供向けファッション雑誌やテレビ番組などで知名度をあげ、ついに大河ドラマの子役デビューまで成し遂げた現役売れっ子チャイドルであり、御瑞姫は小学四年生。最年少。
あどけなさしか感じない丸い顔に、クリクリと丸い無駄に大きな瞳が保護欲喚起の切り札で、くせっ毛をあえて生かしたワイルドヘアーに、爆発しているように広がったツインテールが、一部の大きなお兄さんたちには大評判だと風の噂で聞いたことがある。
今のうちに年の近い数人とユニットを組んで歌手でもさせたら、数年で武道館狙えるんじゃないかと思うほどのポテンシャルを、無駄に秘めた幼女だ。
でも、本業御瑞姫。
実家の神社の経営がやばいからと始めたアイドル業が、逆に生活を圧迫し始めていたりするけど、それでも御瑞姫。
現役で十人しかいない、妖怪退治のスペシャリスト。というか、現場の最強責任者。
故に、神宮の召還は絶対命令であり、拒否権は存在しない。
正直、同情はする。
生まれた時から、ほぼ御瑞姫に選ばれることが確定している安倍家と異なり、慧凛の場合は特殊な事情から御瑞姫に選ばれているからだ。
御瑞姫は、世襲ではない。
しかし、魂の性質は遺伝するものであり、神社の格や、神宝の性能などによって、ほぼ世襲が伝統になっている家もある。
具体的に言えば、神宝を研究しつくすことで、科学技術による性能向上を日常としている安倍家の晴と明。加流姫神社と知流姫神社。ちなみに神社が二社なのは、神宝は一社に一柱という厳格な掟があるからだ。
(まったく、自分の家を二つに分けてまで神宝独占って、どんだけ強欲なんだか、ご先祖)
次に、中世から退魔士として名を馳せ、里全体が退魔の家系である中で、特殊な血を継承している甕姫神社、神代家の姫子。
(退魔御四家で近親交配しまくって、血を極限まで濃くしたっていう噂があるからな、あそこ。競争馬でも、んな事しねえぞ)
神宮に最も近い地位に位置し、神代の時代から符術を体系化して、国中の古文書という古文書を収集。神代文字の研究機関などを運営する、実質的な戦乙女と御瑞姫の指導者となっている、勢理姫神社、高野家の空海。
(……一姫闘千を文字通り実行するからなぁ、姉御。千姫斬りを達成したとかっていう、桃色の噂も名高いけど)
そして古来より弓道の聖地と呼ばれ、山中にて修行場を有している楯姫神社の那須家も、強制力はないものの、ほぼ、世襲を貫いている名家である。
(那須家の佳紅矢、同年代だけど見たことないんだよねぇ。有象無象の区別なく、容赦しないズドン系って話だけど)
以上五家。
逆に言えば、御瑞姫の世襲がなっているのは、十人という定員中、半分だ。
そして慧凛の逆鉾家と言えば……これまで一度も御瑞姫を輩出したことがないばかりか、戦乙女として戦場に立つ巫女すらいない、完全な事務方の家系だと聞いている。
(そもそも、神宝が特殊なんだよね)
慧凛が神宝に選ばれ、御瑞姫となったのは、行き倒れになっていた猫神様を拾ったのが縁だと言うのだ。
本来、どの神宝も各神社にて厳重に管理され、敵対カミが現れたとなれば浄化に駆り出される物だ。
それが慧凛の持つ神宝の場合は、神宝を守る猫神が気まぐれで各地を巡るという、特殊な性格をしている。
そのため、それまで縁もゆかりもなかった慧凛が、突如として御瑞姫などという責任のある地位へ、指名されてしまったのだ。それも小学生という若さで。
(あ、でも。稲田姫神社の野乃華も、一般人なんだよな)
それもつい先日までアルバイト扱いで、正式な巫女ですらない。他九人が、お家の事情で神道に精通しているのに比べたら、異例中の異例とも言える大抜擢である。
(けど……私を黙らせて、茶吉尼まで投げやがった)
七星剣という、十種神宝中で最も戦闘能力の名高い舞具を継承したとは言え、2週間足らずで御瑞姫2人と対峙して負け知らずというのは、ルーキーズラックなんて言葉では誤魔化せない。
(なんか、裏があんのかねぇ)
晴の記憶の中にある野乃華の戦闘スタイルは、アマチュアとしては強いほう、という印象だ。
だが、彼女はそれから一週間ちょっとで、明に本気を引き出させる舞闘を披露した。符の向こう側で行われた舞を見ることは出来なかったが、音から聞く印象では、序盤は圧倒的に明と茶吉尼が優勢だったにも関わらず。
(そういや、私、魂斬られたんだっけ?)
その当たりがヒントになるのだろうか。
どちらにしろ、明を地下から助け出せば分かる話だ。
鈴瞳の指示にしたがって、慧凛のツインテールを引っ張っているのも、とどのつまり、妹の救出に必要だからである。
その、右手の先の慧凛。
(こいつ、まともに小学校行けてるのかな)
御瑞姫でアイドル。とても両立できるものでない稼業を掛け持って、それまで妖怪の存在すら知らなかった少女に与えられたのは、持ち上げることすら困難な大鎚だと聞いている。
力任せのパワーファイター。地面ごとカミを抉って吹っ飛ばす、ブン回し系巫女。
オンラインアクションゲームに例えれば、破壊力のある攻撃で敵も味方も葬むランな、ど迷惑なキャラクター特性と言えよう。
それもこれも、神宝の守護神である猫神があっての御利益らしいのだが、
(ま、いいか)
「うらっ!」
晴は容赦なく慧凛を持ち上げると、
「ほらよっ!」
アパートの壁に黒々と開いた穴に、勢い良く少女を投げ込んだ。
『鈴姉、一姫確保~』
『ご苦労はん。あとはこっちで貰うよって、今度は佳紅矢はん頼むわ』
慧凛をマルッと飲み込んで、一瞬で口を閉じた黒穴の隣に、今度は無音で別の黒穴が開く。
「本当、何してんだろな、私。日曜日に」
思い、穴を潜ろうとした背後から、テレビの音が聞こえてくる。
(あ、電気代もったいねぇな)
振り向いた晴は、その液晶テレビの中に、今さっきぶん投げたばかりの少女の姿を目撃した。
「これ……戦災で焼け出された乞食の役じゃね?」
自慢のくせっ毛は、火事で焼け出された縮れ毛として処理されて哀愁を誘い、一人、爆笑の渦に見舞われた。
おまけに、台詞もなかった。
登山口から延々3時間は歩かなければ辿り着けぬ頂に、楯姫神社は建立されている。
別名を矢宵神社とも呼ばれるそこは、宝物の一つに那須与一の縁の品を数える、弓の神を奉る社だ。
周囲を複数の峰で囲まれた神域の所々には、的石や射場が設けられ、かつては修験の場としても名を馳せたことがあり、今では中学高校の弓道部の聖地として、一部に有名だった。
故に、その宮には宿泊施設が併設され、更に誇りとすべきは、山の恵みとして温泉が、湧き出ていることである。
温泉地であるから選ばれたのか、それともかつての巫女が衝動に駆られて山を射抜いたら温泉に当たったのか、伝承は黙して開山の祖を語らない。
しかし他の神社と比して、修行施設としての側面を前面に押し出しているという点で、楯姫神社は現役戦乙女たちにとっても、やがて御瑞姫へ至る過程として、憧れの地となっている。
その崇高な神社の宮司である那須射綱は、両手にシャンプーとリンスを握りしめて、一の鳥居にて待機していた。
周囲に明かりはない。
時折獣の動く音が、微かに空気を震わせるかどうかという闇の中。
射綱は、全神経を両耳に集中させていた。
向かう先は、母屋と離れ。
母屋では今、妻が大河ドラマに夢中になっているはずだ。好きなドラマを見るためならば、事前にトイレを済ませて、飲み物と菓子類を完全装備でテレビに向かうのが、彼女の常の姿勢である。
故に、この時間帯に彼女がテレビの前から離れることはあり得ないのだが、それでも射綱の目的を察知すれば、どんな行動を起こすか想像に難くなく、警戒をしておくに越したことはない。
同時に、離れに向けられているアンテナは、どんな些細な音も聞き逃すなと、澄んで澄んで澄みきっていた。
楯姫神社の離れ……その方向には、那須家の誇る露天風呂が設置されている。
そして今、その露天風呂では一人娘である佳紅矢が、脱衣の後、入浴する手筈になっていた。
射綱の両手に握られているシャンプーとリンスは、今から5分前に、その露天風呂に忍び込んで失敬してきた、娘のお気に入りの品々である。
神社の娘で、巫女であるという条件を差し引いても、佳紅矢の髪は、長い。
それはまだ、幼さの残る小学一年生の時だ。射綱に髪質の美しさを褒められた彼女は全身で喜びを表し、
「じゃ、かぐや、ずっと髪のばすの~」
それ以来、彼女は整えるために鋏を入れることはあっても、極端に髪を短くすることを止めた。
今では腰を越えて、最近とみに丸みを帯びてきたお尻にまで達しており、それでいて素直な髪質は、しっとりと艶を含んで、スラリとした直線で彼女の後ろ姿を彩っている。
故に、その美しさを保つために、彼女はシャンプーとリンスには特に心を砕いていた。実際には母親の教育の賜なのだが、新商品が発売されるたびに試用し、里の美容院に通っては情報を仕入れ、時には卵白を使うことも辞さぬほどの熱意で、その長髪は保たれている。
故に、射綱の両手に今、シャンプーとリンスは握られていた。
嫌がらせではない。
愛ゆえに。
愛ゆえに、射綱は、娘の愛用のシャンプーとリンスを握りしめて、母屋の外で待機しているのだ。
那須佳紅矢、中学1年生、13歳。御瑞姫。
思春期を迎え、大人の階段に足をかけたかどうか、という少女は、一般的な中学生女子の例に漏れず、第二次性徴期を迎えて……その内側から輝くほどの若さは、射綱のハートを真正面から撃ち抜いた。
誤解が生じるであろうから特記するが、射綱は決して、ロリコンなどではない。
それどころか、女といえば妻しか知らぬ一穴動物。昨今にしては珍しいほどの堅物である。
その命の灯火が消えるまで、女は妻一人だけと心に誓っていたし、今更家族を裏切ってまで、外の女性に心を割くことなど、考えにも及ばなかった。
そんな父のハートを、あろうことか娘が射抜いたのだ。
もっとも動揺したのは、射綱だった。
元々父親に懐いていた佳紅矢ではあったが、射綱はどちらかといえばこれまで、厳格な父を演じていたつもりであり、佳紅矢のことを当然ながら、娘としか見てはいなかった。
娘としてかわいいと、女としてかわいいでは、心の動きがまるで違う。
心を奪われるという体験に免疫のない射綱は、年甲斐などという言葉どころか、父親という立場すらかなぐり捨てていた。
理性では、道徳的に問題があることを、自覚している。
感情では、障害が大きいほど愛情が燃え上がると、興奮していた。
なるほど古代の人々が、近親相姦を厳しく戒めたのには訳があったのだ……大っぴらに認められたら、ハマって抜け出せなくなる。
かくして射綱は、スタートダッシュの体勢で、全力待機を己に強いていた。
佳紅矢のヘルプに駆けつけるために。
ぶっちゃけ、娘がシャンプーとリンスを求める声を上げるのを期待して。
合法的に、道義的に正しい目的で、少女の入浴現場に踏み込むために!
が、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
静まり返った山中の空気を切り割いたのは、娘の本気の悲鳴だった!
「な、なにがあった!」
「なにがあったの! 佳紅矢!」
あろうことか、大河ドラマに集中しているはずの妻まで庭に飛び出してくる!
(しまったぁぁぁぁぁぁ!)
射綱は瞬時にシャンプーとリンスを袖筒の中に隠したが、それは同時に、娘の入浴現場に単独で踏み込む、週に一度のチャンスをふいにしたことを意味する。
(などと、言っている場合ではない!)
娘がピンチだ。
裸で(たぶん)ピンチだ。
駆けつけねば。
全力で。
妻より早く!!
庭を一直線に駆け抜ける。
「んな! なんであなたが外に?」
止める間を与えない。
誰よりも早く。
とにかく一番に露天風呂に。
そうすれば、まだ佳紅矢は、全裸だ!
「佳紅矢!」
が、全力で地面を蹴る射綱の隣を、神速で駆け抜けていった黒い影がある。
その影は四足と背骨をバネに庭を跳ね、闇に紛れる体躯から伸びる豊かで長い尾でバランスをとりながら、軽々と射綱を追い越していった。
「くっ! ヤツフサ!」
それは、那須家に仕える大神だ。
元々はこの山を統べる獣であったが、若い折に射綱に屈し、佳紅矢が生まれてからは専属のボディガードとしてあらゆる脅威から娘を守らせてきた。
その、獣が駆ける。
駆け抜ける。
射綱を置いて。
裸の佳紅矢の元へと。
「ぬおぉぉぉ、負けるかぁぁぁ!」
最初から目的は不純だが、しかし娘の悲鳴がただならぬものであるのは確か。
背後からは弓と矢筒を背負った妻の足音も聞こえて来ており、
(なぜ、気づけなかった?)
邪な心を抱いていたとは言え、ここは神域で、決戒も施されている。
霊体と実体をスイッチするヤツフサでさえその侵入を察知できなかったとあれば、相手はただ者ではない。
「佳紅矢!」「佳紅矢ちゃん!」
そして、父と母がほぼ同時に脱衣所に飛び込み、
「待て! 俺も連れて行け!」
一足早く現場にたどり着いていたヤツフサの叫びが闇夜に轟いた瞬間。
「佳紅矢っ!」
射綱たちが目撃したのは、裸の佳紅矢とその巫女服を脇に抱えた中学生巫女の姿であり、
「あ~、ちょと一大事なんで。御瑞姫、借りてきますね」
彼女は、空いている方の手の平でシュタッと挨拶を飛ばすと、そのまま片足を突っ込んでいた黒穴の中へ、ヤツフサと共に消えていったのだった。
「てて様~。それは……かか様の愛用シャンプーですの~」
愛娘のか細い声が、最後に修羅場の開幕を告げていった。
素っ裸の佳紅矢を抱えて、晴が金成木高等学校のグラウンドに戻ってくると、すでに鈴瞳の工程は、生コンの強制乾燥に突入していて、空中には投入予定の捨て土砂が今か今かと山のように待機していた。
「仕事はえぇな」
大人の本気に戦慄を覚えるも、
「せめて服着させて~」
脇に抱いた佳紅矢の泣きに我に返る。
全裸の中学1年生は、解放されるや瞬く間に巫女装束を身に纏って半泣きで、強引についてきた大神にすがりついて警戒態勢。
今宵この時、全日本的にごくごく普通の日曜日の宵時に、勢ぞろいで十人の御瑞姫のうち、沖縄と北海道を除く8人が、地方神社である稲田姫神社区域に集結した。
内4人は、地下に閉じこめられて。
地上の1人は、いまだ傷が完治せず。
地上のもう1人は、校庭に空いた大穴を埋めるために虚空から土砂をやけくそ気味にぶちまけながら。
「さて」
と、この異様な時間でただ一つ、感情も理性もコントロール可能な人形代たる文妖が、理由も動機も説明も釈明もなく拉致されてきた御瑞姫2人に、恭しくも頭を垂れて、
「うぇるかむ とぅ でぃす くれいじぃ たいむ!」
晴に背中から撃たれた。
「意味不明なことすんなや」
「場を和ませようとしただけですが、これ弁明」
胸元にポッカリと穴が空いたのも数秒。上から紙片をペタッと貼りつければ傷も癒え、文妖は一同に向き直る。
「では、作戦の説明を」
持ち上げた左手を、ビシッと空中に叩きつけて。
「百々山の百科事典こと、稲田姫の眼鏡巫女、叶様から」
「は? 私?」
いきなりのご指名にカッと頬を染める叶に、
「こういう説明事には適任かと判断します、つまりこれ、省エネ」
「手抜きかよ!」
晴の突っ込みに無反応で応じる文妖だが、問答無用で拉致られた2人の少女の緊張をほぐすには至らない。
むしろ、
「ヤツフサ」
佳紅矢の手には鳴弓射狩禍が。
「トラジマ」
慧凛の掌には、虎猫型の手乗りぬいぐるみが現れて、
「いい加減真面目にやらんと圧死させんぞ、慧凛が!」
甲高い幼声で吠えた。
大神たるヤツフサも眼光鋭く文妖たちを睨み付け、御瑞姫2人の戦意が一気に、場の空気を凍らせる。
太く大きなため息一つ、停滞しそうな気をかき混ぜて、叶が一歩を踏み出した。
背後の大穴を一度見て、振り返った叶は深々と一礼して、
「お初にお目にかかります。
照姫、辛の慧凛様。
楯姫、癸の佳紅矢様。
私は稲田姫神社に仕える叶と申します。
さて、背後の大穴を見ていただければ一目瞭然、現状この区域は根の国との接続切断作業が進行中です。
現刻より3時間前に、稲田姫と知流姫が根国路へと落下。勢理姫と甕姫が救出に向かいましたが、通信が途絶えました。
幸い、4名の無事は確認できましたが、現在彼女たちは国津神・両面宿難の罠に陥り、幽世へと隔離されています。
お2人をこの地へお招きしたのは、4人の救出作戦に、御瑞姫のお力がどうしても必要だからです。
「まぁ、作戦は単純なんだけどさ。現状、向こうの位置がサッパリ掴めてないのが問題なんだわ」
説明を受けたのは晴だった。
「私と明は双子だから、何とか相手の無事は感じられる。けどそれを、現実の座標に落とし込むのが無理でさ。現状、4人の正確な幽閉位置を探るために、五里霧中ってわけ」
「なにそれ。じゃ、慧凛たちは、姉御たちの尻拭いに呼ばれたわけ? こんな時間に?」
小学生巫女が憤る。
「御瑞姫4人も欠いたら、戦力半減だろ? 救出は最優先じゃん?」
「揃いも揃って間抜けすぎ。殺されたんならともかく、幽閉って、どんだけ油断してたんだよって感じ」
「とにかく、彼女たちの座標を確定しだい、作戦に移行します。
詳細はこの符に込めて起きましたので、お手数ですが魂に挿入れて下さい」
そう、叶が2枚の符を取り出した、瞬間だった。
「え?」
眼鏡巫女の動きが突如固まる。
微動だにしないかと思った直後に、その表情が驚愕に歪み、
「何やってんのよ、馬鹿!
あんた、自分の危機が分かってんの!
幽世と現世に魂と肉体が分かたれたら、もう二度と戻れなくなることくらい、小学生でも理解できるでしょうが!
とっとと戻れ! このどたわけ!!」
本気の罵倒が迸った。
唐突なご乱心に、晴をはじめとした巫女たちはただ、呆然とするしかない。
「失礼。
現時刻を持って、問題はすべてクリアされました。
これより、救出作戦を、開始します」
姿勢を整え、宣言する叶の表情は、晴れ晴れとした笑顔を湛えている。
境界は、アッサリと突破できた。
幽世と現世を隔てる膜は、七星剣でパックリと斬り裂いて。
「なんかもっと、こう、緊迫感? みたいな? 抵抗の一つくらいあってしかるべきだと思っていたんだけど?」
そうして地下から地上へ抜け出た私の視界は、夜の森に占められている。
星明かりしか見えない。
かといって私、叶みたいに無駄知識蓄えてないから、星の位置から現在座標を逆算するなんてこと出来ないし。
「神樹、ヤツカ、現在位置分かる?」
聞いても無駄だと分かっていたけど……やっぱり無駄な問いかけだった。
仕方なく、最大出力で、霊話を試みることにする。
体感的には、地下を十数キロは移動した気がしている。今まで、せいぜい数キロ程度の霊話しか試したことがないから、果たして最大出力でも、叶に届くかどうか不安だったけど、
『あ、叶?』
案ずるより生むが易し。
拍子抜けするほどスンナリと、私と叶のホットラインは繋がって、
『何やってんのよ、馬鹿!
あんた、自分の危機が分かってんの!
幽世と現世に魂と肉体が分かたれたら、もう二度と戻れなくなることくらい、小学生でも理解できるでしょうが!
とっとと戻れ! このどたわけ!!』
本気で思いっきり罵られた。
何で? 何なの? 私、何か悪いことした?
心配しているだろうなって思って一報入れただけなのに……号泣するぞ、この野郎。
『まぁ、相手の言うことも一理あるっすけどね』
と神樹。
『確かに今、幽世と現世の境界を強固に閉じられれば、お主は肉体との接点を永遠に失う羽目になるな』
ヤツカも叶の味方して。
「ふん、もう、いいよいいよ。戻ればいいんでしょ! 戻れば!
みんなして、私をバカにしてさ。良かれと思って地上に出たのにさ!」
本当、この世には私だけの味方っていないのかしらん。
思うけれど、ここで我を押し通すほど手の施しようがない馬鹿でもないから、私は泣く泣く幽世へ戻ることにした。
ま、結局肉体は閉じこめられたままだからさ、魂だけ現世に戻っても仕方がないんだけど。
で、ベソかきながら空海女史たちのところまで戻ってみれば、
「でかした! 野乃華!」
思いっきり誉められた。
てか、空海さん、私の本名呼んでますが?
「晴とのラインを確保しました。あとは、準備が整えば、いつでもいけます」
明がなんだか猛スピードで水晶球を叩いてプログラミングをしていて、
「かぁっ! 結局手柄はのののんが一人占めかよ!」
意味不明に姫子に絡まれた。
ちなみに姫子は、魂の抜けた私をズルズルと引きずって戻ったらしく……合一した肉体の、踵がやたらと痛くて泣ける。
「えっと、つまり、どういうことです?」
「何を言っている。おまえが地上に抜け出たことで、こちらの絶対座標がほぼ特定できた。
あとは、御瑞姫の力、見せつけてやるだけだよ」
あれ?
じゃ、なんで私、叶に本気の罵倒くらったりしたん?
理不尽にもほどがありんす。
で、ところで、
「御瑞姫の力って……なにを企んでいるんです?」
私の質問は空海女史にスルーされ、なぜか横スライドで現れた姫子が、やたらと得意げな顔で、
「山を一つ、吹き飛ばすのさ」
……それ、学校のグラウンドレベルの被害じゃ済まないと思うんですけど?