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第三帖 国史夢想〜根の国の主か逆賊〜 弐

古事記に伝わる神代とは、おおよそ次のような内容である。

 伊邪那岐いざなぎ命、伊邪那美いざなみ命の夫婦神によって、島や神が大勢産み落とされ、火の神を産んだ影響で伊邪那美命は亡くなってしまうのだけれど、伊邪那岐命はその悲しみを乗り越えて、天照あまてらす大御神、月読つくよみ命、須佐之男すさのお命の三貴士をおつくりになり、下界の運営をその子供たちに託す。

 天上世界である高天原たかまがはらを天照大御神が、地上世界を須佐之男命が治めることになったのだけど、須佐之男命は、死んでしまった母親に会いたいと泣き続け、父親から「根の国に行ってしまえ」と叱られて、その事を天照に報告するために高天原へ。

 凄まじい勢いで高天原に登ってきた須佐之男命を見て、一瞬天照は戦をしかけてきたかと身構えるけど、勘違いだと分かって和解。

 けど、姉を言い負かしたと気を良くした須佐之男命は、なぜか高天原で大暴れ。終いには屋根から小屋内に馬を投げ込む暴挙にでて、そのために侍女が死んでしまった天照は、責任やら怒りやら悲しみやらで気を落としてしまって、天岩屋あめのいわやに籠もってしまう。

 太陽神である天照が引き籠もってしまった影響で、地上世界は真っ暗に。高天原の神々(天津神)は、とりあえず須佐之男命を永久追放した上で、引き籠もりの天照に、なんとか出てきてもらわないと、と右往左往。

 結局、天岩屋の前で大宴会。踊り子のストリップショーにテンション上がる神々に、自分を無視して盛り上がられて面白くない天照が、気になって岩屋をちょと開けた瞬間を見逃さず、力持ちが岩屋を全開、天照の手を取って引きずり出して、めでたく地上に陽光戻って大団円。

 と、以上が高天原の物語。

 ここから、なぜか主人公は須佐之男命に、舞台は地上の出雲地方にシフトして。

 八俣大蛇やまたのおろちを成敗した須佐之男命は、そこでたくさんの女性を娶って子孫を増やし、子供の一人が大国主おおくにぬし神。

 大国主神は、大勢の兄に虐められ、何度も殺されながらも神々に助けられ、やがてはとよ葦原あしはら中国なかつこくを平定するまでに成長。彼も多くの妻を娶って子孫を増やし、そうして地上世界がなんとか豊かになった頃。

 突如、高天原視点にチェンジ。

 地上世界は天津神が治めるのが筋だと、自分の息子を遣わすつもりになった天照。

 二度ほど天津神を地上に派遣するも、ことごとく大国主神に取り込まれて返答なし。しびれを切らして切り札に、建御雷たけみかずち神を送り込む。

 統治権を譲るよう、迫る建御雷神に大国主神、「息子二人が納得したら」とのらりくらり。息子の一人の建御名方たけみなかた神は、喧嘩を売るも返り討ち、逃げて逃げて信濃の諏訪湖。

「もう逆らわない。ここから動かない」と命乞い。

 もう一人の息子の事代主ことしろぬし神は、争いを好まないのか海に出て、船を傾け入水自殺。

 国譲りを迫る建御雷神に、大国主神は動じない。

「よござんしょ。その代わり、出雲には、天に届くほど大きな家を造ってください。そしたら私はそこに籠もって、部下たちにも一切、口出しはさせませぬ」

 ここに契約は無事成立。

 やっとこさ、天照の息子を遣わそうとした途端、その息子曰く、「ちょうど孫が生まれたところだから、そっちに統治させましょう」

 かくして天照の孫神たる邇邇芸ににぎ命。5人の部下と三種の神器を受け取って、雲を伝って地上に降りて、たどり着いたは日向ひむか高千穂たかちほ

 そこで現地の娘を娶って、生まれたのが海幸彦と山幸彦。

 山幸彦は海神わだつみの娘と恋に落ちて、海神の力も借りて地上を統治。けれど海神の娘の、出産を覗いてしまった山幸彦。横たわっていた鮫が妻の本当の姿だったことに驚くも子供を受け取り、涙ながらの妻との別れ。

 そうして海神と天孫との孫として生まれたのが、後の神武じんむ天皇で。

「東の地に、俺が治めるにふさわしい場所がある」

 と、瀬戸内海を通って大和の地へ。

 現地の豪族の抵抗に遭いながら、神剣の力や呪法を駆使して打倒して、ついに神武天皇は、近畿大和の地へとたどり着き……これぞ名高い神武東征じんむとうせい

 ここに歴代天皇の、治世の歴史は始まった、と。


 以上が、かいつまんで登場神物を極力減らした、野乃華ののか流の古事記解釈で。

 はっきりいってこの神話、物語として見るには破綻しすぎていて、ぶっちゃけ、突っ込みどころ満載。

 おまけに、世界中の創世神話と共通した部分も持ちながら、実は創世神話としては致命的なほどに、重大な案件を無視していたりもする。

 その1つが、人類の創造だ。

 欧米に限らず、南洋諸島や一般に未開と言われている地方においても、創世神話を語る上で、人間の誕生は外せないというか、ぶっちゃけ「人間はどこから来たのか」を語るのが目的のはずの創世神話において、その本来の目的ともいえる要項を平然と無視してのける日本神話は、好意的に解釈すれば大らかで、冷ややかに突っ込めば杜撰ずさんに過ぎる。

 実際「人間」が話題に上るのは、伊邪那美命の死後で、黄泉の国の食べ物を口にしたために醜い姿になってしまったのを夫に見られた彼女は、逆上して夫を殺そうと追っ手を差し向け、殺害が叶わぬやありったけの呪詛を込めて、

「1日に1000人、殺してやる!」

 大地母神にあるまじき失言。

「ならば私は、1日に1500の産屋を立てよう」

 ムキになって対抗心を燃やす旦那も大人げないと思うけど、かくして「人間」という存在は、唐突に物語の中に放り込まれ、かといって神々は全くと言っていいほど、人間に愛着を持っていない。

 そして私にとっての重大事は、神武天皇の東征以降、舞台は一気に人間世界にフォーカスして、天津神の具体的な活躍がほとんどなくなってしまうって事で。

 これ以後、天津神の人間へのちょっかいは神託という形になって、たまに具体的な神の名前が出てきても、それは国津神による呪いだとか、祟りだとかで、少なくとも高天原が舞台となるような出来事は、全く起きず。

 ……私、本当に高天原の娘なのかしらん。

 はっきり言って、調べれば調べるほど、自信ゲージがどんどん削られていく。

 だからこそ御瑞姫みずきに、戦乙女いくさおとめという存在に、自分の人生を賭けたんだ。

 恐らく、現代日本で最も神道しんとうが“濃い”場所であろうから。

 実態はともかく建前上は、天津神の名前が残っている職場だから。

 けれど、空海あけみ女史は、それを神秘主義だと一刀両断。

 ま、そうだわな。

 私だって、自分が天津神の娘なんて言われなかったら、ここまで執着しなかったろうし。

 その上、つい先ほど脳内に強制インストールされた情報は、こっちの淡い期待を粉微塵に粉砕するであろう内容が詰め込まれているという。

 ……正直、怖い。

 でも、知りたい。

 にわかとは言え古代史マニア、恐怖心や常識より好奇心が勝るからこそのマニアの称号。

 符からの霊力注入に、焼けたように熱かった額の熱も、だいぶん冷めてきていた。

 幸い、今すぐの敵襲はなさそうで、私と姫子は相変わらずエッサホイサッサと茶吉尼を担いで行進中で。

『のの姉』

 ……神樹みきの存在忘れてたよ。

『あぁ、ちょっと深く思索に潜るからさ、あと、肉体よろしく』

『へぁっ?』

 情けない返答を聞き流し、私は深層心理の奥へ進んで、脳内パーソナルシアターにて、『真実の古代史・高野たかや空海あけみ編』とでも言うべき古代史個人観の上映へと、意識を埋没させていく。




 最近の氷河期が終わったのは、およそ一万年ほど前の事。

 もちろん、人類はそれ以前から世界に拡散しており、石や木を道具として加工して、長い長い狩猟採集生活を続けていた。

 日本においても、それは変わらない。

 日本列島に住み着いた人類の祖先が、シベリア、カムチャツカ半島、千島列島や樺太を伝って北海道から南下したのか、船を駆って黒潮を北上してきた環太平洋、東南アジアからの移住なのかは、現在においても分かってはいないし、恐らくそのブレンドである、というのが、現実的な判断だろう。

 そのように、当時の日本列島には、大別して二種類の生活様式があったと思われる。

 片や、漁業を生業として船を操り、国境もない大洋を勘と経験を頼りにして、縦横無尽に駆け巡っていた海洋民。

 片や、緑水豊かな山野に住み着き、山菜果実に鳥獣、川魚に恵まれ、稀なる火山の噴火に怯えながらも、定住生活にて地に根ざした山野民。

 同じ狩猟採集生活と言えどもその生活パターンは天と地ほど異なり、海洋民が海をたゆたい、丸太船でも海洋ネットワークとも言うべき広範な地域を住処としていたとすれば、山野民は基本定住にして生態系を重んじ、限られた地域を縄張りとして獲物を狩りすぎることを戒め、そうして小さい集落の中で比較的安定した生活を送っていたと推測される。

 ところで、人類がいつから『神』という概念を内に抱くようになったのかは、『言語の発生』と同じく、検証することが不可能。

 ただ想像するのならば、それは全世界に共通している太陽神信仰しかり、原初は自然に対する畏れから発生したであろうこと疑いなく、ならばこそ、まるで生活様式のことなった日本列島の二種族にしても、太古において発生した原始宗教が、全く違う様式を呈していたこと、想像に難くない。

 特に日本の古代宗教として無視できず、中世において道教密教と結びついて盛況を成したのは、プレートテクトニクスの申し子、地震大国にして温泉の宝庫を誇る日本列島で隊列を成す“火山”の存在である。

 有史以来にその活動が休止している山も多いとはいえ、歴史尺度を数万年の単位で見れば、現在でも霊峰として崇敬を集めている火山の多くが、天変地異と形容すべき大噴火を繰り返していたことは、地層に黒く刻まれた火山灰の層が雄弁に物語る。

 特に鹿児島の鬼界カルデラにおいては、7300年前に世界最大級の噴火があり、これによって九州、四国地方は火山灰に埋もれ、生態系に大損害が生じた。そのため、それ以前から南九州に定住していた縄文人たちが移住を余儀なくされたことが、遺跡跡などから推測されている。

 現在でも噴火に対して避難以外の手の打ちようのない無力な人類が、太古においては尚更、予測もできない神々の気まぐれと畏れたに相違ない。

 であればこそ、人類は火山に人格を与えて崇拝し、その癇癪かんしゃくとも言うべき怒りを抑えてもらわんと、あの手この手で交信を試みるほかには、自然の脅威に対抗する術がなかった。

 それほど火山という存在は、太古から現代に至るまで、日本列島に住まう民にとって祈りを捧げずにはいられぬ重大な存在であり……ゆえに古事記において、せめて富士山への言及すらないことは、想像を絶すると言わざるを得ない。

 古事記において、火山として崇拝されていたであろう山の存在は、記述の重要性からいっても日向の高千穂峰(鹿児島県と宮崎県の境)くらいしか見られず、かろうじて出雲神話に、これまた一万年前まで大噴火を繰り返して火神ひのかみ岳と崇められた伯耆大山ほうきだいせんが出てくるものの、なぜか古事記では、その神話が省かれている。

 その神話の内容は、自分の国が小さいことを憂いた出雲神が、北陸地方や朝鮮、遠くはウラジオストックから大地を引っ張ってきたという豪快な内容で、その際に縄を固定した杭が火神岳であるというものだが……この話、鵜呑みには出来なくとも、ウラジオストックの縄文後期の地層から出雲の黒曜石が発掘されたりと、当時の交流関係を推測する上でバカに出来ない真実を含んでいる。

 おまけに土地が増えたという描写も、他国から奪ってきたわけではなくとも嘘ではないこと、とよ葦原あしはら中国なかつこくという古代の名称が、何よりの証拠として物語っている。

 それを証明するには、「完新世の気候最温暖期」と「縄文海進」という二つの単語の説明が必要だ。

 完新世の気候最温暖期とは文字通り、完新世にもっとも暖かかった時期のことで、これが現在より、7000年前から5000年前のことだった。北極付近では4度以上温暖化したと見られており、そのため北半球の氷床は融け、世界的に海水準が最上昇。その影響は日本にも現れ、当時の海面は現在より3〜5メートルほど高かったと言われる。ちなみに、原因不明。

 それが、縄文海進だ。

 余談ながら、氷河期は文字通り氷河が形成された時代であり、2万年ほど前の海水準は100メートルも低かったと言われている。そのため、1万年前の間氷期(氷河期の中休みのような時期)の始まりともに徐々に海面は上昇し始め、その記憶が受け継がれて、ノアの方舟に代表される『大洪水』と呼ばれる神話が世界中に残ったのではないか、と推測されている。

 さて、現在より海面が高かったということは、徐々に現在の海水準に戻ったということであって、ここで唐突ながらあしの説明に入る。

 パスカルの有名な『人間は考える葦である』という言葉があるこの草は、河口や湿地に群生する植物である。年月を経れば木のように固くなる茎は、太古は笛として利用されたし、束ねて茅葺き屋根にしたり、紙が出来る前はパピルスとして利用されたりと、人類に深い関わりがある益草だ。

 葦の原。

 原、という言葉から想像されるのは、そうとう広い面積であろう。少なくとも猫の額ほどの土地を原とは呼ばないし、それを国の名前にするとしたら、相当立派な原でなければ釣り合わない。

 そして日本という国は四方を海に囲まれた島国であり、平地は海に面しており、その平地も海抜は低く広がっている。

 故に。

 縄文海進があったのなら、縄文海“退”がなければ現在の海水準には至らず、それが緩やかに進行すれば自然、葦が群生するにふさわしい広大な湿地が、沿岸に生じる。

 そうして出来た“葦の原”こそが、太古の民が名付けた豊葦原中国の語源であろうし、海が退くことで新しく広大な土地が生じたからこそ、国土を引き寄せたなどという伝承が語り継がれたと、愚考するのである。

 以上が、国生み神話と呼ばれる出雲地方の伝承の合理的な説明であり……かように神話とは、現実の出来事を太古の民なりに理解しようと生み出されたが故に、真実と想像を織り交ぜられて後世の人間を幻惑させるものの、それが言葉として残っている事には、作り話と無視することが出来ない“意味”も多分に含んでいる。

 古事記において、大国主神の異称を複数挙げているが、その内の一つの名が、オオナムチ神であるというのも、古代を理解する上で含蓄がある名前だ。

 オオナムチという言葉が、オオアナモチの訛ったものだと仮定するならば……それに“大穴持”と意味を当てることは飛躍だろうか。

 そして“大穴”と呼び、神と尊ばねばならなかった存在こそ、地上において巨大な穴を穿ち、時に怒り狂って大地を震わせ、炎と粉塵を吹き上げて空を黒く覆い尽くした火の山であり……つまり大穴持神とは、縄文の民が畏怖し、崇拝した火山の人格化、もしくはその代弁者に与えられた名前だった。

 以上の事から察するに、出雲風土記によって残されたかの地の伝承の発起は縄文時代にまで遡ること間違いなく……その事が決定打となり、天孫族よりも出雲族の方が、その出自が古いことを物語っている。

 つまり、すでにこの時点において、天津神を創造神とする日本神話の絶対性は崩れ、ともすれば縄文時代の覇権を握っていたのは出雲族ではないかとすら、想像できるのである。

 なぜか。

 それを語るにはいま少し、縄文から弥生に至る、紀元前後の古代史を紐解かねばならず、それによって権威ある学会によって描かれている現代の古代史像は、轟音をたてて瓦解することになるのである。





 か……のか……ののか!

『のの姉!』

 はっ?

 目の前が、漆黒に埋まった。

 あれ? なんで?

 今まで、出雲にいたはずじゃ?

「器用な奴だな、稲田なだ姫。神寄かみよりしたまま眠って歩くとは」

「ある意味天才なんだけど、バカだね」

 聞こえるのは空海女史と姫子の声で、その背後には広大な空間が広がっていて、いつの間にか茶吉尼だきにを地面に下ろしていて、

「到着しました?」

「「まだ」」

 合唱された。

 そか、深層心理にダイブし過ぎてて忘れてたよ。今、根の国で出口探してたんじゃんかね。

 周囲は、最初に落ちてきた場所よりも、遙かに広い空間だった。天井にも発光体があることから縦坑ではないことは分かるけれど、その光から察するに、天井は茶吉尼が余裕で暴れられるほどに高い。今まで歩いてきたのと同じような通路の光が、外周に数十と軒を連ねていて、

「ハブだな」

 空海女史が、端的に指摘した。

「あるいは、巨大な会議場とも考えられる。どちらにせよ、ここは根の国における交通の要といった場所だろう。それにしては、静か過ぎるのが気に掛かるが」

「普通なら、わんさかお迎えが出てきそうなのにね」

 こら、姫子。残念そうに言わない。

「周辺1キロ径に、敵影ありません」

「罠か?」

「罠?」

「今、この空間を爆破でもされたら、我々に逃げ道はないからな。だが、そうだとして、これだけの地下空洞をたかが4人を殺すために放棄するなど、愚の骨頂だが」

「御瑞姫4人を葬れるなら、逆に安い買い物かもよ? 国津神にとっちゃ天敵なんだし、おまけに茶吉尼まであるし」

 空海女史と姫子にとって、この静けさは異常だと感じとれるらしい。

「空間をスキャンしましたが、その可能性もありません……気になるとすれば、大軍が移動しているらしき振動を、検出しました」

 明の指摘に、空気が固まる。

「大軍だと? 規模は?」

「正確な数を割り出すには、微弱すぎます。ただし、遠ざかっています。西方に向けて」

「……正確な方角は分かるか? 出来れば、その方角の先にある根国路之深痕ねくろのみこんの特定も頼む」

 空海女史の、口調が強ばった。

 姫子が珍しく、緊張に身を強ばらせる。

 数秒、明が水晶球を叩く音だけが、広大な静寂の中に響きわたった。その硬質な音の羅列に喚起されて、耐えきれないほどの緊張が湧き上がってくる。

「出ました。第22号痕です」

 明の声でもたらされたのは、空海女史の舌打ちだった。

「奴ら、3年前を繰り返すつもりか」

 根国路ねくろ深痕みこん? 22号痕? 3年前?

知流ちる。全神力(じん)を解放して、最速で地上への出口を見つけ出せ。私だけでも地上に出て、神宮にこの事を伝えなければならぬ」

「現在、実行中です。脱出口を発見次第、霊符を地上に送付します」

みか、稲田。場合によっては、お前たち2人はこのまま追撃に……いや、地上で迎撃体勢を整えた方が適策か。舞闘神事まで間がないこの時期に、よくも合わせてくれたものだ」

「まだ確定ではありません。情報が少なすぎます」

「いや、そうでなければこの静けさは説明できない。第一階層とはいえ、ここは敵地だ。

だとして、奴ら、相当広い範囲に召集をかけていると見える」 

 空海女史の沈黙と同時に、茶吉尼が音もなく起動した。

「警告します」

 明の言が、鋭く放たれる。

「第1から第523までの霊符、全消失。半径2キロ圏にて、包囲網が敷かれています」

 瞬間、臨戦を悟った。

 空海女史、姫子が神宝を構え、茶吉尼もまた、その左手に巨大な砲を出現させる。瞬後には空海女史の神宝から無数の符が射出され、それらは空中で爆ぜて花と咲き、地下に白光をまき散らした。

「なぜ気づけなかった!」

「罠ですから」

「結局、誘い込まれただけか……いや、敵の戦力を撃破する、格好の機会だと喜ばねばなるまいな」

「推定兵数500。こちらの索敵に気づき、進軍を開始します」

「甕、知流、稲田。総員神寄にて、臨戦!

 神宝解放を承認!

 全神、全霊をもって駆逐せよ!」

「了承!」

 白光に照らされた大空洞の底で、姫子の身体が赤々と輝き始める。打ち鳴らされるは両手の鉄甲。白と黒の異形にして非対称な神宝は、これまでに数多くの敵を殴り倒してきたと豪語する、調伏の拳だ。

 その傍らで、こちらに背中を向け、黒々とした霞を立ち上らせるのは、空海女史だ。柱のように見えた巨大な神宝は複雑な層状をなしていて、楔型に上方に広がった先端からは、雲母が剥がれるように無数の符が生み出され、空海女史の右腕は、その柱の中に埋め込まれていた。

 これが彼女の、符を大量に作成していた技の正体だったらしい。つまり、符を生む神宝……筆を機械化したようなものだろうか。

「明、もう平気?」

 思わず背後を振り返ってしまう。

 何を言わんかは、彼女も察したらしい。

「神に臨んで、私事は滅す。稲田姫のおかげで茶吉尼に障害が発生していますが、それはそちらも同じこと」

「ま、万全とは言えないわね、確かに」

 すでに2人とも、琥珀色の霞にて身を包み、神寄は成っている。

 しかし数時間前まで、生死を意識するほどの激闘を繰り広げた肉体に、疲労と痛みが残っていないといったら嘘だ。

「稲田姫、この地域のおさ荒神あらがみは分かるか?」

「長荒神って、なんです?」

 空海女史の頬がひきつる。

「……私まだ、戦乙女知って1週間なんですが」

文妖ふようを地上に置いてきたのは失敗だったか」

「文妖って、あの文車妖妃ふぐるまようひのことですよね? いったい、どういう仕組みなんです? ものすごい高レベルな紙細工っていうのは分かるんですけど……」

「簡単に言えば、勢理姫神社で管轄している古書倉に発生した、憑物神つくもがみだ。その神に人形代を与えて人格を発生させ、膨大な古書の管理と検索を担わせた、人型自律繊維記憶入出力駆動屍鬼。

 全国に張り巡らされた霊網を通じて常に膨大なデータベースと直結している、究極の辞書だ。

 おい、知流姫。そっちでは、この地域までカバーしていないのか?」

 姫子をスルーするあたり、空海女史はよく分かっている。

「確か、両面宿難りょうめんすくなだったと、記憶しています」

「そうか……厄介だな」

 えぇと、つまりその、両面なんたらっていうのが、この地方の中ボスっていう理解でいいんだろうか?

「前方を私、後方は知流姫が担当。

 稲田、甕の両名は左右に散り、こぼれた敵を各個撃破だ。

 長荒神が出てくる前に、ケリをつけて離脱するぞ!」



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