第二十八話 ≪PRESENT SEVEN。超越(2)≫
真夜中の散歩だったが、神様は気にせず愛香の後をついてくる。一人で考えたいけど、一人でいたくない。矛盾した感情を抱いて歩き続ける。神様は愛子が呼ぶまで何も言えずただ彼女を追い掛けた。
「私、なんか間違えたのかな。」
「なぜそう思う。」
「だって、愛子を怒らせてしまったもん。」
「絶対あいつが悪いんだよ。」
「…少しでもいいから、考えたあとで味方してくれない?」
「愛香を心配させたあいつらがわるい。そう決まっている。」
愛香が元の姿を取り戻した後から『あいつ』は愛子たちのものになった。自分ではなく、相手の呼び方が卑称になったらどうする。タメ口以上に不愉快な魔法に愛香は首を横に振った。
「そんなことよりー。」
神様と愛香が同時に横を向いた。その視線の先には切り株だけが永遠を眠っていた。
「どう?」
「準備運動になれそうだわ。」
愛香は片腕を伸ばして、またの腕で抱えて、ゆっくりとストレッチした。木々が風に揺れて忌わしい音を吹き鳴らした。不吉な警報も構わず愛香は一歩前へ出た。そして切り株の後ろを向いてにこりと笑った。
「こんにちは。そして、さよなら。」
カゲは息を止めたまま二人を狙っていた。木の影に身を隠して、絶対見つかれないと思って。だが、いつのまにかカゲは逆に狙われていた。その状況の流れや命のピンチに気づく前、すでにカゲは一発食らわれていた。
普通の人の目では見届けないほど短い瞬間、舞い上がった愛香がカゲを向いて落下した。当たれたら言葉通り地上とはお別れするほどの強さ。そのままさよならを告げる寸前、突然愛香の足首にしがみついてたカゲのかたまりが動きはじめた。
「なに?!」
カゲにくっついた闇の欠片は愛香の攻撃を無にした。愛香がいくら努力しても、降りることは出来なかった。カゲはチャンスを逃さず愛香を捕まえた。愛香をくるくる回したカゲはそのまま愛香を捕まえていた手を放した。
「愛香!」
神様は両腕を伸ばして、ぶっ飛ばされた愛香を受け取った。
「はあ、はあ…。」
「大丈夫?」
「う、うん。」
愛香は足首を見た。たらたらと流れ落ちる、まるで水膿のような汚水。見ているだけで胸がむかむかする。
(アンシンを倒した私が、わずかなカゲに負けるなんて…。)
初めても敗北、消えてしまいそうな恐怖。無力と感じた瞬間、細かな震えが生じた。
(こんなんじゃ戦えない。負けてしまう。)
唇を噛みしめたら、伝わってくる痺れ。脈管の中、流れてる恐ろしさが体中に広がってゆく。
(だとしても、私は戦士だわ。)
彼女は最後の希望と書かれて最終防衛線と呼ばれた。このまま倒れて、全部諦めたら、町の皆を危険な目に合わせる。
(立ち上がらなきゃ…。)
なんとか立ち上がった愛香は追い掛けてくるカゲに真っ直ぐ向き合った。戦士だから、よろめく足と曇る視界を越えなければ。
「戦わなきゃ!」
「無茶すんなよ!」
神様は愛香を抱えるように引き寄せた。さがられた愛香の代わり、その反動力を利用して前に出た。神様が戦わない理由は、すべて愛香のため。その基本仮定が破れた今、カゲを救う計画も愛子たちを待つ予定もない。
「こんなやつ、消せばいいじゃねえか!」
「殺しちゃダメ!」
「?!」
空から降りてくる三人はその分の力を蹴り技に乗せた。重力と加速度を会わせた分の打撃だった。
「みんな!」
「下がってください。」
「え?」
喜びで満ちた挨拶はみかさによって立ちはだかれた。
「大丈夫っす!」
「ここは私たちに任せて!」
「いや、私はまだー。」
流れる今を駆け抜ける愛子たちに手を伸ばした。後ろ姿に届かぬまま、時間は散らばった。
「ーまだ、戦えるのに。」
愛香は自分の罪に飲まれた人々を救う愛子たちを眺めた。彼らは愛香を恐れた。止まらない憎みの連載が胸を刺したら、目をそらすしかなかった。自分の代わりは漲る時代、少女は役目も居場所も失われた。
「はい、お疲れっす!」
ウィルヘルミーナは明るく笑いながら愛子とハイタッチした。
「それじゃ、基地へ行こうっか!」
「ふざけんな、なんでうちが基地になる。」
愛子たちは神様の家を基地とした。どこかで生まれたかわからないビルを見て、実はまあ、驚いたかも。神様の言葉によると、愛香との新婚のためよいしたと言う。新婚生活や家族計画を並べる神様を軽く無視して愛子たちはソファに座った。
「最近、カゲの様子がおかしいっす。」
「さあな。いつもより数多くのカゲが現れてるのは否定しないが。」
「それ、たぶんこいつのせいだと思うわ。」
愛香は足首をそっと回した。答えるように足首についてるカゲの欠片がくるくると螺旋を描いた。
「そういうことっすか?」
「そうだわ。」
「なら、そのカゲを取り出せばいいですね!」
「違うわよ。私を囮として、世界中のカゲを集めよう。ならきっと、全てのカゲを浄化できるはず。」
最初は聞き間違いだろうと思った。愛香があまり明るすぎるから、自分を生け贄にすることをなにげなく話すから。でも、愛子たちはすぐその笑顔の意味を知って、口を揃えて反対した。
「そんなの絶対無茶っす!」
「そうです。そんなことさせません!」
「いや、私はこの町の…。」
「安心してください、愛香さん。あなたはもう戦わなくていいから」
いつも囮だった少女の一生が否定された。苦しみが誇りだった少女は背負う全てを含んで人生と呼んだ。なにも与えられなかった人は忘れられた人。だから、捨てられた紙くずよりも無意味だった。
荷物を持って目一杯走る少女。そんな少女のため、人々は荷物を奪った。両手の荷物は少女の自慢だったのに、どうしてそんな意地悪なことを言う。なんで自分の居場所を奪う。そう言う質問が沸き上がったが、愛香はただ、唇だけ噛み締めた。
「…。」
みかさだけはその様子の変化に気づいて愛香をちらちら見ていた。絶え間なく揺れる瞳は、もはや均衡とも呼べるくらい。
「あの…。」
「な、なに、今の?!」
町中に警報ベルがならした。反射的に窓へ駆け付ける愛香と違い、愛子はまたスマートフォンを出した。
「早く行って確かめましょう!」
「『カゲが集まっている場所は町の入り口』、『先ほどからみんな避難している。』」
「どうしてそれが…?」
見たこともない今を、どうしてわかるのか。昔の天気は雲の形や風の靡き、星の光がさす場所を計算してわかったという。でも彼女らの『今』に当たらぬ情報はくだらない物となった。今すぐ来週の天気も、地球の裏側の天気もクリックでわかるようになった。その差があまりにも深い谷間を作った。
「行こう!」
「はいっす!」
「みかさちゃんも!」
「俺、ちょっとトイレ行ってくる。」
「わかった。」
「遅れないようにお願いっす!」
こっそり抜け出したみかさは見送りした後、神様を振り向いた。神様はなんの興味もない顔をして愛香にくっついていた。
「おい、アホ神。」
「なんだ、『いってらっしゃい』とも言われたいのか?」
「お前も行け。」
「なんでそんな必要がある。」
「決まってんだろ。お前が来ないと俺たちは負けてしまう。」
「それで?」
「俺たちが負けたら、町が崩壊する。」
「誰がかまうもんか。もう愛香は戦士でもな…。」
ぎくりと握り締められる拳を見て、神様は口をつぐんだ。愛香の拳をそっとちらっと見たみかさは目で神様を責め立てる。
「わかった!わかったから!」
神様は舌打をしてから部屋の外へ出た。閉めるドアの間、神様のにらみがみかさに届いた。
「俺がいない間、愛香に余計なことを言うんじゃねえ。」
神様が部屋から出て行った後、みかさはそっとカーテンを閉めた。そして窓越しに映る神様の後ろ姿を見ていた愛香の視線を奪った。




