第十五話 『PAST EIGHT。鏡。』
鏡は自分を映し、覚えたくない過去を作り出す。
第十五話 『PAST EIGHT。鏡。』
「愛香!」
神様は急いで闇に手を伸ばしたが、小さい手は奥まで届かなかった。
「くそっ!」
愛香を目の目えで失った無力感が神様を包み込んだ。やっとわかる気がした。愛する者を守らなかった悲しみを、何もできなかった自分の弱さを。愛香の過去はわかる。だが、今までの神様に、人間である愛香の感情までは良くわからなかった。ようやく愛香の思いがわかった今、愛香はそばにいなかった。
「愛香…。」
神様は愛香やその家族への無神経を後悔した。愛香がこんな感情を背負っていたなら、その妹にも優しくしてあげるべきだったのに。そして、愛香の辛さを分かち合うべきだったのに。
「誰か、夢だって言ってくれよ!」
神様の叫びが響いた空には暗い鳥達が羽ばたきをしていた。倒れそうによろけた時、闇の中から引っ張る力を感じた神様は目を丸くした。
「まさか…。」
神様は自分の袂を見た。破れ衣の袂から、赤い糸が闇へと繋がっていた。そう、愛香との繋がり、それだけで、神様は力を得た。
「そうか、愛香はまだ生きている。あの中で、僕の助けを求めて…!」
神様が唇を噛んだ。自分のパワーで闇への道を突き抜くのは簡単であったが、そうすれば愛香との繋がりまで切れてしまう。もし、そうなったら、カゲの中に入っても、愛香を探すことができない。そこまで考えた神様は首を振った。
「どうすれば…。」
何かを思い込んだ神様は大切に赤い糸を取った。カゲに近づいた神様は赤い瞳を閃いた。蟻も入れないほど小さな穴が開いていた。二人を繋がってくれた。
「よし、此処を狙えば!」
神様は拳に力をのせ、そのままカゲを打つつもりだったが…。
「なん…!」
神様が飛び上がった。後ろからの攻撃を避けるためであった。いつのまにか、空にも地にもカゲが満ちていた。
「ちぇ…。」
神様は戦う準備をした。勿論、手には赤い糸を握っていた。
気が付いたら、真っ暗な闇のなかであった。愛香は慎重に暗黒の中を調べた。そこで見つけたのは、もう一人の自分。滴り落ちる闇が、愛香と同じカゲを作り出した。
「ここは、いったい?」
「鏡のなかだわ。」
笑い声がする方へ、愛香は頭を向けた。瞬間思い迷ったが、すぐ落ち着き、戦う準備をした。愛香はカゲを睨み付けた。きっと、見せる物が全てじゃないと信じて。
「貴方は誰?正体を表しなさい!」
「正体を隠すまでもない。私は貴方だわ。」
「私?」
「そう。貴方が隠していた、心の闇。それが私。」
「貴方、アンシンだね。」
「アンシン?どう呼んでも良いけど、その訳が知りたいわ。」
「だって、私に闇なんか、いるわけない!」
愛香は前に行こうとしたか、手に握ってる神様の袂のせいで動けなかった。カゲは愛香が捕まってる袂を見て嘲った。
「まさか、まだあのちびが貴方を助けてくれると信じてるの?人々を信じていない貴方が?」
「私はっ…!」
本音を他人の口から聞くのは大変なことなので、愛香の声が振えてきた。その透き、カゲは神様との繋りを狙い、攻撃してきた。愛香は素早く後ろにジャンプし、着地したが、体勢は心のように崩れていた。
再び、カゲが愛香の手に握られた糸を切ろうとした。愛香は相手の手を蹴って攻撃を食い止めた。ぶつかりあった手と足がぶるぶる振えてきた。
「本当は、こう思っていたの。」
後ろに退ったカゲが閑雅に回った。まるで、戦うではなく、踊ったり、遊んだりする姿に、愛香は歯を食いしばった。
「あの火事の日、果たして町の人々は来られなかったであろうか。ではないと…。」
カゲが笑った。生臭い血の臭いがした。まるであの日、ちいちゃかったあの頃に戻ってしまった気がした。
「来る気さえなかっただろうか!」
「くっ!」
辛い思い出に圧倒された愛香は、何もできなかったあの頃のように果てしなく押された。足に力を入れてやっと止めたが、立ち上がることは出来なかった。
「今だってそう。」
カゲは瞬間的に近づいた。顔をあげる暇もなかった。
「その赤い糸に頼るなんて、情けないわ。」
「なんですって…?」
「切れてるかどうか、わからないでしょう。外から放してしまったかも知れないし。」
「いちいちうるさいっ!」
愛香はいつも冷徹だった。寒いほど冷え込んだ理性で、事態をクールに受け止めた。だが、父の無駄死にとっては、そうにはなれなかった。それが、愛香の一番の弱点。乗り越えられない痛みだった。
「ほら、すぐあつくなって。」
あっという間にカゲが近づいた。カゲは愛香の真ん前に、その暗い顔を突っ込んだ。
「痛いよね。辛いよね。誰も彼も見捨てたくなるわよね。」
「そんなわけ、ない!」
愛香が頭をもたげた。愛香の黒い瞳には世界への愛が込められていた。瞳に移す自分の姿を見たカゲは厭わしい顔をした。
「嘘つき。」
「え…。」
自分の瞳と合う高さまで、カゲは愛香の髪を掴んで持ち上げた。
「今だって不安で仕方ない。地球の神に捨てられてしまうのが怖くて、手も足も出ない。」
愛香は目を細くして、カゲを睨んだ。悔しさと悲しみを混ぜ合わした顔に、カゲはにこり笑った。
「その糸は、お前自身だ。」
その言葉に気が付いた愛香ははやく糸を後ろに隠した。後じさりしたかったが、髪が捕まえたままではどうしても動けなかった。
「誰かに捕まえて欲しい、誰かと繋がって欲しいお前の心だ。」
カゲは愛香の首を掴んで地面に投げた。愛香は倒れたままでも、糸を放さなかった。
「その糸、放してしまえばどうだ。」
愛香の指が動いた。指だけを、動かすことができた。
「不安から解放され、楽になるのだ。」
カゲは笑った。満足な結果を待つ、受験生のように。
「期待しなければ裏切られることもない。どうせ世の中は一人、自分だけなのだ。」
愛香が左手を握った。歯を食いしばった。起きるため、一所懸命。最後かも知れない戦いを果たすため、震える腕で地面をついて、また、立ち上がった。カゲはうんざりした顔で愛香を見下ろした。
「それでもまだ、希望があると信じてるのか。」
「先から偉そうなことばっか…。」
愛香は口の中たまっていた血を吐いた。血を拭くと、手が赤く濡れた。足を引いて構えた愛香は大声で叫んだ。
「上から目線な奴は、こっちからごめんだわ!」
その時、外の神様も攻撃されていた。鳥のカゲ達は鋭い嘴で絶え間なく糸を狙った。神様はやっと攻撃を避けたけどカゲの立て爪は傷を肌に残した。
「くっ、こいつら、糸だけ狙って…!」
彼らの目的は、糸を切ることだった。そうしたら、神様も、愛香も、絶望し、闇に落ちるはず。狙い安い糸を置いて、強い相手を狙う必要はなかった。
「渡すもんか!」
神様はエネルギーを集め、弾丸のように打ち込んだ。何個の当たりと外れがあったが、敵の数はそのままだった。
「切りがない。このままでは…。」
神様は手の平の赤い糸を見た。妄想かも知れないが、そのうえ、愛香のりんとした笑顔が浮かんだ気がした。
「愛香。君も僕を思っているのかい…?」
神様は手を握り締めた。噛み締めた唇はもはや真っ青になっていた。
「守り抜く。守って見せる!」
その時、カゲの中の愛香も奮闘努力し、糸を守っていた。糸を守りながら戦うのは大変だった。糸の場で動かなかったし、薄い糸は何時切れるかわからない。相手の攻撃は『ぎりぎり』とか『きりきり』ではなく『切り切り』と言うか、危ない状況が何度も何度もあった。
「愚かな者。糸を守るため全力を尽くすとはな。」
「全力?」
愛香があざ笑った。
「まだ30%も出しきってないし!」
愛香が突然、闇の壁を蹴った。やっと気付いたカゲの弱点は、今この場所にある全てがカゲ自身であること。カゲは愛香を飲み込んだ。言わば、今の愛香はカゲの腹の中。だから、どこを狙っても、カゲはダメージを受けた。
「ようやくわかった。貴方の弱点。」
「くっ…。」
「覚悟はできてるかしら?」
「待て!」
突然、カゲは大声を出した。多分、ピンチに気付いたのではないか。
「お前は神を信じてるけど、それさえつくられた感情だ。」
「ふざけないで!」
「神には人の心を操ることが出来る力があると、お前もわかっておるはずだ。」
愛香が攻撃を止めた。今まで神様の出来事が、全部、頭の中で、すれ違った。愛香の手はそっと振えていた。
「可笑しいと思ったことはないか。お前が最初から神に惚れていたことも、全て神がお前の心を操ったからだ。」
愛香の瞳が不安に揺れた。その透き、カゲは愛香に近づいた。
「さあ、我と行こう。」
カゲが手を出した。
「我と共に新たな世界をつくるのだ。」
「なに馬鹿言ってるの。」
愛香は、顔を上げ、カゲを見た。カゲは驚いた。信頼満ちてる瞳と、勇気漲るこなしに。
「私、神君の事好きじゃなかったわ。何時も笑ってあげたけど、それは建前。妹の言うこと聞いて、神君に酷いこと言ったこともある。」
「お前ならそんな事で他人を信じるわけ…!」
「あるよ!」
「何?!」
「約束したもの。もう人の心に手出しはしないと。」
愛香が笑った。その明るい笑顔はカゲの闇さえ照らした。
「だから、だから…。」
愛が目覚めた。いつのまにか、愛香の変身アイテムが光り、彼女を金色く包み込んだ。
「私は神君を信じる!」
「あぁいぃかぁ!」
その瞬間、鏡の世界が割れた。ストロークの目に一番先に入ったのは、ぼろぼろになっても、最後まで糸を守っていた神であった。
「愛香、糸を!」
「うん!」
神様が糸を引っ張った。鏡から出たストロークは優しく神様を抱いてくれた。
「ありがとう、神君。私を諦めないでくれて。」
「愛香、あぁいぃかぁ…。」
「もう、神君は本当、泣き虫だから。」
二人が語り合う瞬間、鏡から暗い気味がした。
「愛香!」
「うん!」
ストロークは鏡の型を蹴った。ただ蹴るだけではない。体を回し、ジャンプまでして、飛びながら、何度も何度も蹴り続けた。結局、鏡は割れた。での、そのかけらは消せず、全て地面に吸収された。それを見ていたストロークは直感した。まだ、アンシンとの戦いは百年はやいってことを。
「もっともっと、自分を磨く。心のかけらさえ見せないぐらい。」
「愛香?」
「心を見せたら弱気になる。人々を守るためには、心を閉ざさないと…。」
「じゃ、愛香の幸せは?」
「私の、幸せ?」
「そうだよ。愛香の幸せはどうなるの?」
「どうなっても構わない。そう生まれ育てた。それが私の全てだわ。」
「全てじゃない!」
「神君?」
「愛香が言ったよな。人は人形じゃないって。なのにどうして愛香は自分を人形扱いする!」
「でも、私は優しさを見せられないわ。それは弱気になるもの。」
「強い愛香も、弱い愛香も僕は好き!」
「神君…。」
「強くなりたいなら他の方法があるはず。僕、絶対愛香を強くする方法を探し出す!だから、心から泣かないでくれよ!」
ストロークは驚いた。赤ちゃん見たかった神様が、こんなにたくましいなんて。どうしても、信じられなかった。ストロークは、自分知れずに頬を赤く染めていた。それを見た神様は目をきらきら輝かせた。
「ねえ、愛香、ドキドキした?」
「まさか。」
「したよね、絶対!」
「しつこいだわ。」
ストロークは顔を背けた。だが、赤くなった耳まで隠すことは出来なかった。二人は意味のない喧嘩を続けた。その姿を、木の後ろから愛音が見ていた。
花は岩と違い、すぐ散ってしまう。幸せな日々も、気付いたらもう、過去になっている。今が過去になる途中でも、神様はそれに気付かなかった。




