エラーリスト その2
世界終演、終焉、それとも終幕とでも言うのだろうか。この際、どちらでも構わないが、どちらにせよ、あと小一時間もすれば、この星に無数の隕石と大きな惑星がぶつかる。幸いなことに俺には家族も親友も居ない。孤児で死に物狂いで生きてきた。二十数年間、悲しむべきことも悲しまずにこうして庭で酒を飲みながらチーズとナッツをつまみにして空を眺めていられるのが、神様の与えてくれた最後のご褒美かもしれない。いや、報酬か。
塀の向こうではどうあがいても死ぬしかないこの現状から逃げ出そうと車に乗り込むものも居れば、この際だからと気の狂った奴らが様々な罪を重ねていく。強盗、殺人、強姦、自爆。「最後」という狂気はここまで人を変えてしまうのかと思うと人間も動物も大差ないのだなと感じる。まだ逃げるだけの動物の方がマシとも言える。生きている環境が違えば人間も変わるし動物も変わる。いくら新しい技術を発明しようとも根本的な部分は何も変えられない。だってそうだろう。星空が輝きながらこうして地球の終焉をただ見つめることしか出来ないのだから。宇宙に移り住むには時間が足りなかったみたいだ。まあ、俺には宇宙に移住できるだけの金もないんだがな。
また一つ遠くの方へと空から星が落ちていった。ああ、この壮大な星の空模様を見ていると、自分が如何にちっぽけだったかって今更ながら気付かされる。
つまみがなくなった。一度部屋へと引き返すか。
床で寝ている女性を足蹴にして横へとどかし台所に向かう。動かないなら、それはもう物体でしかない。生きていた過去を持った物だ。それを蹴ったところで文句を言う奴なんて、この世にはもう居ない。自分の事しか考えずに獣同然に喚き散らして生き延びようとしている生き物しかもう残っていない。狂ってるって感じるが、これが生き物の本当の姿なのだから仕方ないのだろう。人の姿はもう数時間前にはこの世には見かけなかった。見かけるのは人の形をした動物だけだった。
なにか贅沢なものを食べようと思っても、こんな状況で店がやっているはずもなく、仕方なしに精肉店に並んでいた霜降りの一番高そうな肉をとってきたのが功を奏した。主人も店を放り出して消えていたんだ。誰も文句は言えない。
台所にあった一人用ステーキの鉄板を持ち出し、その上で肉を焼くとこれまたなんとも言えない香りが鼻から身体の中へと入り込んでくる。表面が焦げ付きを見せ始める時には、部屋の中を、香ばしく絶品であろう香りが漂っていた。塩コショウをかけただけでも十二分に美味しそうなそれを皿へと移し、再び庭のほうへと向かい座り込んだ。酒もついでに取って来た。どうやらこの敷地の向こうでは生き物がごった返しているみたいだ。叫び声に泣き声、罵声に怒声、最後に喚いたって何にもならないのに無駄な悪足掻きをご苦労なことだ。
最初から死んだも同然の扱いをされて生きてきた俺みたいな人間の方が、理性の仮面を被って社会に出歩いている人間よりも落ち着いて、こうやって最後の晩餐を楽しめている。なんとも皮肉な状況だ。だってそうだろう。1セントを道端にばら撒いては、拾う俺たちを見下し見世物にしていた無駄に肥え太った奴が、今は豚みたいに逃げ回ってるんだからさ。
隕石のせいで空は飛べない。海の温度も人間が入れる温度ではなくなったらしい。星が船を直撃すれば終了、海への逃げ道も閉ざされた。今は地上でとにかく隕石の当たらないであろう場所に人類が大移動を開始している。諦めればいいのに、動物はそれに抗おうとする。金持ちの核シェルターに落ちた隕石でシェルターは全壊、中に逃げ込んだ住人は木端微塵に吹き飛んだらしい。いつ死んでもいい俺が、生きたいと願って引き籠った奴よりも長生きしてるんだから、皮肉なものだ。
「……」
美味い、予想以上に美味かった。庭に転がる男性と子どもの死体を横目に見ながらだと、肉を食べる気が失せるかと思ったが、存外、対して気にならないものだった。路地裏で知らないホームレスが冬場に凍死してようが、盗みを働いてバッグを持ち逃げして走り出した若者が車に数秒後には轢かれて死のうが、そんな光景は日常茶飯事だった。
この家族は狂った奴に殺されたんだろう。子どもを庇うように死んでいる男も、部屋の中で血まみれで死んでいる女も、人間によって殺された。どこまで醜く汚れた世界なのだろう。人肉は食えないし、食いたくもない、食えない奴とはよく言ったものだ。
世界が丸ごとバグった、修正不可能、回避不可能、また星が一つ落ちていく。それでも、世界が崩壊する前に、自分以外が全員バグった結果狂っていると考えると、この親子もまたバグとして存在していたのかもしれないと思う。つまり、邪魔だったから、バグは取り除かなければならないから、消されたのかもしれない。きっと、世界が人間に対して怒ったんだ。「お前らだけの居場所じゃねえ」って。
こうしてゆっくり落ち着いて過ごしていると、自分以外全て、まるで元々こうなるように仕組まれていたような気がして、世界は最初からこうして終わることを見越していたかのような気がして、自分のこの体、心以外の人物たちは作り物だったのかもしれないなんて。自分がもうこの世界を不要だと思ってしまったから世界が壊れていくのか、それとも、世界が自分を必要としていないから、この世界ごと消されるのか。答えは誰にも分からない。
道端ですれ違ったホームレスも、小さい頃に一緒に盗みをしていたリチャードも、寒さで凍え死んでいた爺さんも、車に轢かれて死んだあいつも、もしかしたら最初からそうなるようになっていたのかもしれない。この世界の歯車の一部だったのかもしれない。歯車が狂ったのなら新しくしないといけない。だからこうして世界が消える。そうして一から創り直す。ああ、納得だ。
この家の家族は最後の晩餐の前だったらしい。食卓にはまだ生暖かいスープが置かれていた。さすがに飲む気はしなかった。母親と思える人間の血が入っていそうな色をしているから。父は子どもと遊んで最後の時を過ごしていたのかもしれない。
家族とは何なのだろう。誰かと一緒に居ることで何があるのだろう。独りで生きてきた自分には到底想像の出来ない関係だ。両親が自分を捨てなければ、もしかしたら、こうやって最後の晩餐を家族と過ごせていたのかもしれない。いや、たらればの話はしても仕方がないか。
家族だったであろう四人の死体を食卓へと運び、椅子にそれぞれを座らせた。何をしているかなんて自分でも分からない。ただ、普通の家族が、普通に食事をするだけの場面を最後に見ておきたかった。自らを犠牲に子どもを守ろうとした父と、悔やんでも悔やみきれないであろう悲痛の表情のまま死んでいる母親、痛みに苦しんで死んでいったであろう子どもたちに、最後にあの世で会えるように祈りを捧げた。
自分も、再び生まれ変われた時には、平和な暮らしが出来ますようにと祈りを捧げた。
「何をしているんだか」
口の中でとろける肉を頬張りながら瓶に入ったままの酒で流し込んだ。上空でキラキラと輝くそれはどんどん大きさを増していく。人々の声がスタンディングオベーションのように大きくなり狂気に満ち溢れていく。肉が焼かれていく。
焼かれる立場は結構きついもんだ。
地球ごと焼くなんて誰が食べるというのだろうか。感覚が麻痺して笑いが込み上げてくる。
「神様が居るならさ、次はもう少しマシな人生にしてくれよ、ほんとにさ」
視界が暗転し、意識が薄れていく中、口元は既に動かせなかったが、思いの丈を神に愚痴ってやった。くたばれこの野郎。
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