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幸凶至片  作者: 忍原富臣
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螺子巻キライフ その2

 人間の頃の記憶はあまり良い思い出が浮かばない。ただ、こうして人間について考えられるということは、私はちゃんと生きていたのだと思う。


 生きとし生けるものは淘汰されていかなければならない。植物も動物も人間も、生きては死んでを繰り返さなければならない。より良くなるために、より良い世界を作っていくために。死んでいい人間なんて居ない、なんて言うのは、ただの甘えだ。私はここに来る前、世界の不公平・不平等の真理に気付いて、そう、自殺した。自らを淘汰した。


 修理したオルゴールを棚へと戻してから、私は一旦一階へと戻り、作業机に置いてあるオルゴールの螺子を回した。ずっと昔に聞いたこの音楽は、私への戒めであり、杭であり、忘れたいけれど忘れてはいけない、そんな不条理な世界の最後に聞いた音楽だった。幸せだった記憶はほとんどない上に、生きていたであろう時の苦痛や苦悩は今もなお、私に悪夢を見せる。


 生前(今が死後という保証も無いけれど)、家族が殺された。父が母が兄が、嫁と子どもが殺された。気の狂った狂人に、精神病棟から脱走し雲隠れしていた男に殺されたのだ。その日は久しぶりに両親と私の家族が一緒に食事をすることになっていた。仕事が長引いてしまい、一時間ほど遅れて実家へと戻ると、それはもう凄惨な現場だった。犯人が手に持った包丁はべたべたに血が付き、部屋が真っ赤に染まっていた。何か新しいアートのようにも感じながら、否応なしに漂ってくる血の匂いで胃の中の物をこれでもかと吐き出した。


 家族の死体と犯人を見た時、怒りに身を任せて、私は身近にあるものをとにかく犯人に投げつけた。壺だろうが花瓶だろうが、石だろうが靴だろうが鞄だろうが、とにかく投げつけた。笑えるだろう。近付いたら殺されるのが分かっているから近付くことが出来ない。けれども腹立たしい、怒り狂った感情は抑えが利かずに暴れ出す。真に怒りが頂点に達しても、私はどこかで冷静に落ち着いているのだ。怖かった。本心から立ち向かうことが出来なかった。恐怖は人間から戦うという戦意を喪失させる。狂い笑う彼を見て、私は怖気づいていた。


 犯人はベランダから逃走。物音と家族の悲鳴を聞いた近所の人が警察を呼んでくれていたおかげで、犯人はすぐに見つかった。私は独り、血塗れの家で心を失った。


 裁判で争った結果、「精神異常」のためという理由で死刑は免れ、犯人は安全な施設でのんびりと過ごした。


 こんな、こんな不条理が認められる世界なのだ。人を殺そうが、幾ら罪を重ねていようが、精神に異常がある者ならば許されるという世界なのだ。例えそれが嘘であっても、それを証明するために演じてしまえば、私の家族はただの道楽によって消されたということになるのだ。


 許されてたまるものか。法が、人間が裁けないのなら、被害者がその胸中を晒して裁くしかないだろう。「当の本人が苦しめた分、同じ苦しみを返す」という制裁を行おうと私は決心した。もし、この犯人の立場を保護する者が居るのなら、同じ立場に立たせよう。この狂人にもう一度暴れさせてからその善悪の定まっていない偽善者に改めて聞いてみよう。「貴方なら許せるのか」と、事後報告してもらおう。慈悲の心をもって寛大な処置が出来るのか問うてみよう。


 貴方のその慈悲的な判断は「公平・平等」の名の下に考えられた答えなのか、と。


 そして私は犯人を連れ出し、暴れられないように眠っているうちに手足を縛った。父、母、兄、妻と子ども、五人分の苦しみをこれでもかと詰め込んだ。内容はもう覚えていない。その時、既に私は私ではなかったような気がする。感情が、憎悪というものが心を蝕んで、脳がどうすれば相手が苦しむかだけを必死で導き出していた。この時既に人間を辞めていたことは確実だった。目の前でもがき苦しむそれをただ冷静に、冷徹に、次の段階を考えながらその様子を観察していた。もしかしたら微笑んでいたかもしれないと思う程に計画的だった。ここまで私はミスもせず、確実に彼を苦しめながら死へと近付けさせていることに満足感さえ覚えていたように思う。


 世界は私を非難した。狂人を庇い、私の家族の人権・存在は消えた。やり返すという行為を人間は嫌う。それを私は慈悲という無能な感情のせいだと感じている。命が平等だというのならば、消された命は消した命で賄うのが自然なのではないだろうか。五つの命を消したゴミ屑のような命を何故守らなければならないのだろう。「保護」という人間の甘やかし以外の何物でもない慈悲という無駄な行為が、これからの命を、誰かにとって大切な命を奪っていった。保護していたのは何の為だったのか。命の価値、重みとは何なのだろうか。


 「真の平等」は生きていた世界には存在しなかった。不平等だからこそ、あの世界は成り立っているのだから仕方がない。利己主義の世界で存在する利他主義は、既に利己主義の価値観に汚染され、その本質を見失っているのだから、そう、仕方がないのだ。


 地球という星で生まれた時の記憶。今思い返せば映画の一つのような救われない物語だった。これが前世の記憶だとは思うけれど、本当かどうかは今となっては不確かだ。


 しばしば、オルゴールに分けた魂が私の元へと戻ってくることが稀にある。魂の欠片はオルゴールの世界でも私を演じていた。同じような世界を構築し、その中で私は別の人生を生きている。同じ運命を繰り返すということは無く、オルゴールによってその世界の進み方は違っているようだった。魂の帰還を感じる度に、記憶もまた同時に私へと帰還する。どの記憶が確かな私なのか、いや、そもそも確かな私とは何なのか。それすらも疑わしくなってきている。


 家族と仲良く老後を迎える世界があった。地球崩壊の中、家族との残りの数分を生きる世界もあった。一人きりの人生の世界も存在した。


 オルゴールが音を止めた時に魂の欠片が抜け出た場合に限り、尚且つそれが新鮮な状態で私の近くにある場合にのみ、それは私の魂へと混ざることが出来る。自分の別の世界の自分が再び人生を繰り返している。しかもそれは不条理な世界とは違った世界も存在する。こんなにも時間をかけて様々な人生を経験することが出来るのだから、オルゴールを作るのはやめられない。やめたくない。確かな幸せを作らなければここに来た意味が無い。


 最初のオルゴールを片手に携えて、私は天窓の真下で寝転がった。鳴り続ける音色は相変わらず懐かしさを感じる。


 時々、考えてしまうことがある。この世界も実はオルゴールのような世界なのかもしれないと。最初に作ったオルゴールを止めてしまえば、この世界は消えて、この私という魂も何もかも別の場所へと帰化するのではないだろうかと。私がこうしてここに居るという自覚が消えてしまえば、別の私にこの魂ごと戻ることが出来るのではないだろうかと。


 ただ、この世界では自殺すること、つまり死ぬことは出来なかった。蝋燭の火は私が近付くと道を開けるかのように消える。焼き死ぬことは出来なかった。血を幾ら流したところで、気を失った後には天窓を見つめて目が覚める。四階の高さから落下しても、天窓を眺めている所からスタートした。最初に作ったオルゴールがその音色を止めるまで待つことにしたが、衝動が抑えられずに螺子を巻いた。


 私はどうにも死にきれなかった。


 この閉ざされた館の中で、私はいつまで作り続けなければならないのだろう。どうすれば死ねるのか分からないこの場所で、扉の無いこの館で、いつ終わりを迎えられるのだろうか。オルゴールの世界で私自身が人生を再び歩むことが出来れば、孤独を感じずに済むのだろうか。いや、私が再度人生をやり直したところで、あのトラウマは消えはしない。もう、人生を自分でやり直すなんて、心が、魂が拒絶してしまう。もう二度と、あんな現場には出くわしたくない……。


 考え事をしているうちに眠りについていたようだった。目が覚めて手に持ったままのオルゴールが心配で飛び起きた。大丈夫、音は鳴り続けている。


 私のこの世界での人生はまだ終わりを迎えそうにない。


 じっと天窓を見つめて、私は不動の夜空を眺めた。キラキラと輝く星の一つ一つに私のような人間が存在しているのなら、一度会ってみたいものだ。この世界の理が何なのか、それを調べない限りはここから出ることも出来ないだろうが。


 神様がここに私を運んだのか。それとも、未練がここに私を運んだのか。将又、私自身の妄想か。まあいい。


 オルゴールという世界の中だけでも幸せになるように、不幸の音色が無くなるまで、今日も私は館の見回りを始めた。

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