終点 その3
大樹が満足した後、彼から聞いた世界のことを心に留めておくと再び大きくその身体を揺らしていた。
「楽しそうだね」
「ああ、こんなに誰かと会話をしたのは初めてだからな。とても新鮮で楽しい」
「それは良かった」
彼は一度立ち上がり木の葉を除けると、再びその木の葉を集めて簡易的なベッドのように形を作った。その上に寝転がり空を見上げる。
「人間は器用だな」
「手があるからね、とても便利だよ」
「人間はなんでも出来ていいな」
「君には君にしか出来ないことがあるよ」
「俺にしか出来ないこと?」
「ああ、人間は鳥たちの羽休めの場所にはなれないし、たくさんの生き物たちの雨宿りする場所を提供することも出来ないからね」
「そうか、俺も意外と役に立っているんだな」
「うん、十分さ」
ふかふかのベッドが再び彼を眠気に誘うが、彼は少しの間じっと空を見つめて考えていた。遠くに見える積乱雲が、平面的だった視界の中で唯一立体感を目に映し出していた。
「青年の話がもう一つあるんだけど聞くかい?」
彼は大樹へと話しかけた。話を聞きたい大樹としてはありがたい話だが何も提供せずに話を聞いていいのか、少し不安な様子だった。
「何もしていないのにいいのか?」
「布団を掛けてくれたから、そのお礼にってことでどうかな?」
彼の提案に大樹は小さく唸りながら考えた。嫌そうな声ではなく、悩んでいるように聞こえるその声が鳴り止むまで、彼はゆっくりと待っていた。
そよ風が大樹の小枝をかさかさと揺らしている。
「むう、そうか。なら、遠慮せず聴かせてもらおう」
再び吹き始めた風がより強く木々を揺らし、彼の頬を撫でた。
「じゃあ、話をしようか。青年には相談者がもう一人居てね。病の少女を元気付けようとしたんだ。元気になる魔法の言葉を青年は少女に渡した。けど、少女はその言葉を投げ捨てた。そして、また青年に助けてとお願いをした。もう一度渡した言葉はまた壊されて、また少女は助けてとお願いをした」
「助けてと言った後、捨てたのにもう一度助けてとお願いをした、とはどういうことだ?」
「あはは……よく分からないよね」
彼は頬をかきながら、何とも言えない表情を浮かべる。
「理解出来ないと思う、僕も聞いていて理解出来なかったんだから。でも青年は頑張った。もう一度言葉をあげては捨てられて。もう一度言葉をあげては破かれて。それでも青年は助けてと叫ぶ少女に言葉を渡し続けた」
木漏れ日に手を伸ばして彼は沈黙した。手の甲をじっと見つめ、人差し指の付け根から手首まで続く裂傷の古傷が疼きだす。大樹は話し始めない彼を心配して声をかけた。
「どうしたんだ?」
「あ、ああ、ごめんね。何でもないよ」
こほんと咳払いをして、上げていた手を下し彼は続けた。手の甲に走る傷跡の事を大樹が気付くことはなかった。
「紡いだ言葉を捨てられるのは別に構わない。助けてと求めるのなら、何度でも言葉をあげる。そんな気持ちで青年は頑張った。でもある日、投げた言葉がとうとう青年に投げ返された。言葉は人を救うと同時に、人を傷付けて殺すことも出来る。少女の投げ返した言葉は刃になって、青年を傷付けた」
急に風が強まると、彼のすぐ近くではつむじ風に木の葉が巻き込まれていった。吸い込まれるように、投げ出されるように木の葉が宙を舞っていく。
「それは、辛かっただろうな」
「うん、僕も、そう思うよ。それでね、青年は諦めてしまったんだ。この少女は時間が解決するしかないってね。結果、少女は誰に、いや違うな。何に救われたと思う?」
「うん? 時間だったんじゃないのか?」
彼は鼻で笑い、あははと声に出して笑った。遠くに見えた積乱雲は知らないうちに視界から消え去り、彼らの頭上には曇天が広がり始めていた。
「どうして笑うんだ?」
「だって、少女を救ったのは、青年のあげた、青年が渡したはずの言葉だったからだよ」
「どういうことだ?」
「青年の言葉は正しかった。全て少女の為に紡いだ言葉だったんだから、それはとても優しい言葉だった。ただ、少女が青年の言葉を本人から聴くか、別の人から青年の言葉を聴くかの違いだけだったんだよ」
「また、そうなってしまったのか」
「それからだよ、青年が救うということに対して、本当に意味を見出せなくなってしまったのは」
「どうしてだ?」
「自分の言葉で救えないという現実を味わってしまった。心が、精神が傷付けられてしまったから。自分が言わずとも、自分の紡いだ言葉を誰かが言えば、相談者は救われると結論付けてしまったんだ。人間は自分で理解しようとしない限り、他人の言葉なんてまるで聞こえていないんだ。自分よりも格下だと決めつけている者の言葉は特に記憶に残らないし反骨精神よろしく言い返そうとするんだ。青年には精神に見合った時間が足りなかったんだ」
ぐっと拳を握り締めた彼に大樹は端的に感想を述べる。
「ひどい話だ」
率直に言い放った大樹の言葉に彼は微笑んだ。
「そう思ってくれるだけでも青年は嬉しいと思うよ」
「どうしてだ?」
「青年の言葉は誰にも届かなかった。青年の言葉が存在したという過程を、誰も憶えてはいないからね。覚えていたとしても起承転結の起しか覚えていない。だから、誰か一人でも、青年の想いを知る者が居るなら、嬉しいと思う」
「うん、ここに居る、青年が頑張ったということを知った俺が居るぞ」
「ははは、そうだね。青年も少しは救われるよ」
言い終えると同時に立ち上がり、体に付いた落ち葉をぱんぱんと叩き落とした彼は、ゆっくりと目尻に指を当てた。
「中々の寝心地だったよ、ありがとう」
「根を枕にされたのは初めてだったが、そう言ってもらえるなら嬉しいな」
大樹の表面をよしよしと撫でる。独りでずっとここで過ごしてきた寂しさを思うと、彼は瞳に涙が溜まっていくのを感じて空を見上げた。曇天はゆっくりだが、勢いよく流れてい行く。
彼は反転して次の目的地をどうしようか考えていた。
「もし君が青年に出会うことがあれば伝えておいてくれないか?」
ふとした大樹の呼びかけに彼は少し驚き、少しズレた帽子を直しながら彼は大樹の方を振り返る。
「何を伝えればいいのかな?」
「君が救ってきた人たちは間違いなく君に救われたことに変わりはない。自信を失くす必要は何処にもない。誰にも出来ないであろう自分の行為に自信を持ってくれ。そして、君の心がいつか癒えますように。君の生き方は間違ってなんかいない、と」
「あはは、そんなに覚えられるかな」
彼は聞き終わる前にさっと向き直り、ぎゅっと深く帽子を被りなおして微笑を浮かべた。
「うん、でも。きっと、必ず伝えておくよ」
「頼んだ」
「うん、それじゃあね、またどこかで会えたら」
「また話を聴かせに来てくれよ」
「ふふっ、ああ、また来るよ。次は良い話を聴かせられるようにね。何時になるかは分からないけど、またきっとこの場所で」
歩き出した彼は、大樹に背を向けたまま手を振る。
見送るように、ひゅうと吹く風に乗った木の葉が、転がりながら彼の後ろを追っていく。
「見送りありがとう、ここまででいいよ」
彼の言葉で吹いていた風はすっと消え、追いかける木の葉たちは立ち止まった。大樹から一番近いであろう木の下で、彼は後ろを振り返った。大樹に聞こえないように、震える唇を開き、弱々しくか細い声で彼は「ありがとう」呟いた。
大樹は木陰で佇む彼を視界から消えるまでじっと見つめ続けていた。
ぽつぽつと降り出した雨が終わりと始まりを告げているような気がして。
滴る雨水は若者の涙か青年の涙か。それとも大樹の流した涙なのか。
風は止んでしまい、後にはしんしんと雨が降り続けるのみだった。




