食欲不振な人間不信 その1
昨日の朝からずっと電話が鳴り響いている。友人か親か、会社の人間か。だが、電話に出る気はさらさら無かった。電話を取るくらいなら、このまま舌を噛んで死んだ方がましだと思える。けれど、舌を噛むのは痛い。
死ぬ勇気も無い私は独り、部屋の一室で絶望に打ちひしがれていた。
ソファに深く沈み込み、座ったまま動かなかったせいか腰が痛い。体も気怠い、気分もあまり良くない。額に手を当ててみたが熱は無い。むしろひんやりしている。腹は何かを入れろと音を立てる。口の中が胃酸の匂いで二日前から気持ちが悪い。中身が無いのに未だに吐き気がする。これ以上、何を吐いて捨てればいいんだろうか。
人との縁を切れば解放されると勘違いしていた。人との縁は切ったのに、向こうから手を差し出して掴もうとしてくる。自分は改めて人間社会に生きているのだと実感した。切り離しても、水のようなものを切っただけに過ぎなかった。切るという行為そのものが無意味だった。切っても切れない縁とは良く言ったものだ。水を幾ら切ってみても、切り離した水たちはすぐにくっついてしまう。ドロドロとした人間関係とさらっとしている水が同じようなものだと思うと、皮肉めいていて悲しくなる。
自分に残ったのは疲労と苦痛と吐き気、それとこの身体。やる気も糞も無い。今の自分に出来る事は、せいぜい自分の汚点と悪点を考える事くらいか。餓死するまで、脳に酸素が巡り続けるまで、身体の糖分が失くなるまで、思考の中だけは必死に生きてみよう。まず、どこで間違ったのかを考えてみようじゃないか。
夏場、湿度の高い空気が身体から水分を奪っていく。着ているカッターシャツが汗臭い。汗はあまり臭くない方だと思っていたが、さすがに二日も入らなければこうなるのが人間、いや動物か。ひんやりとした額は汗のせいだったようだ。
風呂に入ろうか、いや、面倒だ。でも臭いのは嫌だから、せめてシャワーだけでも浴びようか。ああ、でも服を脱ぐのが面倒臭い。
この後は多分死ぬだけだ。別に部屋を綺麗にしておく必要も無いか。
ソファの前に置いてある、膝丈くらいの机に頭をぶつけた。そのまま頭の方へと重心を持って行き尻を持ち上げた。両手を机に置いて固まった膝をゆっくりと伸ばす。立つ事すら今の身体は難しいのか、ただ精神的にそう感じているだけなのか。今の自分にはそれすら分からない。いや、分かっているのに、分からない振りをしている事は分かっている。知っているのに知らない振りとは、人間同士の繋がりみたいでとても残酷なように思う。騙して騙され欺いて、外面だけは厚塗りされてしまって他人の深層までは辿り着けない。人間の皮は厚かった。
ふらりゆらりと、何度か壁にぶつかりながら風呂場へと向かった。壁に手を当てる事すら面倒で肩からぶつかっていく。歩いているとどこかの骨が軋んで音を鳴らした。パキッと膝と肘が鳴った。骨が軋んで音が鳴ったところで大した痛みは無い。
もし、人との関係も軋むほど近くに感じられたのなら、自分はこうして、独りで居る事も無かったのかもしれない。まあ、今更後悔する気も無いけれど。
あぁ、熱い風呂にゆっくり浸かりたい気もするが、浴槽を洗って湯が溜まるまで待つのは嫌だ。それまで身体が持つかも分からない。
シャワーだけで我慢しよう。服を脱ぐのか。ボタンを外す作業も面倒臭い。誰に見られるわけでも、誰かが家に来るわけでもないんだ。世間体を気にして過ごす事はもう辞めよう。いや、そもそも世間体という言葉は何のために存在しているのだろう。周囲を気にするという宣言、周りの人間に歩幅を合わせる二人三脚、出る杭を打つための記憶への刻印。
苦笑してしまうくらい自分は社会不適合者だ。
水が目に直撃するのを避け、俯くようにしてシャワーを浴びた。土砂降りの雨に打たれたように、頭から体に水が染みていく。服が体に張り付いていく。皮膚からへばり付いた汚れが流されていくような感覚を覚える。
思い返してみれば、いつの間にか身体だけじゃなく、心も汚れていた。洗い流す事の出来ない、漂白されない心の汚れは、何時からこんなに汚れていたのだろう。
滴り落ちる水に心の汚れは見えない。洗い流せない汚れたこの心は、どうすれば綺麗に出来るんだろうか。誰かと接した分、人間として成長はしたけれど、人としての心を失くしてしまったような気がしてならない。人間社会に心を洗われて色落ちしたのかもしれない。色褪せた真白な心は、会社の為に働くプログラムを埋め込まれてしまって、さながらロボットのように毎日を仕事に費やしていた。そう思うと、こうなる前から自分は既に人を辞めていたのかもしれない。
身体は存在しないはずの何かを吐き出そうと嗚咽を促した。胃酸が食道にべたべたと、這って口から出ようとする。空腹も限界のようだった。
胃に何かを入れる為、目の前から溢れる水を飲み込んだ。口の中に広がる胃酸の匂いも再び胃の中へと押し込んだ。これでもかと押し流した。胃の中へと久しぶりに物が入ったせいか、中に入った水が揺れているのが解る。たぷたぷと腹の中で鳴る擬音語が、自分ではない何かが住み着いたように思えて余計に気持ち悪くなった。
何もかも変わってしまった。大人になっても変わらないと思っていたのに、二十歳を過ぎた頃から段々と景色が変化した。汚れた者も見慣れている方だと過信して、自分は不変だと信じ込んでいた。理性の箍が外れる人間は、自制心が足りていない人間の成り損ないだと馬鹿にしていた。でも、どうだろうか。今こうしている自分は、自制心を失って社会から逃げ出した自分は、人との関係を保つ事が出来ないと怯んで逃げ出した自分は……。
死ねたら楽なんだろうか。そんな思考が頭を過ぎる。
思えば高校の時にも死のうとした。この時も「世間体」という何か得体の知れないものに邪魔をされて死ぬという行動をとらせないようにされた。自分の自殺は他人に迷惑がかかる。生きてても苦、死んでも苦、本当に嫌な世界だと知った。
人間という生き物は基本的に他人に興味を見せない癖に、いざ、何かが起きると電灯に集まる虫の如く群がる。「誰かが何をしようが私には関係ない」と表面上に浮かんでいるその文言は虚偽申告でしかない。人間は結局他人を気にして生きてしまう。「世間体」が人間を操っているに違いない。
シャワーを止めず風呂場を後にして、再びソファーへと深く座り込んだ。風呂場から連なる水溜まりとは結構粋なものだった。さながら人生に疲れた映画の主人公みたいじゃないか。まあ、実際は社会から逃げ出した屑が独り、水浸しで自室に立て籠っているだけなのだから、実話なんてものは大抵、泥の付いた子どもの落書きのノートと何ら変わりないのかもしれない。過去の偉人達も当時の人間からすれば異質な存在だったのだから、周囲からすれば社会に適合しない変人と蔑まれていたんだろう。世界に違和感を感じるのがそんなに悪いことなのだろうか。人間の外枠にはみ出ることを、人間は良しとしない。「苦しい時は何時でも一緒」なんて、他人を自分よりも前に行かせない為の足枷にしか過ぎない。人間は極めて卑怯な生き物だった。
人との付き合い方とか、どうすれば丸く収まるとか、何をしていれば正解だったのか、とか。人生には説明書が無いから分からない、分からないんだ。社会で生きるという行動をどうすればこなせるのか、飽和した感情が爆発して自分は今こうしている。世界から逃げ出してしまった。耐え切れなくなって社会から逃げ出してしまった。人間社会から逃げ出した今でも尚、生き方の正解を教えて欲しいと切に願う。独りで考えるにはもう臨界点を超えてしまっていた。
この結末に至るまでに色々自分でも実践してみた。でも、例え誰かに優しくしても、本当の、真の感謝は帰って来てくれなかった。善意はそのまま独り歩きを続けてしまい、自分の元に戻ってくることはなかった。そう、あの出来事以来、人間が怖くなってしまった。
親切にしてくれた隣人が陰では悪口を漏らしていた。優しく教えてくれた上司は別の部署で私の愚痴を零していた。親友は借金の肩代わりを押し付けてきた。付き合っていた彼女は親友と思っていた相手と駆け落ちして消えた。ついでに、一緒に暮らしていた家から金目の物は消えていた。必死に働いて親友だった人の借金を返し終わったあと、親が金をせびりに来た。唯一、信頼出来た人間は疎遠になった。連絡先も分からず、今となってはどこで何をしているのか分からない。そうして心が独りになった。見捨てられたんだと勝手に悟った。この世界では誰も頼れないのだと知った。
他人への想いや情が如何に無駄なのかをこれでもかと思い知らされた。出来る事なら人間なんかに生まれたくはなかった。こんなに苦しい思いをするなら、ここまで生きてこなければ良かった。ただ、何時でも死ぬ機会はあったのに死ねずにいたのは、社会という雁字搦めの蔦が身体中に巻き付いてしまっていたせいだ。
人間は想像以上に醜い生き物だった。今こうして生きていることも大変醜く思う。死にたいと願ってはみても、心の奥底では誰かが助けてくれるのではないかと、微かな希望を抱いてしまう。もう誰も信じないと強がってみても、今までの苦痛な出来事は全て嘘で、大きなサプライズイベントではないのかと、ほんの僅かな夢に縋る。あり得ない希望的観測を胸に宿してしまう。なんと哀れな生き物なのだろう。「眼前には絶望しかない。希望は捨てよ」と脳みそが命令しても、心は一ミリにも満たない希望を捨てようとはしない。極めて滑稽だ。
「……」
少しだけ、眠ろう。
思い出したくもない記憶を思い出したせいで身体が震える。体をソファの上に転がして、カーテンから漏れる太陽の光を、腕で覆い隠して視界から防いだ。ひんやりと冷たい空気が感じられる。足元にはじわじわと水溜りが出来ていく。鳴り続ける携帯を足で踏みつけていると、そのうち鳴らなくなっていた。
昔、窮地を救ってくれたヒーローのような存在が居た。小さい頃、海へ遊びに行った時、浮き輪に摑まって燥いでいた自分は知らないうちに沖の方へと流されていた。砂浜の方では家族や知らない人間が楽しそうにしていた。「ああ、きっとこのまま忘れられてしまうんだ」と、自分の存在は無かったことにされるんだと思った。死の恐怖と、遠くに見える楽しそうな光景は、生と死の境界線のように感じた。浮き輪から手を放しちゃいけない。力んだせいで段々と力が弱まり、気を抜いた一瞬で浮き輪から手が滑り落ちた。溺れた時に飲んだ海の水は、塩辛さなど感じず、あの世に行くために作られた水なんだと思った。生き物はこうやって土に還るんだと身を持って体験した。
「……おい…………おい!」
懐かしいその声に、ハッと目が覚めた。眠りに落ちる瞬間とは、何故こうも分からないものなのだろう。起きたのは砂浜ではなく自分の部屋だった。水を浴びて寝たせいなのか、昔のトラウマが蘇ってしまった。身体はトラウマによる恐怖と多少の寒さで震えていた。




