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幸凶至片  作者: 忍原富臣
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感覚共有 その2

 感覚の共有、伝達、引き延ばし、人は指先から更に持った物へと感覚を延長させることが出来る。そんなことは出来ないと言うのは、俗に言う不器用だから、なのかもしれない。では器用と不器用の差、何故一人が出来てもう一人は出来ないのか。確かに、世の中には人間が何十億人と居て、その中の一部が優れた才能で頂点へと登っていく。底辺はそのまま地面を見つめては日々の生活に愚痴を零し、頂点への尊敬と畏怖、嫉妬を抱く。何故あいつだけ、何故私だけ、なんでこんなことに、こんなはずじゃなかった……。


 生きている限り、人はそれぞれ十人十色の生き方を歩いてきたはず。全く同じ道など一つも無い。目指したい場所、目標は一緒かもしれないが過程が必ず違う。どの家で生まれ、どこで育ち、どうやって人生を歩いて来たのか。色々な出来事を通して成長してきたその道程に完璧な一致など存在しない。少し話がズレてしまったので本流に戻ろう。


 私が中学生の頃、皮膚の病気であまり肌を露出したくなかった時、夏場で暑かろうと常に長袖を着ていた時期があった。誰かに見られることが恥ずかしい、怖い、嫌われるかもしれない。人と違うという恐怖は今でも継続して私の思考に影響し続けている。幼い頃のトラウマはそうそう消えるものではないということだ。


 何故長袖を着ているのか。知らない人からすれば単純に気になることだ。まして小さい子どもなら、自分たちと違う服装をしている子どもが居れば気になってしまうのが性だ。同じ組、学年に一人でも居れば、それはどこかで必ずと言っていいほどに誰かがその話をする。でも、それはただの表面上の噂で収まる話、本人からすればまだ安全圏なのだ。一番知られたくないのは、その下に隠されている乾燥し、ひび割れ傷だらけの皮膚なのだから。抗うことの出来ない痒みの衝動に、自分自身で傷付けては血を流した。


 気にしないよ、大丈夫だよと、優しい言葉だけ聞こえてくれば、どれほど楽だっただろうか。それは天国、理想郷だけの話であり、世間は冷たい。人間は醜いものを見た時に本性が暴かれる。私は誰かと話す時、よく相手を見ていた。人見知りなので一瞬しか見れないが、その一瞬でも大抵のことは読み取れる。一瞬の顔の歪みから、何を思ったのかまでなら大体想像がついてしまう。誰でも相手の顔を見ていれば分かることだ。分からない人は自分が好きで、自分のことを話したい欲求に駆られていることが多いと思われる。いや、私の自論は今回頭の隅に置いておこう。


 普段、一欠片の関りさえない人々に「うわ」とか「ああ」と言われる感覚が分かるだろうか。言葉に発さなくても、憐れみや蔑みの視線を感じるその辛苦の気持ちが分かるだろうか。その短い言葉、行動に隠されているのは差別と偏見なのだ。言葉に含まれた中身は「そんな体で可哀そう」「私なら無理だ」「自分じゃなくて良かった」、そういった内容が含まれるのだ。「勝手な妄想だ」と「勝手に自分を卑下しているだけだろう」と言われるだろうし、そう言われ続けてきた。

 大丈夫かどうかなんて、実際の相手の立場に立てない者には分からない。妄想や思い込みは一個人として真実になるのがこの世界だ。


 宗教を信じる人間が居る。周囲がそれを信じていなくとも、それを個人が信じているのなら、その人間にとっては真実になる。言葉が武器になるとはこういうこともまた含まれるのだろう。言葉は争いも生めば金も生むし、平和もまた生むことが出来る。武器は争いも金も平和も生むことが出来る。

 さあ、戦争に使われる武器と言葉に何の違いがあるというのだろうか?


 「死ね」という言葉の重みは、言った本人には言葉の意味を理解していないからなのか、いざ、自分が言われても思考できないためなのか軽くしか受け止めない。死を含む言葉にどれ程深い意味があるのか考えてみようか。


 お前は今この場に要らない、生きている意味が無い、消えろ、存在が邪魔、居なくなればいい、漢字と平仮名のたった二文字、たったの二文字でこれほどまでに相手を傷つけることが出来る。死ねという言葉は、高層ビルの屋上から突き落とす行為、銃口を相手に突き付ける行為、刃物を相手に突き刺す行為と同義だ。


 相手を捲し立てる言葉は要らない。人間はたったの二文字で人間を殺せてしまう。簡潔に、分かりやすい言葉が相手に一番突き刺さるのだ。


 相手を言い包めようとする人間が時々居る。出来事の真相を自分視点で話し、結末まで自分を被害者にして相手の賛同を得ようとする。自分一人では心細い、誰かを味方につけて自分の証言を伝えていれば、言われた相手にとってそれは事実となる。信用してしまいやすい人間ほど、最初に聞いた話が真実と思ってしまう。ライオンという動物を知らない人間が居たとして、猫のような生き物だと誰かが伝えれば、知らない人間からすれば名前の違う猫に似た生き物だと思ってしまう。実際は猛獣なのにも関わらずだ。言われた側からすれば、もしかすると猫と同じ感覚で「飼っている人が多そう」と思いこんでしまうかもしれない。人間の言葉の刷り込みほど怖いものは無い。加えて人間の勝手な想像は空想世界では現実に書き換えられてしまうことが多い。


 被害者側の証言を聞いた後に、加害者側とする者の証言を聞いてみると、内容の不一致が起こることがよくある。相手と同じ感覚を共有していないのだから当然と言えば当然のことだ。自分にとってはこうであり、相手にとってはこうだという半ば決めつけのような前提条件を人間は根底に持ったまま話す。自分は止まっていて相手が動いている、車で事故をした時の言い訳みたいだが、つまりはそういうことと同じ内容だ。


 例え話をした方が分かりやすいかもしれない。Aは店員で会計をしている。そこにBが会計をしに並んだ。お金を払う際にAはお金を投げつけられたように感じたとしよう。Bはお金を出す際に急いでいたため手元から滑ってしまったとする。Aは態度の悪い客だと感じ、少し不愛想になる。Bはやってしまったと感じるとともにAの接客態度に違和感を覚える。言葉を交わさない限り、この二人の記憶は、相手の事を不快に感じる印象で終わってしまう。それぞれの価値観が、感情が、感覚が、それぞれに不快な想いを与えてしまう。感覚の共有が行われれば、AはBを理解し、BもまたAに対しての謝辞があったかもしれない。


 もし、他者の、例えば楽器を演奏する行為の感覚を共有することが出来れば、それを脳に記憶させ、素晴らしい演奏家を量産できるかもしれない。電子媒体、DNAにその感覚を書き込められれば、欠点を見つけてより良い性能の演奏家を作り上げることが出来るかもしれない。


 生活が孤独な人間が居たとして、孤独の感覚共有を行えば、それはもう孤独ではなくなる上に、他者理解度を上げることが出来る。他人を理解することは現代の、心の貧しい国では必要な措置かもしれない。他者を理解し、自分を理解する。存在というものを自覚し認識して周囲との調和を図ることが出来れば、一人の人間による心の暴走、感情の衝動を抑制させることが出来るかもしれない。

 電子的感覚共有は世界に平和をもたらしてくれるだろう。


「よし、ここまででいいだろう」


 そろそろいつもの時間になる。私はノートに書いたこの文章の部分だけを引きちぎりポケットの中へと忍ばせた。


 引きこもりの私に会いに来てくれるのは先生だけであり、私が話したいと思うのもまた先生しか居なかった。人間と関わることが煩わしくなり、仕事を辞めてからは人見知りに拍車がかかっていったように感じる。誰も信じられない、誰にも心を明かしたくない。


 すれ違う人間、視線をこちらへと向ける人間、相手の気持ちを理解できるようになってからというもの、もう人間を相手に話すことが嫌になってしまった。こちらの言葉を相手がどう理解しどう感じるのかまで解ってしまうと、人間とは一生仲良く出来ないと確定してしまったから。相互理解し合える人間など存在しない。相手を一人と認められる者は人間ではなく人なのだから。


 情緒が不安定な人間と話すことほど精神を削る作業は中々ない。先生は人間ではなく、私が人だと認めた者だ。先生の表情、言動は読めない。ある程度の事は推測できても、私の考える角度とは違う角度から正解を導き出してくれる。考え方の幅を広げてくれる人だ。今日もまた感覚的な話から心の機微、様々なことを話してもらえるだろうか。


 部屋の明かりを消して、私はデスクトップパソコンから伸びるケーブルへと手を伸ばした。手首に付けられた電子制御端子にケーブルの先を突き刺した。


 この世界で引きこもりの私が家を出ないまま先生に会える。この電子制御装置を生み出した人には感謝しなければならない。


 時間を告げるアラーム音が頭の中に聞こえ、私は首筋にあるスイッチを押した。視界の切り替えと同時に、私は誰も居ないカフェの椅子に腰かけて先生を待つことにした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 2/28 ・やばいこれ好みすぎる。 [気になる点] 確かにみんな感覚共有できれば良いですよね。 [一言] わずか2話で作風に影響を受けてしまった。
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