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幸凶至片  作者: 忍原富臣
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感覚共有 その1

 殺風景な白い部屋に机と椅子が置かれ、ベッドが決められた位置にずっと変わらず佇んでいる。


 私は机の上に広げられたノートに一通り目を通した。感情の起伏が激しいのか、文字は流動的なようにさえ感じるくらい歪だった。椅子に座り、机へと向かってペンを手に、ノートの新しい頁に今日の想いを書き連ねていこうと思う。


 人は生まれては死んでいく。色々な人達と出会いと別れを繰り返して、様々な経験を積んでは死んでいく。途中には楽しいことも辛いことも、最愛の者との出会いも待ち受けている。


 私は独りだ。殺風景な部屋の中、不変的な毎日の繰り返しをしていると、自分は同じ日を繰り返しているのではないかと思うことがある。時間間隔も日付の感覚も時々消失する。これはつまり、時間に縛られているのではなく、人間社会に縛られているということだ。


 中学生の頃に死というモノを考えた。心臓が止まる、脳が死ぬ、心が無くなる、体が無くなる、魂が無くなる。死ぬという行為で自分の積み上げてきたものが無くなる。死ぬという事はそういう事なのだと考えた。


 辛いから死にたい、生きている意味が無い、学校も通う理由が見当たらない。義務教育というものに縛られている感覚、強制的な環境がとてつもなく不快に感じ、中学二年生の終わりまで、私は学校に行くこともなく、だらだらと家の中で過ごしていた。平気で遅刻をしては休み、親に嘘をついて家に居座った。


 仕事に向かう親から「行きなさい」と言われても、一時を耐え凌げば、家には自分だけしか居なくなるのだから、ここは親が居なくなるのを待つことがベストだ。その後は、自分の自由に一日の大半を過ごせる。こんなにも自分に利益が返ってくる我慢比べも中々ないだろう。


 ある日、いや、そもそもずっと感じていたことだったように思うが、生きている理由が無くなり、マンションのベランダから落ちてみようと思ったことがある。


 ベランダへと足を踏み入れると、ひゅうと吹く風、左下に見える線路を電車が走り、真下の道路を挟んだ向かいに位置する焼き肉屋はまだその扉を閉めていた。


 鉄の手すりに手をかけて、腕を絡ませた。ベランダの地べた、コンクリートに埋まっている部分から斜めに伸びる鉄の柱に足をかけて半身を外へと乗り出した。ベランダに出るだけとは違い、ベランダに並行して吹く風が直接横顔に当たっては吹き抜けていく。風は冷たく心地良かった。死ぬ手前、何か手紙を残そうと思い、一度そこから降りて部屋の中へと向かった。


 半身を乗り出したことで、思ったよりも死という恐怖が脳と心臓に直接その衝撃を伝えていたらしく、落ちれば死、その恐怖が体全身に伝わっていた。


 子どもの落書きにしか見えないだろうが、謝罪文のような遺書をリビングに置いて再びベランダへと向かった。両足を再び柱に乗せ腰から少し上が完全にマンションの外へと飛び出した状態。とても怖かった。恐怖、落ちて死ぬ。痛いのかすぐに死ねるのか、死んだ後救急車や警察が来るのだろうか。哀れに飛び散った肉片を見て周囲の人は叫ぶだろうか。両親は悲しむだろうか。色々な事が脳裏を過ぎる。私はゆっくりと、間違えて身を乗り出してしまわないように部屋の中へと戻り、布団を頭まで被り丸くなった。


 私が死ぬことを止めた一番の理由、「誰かの迷惑」という考え方。死ねばどうなる。遺体を回収し葬式をして、仏壇に添えられ毎日誰かが拝みに来る。新聞やニュースは飛び降り自殺などと囃し立てては家族友人を攻めたてる。自分一人の死がどれほど周りに迷惑をかけるのか、それを考えただけで怖くなった。死ぬことすら誰かの迷惑になるというこの感覚、誰か分かってくれるだろうか。生きていることも迷惑かもしれないのに、死ぬことで更に迷惑をかける。


 この世界は、本当は死ぬことすら許されない状況だと気付いたのは大人になってからだった。


 飛び降りることを止めた理由はもう一つ、死ねば「無になる」ということを直前で感じたためだ。こうして考えている脳、手すりに手をかけた時の感触や震え、こうして苦しんでいる自分、悩む自分、今こうしているこの存在、全てが無くなってしまう。中学、まだ子どもといえども考えることはやめなかった。もし、あの時に何も考えず楽になれるというだけの考え方をしていれば、私は生きていない。死にたいという気持ちは当時中学生だった私からゆっくりと消え去っていった。


 残り、中学三年生の一年間、勉強もろくに出来なかった私を両親は心配し家庭教師を雇い週三回程の個人勉強をして辛うじて公立の高校へと合格することが出来た。受かった時には大層喜んだが、これも親の力があってのことであり、自分一人では成しえなかったことなのだ。


 そうして私は、独りで生きているのだという、愚かで身勝手な妄想をすることを止めた。

 死と生の境目を感じた時、無になるということがどれ程恐ろしいかを考えた。

 自分の存在意義は利他的であるべきだと考えた。


 自分という存在が今は有る。体がある、心がある、考え方や価値観、感覚、器官、全ては唯一無二のものであり二度と作り直すことは出来ない。死ねば消えるだけ。


 消えればどうなるか。周囲は悲しむだろう、泣くだろう。ましてや、自殺なんて質の悪い死に方をしたら、家族が一番非難されるだろう。当の本人は死に消えているのに、繋がりのある人たちの記憶から、死に至るまでの道筋が競馬の予想のようにイメージ映像などを流されては報じられて様々な人たちの話のネタにされる。


 そんなこと当たり前だろうと誰かが言うかもしれない。考えなくても分かると言うかもしれない。でも、自分で考えてみなければ、実際にやらなければ分からないこともある。ベランダから外へと顔を出した時の横風の強さ、視界の左下にある線路を走る電車に、右下にある公園で遊ぶ子どもたち、甲高い音で悲鳴を上げるブランコ。目に見えるもの、聞こえてくるもの、感触、五感が無くなるのだということ、考えたことがあるだろうか。完全な体験は出来ないが、疑似体験なら出来る。耳を塞いで周りを見る。目を閉じて外の世界をどれ程歩けるのか検証する。痺れた体の部分を触ってみる。聞こえない見えない感じない、これだけでも恐怖に値することだ。恐怖は身近に存在し過ぎているせいで、人間はそれを忘れてしまう。


 幼稚園の時、リサイクルという名目で牛乳パックや新聞紙を集めたことがあった。幼かった私は牛乳パックを小さなカッターで切って遊んでいた。集められた紙パックは水で溶かされて形を変えるだけなら、別に回収するときに形が歪であろうと関係ないだろうと。今となってはこうして言葉に置き換えられるが、当時は言葉を知らない。感覚で紙パックの形は歪でもいいと理解していた。


 カッターが物に刺さるというよりは沈み込んでいく。横にスライドさせれば切れるというよりは裂けていく。カッターが紙と接した部分がどういう訳なのか、切り口を広げていく。それは破いた時の汚い断面図などではなく、元々そうであったのではないかと思わせるほどに綺麗な切り口になる。

 唯一失敗したことは、小さい頃の私は手に持つそれがどれ程危険なものか分かっていなかったということ。理解出来ていなかったと言った方が多分正しい。


 遊んでいた私は牛乳パックを左手で押さえてカッターを当てた。そうして遊んでいる最中、押しても引いても動かなくなってしまった。抜こうとしても中々動いてくれない。もやもやした気分に駆られて私は無理矢理、突き刺さってしまったそれを勢いよく引っこ抜いた。


 サッと左手の甲が数センチ、刃物の通った跡がゆっくりと裂けていく。ぱっくりと開いた左手の傷口を私はまじまじと見つめていた。溶岩のようなどろっとした液体、白い何かが「緊急事態だ」と言わんばかりに直ぐにその傷口へと大量の血を運んできた。痛みは無かった。それよりも衝撃の方が勝ってしまうのが人間なのだろう。


 カッターで自分を裂いたなんて中々あることではない。大人になってもその記憶はきちんと引き出しの中に残っている。体に刻み込んでしまったために、その傷を見るたびに思い出してしまうというのが大半を占めている所もあるが、私が今カッターで何かを切る時に、何処まで深く入っているのか、どの角度で切り、どう動かせばスッと切れるのか、指先からその先へと感覚を引き延ばすことが出来るようになったのはこの時のお陰なのかもしれない。

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