3.貴方を守りたかった
扉を閉めた。何と言って部屋を出たのかは覚えていないが、頭を下げるくらいの最低限のことはしただろうと思いたい。
ステンターの王である男は、向かい合った自分に全てを明かしてみせた。自らが引き金を引いた戦争の背後に存在した、「キース・セデンタリア」を疎む者達による暗躍。自分を守るために、降伏を選んだ両親。家族を失った妹弟たちを、陰ながら彼が支援していたこと。それから、とうさまとかあさまが、自分を本当に愛してくれていたことも。
歩幅が段々と大きくなる。駆け抜けるような勢いで回廊を進むキースは、中庭に人影をみとめ慌てて足を止めた。腰まである揃いの蜂蜜色の髪、仲睦まじそうに並んで座る女性と小柄な少女。日が落ちて少し涼しくなった宵闇のなか、火に誘われる虫のように数歩寄ったキースと、物音に気付いたらしい少女の視線が交わる。ディフルジア・ステンター。あの日、炎を背にした時には会うはずがないと思っていた妹の姿だった。
キラキラと目を輝かせる妹を拒むことはできず、キースは誘われるままディフルジアの隣に腰掛けた。二人はおそらく自分の顔を知らないだろうから、のらりくらりと躱せばいいだろう、なんてことを考えながら。
鳥籠のトップであるディアメントの攻撃から娘を守ったフリューゲルは長いこと療養していたようだったが、出歩くことができる程度には回復しているようだ。生みの母を前にし、もう少し動揺するかと思っていたが、存外、先程の衝撃が強すぎて思考が麻痺しているらしかった。
自らを誘ったディフルジアは、キースに用事があった訳ではなかったようだ。お友達を作るために、城の人とたくさんお話するようにしているの、とにこやかに告げる。柔らかな風の中とりとめもない話をするディフルジアと、それに相槌をうつフリューゲル。過ぎてしまった時間を取り戻すように寄り添う二人は、どこからみても普通の母親と娘だった。
ひとしきり話し終えたあと、思い出したようにディフルジアがぽん、と手を叩く。
「わ、忘れてた! お友達になるには、お名前を聞かないといけないのに」
同じ名を持つ王は、一つだけキースに頼み事をした。自分のした出来事──オセルスに与しセデンタリアに攻め入り、父母を含めた多くの人間を死に追いやったこと──を、誰にも明かしてくれるな。史実通り、「キース・セデンタリア」は10年前に死んだことにして、フランセーズ、ロゼの家に連なる者として生きてほしい、と。
無論、それが一番都合がいいのは確かだ。オセルスの政府と鳥籠とが和解した今、代理としてステンターに滞在しているハイルは和平を結ぶための下準備をしにきている。オセルス国宰相「シュイノグ・エスコルテ」としての自分とロゼは王の語った「キース・セデンタリアを疎む者」を排しているし、ステンター側の人間も彼の手によって一掃されている。真実を知るものは、キースたちを含めた一握りの者だけだ。
エディリーンとシュワルツが敵国に訪れた理由を和平のためとし、「オセルスがステンターに攻め込むかもしれない噂」の出処は自分たちが排した者たちになすりつける。10年前の父の行動に違和を唱えられないよう、「拐された第一王子」と「内通者」を作り上げ、過去を捏造する。
歴史から葬られた者に全ての罪を丸投げして、ハッピーエンドの大団円。キースにとって、あまりにも都合がいいシナリオだった。己の不始末を全てなかったことにして、責任を取らずのうのうと生きながらえる。彼の話によればキース・セデンタリアとしての自分は死ぬが、「フランセーズ男爵家の運営する孤児院で育った青年キース」として生きていける。
「キース……キース・フランセーズと、申します」
にこやかに告げた名を、ディフルジアは数回、転がすように口にした。そうして彼女はそう、と祈るように手を組みなおす。
「キース・フランセーズさん。あのね、お願い事があるの。お友達になるより、ずうっと大切なお願い事」
「なんでしょう? 姫君のお願い事であれば、何でもこたえてみせますよ」
「あのね。……ルシィって、呼んでくれませんか。キース、お兄さま」
ざあ、と風が吹いた。泣きそうな顔をしたディフルジアの言葉に、フリューゲルが音を立てて立ち上がった。ふらつきながら数歩、キースの元に歩み寄る。すわ、何か思い出させてしまったかと体を強張らせるが、彼女はその細い指でキースの頬を撫ぜた。
「ずっと何か忘れている気がしていたのよ。何を忘れているのかも、思い出せないのに」
力仕事の一つもしたことのないような、繊細な指だ。フリューゲルの瞳が揺れる。あれは、彼女にとって忘れるべき記憶だ。傷つかないためになくした過去を思い出させて、いいことなんて一つもない。
顔を強張らせたキースに気付いたフリューゲルは、はっとして身を引いた。
「ごめんなさいね、いきなりこんなことをして。驚いたでしょう」
「……いえ、いえ、」
首を振るキースを、フリューゲルは再度じい、と見つめた。やはり、何か引っかかることがあるのだろうか。
急に立ち上がった彼女を支えるように横に立ったディフルジアに笑いかけてから、絞り出すように口を開く。
「ひとつだけ。ひとつだけ、忘れていないことがあるのよ。誰だったかは思い出せないけれど、わたくしにとってほんとうに、大切だったの」
「えくぼがあるの。笑うと、こうして、」
指で口角を押し上げる仕草をするフリューゲル。雰囲気に飲まれたのか、首を傾げ促した彼女を真似るように、頬に指をあてて上に動かす。
ほろ、と彼女の目から涙がこぼれた。
「わたくしと、お揃いなのよ」





