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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
3.あなたとわたしと
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幕間.道は邇きに在りて

「いつまでそうしている気だ、ディオン」


 虚ろな顔で宮殿の中心に生えた木を眺めていたディアメントは、背後から思い切り掴まれた頬に、驚いて目を見開いた。ガラス越し、抗議の意を込めて見上げれば椅子の背もたれに寄り掛かるようにして立つ幼馴染のセイアッドが此方に呆れの半眼を向けている。


「別に。ただ暇だから外を眺めていただけだよ」

「嘘をつけ。何年一緒にいると思ってる」


 ぺちん、と叩かれた額に痛いよ、と返す。誤魔化しの言葉を重ねようと開いた唇は鋭い視線に怯んだかのように動きを止めてしまい、苦し紛れの曖昧な笑みを形作ることしかできなかった。

 沈黙が痛い。無意識のうちに手繰り寄せていた、椅子の背に掛けておいた白衣を握り締める。縮こまった指先にちらりと意識を向けたセイアッドは、その目元を少しだけ和らげた。


「行ってこいディオン。今のお前に必要なのは言葉だ」

「……行ってこいって、何処へさ」

「お前の、母親のところ」


 息をのんだ。黄昏と日の入りの色をした絵の具を混ぜたような(セイアッド)の瞳。安心するはずのその色がいつものものとどこか違うような気がして、恐々、ディアメントは言葉を絞り出した。


「気付いてたのかい……?」

「むしろ、どうして気付かないと思っていたのか教えてほしいくらいだな」


 ハイルのようなイレギュラーとは異なり、まったくの偶然でコエを得た幼馴染。彼は何も知らないと思っていたのに。


「君は知らないだろうけど、僕は彼女の子ではなくて化け物の、」

「知ってる。シェイプシフター、姿を変化させられる魔物。ステンターを襲ったのもディオン、お前だろ」

「……それなら余計にだ。なぜ僕に構うの」

「化け物だってなんだって、俺にとってお前が友人だってことに変わりはない」


 ——鼻を衝く鉄錆の臭い。脚が、腕が、胴体が、食い散らかされたように散乱していた。ギザギザしたその断面を見せないように抱きしめたセイアッドの右手に吸い込まれるように、昆虫の脚を啄んだ青白い鳥が吸い込まれる。夜鷹、覚醒したセイアッドのコエ。行商をしていた家族を昆虫の魔物によって奪われた彼が得た、仇討の力。

 天涯孤独となった彼を招き、鳥籠に雇い入れたのはディアメントだった。


「きっと雛鳥の刷り込みと同じだよ。僕に対して情が湧いたんだ、だから」

「だったら猶更だ。拾った()なら、巣立つまでお前が面倒を見るのが道理だろう」


 帰ってくるまで精々ぴいぴい鳴き喚いてやるからなと、セイアッドが茶化す。


「……帰ってきたら慰めてよね、僕の大親友」

「片翼くらいは貸してやるよ」



***



ディアメントは緊張の面持ちで扉の前に立った。背を押された言葉も今は遠く、心臓の音が静まり返った回廊に響くような気さえしてくる。呼吸を整えるように深く息を吸って瞼を閉じた。

 脳裏に、つい先ほど目覚めたという知らせの入った彼の顔が過る。憎い男の血を引いているというのに、それを模倣して作った自らとはまるで異なった顔をした青年。血のつながりなんて何もなくて、あまつさえ両親をも殺しておきながら、彼を救うために命を投げだす覚悟のある家族が「おかえりなさい」と彼を受け入れた。それだというのに彼は自分を偽り、ディアメントが一番そばにいたかった人の近くで嗤っていた。


 恨めしい、羨ましい。自分は彼のせいで、たった一人の家族さえ失ったというのに。


 自分の向けていた憎悪に彼は全く気付く様子のない彼に、余計に心を苛立たせた。ないものねだりなのはわかってる。それでも、ひとつくらい、僕に譲ってくれたっていいじゃないかと、その余裕ぶった笑みを見るたびに何度思ったことだろうか。



 意を決して扉を開けた。石造りの宮殿の中、椅子にもたれるようにして振り返った彼女の姿は、思い出のなかの姿より、一回りも二回りも小さく思えた。かつん、かつんと足音を立てながら彼女に歩み寄る。心音に合わせて、身体が脈打つ。末端まで神経を張り詰めさせれば、細胞が全て入れ替わるような感覚に襲われる。


 ——視界の端で、見慣れた白衣の裾が揺れた。


「……貴女が一番恐怖するものに、姿を変えようと思った。貴女が一番恐れる姿になって拒絶してもらえたら、僕はそれが一番楽だと思ったのに」


 目を閉じても、姿は変わらなかった。

 貴女が一番、怖いもの。……本当に、ひどい人だ。


「ええ、怖かった。貴方に嫌われるのが、一等、怖かったの」

「……は、」


 彼女が微笑んだ。口角をぎこちなくあげるような、不自然な笑い方。握り締めた両の手は、カタカタと震えている。それでも彼女は真っすぐに、ディアメントと視線を合わせた。

 薄氷の瞳。ずっと、あの男を映したと思っていたこの目が、貴女と同じ色であったことに気付けなかった。


「だ、だって、貴女は僕に言ったじゃないか、」


 『その顔で、その声で、私を母親だなんて言わないで! 化け物のくせに、紛い物のくせに、私に優しくなんかしないでよ!』今でも一言一句違わずに思い出せる。恐怖したその眼にはディアメントではなくあの男の姿しか映っていない。どこまで行っても彼を模した化け物でしかない自分がこれ以上傍にいたのなら、きっと彼女は壊れてしまうと思った。だから逃げた。嫌われたのは、拒絶されたのは自分ではないと言い聞かせるようにして、逃げたのだ。


 ハイルくんが言ったことがある。

 ——コエは、その人が一番欲したものを得られる力なんですよね。


 僕は答えた。

 ——そうだね、でも僕は例外かな。


 自分が真似た男がコエ持ちだったから、不死鳥の力を得たと考えていた。しかし彼女はそんな主張なんてまるで無視して、神妙そうな顔でディアメントの胸を指さすのだ。


『ねえディアメントさん、貴方を襲った魔物のこと、僕はよく知ってます』


 臆病で、強がりで、でもとっても優しくて。

 悲しくなるくらい気高い魔物です。


 ああハイルくん、今になって君の言葉が正しかったことを理解できた。

 僕は僕の心を殺してコエを得たのか。


 ぼろぼろと、とめどなくあふれてくる涙を必死に拭う。ディアメントは人の身を得て初めて泣いた。初めて、抑えきれないほどの感情の波と出会った。

白衣の袖はぐしょぐしょに濡れて、滲んだ視界をなおしてはくれない。しゃくりあげ、途切れ途切れになりながらもディアメントは言葉を紡いだ。殺してしまった心を手繰り寄せるかのように、ていねいに、一言ずつ。


「貴女をもう一度、母と呼んでも……?」


 母は答えた。


「勿論よ、私の宝物(ディアメント)



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