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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
3.あなたとわたしと
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8.夜明け前が一番暗い

 大きく息を吐いてから、シュワルツは私からそっと体を離した。病み上がりだからかまだ青白い彼の頬に両の手を伸ばす。どうした、と動いた唇に急に安堵が込み上げてきて、私はどうしてか泣きそうになった。お兄様を助けてくれたこと、この業火のなかで諦めないでいてくれたこと。そして私に、諦めないためのきっかけをくれたこと。感謝を伝えようと口を開いたけれど相応しい言葉が見付からない。「無事でよかった」なんて、下手くそに笑うのが精一杯だ。

 それでもシュワルツは今まで見たことのないような、否、まるで彼にとっての宝物(ルシィ)のことを語っている時と同じくらい柔らかな表情を浮かべて笑ってみせた。貴方はこんな顔もするのか。普段の小馬鹿にするような顔よりも、眠っているときの幼い顔よりも、この表情こそ彼らしいのかもしれない。そう納得すると同時に、ほんの欠片ほどの既視感を抱く。私はこの表情を、ずっと昔に見たことがあるような、そんな気がした。


「早く離れないと、ここが炎に飲まれるのも時間の問題だろう。まあ幸いなことに、道は開けているが」


 シュワルツがそう言って立ち上がる。彼に支えられるようにしてその場に立つと、今まで瓦礫の中の空間だと思っていたこの場所が"そう"ではないことに気付かされた。きんいろの目が、こちらを見つめている。崩れ落ちる瓦礫から私たちを庇うように片翼を掲げた大きな鳥の、慈愛を込めた眼差しと視線が交差する。そのきんいろは私にはどこか懐かしく、それでいて酷く哀しげに写った。


「他の人間は避難出来ているのか?」

「ええ。ハイルちゃんが気を失っていたはずだけれど、怪我をしたのは貴方とお兄様、あとは私くらいじゃないかしら」


 火傷の痕の新しい腕を振ってみせれば、彼は一瞬目を見開く。


「その腕は、」

「ここに来るまでに瓦礫を避けようとして炎に突っ込んだのよ。今は緊張しているからかあまり痛くないけれど、これは後から痛むんじゃないかしら」


 シュワルツは言葉を選ぶように口を開け閉めする。暫しの逡巡の後、絞り出した返答は私に問いかけるというよりも独り言のような響きを持っていた。


「……炎は、お前にとって恐怖の対象だと思っていた」

「そんなことないわよ。大体それなら炎の護石なんて特大の地雷じゃない」


 そう茶化してみるけれどシュワルツは思案気な顔を崩さない。我慢比べになりそうな予感に降参、と両手をあげた。


「確かに怖いわ。本当は今だって、竦んで動けなくなりそうなくらい。でも私には、それより怖いものがあったから」


 翼の下、瓦礫を乗り越えながら歩く。お兄様を背負った彼より少しだけ先を行く。


「ねえシュワルツ。キースお兄様は私のこと、恨むかしら」


 ザクザクと木屑や石片を踏み分けて進む。


「私は、お兄様に死んでほしくなかった。もう一度お兄様を失うなんて耐えられなかった、どんなかたちでもいいから側にいてほしかったの」


 シュワルツに背負われたキースお兄様は細い呼吸を繰り返している。閉じられた瞼に隠された瞳の代わりに、巨鳥の(まなこ)が私を見下ろした。

 私はただ、自らのエゴだけで炎の中に飛び込んだ。もしも自分が死んでしまったら、だなんてことはまるで考えずに。お兄様を失いたくないと、その思いだけで駆けた私は自分でも呆れるくらい軽率だった。でも、それでも。どうしようもなかった、どうすることもできなかった。あの日、並んだ塚に手を合わせたときから決して戻らないと思っていたあたたかさが目の前にあると、そう思ってしまったから。「セデンタリアの紅薔薇」でも「ヴィスケリ侯爵令嬢」でもないちっぽけな幼い少女の叫びは、それこそ私の真実だった。


「ねえ、貴方はどう思う? お兄様は──私を、わたしのこと、まだ妹だって、だいすきだって、思ってくれるかしら」


 振り返ってそう問い掛ける。声の震えを押さえ付けて、そろりと彼の表情を窺った。お兄様は死にたかったのかしらと口にしようとして、やめた。例え憶測だとしても、そう言ってしまえば本当に、お兄様が遠くにいってしまうと思ったから。

 彼はその言葉に虚を突かれたような顔をした後、つかつかと私に歩み寄って頭を軽く小突く。


アホ面(・・・)

「なっ……!?」

「さ、帰るか」


 さらりと言い放ちそのまま通り過ぎた彼に憤慨し、ぐるりと体を向ける。


「わ、私は今、真剣な話を……!」

「知っている。だから言ったんだ、揃いも揃ってこの兄妹(きょうだい)は」


「直接聞けばいいだろう。恨み言でもなんでも、お前が直接聞けばいい。それともなんだ、そのよく回る口は飾り物だとでも?」


 シュワルツは呆然とした私のことなど構いもせずに、一定の歩幅で離れていく。慌てて駆け寄った私に、彼はいつものような意地の悪い笑みを浮かべたのだった。



*****



 あれから。お兄様を背負ったシュワルツと私は燃え盛る鳥籠から無事に逃げ出すことができた。声を押し殺してすすり泣くロゼにそっと近付き、膝を折って彼女に抱き付く。「ごめんなさい」とこぼした言葉に、ロゼは無言で私の背に腕を回す。瓦礫の崩れ落ちる音を意識の外で聞きながら、私たちはただただ黙ったまま互いを確かめるように抱き締めあった。

 そうして今、私たちは燃え上がり跡形もなくなってしまった鳥籠からオセルスの宮殿へと滞在場所を移していた。火傷した手を包帯でぐるぐる巻きにした私にアルは即時の帰還を訴えたけれど、生憎、病み上がりのシュワルツや昏睡状態のままのお兄様を伴っての旅路は不可能だったのだ。オセルスを牛耳る宰相の正体がお兄様でありロゼであるのならば現状、私たちが危害を加えられることはない。黙りこくってしまったディアメントさんに代わって私たちを案内してくれたセイアッドさんは、困ったように笑いながらそう説明した。


 ハイルちゃんの能力で見たままのつくりをしたオセルスの宮殿は鳥籠よりも閉鎖感が強い。建物の中心にそびえる大樹を窓越しに眺めながら、私はこの数日間のことを振り返っていた。

 二人一役でコルテさんを演じていたというお兄様とロゼ。私たちの目の前に現れた"コルテさん"は全てロゼだったけれど、彼女の話では皇太后と会うときの"シュイノグ・エスコルテ"は全てお兄様だったらしい。

 宮殿に移ってきたとき、ロゼは私には責める権利があると言った。お兄様の行為を、ロゼと、アルは知っていた。知っていて、私に隠していたのだと。ロゼの裏切りをシュワルツから聞き、アルが私を「分からず屋」だと叫んだことがあった。今であれば、アルやロゼの言動の全てが私の心を守るための白い嘘であったとわかる。もし幼い頃の私が、セデンタリアを裏切ったのがお兄様であると知ったとしたら、きっと何もかも、信じられなくなっていたはずだから。

 だがしかし。ロゼの話を受けて、お兄様がセデンタリア滅亡の引き金を引いた内通者だということは理解できた。……できたのだが、正直なところ私にはお兄様を責めることが出来そうになかった。だって、私の思い出の中の「お兄様」は、二人が優しい嘘で守ってくれた私の思い出は、責めて詰るには綺麗になりすぎていたから。


「……エディリーン様、やはり私はキースへの処罰内容には、些か賛同しかねます」

「言ったでしょう、『ちゃんとお兄様と話す』って。思い出の中のお兄様じゃなくて、今のお兄様と向き合うって決めたのよ」


 相変わらず音をたてず部屋に入ってきたロゼが、開口一番そう言い放つ。何度も繰り返されたやり取りに適当に返した言葉に、彼女は不満そうな表情を崩さない。


「甘すぎると言っているんです。貴女が、処罰を求めた私に何と言ったか覚えていないとは言わせませんよ」

「あら、忘れるわけないじゃない。『私の手を離さないで』。プロポーズにだって負けない自信があるわよ」

「ですから! それが処罰ではないと言っているんです」


 ぽんぽんと交わされる応酬に唇の端が自然と緩むのがわかる。私の「しあわせ」が戻ってきた。それも、足りないくらいのおまけを連れて。……彼女はこうして憤慨しているけれど、『貴女の人生を頂戴』と、私は鎖よりも重い約束をその首に掛けたのだ。対価としては、こちらにお釣りがくるくらいだろう。

 無論、お兄様やロゼの行動によって何千もの罪のない国民が命を落としたことを忘れている訳ではない。しかしそれは法によって裁かれる罪であり、私という一個人が咎めるものではないはずだ。ロゼにも以前伝えたが、罪の意識があるならば、然るべき場所で、然るべき償い方を。──セデンタリアの国民の、意思を問うべきだと思うから。


 憤慨するロゼをあしらっていると、コツコツと窓を叩く音がした。振り返れば、窓枠にとまった小さな黄色い小鳥がそのくちばしでガラスをつついている。淡い燐光を発するそれは、ハイルちゃんのコエであるカナリアだった。


「あら、遊びに来たの?」


 窓を開けてカナリアを招き入れると、小さな小鳥は部屋をぐるりと一周したあとテーブルの上に着地する。ててて、と数歩歩いた小鳥はそのつぶらな瞳で確認するように私とロゼとを交互に見つめたのち、急くようにくちばしを開いた。


『ディーちゃん! 落ち着いて聞いてね』


 漏れでた声に目を見開く。カナリアの口から紡がれるのは紛れもなくハイルちゃんの声だ。「ハイルちゃん……よね?」と問いかけてみればカナリアは翼を器用に動かし胸に手を当てるような仕草をする。


『一時的に僕の体と繋げてるんだ。"伝える"ことに特化した歌鳥の特性だってディアメントさんが──ってことは、置いておいて』


 ててて、と数歩進んで歩み寄ってきたカナリアと視線が交わる。ハイルちゃんと同じ鴇色(ときいろ)の瞳は、淡い朝焼けを映したようにみえた。


『キースさんが目覚めたよ。今は、王子様とグレースさん、それからセドが側にいるんだ』

「お兄様が……! それで、ハイルちゃんが私たちを呼びに来てくれたのね?」

『うん。……でも、ディーちゃん。先に、これだけは言っておくね』


 彼女は少しだけ、言葉に詰まったようだった。朝焼けの瞳が水面のように揺れる。



『何があっても、ディーちゃんにはキースさんを拒絶しないでほしいんだ。あの人の、帰る場所でいてあげて』


***


 ハイルちゃんの言葉に頷いた私は、彼女(カナリア)の案内に従って部屋を出た。かつんかつんと、一歩進むごとに足音が反響する。二人分の、足音。横目でちらとロゼを確認すれば、彼女は迷いない足取りで石造りの廊下を歩いていた。私はそれに少しだけ目を細めて──訝しそうに此方を見たロゼにはなんでもないわ、と返して──歩みを進めた。


 さして歩かないうちにカナリアは羽ばたきをやめ、ドアノブに降り立った。複雑に入り組んだ造りをしたこの宮殿は、案内がなければ到底まわることが出来ないだろうなと他人事のように考える。


『この部屋だよ、ディーちゃん』


 そう告げてから再度飛び上がった小鳥は、ピィ、と小さく鳴いた。ハイルちゃん? と首を傾げてみるがどうやらもう彼女の意識は入っていないようだ。……ノックをするより先に、急く体はドアノブを捻っていた。


「お兄様ッ!」


 力任せに扉を開けた先。ベッドサイドに座るシュワルツと、その背後に立っていたグレースさん、セイアッドさんが驚いたように此方を見やる。クッションにもたれるように体を起こしたお兄様が、ぱちりとひとつ、瞬きをした。口から飛び出そうとした言葉を遮るように、違和感が過る。

 ──きんいろの目。懐かしい陽の色ではなく、ガラス玉を嵌め込んだような無機質な目が。何の色も宿すことなく、私を、見ている。


「おにい、さま……?」


 ふらふらとベッドに寄った。昔のような慈愛や誇りも、炎の中で見た激情や悲哀すら、そこに在るようには見えなくて。手を伸ばす。頬に触れる。包帯越しに感じるほんのりと温かな肌は確かに、お兄様が生きていることを伝えてくれる。それでも。此方を見つめた両の目は確かに私を見ているというのに、どうしてこんなにもましろなの。

 頬に添えた手を包むようにして、お兄様が腕をあげた。手の甲をなぜるように動かした彼に思わず息をのむ。彼は眉尻を下げ、くしゃりと笑う。


「また怪我してきたの。本当に、ディーはかあさまそっくりなんだから」

「え?」


 今お兄様は何と言った? 何と言ったのだ?


「……エディリーン」


 こわばった体を無理やり動かして視線をずらす。私とお兄様の、重なった手が。包帯だらけになったふたつの手が、視界の端で揺れる。

シュワルツの唇がゆっくりと開く。それはまるで死刑宣告のように、響いて、



「彼はコエを失くした。それを得てからの記憶も、共に」



──恐怖したはずの言葉は、不思議とすとんと胸に落ちた。

重ねた手をもう一度握りなおす。今度こそ、離さないように。


「おかえりなさい、キースお兄様」

「うん、ただいま?」


 首を傾げながらも、お兄様は朗らかに笑ってそう答えた。

今はこれでいい、その言葉が聞けただけで満足だ。


 だってもう、ここは地獄ではないから。私は何度だって、お兄様を迎えに行けるのだ。




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