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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
3.あなたとわたしと
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5.それがきっと愛なのだと

 対峙した男は剣を構えたオレをまるで気にすることなく微笑んでいる。体を強張らせたアルくんを手で制し、剣の柄を握り直した。

「エリスさん、どうして」

 動揺を隠しきれないアルくんの言葉に「窓はきちんと閉めなきゃだめだよ」と返せば彼は「まさか、つけてくるなんて思わなかった……」と呻いて目をそらす。男は笑みを絶やすことなくオレとアルくんのやり取りをただ黙って見守っている。

「この人は?」

「……兄です。僕たちの一番上の」

 なるほどこの人が、ディーの言っていた"キースお兄様"か。じっと観察してみるけれど此方を見て微笑むその顔付きはディーやアルくんとはあまり似ていない。兄弟だと言われなければ気付かないくらいだろう。……まあ二人だって髪色も違うし、それほど瓜二つという訳ではないから何とも言えないけれど。

 給士の服を着ている彼が、黒幕かつディーの兄であるなら果たしてあの宰相は何者だったのか。その答えを今のオレは持っていないけれど、あの宰相がディーを害さないという根拠のない自信が確信に変わったことだけは安堵したかった。


「お話しは終わった?」

「生憎ね。……あの毒、まさか姉さんまで殺そうとしてたなんて言わないよね」

 アルくんが彼を睨み付ける。キースさんの瞳が二度三度揺らめいて、しばし逡巡したあと彼は唇の端をあげてにやりと笑った。


「ふうん。ねえアル、もしここで僕が肯定したらどうするつもりなのかな」

「……ッ、殺してやる……っ!」


 背後でぶわりと膨らんだ殺気と共にアルくんの指先から雷撃がほとばしる。空気を引き裂きながらけたたましい音をたてて直進する稲妻。一直線にキースさんへと突き進んだそれは、彼が軽く手を払う仕草をすると瞬く間に霧散した。吹き飛んだ雷は空気にとけるようにして掻き消え、あとには変わらずにこにこ笑う彼のみが残されている。

「なんで……!」

 戸惑いの色を滲ませたアルくんは繰り返し雷撃を飛ばすけれど、それらはどうやってもキースさんに辿り着く前に消されてしまっていた。飛んでいる虫でも払うかのような気楽さで何度かひらひらと手を振った彼は、アルくんを見て首を傾げ「これで終わり?」とこぼす。こめかみをひきつらせたアルくんの表情が憎々しげに歪む。アルくんを無理矢理後ろに追いやって、庇うように一歩、前に踏み出した。


「次は君の番?」

「……今は貴方が誰であろうとアルくんの安全が最優先なので。もしもアルくんに手出しするのなら、オレは黙っている訳にはいかないです」


 キースさんはオレの言葉に「じゃあお手合わせ願おうか」と頷いて、懐から短剣を取り出した。諸刃の短剣──所謂、ダガーと呼ばれる種。体長の半分ほどあるツーハンデッドソードを容易く片手で扱うアルフレッド団長に、見た目が格好いいからとレイピアを好むグレース副団長。オレを含めリーチの長い剣を主に扱う騎士団ではなかなかお目にかからない武器のひとつだ。手首から肘くらいまでの長さをしたそれをくるりと器用に回してみせたキースさんは一瞬腰を低く沈め、瞬間、オレに肉薄した。


「……っ!」


 剣の平らな部分を使ってそれを弾き、体勢を立て直す。手合わせと言った言葉通りアルくんを攻撃する意思はないのか次々とオレに向けて繰り出される攻撃を返すものの、元々の武器種のせいか手数の多いキースさんに防戦一方になってしまう。如何せん、間合いが狭くて思うように剣が振るえないのだ。縦横に走る刃が煌めき、襲いかかってくる。膝をバネのように使い低い体勢のまま反された刃が空気を切り裂いた。キィン、と甲高い音が響き、バックステップで距離をとったキースさんは弾かれたダガーを握り直した。汗ばむ掌で柄をぎゅっと握り締める。


「強くなったね」


 息ひとつ切らさないキースさんがそう呟きながら再度オレに迫る。だんだん読めてきた間合いに、彼が体を引いたタイミングで攻撃を仕掛ければ目を見開いたキースさんは難なくそれを避け、笑いをこぼした。


「あんなに泣き虫だったのに」


 大きくなった。強くなった。それに、泣き虫だって?

 キースさんの口から紡がれる理解しがたい言葉を頭の隅で考える。攻撃の手を緩めない彼に眉をひそめれば、朗らかに笑ったキースさんは踊る刃にあわせて口を開く。


「覚えてないかな、"泣き虫エリちゃん"?」

「……!?」


 その呼び名を知っているのは後にも先にもオレと、彼だけだ。動揺からか剣先がブレて体勢が崩れる。慌てて距離をとり、驚きを込めた目でキースさんを見つめた。



 まだセデンタリアで家族と暮らしていた頃、オレは戦いごっこよりもままごとや人形遊びが好きな子供だった。凝り性だった母親のせいか工作や料理が好きだったオレにとって、折角作ったものを壊して遊ぶ同年代の男の子は煩わしい存在でしかなかった。だからそういったものを大事に扱ってくれる近所の女の子たちに交ざって遊ぶようになったのは、オレにとっては自然なことだったのだ。

しかし女の子のなかにオレひとりが交ざっているのは何かと目立つ。周りより小柄かつ女の子のような名前をしたオレは近所のいじめっ子たちからみれば格好の的だったに違いない。

毎日のように泣きながら家に帰る日々。……そんなある日、出会ったのがお兄さんだった。


 森の隅でいじめっ子に囲まれていたとき、突然茂みから飛び出してきたローブを着た彼は、見知らぬ大人の存在に動きを止めたいじめっ子たちに、しぃ、と人差し指を立ててみせた。曰く、自分は高名な魔法使いであり悪い組織に追われているから見なかったことにしてくれないか、と。見るからに怪しい青年に群がったいじめっ子たちに、お兄さんはひとつコホンと咳をして、それじゃあ魔法をお見せしようかとにんまり笑った。

 お兄さんが杖を振れば稲妻が飛んだ。なんのへんてつもない紙切れを指でなぞれば花が溢れ、不思議な形の輝く石や綺麗な刺繍のされたハンカチが飛び出した。ハンカチを愛おしそうに握って「これはお姫さまからの贈り物なんだよ」と目を細めたお兄さんを本物の魔法使いだと信じることは小さなオレたちにとって当たり前のことだった。それこそ少し大人になればお兄さんが見せてくれた魔法はある程度の魔力持ちであれば容易く行えるものだなんてことはわかったのだが、周囲に魔力持ちのいなかった片田舎の子供にとって魔法なんてものはおとぎ話と同じだったのだ。

 ぜったい秘密にすると息巻くいじめっ子たちに、口止め料だと綺麗な石を握らせ帰らせたお兄さんはひとり残ったオレの目の前にしゃがみこんだ。手にしたハンカチをオレの擦り傷にあてたお兄さんにびっくりしてその手をはね除ければ、お兄さんは目をまんまるくする。


「……おひめさまからのおくりもの、よごしちゃだめだよ」

「僕のお姫さまはハンカチが汚れたくらいじゃ怒らないから大丈夫」


 そう言って笑って、きゅっとハンカチの端を結ぶ。


「たからものじゃないの?」

「確かにこれも宝物。でも、僕のいちばんは別にあるから平気だよ」


 結ばれたハンカチの刺繍は確か、花の模様だったように思う。大事にしていたはずなのに、いつの間にかなくしてしまったんだけれど。


 それからしばらく、オレとお兄さんは並んで沢山話をした。魔法使いのお兄さんが住んでいる大きなお城のこと、可愛いお姫さまのこと。実は今、お兄さんは仲間であるとっても強いお姉さんと合流するために森に隠れているということ。

おとぎ話よりキラキラした物語はオレを興奮させ、擦り傷の痛みを忘れさせるには十分だった。別れ際、同じように茂みから出てきた例の"とっても強いお姉さん"と軽口を交わしたお兄さんはオレの頭をぽんぽんと叩く。


「ねえおにいさん。……どうしたらぼく、いじめられなくなるかな」

「そうだな……。うん、まずは泣き虫を卒業しなきゃかな」

「そつぎょう?」

「うん。……よし、特別大サービスってことで"泣き虫エリちゃん"はこの魔法使いがやっつけてあげようか」


 お兄さんがそう言って杖を振る。ぽん、と弾けた光がオレの頭に降り注いで、ぴりぴりとした感覚が頬を撫でた。

 光の雨の向こう、ローブから覗いたのは太陽のように輝く橙色だった。



「……まさか、"おにいさん"?」

「大正解」


 キースさんが笑う。呆然としたオレの目前を、刃が閃いた。ほとんど反射的にかわした切っ先は、しかして避けきれなかったのかオレの頬に一筋線を描く。少し遅れて焼けるような痛みが走り、流れた血を手の甲で拭った。

 "おにいさん"はオレのヒーローだった。泣き虫でいじめられっ子だったあの頃のオレにとって、魔法使いの彼はとんでもなく大きく見えて。

剣を握ったのだって彼に出会ったことがきっかけなのだ。お兄さんが魔法使い、とっても強いお姉さんは近距離が得意。それならオレが大きくなって、お兄さんたちと並べるくらい強くなって、もしもそんな未来があり得たならばオレはもう"泣き虫エリちゃん"なんかじゃないと胸を張って言えると思ったから。お兄さんと同じ世界を見れたなら、おとぎ話のようなお話だってこの目で、この足で、確かめに行けると思ったから。


 無論今だってあの日のまま、"おにいさん"はオレのヒーローで、憧れだ。


「オレは確かに大きくなったし、泣き虫じゃなくなりました。でもオレ、強くなんかないですよ」


 剣を、中段に構える。


「強くなきゃいけないって、必死で自分に言い聞かせてるんです。だってオレが並び立ちたいのはもう、貴方じゃない」


 両足で踏ん張りながら前だけを見つめている彼女が好きだ。真っ直ぐ未来だけを見据えている横顔、時折みせるきょとんとした瞳。万年筆を走らせる指先、伏せた長い睫毛、抱き締めた温度。

キスしたいとかそれ以上とか、そういったことを考えるより前にオレは、ディーの柔らかい部分を守りたいと思った。何よりいちばん自分をいじめる彼女が選べるはずの選択肢を、ひとつでも残せるようにしてあげたかった。

この気持ちが恋か献身か、はたまた庇護欲か、それともそうじゃないものなのかは定かではないけれど、オレにとってディーが大事だってこと、それだけは変わらないと泣き虫だった自分に胸を張れる。


オレのお姫さまは、夢見ていたおとぎ話よりもずっとずっと近くにいるのだから。


 構えた剣を振りかぶった。距離をつめたキースさんが此方に迫る。首筋を狙って振り下ろした切っ先、前屈みのまま横に重心を移した彼の握るダガーが刺すように動いて──カン、という音と共に、呆気なく地面に落ちた。尻餅をついたまま目を丸くしたキースさんにオレはくしゃりと笑う。


「やっぱり。ディーに初めて剣を教えたのは貴方ですよね」


 エドワードと名乗り男装したディーと対戦したとき、勝負を決めようと剣を振りかぶったオレの首筋に彼女は万年筆を突き出した。まるで暗殺者か何かのようだと笑った団員たちに頬を膨らませた彼女は、オレの剣の師匠でもある元騎士団長のゲン爺さんからは長剣の扱いしか習っていない。


『チェックメイトです、エリスさん』


 誇らしげなソプラノが、耳元で響く。体の一部のように万年筆を振るった彼女の動きが、目の前の男と寸分違わず重なった。隙を見せたオレに飛び込んだ体の動きも、踊る刃も、何もかもがおんなじだった。


「ディーに会ってあげてください。彼女は貴方のこと、ちゃんと兄だって思ってます。今でも──ううん、ずっと前から、貴方のことを愛してますから」


 太陽のようだと思った陽の色をした瞳が、怯えたように酷く揺れた気がした。



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