2.紛い物の宝石
目も眩むくらいの光が収まって、恐る恐る瞼を開けば予想外に綺麗な建物の中に立っていた。鳥籠と同じ石造りの重厚そうな建物だ。奥の方には女の人がひとり、窓の外を眺めながら憂鬱そうな表情を浮かべている。
「ここはオセルスのお城。あそこにいるのが皇太后だよ」
「……まさか、ディアメントさんがオセルスの王族だなんて言わないわよね」
「ちがうちがう! ……でもそうなら、もっと単純だったかもしれないって思うことはあるんだけどね」
ハイルちゃんに連れられ皇太后から少し距離をとりながら歩く。前を行く彼女のマフラーが、動きに合わせて左右に揺れている。
「ちょっとだけ、お話ししよっか」
歩みを進めながらハイルちゃんが話を切り出した。黙って続きを促せば、彼女は後ろ手に手を組み直した。
「ところでディーちゃん、セデンタリアとかステンターに昔ばなしってある?」
「え、ええ。そうね……私の母国では建国や魔法に関するものがいくつか。ステンターでは確か、女神信仰の元になった話があったはずよ」
「オセルスにもね、有名な昔ばなしがあるんだ。角の生えた魔物が人間の女の子に恋しちゃう話。結局、戦争に巻き込まれた女の子を守って魔物は死んじゃうんだけど、死んだ魔物に女の子の涙が触れた瞬間、角は大きな木になって、女の子を守った。──それがオセルスのお城にある、大きな木の成り立ち。その木を守るためにオセルスの国は出来たんだよって、結ばれる昔ばなし」
よくある、国の成り立ちと関連付けたおとぎ話だ。
「この話って続きがあってね? 女の子は毎日、木のお世話をするんだ。女の子が女の人になって、おばあちゃんになるまで、ずーっと。……すっかり年をとった女の子が大きな木の側で昔ばなしをしていると、そこに怪我をした小鳥があらわれた。怪我を治してもらった小鳥は女の子の話を聞いて、それならばこれからは自分がお礼にこの木を見守りましょう、だから安心しておやすみ、って告げるんだ」
そうして女の子は天国で魔物としあわせに暮らしました。めでたし、めでたし。
「少女がオセルスの王家、木になったのが魔物……それに小鳥がコエ持ちの能力者ということ?」
「うん。それで、伝承とはちょっと違うけどオセルスの王家って結婚相手にコエ持ちを選ぶことが多かったんだ。要するに、少女の子孫と小鳥の子孫とが一緒に木を守ってる、ってかたちだね」
オセルス王家は他所から迎え入れる婿や嫁をコエ持ちに限定していた。強い力を持った能力者を、血筋とは関係なしに王権を継ぐものにあてがったらしい。
現オセルスの皇太后は王家の血を継いでいる。婿として選ばれたのは、その代でも特に優れたコエ持ちの男だった。
「このコエ持ちの男が問題でさ。顔と能力以外はほんっとうに、王族足り得ない器だったんだ。高慢ちきで上昇思考、女グセも悪くて……もうさいっあくの一言。コエを手に入れたときだって、自分の身代わりに親兄弟を魔物に差し出したってウワサがあることからしてお察しなんだけど」
それでも男は能力には恵まれていたから、現皇太后たる皇女との婚姻は進められた。皇太后は男の存在を憂いていたけれど、どうすることもできなかった。
そうして皇太后の思いとは裏腹に順調に準備は整えられ、瞬く間に二人は籍をいれた。男はさらに調子にのり、自分こそが王なのだと我が物顔で国中に触れ回り──その先で、とある少女に出会った。
「ステンターからの留学生だったんだって。その頃はまだそこまで国同士の関係が冷えきってなかったから、ステンターの貴族の子供とか、沢山留学に来てたらしいの」
「まさか、恋でもしたの? その留学生に」
「そのまさかだよ。……ひとめぼれしちゃったんだ」
ステンターから来ていた少女に男は惚れてしまった。自分はこういうものだ、これからオセルスを担うのは自分なのだと、あの手この手で少女の気を引こうとしたらしい。しかし少女は首を縦に振らなかった。ステンターに婚約者がいること。とても大事な人で、彼を愛していること。だから貴方の気持ちには応えられないと、きっぱりと断ったのだ。
当然、プライドの高い男は激怒した。相手には何の非もないのにも関わらず、だ。そうして男は彼女をモノにしようとして、無理矢理関係を持った。
「所謂強姦ってかたちだよ。……翌日見付かったのは酷く憔悴して意識のない少女と、高熱で焼かれたような男だったものだけ。その女の子、護石を持ってたみたいでさ。砕けたペンダントが手に握られていたから、外していたそれをどうにかして握って、その瞬間に発動したんじゃないかって」
男が死んで、皇太后は婚姻してすぐ未亡人となった。
男がステンターからの留学生を強姦したという問題は大きなものだったが、事態はこれだけで収まらなかった。駆け付けた少女の婚約者はステンターの王子で──これをきっかけに、両国の仲には修復不可能なほどの溝が出来たのだ。ショックからか少女はオセルスに留学してからの記憶を全て失っており、婚約者の心の傷を鑑みた王子により箝口令が敷かれこのことは公には「なかったこと」にされた。
皇太后の憂いは、結果として最悪のかたちとして現れてしまったのだ。
「ステンターのほうでも、そんな女の子を妃に出来るはずないって話があがったんだ。それでも王子さまは、尚更どうして彼女の手を離せるか、って言って二人は結ばれた。……女の子が身籠ってるってわかったのはそれからすぐのとこだよ」
どう考えても、死んだ男の子供だった。
躍起になって子をおろそうとする周囲に、何も知らない少女は怯え、王子や友人に助けを求めた。
「結局、その子は流れたみたいだった。第一子、男の子だったみたいだよ」
──流れた第一子。男の子。
『あのねあのね、お姉さま。今、お母さまから私のお兄さまのお話を聞いていたの』
頭の中で、組み合わさってはいけない何かが音をたててパズルのようにはまっていくのがわかった。
刺客に襲われた娘を守るため身を投げ出したあのとき、彼女は確かに言ったのだ。今回は、我が子を守れたと。
『シュワルツ王子のこと?』
『ううん、違うよ。シュワルツお兄さまの、上のお兄さま』
翼を持った愛娘とおなじ、翼の名を持つその人は。愛しそうに息子を眺め、おかあさまと呼んだ私に、嬉しそうに目を細めたその人は。──嗚呼、なんて、なんて。
「……フリューゲル、さま」
愕然とする私を置いて目の前の映像は移り変わっていった。ステンターで陛下と王妃様とが結ばれたのと同じ頃、日に日に痩せ細るオセルスの皇太后はひとり、城から抜け出し森を歩いている。
そこで皇太后は道端に捨てられた赤ん坊を見つけた。しゃがんで腕にとれば、薄氷の瞳がぱっちりと彼女を見つめる。
「この赤ん坊がディアメントさん。不定形で力を持たないシェイプシフターは、相手がいちばん怖いものに変身出来る力があるんだ。皇太后にとっては、それがきっと旦那さんが孕ませてしまったかもしれない、赤ちゃんの存在だったんだろうね」
男にそっくりな赤ん坊に変化した化け物に固まる皇太后。ディアメントさんが変身した赤ん坊はただただ不思議そうに皇太后をじっと見るばかりだ。
「……ねえハイルちゃん。それならどうして、ディアメントさんはハイルちゃんに変身したの? ステンターに来たときは何となくわかるわ。おおかた、姿がハイルちゃんだったってこととは関係なく単にシュワルツが襲撃を危惧していた、ってことでしょう」
「……僕の場合、一番怖かったのが僕自身だった。ただそれだけのことだよ」
ハイルちゃんは何かを思い出すように目を細めた。
「ディアメントさんに会ったときね。僕、心底安心したんだ。死ななくてよかった、死んだのが僕じゃなくてよかったなあって」
「おかしいよねえ。みんながいなくなってあんなに悲しかったはずなのに、僕が一番最初に感じたのは安堵だった。あのとき──ディアメントさんが僕に姿を変えたとき、聞こえたんだよ。お前が死ねばよかったのにって」
こんなところで死んでたまるかって一心で、生き残れたんだろうね。たぶんそれが、ディアメントさんの言った人生を変えるきっかけ。僕は自分でそれを掴んだんだ。
「僕、あのときの僕に背を向けないって決めたんだ。全部ひっくるめて僕は僕なの。だって今、こんなにしあわせだもん」
その横顔に私はやはり声をかけることが出来ず、捨て子を放っておくことのできなかった皇太后がディアメントさんを連れ帰る様子をただ眺めていた。
***
皇太后は、拾ってきた赤ん坊に次第に愛情を注ぐようになった。いくら憎い男と瓜二つといえど、いくら正体が魔物といえど、自分を慕う幼い子供は彼女のささくれだった心を癒していったのだ。
『誰がなんと言おうと、貴方は私の子供。私のだいじな宝物。愛しているわ、いとしい子』
揺りかごの中で寝息をたてる子供の頭を撫でるその手つきは穏やかで、確かな愛情に満ちていた。ディアメント──現代風に訳せば、ダイヤモンド。ディアメントさんの存在は、皇太后にとって宝石そのものだった。
ディアメントさんの見た目年齢が四、五歳ほどに成長したある日、皇太后はとある噂を耳にした。「ステンターの第一王子が生きている」。男の存在が薄れてきたその時期に入ってきたその噂は、再び彼女を精神的に追い詰めるには十分すぎた。彼女のもとにまるで生き写したような子供がいることも、要因のひとつとなった。
精神を病んだ皇太后は、何もわからずただ母親を心配するディアメントさんを跳ね退け、彼を拾ってから一度足りとも口にしたことのなかった言葉を浴びせた。浴びせてしまった。
『その顔で、その声で、私を母親だなんて言わないで! 化け物のくせに、紛い物のくせに、私に優しくなんかしないでよ‼』
そうしてディアメントさんは彼女のもとを離れ、心優しい夫婦に拾われ、行商をしていたセイアッドさんの家族と知り合った。魔物に襲われ家族を失ったセイアッドさんを引き取り兄弟のように育ち、成長した彼は鳥籠を設立した。
「ディアメントさんは僕たちにコエを与えた理由をエゴだって言ってる。鳥籠を設立したのは母を、母の憂いたこのオセルスを守りたかったからだよ、僕は君たちを利用してるに過ぎないんだから、って」
偽物だって、紛い物だって、僕にとっては全てだった。与えられた愛情は、愛おしんでくれた時間は、紛れもなく、本物だった。
目の前で、一回り小さいハイルちゃんの頭をディアメントさんが撫でる。登頂部から手を滑らせ、左の頬をなぞるその動きは、幼い赤ん坊に皇太后がしてみせたそれとぴったり重なるものだった。
「……ディアメントさんが鳥籠を設立した理由が皇太后のためだとは理解したわ。でもそれは、オセルス政府と鳥籠とが繋がっていると疑う要素にしかならないわよね」
「そうだね。でもねディーちゃん、ひとつ決定的な事実を忘れてる」
ハイルちゃんが人差し指をたてる。
「宰相は──宰相シュイノグ・エスコルテは、旧政権の人間を一掃した……勿論、物理的にね? つまり殺したんだ。全員、跡形もなく。今、旧政権のうち残っているのは皇太后のみ。ディーちゃんならこの意味、わかるでしょ?」
「コルテさんはディアメントさんの最大の敵、だと?」
「そう。鳥籠は皇太后の味方だけど、宰相が実権を握るオセルス政府とは何があっても平行線だよ。ディアメントさんは勿論、彼に救われた僕たちみたいな人間は皆そう」
映像が歪む。お話はこの辺にしようか。ハイルちゃんが手を打つのと同時に、目眩のような感覚が私を襲う。
両足でなんとか踏ん張った私が目を開くと、そこにはハイルちゃんの首筋に切っ先をあてるエリスの姿が。
「──やめてエリスッ!」
手にしていたナイフを取り落とし叫んだ私にエリスが驚いて動きを止める。身を竦めていたハイルちゃんはパチパチと瞬きし、私をみてふにゃりと頬をゆるめたのだった。





