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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
2.その想いに触れたから
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13.だからその腕を取ると決めた

 コルテさんの突然の訪問から三日、私は朝から本日行われるパーティーの準備に追われていた。耳元の髪の房をリボンで留めてから、鏡に映った自分を見てひとつ頷いた私はドアの外へと向かう。


 あの日シュワルツに詰め寄った私は、彼を見据えて一つだけ問い掛けた。

「貴方が今まで私に言った言葉に、悪意のある嘘はひとつでもあった?」

 答えは、否。

 シュワルツがキースお兄様が生きていたことを知っていたとしたら、|それには相応の理由がある《・・・・・・・・・・・・》。今の私には、それで充分だ。


 素のシュワルツは確かに、ほめられた性格はしていないだろう。人を顎で使うし、ほんの小さなことでチクチクと指摘してくるし、私が言えたことではないが外面と内面との解離は恐ろしいほどだ。

 それでも私は彼と出会って季節を二つばかり過ごして、その中で少しはその人となりを知っていると自負していた。

 ルシィのことが大切で、ルシフェルさんには頭があがらなくて、団長の腕には一目置いていて。そして何より彼は次の王として、ステンターのこれからを真摯に考えている。

 もしも彼が私に嘘を吐いているとするならば、それが最善策だから。コルテさんの言うところの「優秀な駒」をみすみす失うなんてことはありえない。シュワルツは馬鹿ではないのだ。彼は絶対に、自らの益にならないことはしないだろうから。


 カツン、とヒールを響かせ廊下に出れば、壁に凭れていたシュワルツが横目でこちらに視線を向ける。どうかしら、と挑戦的に見上げてみれば、彼はひとつクスリと笑って、いつかのように私に腕を差し出した。

「お手をどうぞ、我が麗しの婚約者殿?」

「死なば諸よ。地獄までどうぞ、エスコートして頂戴ね?」

 腕を組ませ、しゃんと背を伸ばした。

 大丈夫、私はまだ戦える。


 ──例え、この後相対するのがあなただとしても。



 シュワルツと共に扉をくぐれば、石造りのホールは簡素ながらきらびやかに飾り付けられていた。入り口付近、グレース副団長と並んでいたエリスがこちらに目配せする。小さく頷けば彼は私たちの背後にするりと近寄り、すれ違い際に耳元で囁く。

「入り口に二、宰相の近くに一、ステンドグラスの裏に三。あとは憶測だけど天井裏に二。うち、入り口はオレたち、ステンドグラス付近はアルくんが見張ってる」

「……ほう、随分と熱烈な歓迎だ」

 ニヤリと笑ったシュワルツは颯爽と足を進め、奥に立つコルテさんと向き合った。

「お待たせして申し訳ありません宰相。何分私のような若輩者にこのような場は少々荷が重く……。恥ずかしながら今しがた、彼女に叱咤されてきた次第でして」

「謙遜がすぎるよ、シュワルツ王子。僕相手に緊張なんてしなくていいのに。……まあ、仲良きことは美しきかな。二人の関係が良好らしくて何よりだね」

 す、と目を細めたコルテさんの視線が一瞬、私を射抜く。にっこりと余裕を含ませ微笑んでみせれば彼は呆れたように肩を竦めた。

「じゃあ早速だけど。両国の益々の発展を願って、乾杯でも?」

「ええ、喜んで」


 壁際では私たちの護衛であるハイルちゃんやセイアッドさんを含めた鳥籠の面々が目を光らせている。鳥籠のトップであるディアメントさんも彼女らの近くに立ち、コルテさんの一挙一動を監視しているようだった。

 コルテさんはそんな余多の視線をものともせず、テーブルに置かれた葡萄酒の栓をあける。ぽん、と小気味いい音をたてたボトルを手にすると、給士であろう隣の人物から受け取ったグラスに中身をなみなみと注ぎ笑顔でそれを差し出してくる。

 軽く会釈してそれを受け取ったシュワルツに倣いコルテさんからグラスを受け取れば、ひやりとした感覚が指を伝う。持ち手まで結露しているグラスはまるで新雪に触れたかのように、指先を刺すほど冷たい。──冷たい?


 急いで視線を巡らす。コルテさんの手に握られたボトルは、常温で置かれていたらしかった。確認したところ、ボトルは汗すらかいていない。

 思い出したのは、ステンターを出る前のアルミラさんの忠告。


『冷たいグラスは選んじゃダメ。シュワルツ王子やエリスくんの屍の上でキスしたくなかったら、絶対よ』


 彼女は少し先の未来が視える。アルミラさんがそう忠告したのなら、私の手にあるこのグラスは決して口をつけてはならないはずだ。

 シュワルツとコルテさんが二言、三言会話しながらボトルの栓を戻す。隣を見れば、シュワルツのグラスは私のものとは異なり水滴のひとつもついていない。

(──切り捨てられた、か)

 恐らくは私がこうしてシュワルツに伴って広間に来た瞬間、このグラスが私の手に渡ることは決まっていたのだろう。コルテさんは私のことをシュワルツにとっての駒だと言うが、それは彼にとっても同様で。簡単に言えば役に立たない駒は、要らないのだ。

 あのとき私がシュワルツとの関係を切ってオセルス側についていたならこのグラスは今頃きっとシュワルツの手にあった。つまりは、そういうことだ。


 コルテさんが乾杯の音頭をとる。

 口をつける訳にはいかない。しかしここで飲まなければ、建前上「両国の和平」のためのパーティーに泥を塗るはめになる。

「エディリーン?」

 シュワルツが不審そうに私を覗き込む。危険は承知だか一口程度なら……。そう思いグラスを持ち上げた瞬間、シュワルツの手からグラスが滑り落とされた(・・・・・)

 床にはけたたましい音をたてて散乱したガラスの破片と、飛び散った葡萄酒。わざとらしい表情を貼り付けたシュワルツに目を丸くした私の手から、ワイングラスがするりと抜き取られる。


「……失敬、手が震えてしまいまして。代わりといっては何ですが、幸いグラスはまだありますから。我が麗しの婚約者殿のものを拝借して、乾杯と致しましょう」


 冷たいグラスを手にしたシュワルツは、呆然とする私を見て満足そうに笑い、中身をあおった。



 シュワルツの行動にコルテさんの目は大きく見開かれ、一瞬ののち面白そうに細められた。抑えきれない口元の歪みを隠すように彼はひとつ咳をしてからにっこりと微笑む。

 私のグラスが冷たかった訳。アルミラさんの忠告を鑑みれば、考えられるのは毒物だ。シュワルツやコルテさんのグラスや葡萄酒のボトルが常温だったことから、もしも毒が仕込まれているなら私のグラスであることは確実。おおかた、熱に弱い毒だろう。

 私は彼にアルミラさんの話をしていない。だからこそこうしてシュワルツが何の気もなしにグラスを口にしてしまったのかと思い唇を噛み締める。言う機会なら、何度もあったはずなのに。


 隣でシュワルツが舌鼓をうった。味わうように葡萄酒を口のなかで転がしてコルテさんと話すシュワルツには、全く毒の症状はみられない。飛び散ったワイングラスの欠片を拾う給士に肩をすくめ、「申し訳ない」と笑う余裕さえみせている。


 ──もしかして毒は、入っていなかったのだろうか?


 そんな考えが頭を過るほど、シュワルツの言動は普段とまるで変わらないようにみえる。

 体を固まらせた私をそのままにシュワルツとコルテさんの会話は続いた。ステンターのこと、オセルスのこと、シュワルツのつくった街道の話に、コルテさんが興味を持った薬学の話。およそ耳から耳へと通り抜ける、何の変哲もないその内容には明らかに互いを探る明確な意図が込められていて、彼らが一言発する度に寿命が縮む思いがする。


 乾杯の音頭からしばらくたって、お開きにしようかと言ったコルテさんに背を向けようとしたそのとき、彼はひょいと、シュワルツに向けて何かを放ってみせた。

 シュワルツはそれを片手で受け取ろうとして──ぐらりと、その半身を大きく揺らめかせた。

「シュワルツ!?」

 バランスを崩した彼を咄嗟に支えればシュワルツは辛うじてコルテさんの放ったそれを掴んでいたようで、左手で握られた小瓶を押し付けるように私に手渡してくる。繊細なガラス細工の施された手のひらサイズの小瓶のなかで、たぷんと黄色い液体が揺れた。


「なかなか面白いお芝居をみせてもらったから、それ、観劇料ってことで受け取ってくれるかい?……もっとも、そろそろ処置をしないと彼、危ないと思うけどね」

 そう言ってコルテさんが浮かべたのは、それはそれは魅力的な微笑みだった。



 痙攣し始めたシュワルツの体を引っ張って広間を出れば、すぐさま追って飛び出してきたグレース副団長が彼の頬を掴み真剣な表情でその瞳孔や呼吸を確認する。

「……焦点が合わない。それと、呼吸器の異常に手足の痙攣。王子、きみ、一服盛られたね?」

「あの場……で、は……最適、解だ、た……」

「馬鹿だね、わざと飲んだのかい? ……エディリーン嬢、投げつけられたもの、みせて」

 グレースさんに慌てて小瓶を手渡せば、それを一瞥して彼はきゅっと口元を結んだ。

「やってくれるよ、本当に。……これ、血清だ」

 血の気のひいて真っ青な顔のシュワルツはそれでも気丈な笑みを浮かべ、「ほら、な?」とグレースさんに言ってのける。


「ああもう! クソッタレだな本当に! ──ディアメント、注射器を用意して。出来るだけ速く、お願い。セイアッドとはーちゃんは、たらいとありったけの飲み水を運んで。念のため胃のなかのもの全部吐かせるよ。……エリス、宰相は今はムリだよ。王子の容態が最優先」

 後を追って広間を飛び出してきた鳥籠の面々とエリスに明確な指示を飛ばすグレースさんは、シュワルツの体を抱えると振り向きざま、私に「着いてきて」と静かな声で言ったのだった。



 グレースさんに続いてシュワルツの客室へ走る。私のすぐ後ろにはアルとエリスとが続いている。グレースさんは片足でバン、と扉を蹴って開き中へと駆け込む。シュワルツをベッドに座らせ脈を計った彼は容態を確認しながら、私にひとつ視線を向けて「状況の報告を」と鋭く告げた。

「……ワイングラスが、私のものだけ冷たくて。アルミラさんが、ダメだって言っていたから私……。でも飲まなきゃだめだと思って、そうしたら、シュワルツが……!」

「……アルミラちゃんが?」

「『冷たいグラスは飲んじゃだめ』。俺やシュワルツの死体のうえでキスしたくなかったら、守ってほしいと彼女が」

 うまく言葉がまとまらない私にかわりエリスがそう口にすれば、グレースさんは大きく溜め息をついた。

「確かに王子の言うとおり最適解だよ……。きっと飲んだのが王子だったから宰相は血清を渡した。エディリーン嬢、もしもこの毒をきみが飲んでいたら間違いなく、死んでたよ」


「みず! 水持ってきたよグレースさん! 注射器も見つかった!」

 開いたドアから転がるようにして飛び込んできたハイルちゃんがグレースさんに注射器とともに酒瓶を手渡せば「気が利くね」と彼は笑って、シュワルツのシャツを脱がせると右肩をさらし注射器を準備した。酒で軽く拭いたあと針をさす。慎重に針を抜いたグレースさんは詰めていた息を吐いて、シュワルツの服を戻した。

「王子。ちょっとみっともないけど我慢してね。……ディアメントかセイアッド、吐瀉物平気ならたらい持ってて」

 さっと動いてシュワルツの顔の下にたらいを構えたセイアッドさんを確認したグレースさんは、躊躇なくシュワルツの口を開き口内に腕を突っ込んだ。う、とシュワルツが呻いた瞬間、彼は拳を組んで鳩尾を圧迫する。元々青い顔を更に紙のように白くさせたシュワルツが一通り胃のなかのものを出し終えると、グレースさんはカラカラ笑って彼に無理やり水を飲ませる。そうして処置を終えてシュワルツをベッドに横にならせたグレースさんは、ここにきて初めて笑顔を見せた。


「ふぅ。なかなかに難儀だったね~。生憎、野郎が吐くさまを見て喜ぶ人間じゃないからなぁ僕は」

「……シュワルツは、大丈夫なの?」

「一命はとりとめたよ~? あとは血清と王子の体力次第かなぁ、長くて二日くらいで回復するはずだよ。僕は女の子ならまだしも、残念ながら王子の看病をする気はないからエディリーン嬢、お願いできるかな?」

 グレースさんの言葉に頷けば、彼はほっとしたように眉尻を下げた。



 そうしてそれから五日がたった。シュワルツは未だ、目を覚まさない。


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