12.土に蓋して火を焚いて
エリスに連れ添われ客室に帰って来た私は、アルとシュワルツに事実上仲間はずれにされたことを少々不安に思っていた。
(アルは少し表情が固かった気がするけれど概ね普段通りだった。……問題は、シュワルツよ)
あの居丈高な王子様のあれだけ狼狽えた姿は見たことがなく、私が初めてルシィと会った際よりも酷くペースを乱されているような気がしてならない。コルテさんのことで何か彼の予想外の出来事があったであろうことは容易に想像がつくけれど、生憎私にはなんのことだかさっぱりだ。
うんうんと唸っていると扉をノックする音がした。返事をすれば「エリスさんに呼ばれて来たよ!」とハイルちゃんの声。その言葉に駆け寄り、それでも警戒は怠らず少しだけ扉を開けばぱっちりとしたハイルちゃんの目が隙間から覗く。それに安心して彼女を中に招き入れ扉を閉めた。
「ごめんね、まさか宰相が連絡もなしにふらふら来るなんて予想外で」
椅子に腰掛けたハイルちゃんが開口一番文句を垂れる。険しい顔になる彼女に「気にしていないわ」と返せばハイルちゃんは手持ち無沙汰なのか首に巻いたマフラーを片手で弄りながら溜め息をついた。
「パーティーの日取り、決まったから伝えに来たんだ。今日から三日後の三時からだって。……しかもそれだけじゃなくて、それまであの宰相が鳥籠に泊まるらしいんだよ? ほんと、信じられない……」
「コルテさんって護衛もつけていないんでしょう? いくら国内だからって、あんなにディアメントさんに毛嫌いされていてよく泊まる気になれるわね」
こう、背後からグサッとやられる可能性を考えやしないのだろうか。
「……気にしないんだよ、宰相は。嫌悪感丸だし! って感じの僕にだって普通に話しかけてくるし。最近、ちょっと異常なんじゃないかって思い始めたところだもん」
「異常?」
「うん。だって、相手から『嫌い!』ってオーラが出てるのに、その人のこと好きになったり沢山話したいなって思ったり、する?」
しばし考えてみて、私は首を横に振った。
「だよね? でも宰相には関係ないみたい。ううん、それどころか好意もきっと同じなんだと思う。人懐っこそうに見えるけど、たぶん宰相にとっては僕もディアメントさんも、ディーちゃんだって皆おんなじなんだよ。道端の木とかと、おんなじなの」
だから僕は宰相のこと、だいっきらい。
ハイルちゃんはそう呟いたきり、黙ってしまった。
確かに、異常とまでは言い過ぎかもしれないが初対面の私に向かっての態度、ディアメントさんやハイルちゃんへの態度を思い返してみれば彼は常にマイペースに自分のことだけを話していたに過ぎないと考えられるだろう。それが全て「周囲に関心がない」のならば、それもそうかと納得してしまう自分もいる。
「でも、シュワルツには興味を持っていたと思うけれど」
「そう! 僕もそれが意外だったんだ。あんなに話す宰相なんて見たことない、ぜったいぜったい、何か企んでるよ!」
胡乱気な表情を浮かべるハイルちゃんに私は口をつぐんでしまう。私から見ればコルテさんは悪人とは思えず、けれど手放しに信用に足りるかといえば戸惑ってしまうような存在だったから。
黙った途端、コン、とドアをノックする音が聞こえた。はて誰だろうと腰をあげようとすれば「僕が出るよ」とハイルちゃんがかわりに立ち上がる。
「はーい、どなたですか?」
「エリスです。ごめんディー、ちょっと問題が……」
「あれ、エリスさん? 今開けますねー!」
ガチャ、と音をたててハイルちゃんが扉を開けた先には困ったような顔をしたエリスと、
「やあ、少しお邪魔するね」
──コルテさんの姿があった。
エリスの背後から体を乗り出したコルテさんを見たハイルちゃんは私を庇うように前に出て、その動きを制するように腕を上げた。何があったのだとエリスに視線を向ければ、些か緊張気味の彼は「ごめん」と口を動かしてみせる。
「来ないでください、宰相ッ! これ以上近寄ったら撃ちます!撃ちますから!!」
「そんなに怒らないでよ、今は丸腰なんだよ? ……それに、「鳥籠」の人員が人を襲うのはご法度なんじゃなかったっけ?」
「──それ、はっ!」
「……ハイルちゃん、落ち着いて。このままじゃ埒が明かないわ」
既に臨戦態勢のハイルちゃんの肩にそっと手を添える。コルテさんから距離を取らせるように此方側へ数歩退かせれば、代わるようにエリスが私たちとコルテさんの間に入った。
「突然ごめんね、エディリーン嬢。少し、君と弟くんに話があって。偶然騎士くんに会ったからここまで案内してもらったんだ」
「わたくしと弟に、ですか? ……失礼ですが、シュワルツにではなく?」
「うん。そうそう、これを持ってきたんだ」
そう言うとコルテさんは丈の長い上着のポケットを漁り一枚の紙を取り出した。
(……っ、なぜ)
差し出されたのは紛れもない、"ステンター攻略のための作戦が書かれた地図"。私がコルテさんの筆跡を真似た、あの地図だ。
「酷いよねえ、シュワルツ王子もさ。「ステンターで話題沸騰!」っていうから取り寄せてもらったらびっくりしちゃった。外交については彼も僕と同じように考えてくれてると思ってたんだけど……これを見ちゃったら、ちょっと考え直さないといけないのかなあ」
「……それは一体何ですの?」
「え、ちゃんと見えなかったかな?これ、君たちが作ったものじゃないのかい?」
内心の焦りを抑え口に出した声は震えてはいないだろうか。首を捻るコルテさんは未だ愛想よく笑っているばかりで何を考えているのか全く読めない。強張った身体を無理矢理動かして「心当たりがないのですが」と申し訳なさそうに呟けば、コルテさんは「じゃあいいや」と乱雑にそれをポケットに戻した。
「まあ、実を言うと本題はこれじゃなくてね。──ねえエディリーン嬢。僕は今からシュワルツ王子の婚約者じゃなくてセデンタリアの王族としての君に話すよ」
一呼吸おいて、彼はふわりと微笑んで両手を広げた。
「僕がこうして一人でここに来たのは、君たちを助けるためなんだ」
にこにこと笑うコルテさんに怪訝な視線を向ける。
「……どういうことです。助ける、って」
私が口を開くよりはやくエリスがそう問い掛ければ、コルテさんはさも当たり前のことを聞かれて拍子抜けしたようにぱちりと目を瞬かせる。
「どういうことも何も、「ステンターに利用されてる君たちを助けて」って、キースくんに頼まれたから」
「どなたと間違われたかは分かりませんが、キースお兄様は既に亡くなっていますわ。貴殿方、オセルスとの戦争で、城ごと焼け死んだ……御存じないとは、言わせません」
あっけらかんと言い放つコルテさんに眉を潜めながら答えれば、彼はきょとんとした顔で不思議そうに首を傾げる。
「生きてるよ?君のお兄さん」
「……有り得ない。あ、有り得ません、そんな」
喉奥から絞り出したかのような小さな声が、開きっぱなしの口から漏れ出るのを他人事のように認識する。隣に立つハイルちゃんが私の袖をきゅっと握ったことで初めて、自分の体が震えていることに気が付いた。
コルテさんは無邪気に、「あれ、もしかして知らなかった?」と頬を掻いている。
生きている? キースお兄様が?
あの日みた形を留めてもいない遺体は、キースお兄様のものではなかったと貴方はいうの?
「簡単に説明するとね、そもそも王位継承権のあるシュワルツ王子が君を娶ろうとすること自体おかしいってこと」
君たちがオセルスに来れる手段はもう一つあるのにねえ。コルテさんが首を傾げる。
「……何を、仰りたいんです」
「だってそのためのスペアなのに」
第二子以降の使い道ってそういうものだよ。コルテさんの言葉に悪意などまるでない。
(アルやルシィが、スペアですって?)
彼にとって当たり前の台詞は、私を苛立たせるには充分すぎた。
「君もシュワルツ王子も、元は同じ立ち位置なんだし理解出来ないはずないのにさ。だって転がり落ちてきた王位でしょう? ステンターでは第一王子が死産、セデンタリアでもキースくんは死んだことになってる。そんな中で、わざわざ君たちが婚姻する必要性があるかって考えたことはあった?」
「シュワルツ王子がどうして君を娶りたいか。単純に考えて、国益のためだとは思わない?元々ステンターはセデンタリアと違って土地の利がない。魔獣の有無に違いはあっても、山脈を挟んだステンターとオセルスの立地はほぼ変わらないと言ってもいい。加えて魔術国家のセデンタリア、言っちゃ悪いけど戦闘力に成りうる能力者のいるオセルスと違ってステンターには防衛手段が無いに等しい。それでもステンターはセデンタリアと同盟を結んでいたから、この大陸では三国に権力が分割されていた。……理解は出来る? エディリーン嬢」
「シュワルツがわたくしに話を持ちかけたのは、祖国を取り戻したいわたくしが駒として有用だからと、そう仰りたいので?」
「流石、頭が回るね。君たちがくっついたほうが、いつでも切り捨てられるスペアより国同士の結びつきは強くなるんだよ。そこで、僕は君に提携を持ちかけたい。ステンターと仲良くするに越したことはないけど、今のままじゃ僕らオセルスにとって分が悪すぎる。セデンタリアとステンターの結び付きがこれ以上強まるのは悪手なんだ。……ねえエディリーン嬢。君がシュワルツ王子との婚姻を破棄するというなら、セデンタリアは喜んで君たちに返すよ。キースくんにも会わせてあげる。君たちはまた昔みたいに家族で暮らせるようになる」
私の形相にもまるで顔色を変えず一方的に喋り続けるコルテさん。いつの間にか私のすぐ側にきていたエリスがそっと私の拳に手を重ねて、血が滲むほど固く握り締めていた指をほどいた。その温かさに、煮え立っていた気持ちが少しだけ落ち着くのがわかる。両足に力を込めて、まっすぐコルテさんに向かい合った。
「確かにシュワルツはそのためにわたくしと組んだのかもしれません。しかしだからといって、彼の口から何一つ説明されていないこの状況下において、わたくしが今ここで裏切るなんて真似は到底、出来るはずがありません」
言葉を連ねた私に、コルテさんは困ったように笑った。何が言いたいのかと言外に視線を強めれば、彼は小さく肩を竦めてみせた。
「だって彼、知ってるんだもの。キースくんが生きてるってこと」
*
ロゼに連れられ逃げ出したセデンタリア城。おばさまたちの家に迎え入れられてから数日たって、ロゼはふらりと姿を消した。それを不安に思い彼女を追い掛けた先で、ロゼはひとり、未だ燻り続ける瓦礫を乗り越え無言のまま穴を掘っていた。
大きなスコップを担いだ彼女が手を合わせる横で私も真似るようにてのひらを合わせ瞼を閉じた。ロゼはそこで私が着いてきていたことに気が付いたようだったけれど、彼女はそんな私を何一つ咎めることはなかった。並んだ塚は人間がそこに眠っているとは思えないほど静かで、冷たかった。私は初めて、声をあげて泣いた。
それからしばらくたって、お父様とお母様の遺体を見つけ白い布でそれをくるんだロゼは二輪車に二人をのせてから、しゃくりあげる私を見て困ったように、「全員は、連れて帰れないんですよ」と言って下手くそに笑っていた。
キースお兄様の遺体が瓦礫のなかから見つかったのは日暮れ近くだった。ロゼが最後に抱えあげた「人だったもの」は真っ黒になっていて、それが誰だったかなんて全くわからないほどで。それでもその指に嵌まった指輪は確かにキースお兄様のものだった。
私はその遺体を地面におろしたロゼの表情を窺った。
ロゼは笑っていた。笑いながら、泣いていた。
「馬鹿ね。……ほんと、おおばかものよ」
そうして彼女はその遺体から指輪を外し、それを私に握らせてから遺体を土に埋めた。物言わぬ塚がまた、ひとつ増えた。
それから二輪車を引いて歩くロゼに背負われた私は、ぴったりと彼女にくっついたまま帰路についた。指輪はロゼの左の親指に嵌められている。きっとキースお兄様はロゼのことを守ってくれると言って渡せば、ロゼは黙って私を抱き締めた。──それが、あの日の記憶だ。
ロゼは指輪だけ外して、お兄様の遺体を持ち帰らなかった。両親の遺体は丁寧にくるんで持ち帰ったのに。
どうしてそれを疑問に思ったことが、一度としてなかったのだろう?
力任せに扉を開けた。部屋のなかにはぎょっとした顔のシュワルツと、目をまんまるくしたアルの姿。
私は彼に大股で迫り、その胸ぐらを掴み上げて。
「……答えて、シュワルツ」





