10.白銀の訪問者
朝日が眩しくてうっすら瞼を上げれば目の前には安心しきって緩んだアルの顔があった。ふふ、と小さく笑ってその頬を撫で、弟を起こさないよう慎重にベッドから出る。
ネグリジェから着替え髪をまとめたところでアルが目を擦りながら起きてきて、少しだけ決まり悪そうな顔で「おはよ、ねえさん」と呟いた。
「おはよう。髪の毛、跳ねてるわよ」
「え、ほんと? ……あはは、姉さんとお揃いだ」
鏡を覗いたアルがぴょこりと跳ねた髪を摘まんで笑う。もしや私も跳ねているのかと手をやれば、「うそ、冗談だって」とアルがまた笑った。
迎えに来たハイルちゃんに案内されて廊下を進み、広間へ続く扉を開けば五、六人で囲めるほどの大きさのテーブルに食器や燭台が並べられていた。外観はあからさまに砦といった雰囲気の建物だったがステンドグラスが陽光を反射して光る様子はとても美しくて、教会か何かにいる錯覚さえしてくるのだから不思議なものだ。
奥の椅子には既にシュワルツが腰掛けていて、その向かいに私とアル用であろう席があるのが目にとまった。シュワルツの背後に控えていたエリスが私に気付き手を振ると、ハイルちゃんは焦ったようにぴょこんと飛び上がり「エリスさんの席はこっち!お客さんは座って!」と叫びながら駆け寄っていった。
「え、オレは後から頂くよ? オレとグレース副団長は護衛で来てるんだから」
「でもセドとかディアメントさんと旧交をあたため云々って言ってたからこっちの職員と食べてるはずだと思います!」
ハイルちゃんにぐいぐいと押されたエリスが諦め席についたのに続いて私とアルも腰掛ける。「食事、運んでもらうように連絡してくるね!」と言ったハイルちゃんが広間から出ていくと、置かれた燭台をつまらなそうに眺めていたシュワルツが「さて、」と一言呟いて視線を上げた。
「随分と悠長なお出ましだな、エディリーン」
「あら、言われるほど遅くはないと思うけれど?」
つん、と澄ませばシュワルツはくつくつと笑う。
「……まあいいわ、ひとまず置いておきましょう。それで、ハイルちゃんが席を外している間に秘密のお話しでもしようと思っていたのかしら?」
一つ手を叩いて仕切り直せばシュワルツは神妙そうな顔付きで頷いた。
「ああ、その話なんだがな。つい先程セイアッドの方に確認を取れたから情報の共有を、と思った次第だ」
「まず一つ。闘技大会で此方を襲った刺客の、鳥籠への所属の有無だ。鳥籠側にはあのハイルとかいうガキより小さな者はいないらしい」
「つまりは、オレたちを襲ってきたのはやっぱり此所の人たちじゃないって考えていいんだね?」
エリスがそう言えばシュワルツが頷く。しかしこれはあの襲撃時点から「鳥籠の人員は人間を害さない」とシュワルツが知っていたことから、確認のようなものだったのだろう。
次いでシュワルツは食卓に並べられた銀食器を弄りながら話を進める。
「そしてあの刺客は、残念ながら人間ではないそうだ」
思わず、耳を疑った。
「人間じゃないですって? ……嘘、あれは紛れもなく人の形をしてたじゃない」
「それが驚いたことに、あれは魔物の一種なんだと」
シェイプシフターの一種、とシュワルツは言った。シェイプシフターとは様々な姿に化けることの出来る魔物の類を指すそうだ。シュワルツとの婚約披露のあとのパーティーでルシィがそのことを伝えようとしてくれていたのだが、私があの様だったので今更になってしまったという。申し訳なさで一杯になったが、シュワルツは「改めて確証が持てたから構わない」と言ってそんな私を一蹴した。
「そうだ、僕も馬車に乗ってるときにセイアッドさんから色々聞いたんだ。まあ、あんまり関係ないかもしれないけどね。魔力とコエの違い、とか」
「確か、魔力は先天的でコエは後天的……だったかしら」
首をかしげればアルはその通りだと頷いた。
「その、後天的に能力が付与される条件っていうのが『一度死にかけること』らしくて」
セデンタリアやステンターと異なり未だ生活のすぐ側に魔物が蔓延るオセルスでは、魔物が人を襲うことも多々あるそうだ。そうした際、運良く生き残れた者が能力としてのコエを獲得するといった形だという。
「死にかけた状況によってコエの能力は異なるみたい。大体はその状況から脱することの出来るコエが付与されるみたいだよ。例えばセイアッドさんの夜鷹は昆虫型の魔物に特化してる。あの人、小さい頃に甲虫らしき化け物に食べられそうになったって言ってたんだ
鳥籠のトップのディアメントさんは竜種の炎に焼かれかけて不死鳥を。シーサーペントなる水域に潜む魔物に襲われた者は翡翠を。……最も、ハイルちゃんのカナリアのように歌鳥なんていうコエを付与されるイレギュラーも時たまにいるらしいが、大方法則に乗っ取っているのだそうだ。
「神様からのギフトとか、そういった認識みたいだね。おんなじ鳥の種類でもその状況に応じて能力は異なってくるみたいだし、話を聞いてると頭がこんがらがりそうだったよ」
「かなり興味深いわね。……でもそう、臨死体験、か」
アルの言うとおりなら、ここ鳥籠にいる人は皆、過去に一度は死を覚悟したことがあるのだ。弾けるように笑う、無邪気なハイルちゃんが死にかけたことがあるなんて信じられない。彼女がどうして今無事なのかは私が探るべきでないとわかってはいるけれど。
命を落としかけたのに、手に入れたのは戦えない力だけだった。ハイルちゃんはどうしてあんな風に、太陽のように、笑っていられるのだろう。
(きっと、彼女はとても強い子だわ)
私が思うより、ずっと。
突然ぎい、と扉が開いた音が聞こえた。ハイルちゃんが帰ってきたのだろうか。背を向けていた私が振り返ろうとするとどうしてかシュワルツに目で制される。何が起こったのかと身体を固まらせればエリスが剣の柄を握り直すのが視界の端に写りこんだ。
(まさか、敵襲?)
視線を巡らせる。この石造りの広間は先程も思ったが、ステンドグラス以外に窓がない。入り口も、私の入ってきた扉のみ。
……迂闊だった。まさか、本当にシュワルツのいうように鳥籠は私たちの味方ではなかったのだろうか。あとから食べるといったエリスを座らせ出ていったハイルちゃんの行動でさえ、疑心暗鬼に陥れば疑わしく思えてくる。そうであってほしくないと願うけれど、目の前のシュワルツの険しい顔を見れば言葉を飲み込むしかない。
「あれ、ここじゃなかったかな?」
背後から聞こえたのは拍子抜けするほど気の抜けた声だった。ぽかんと口を開けたシュワルツを見て危険はないと察し恐る恐る振り向いてみれば、いかにも旅装といった格好をした長身の男が額に浮かんだ汗を拭っている。
銀に近い長い白髪を一つに束ね、べっこうの大きな眼鏡をかけた学者然とした男は唖然とする私たちを目視すると、そのチョコレート色の目を優しそうに細める。
「お、でも結果オーライかも」
そうしてスタスタと歩み寄ってきた彼はシュワルツに向かって手を差し出した。少々猫背ぎみな背を伸ばせば上背は高く、シュワルツより頭ひとつぶん大きく見える。
「はじめましてシュワルツ王子。僕はシュイノグ。シュイノグ・エスコルテ。ここオセルスの宰相なんてものをやらせてもらってます。ファーストネームは好きじゃないから、気軽にコルテとでも呼んでくれて構わないよ」
そういって、男はまたふわりと笑った。
目を丸くしていたシュワルツだがものの数秒で取り繕い、彼はシュイノグさん──改めてコルテさんと呼ぼうか──の手を握り返した。
「お会いできて光栄です、宰相殿。わざわざ足を運ばせてしまい申し訳ありません。他国へ赴いた身として、此方から出向くべきでしたのに」
きらびやかな王子然とした笑顔を浮かべ一転、すまなそうに眉を下げたシュワルツにコルテさんはいやいやと首を振る。
「いいや!僕としても君とはちゃんと話したいと思っていたんだ。曲がりなりにも敵国同士、公で仲良くすることはすぐには難しいかもしれないけど、僕個人としてはずっと君に興味があってね!あの街道は君の案なんだよね?すごいや、ほんと、素晴らしいよ!ああして道をつくってくれたお陰でどれほどの恩恵を賜ってるかなんて計り知れない。しかも無理に森を切り開くことなく採石できるギリギリを狙って道をつくってるときた!まるで俯瞰視点で見ているんじゃないかって思うくらい、君は正確に地理を捉えて──あ、ああ、すまないね!?元々研究職のせいかな、熱がはいるとなかなか冷めなくて。いつも指摘されてはいるんだけどさ!……うん、うん、引かないでおくれよ……。とにかく!以前の互いの国ならともかく、君とはうまくやれると思うんだ。今日はそのきっかけにでもなれたら嬉しいよ」
前のめりになりながら饒舌に話すコルテさんの目はきらきらと輝いていて、繋いだ手は大きく上下に振られている。剣の柄に手をやっていたエリスは依然警戒を緩めないながらも、いささか拍子抜けした様子でシュワルツの背後に控えていた。
「──っ、シュイノグ、宰相ッ! 勝手な行動は控えてくださいと!! 僕は、僕は言ったはずですが!?」
「ハイルくん、どうどう。落ち着いて落ち着いて」
開いた扉から転がるようにして入ってきたハイルちゃんが毛を逆立てた子猫のように唸り、それをディアメントさんが羽交い締めして止めている。ぱっと振り返ったコルテさんは罰が悪そうに頬を掻いて、未だ睨み付けたままのハイルちゃんに小さく「ごめんよ」と呟いた。
「……また護衛もつけず出歩いているのですか、宰相閣下」
「ディオンくん、僕は別に護衛を振り払いたい訳じゃあないんだよ」
「貴方にその名を許した覚えはありませんが」
ディアメントさんの表情が固い。初対面の印象からいって彼は誰しもの前でにこやかなのだと思っていたが流石、オセルスの国と鳥籠とが対立しているだけのことはある。しかし一方のコルテさんは微塵も気負う様子もなく、あからさまに敵意を放つディアメントさんに向けて、知る限り彼の幼馴染であるセイアッドさんのみが用いた呼称を口にする。
「ディアメントって長いし、何より言いにくくないかい?」
その言葉でディアメントさんが青筋をたてたことさえ介することなくコルテさんはのほほんとした調子を崩さない。
「……宰相殿もこうして到着された訳ですし、朝食をご一緒しても?此方としては予定が早まる分には文句はありません。折角こうしてお会いできたのですから、パーティーといわずこの後に歓談の機会でも、と思ったのですが」
ピリピリとした雰囲気に包まれた広間のなか、「いかがでしょう?」とシュワルツが助け船を出す。それに賛同するように頷けば、再び此方を向いたコルテさんも「是非に!」と首肯する。ディアメントさんの怒気にあてられたのかいつの間にか落ち着いていたハイルちゃんが固唾をのんで私たちをみつめ、我にかえったディアメントさんも肩の強張りを解いた。
「いやあごめんね、嫌われてるのは知っていたんだけどまさかここまでとは思わなかったんだよ」
かわって食卓。私とシュワルツの間、長方形のテーブルの短い辺に席をおいたコルテさんは面目ない、と謝罪した。並べられた食事に各々手をつけはじめ、ぽつりぽつりと会話を交わす。
「不思議だよね。この鳥籠と対立してた官僚たちは皆国政から降りてるんだ。僕も勿論皇太后だって、鳥籠とはうまくやっていきたいと考えてはいるんだよ」
「いやだよね、僕たちのせいで国民が対立するなんてさ」そう言いながら皿に装われたニンジンをひょいと端に避けるコルテさんはハイルちゃんから聞き及んでいたほど悪人には見えない。学者気質で周囲が少し見えていないところだってほんわかとした雰囲気から可愛らしく見え、美点に数えられるだろう。一つに雑にくくった少しくせのある白銀の髪は毛先があちらこちらに跳ねていて、コルテさんの動きにあわせまるでしっぽのように揺れる。大型の犬のようだなと、私は彼を観察しながらそう思っていた。
「正直驚きました、此方からするとオセルスの国家は平行線を保ちたいのかと思っていましたから」
「そう思われるのもしょうがないよ、僕だってここ最近までは巣食った古狸を駆り出すのに手を焼いてたんだから」
尚もフォークを器用に使って野菜を皿の端へと追いやるコルテさんは呆れたように肩を竦めた。グリーンピースだろうか、丸い豆が瞬く間に山となって積まれていく。
「ほらさ、僕が宰相の仕事についたのって戦争のすぐあとだろう?そのときの僕はまだ、十四の子供だったからね。勿論、僕にはやれるという自負も実力も誇張せずにあったと胸を張れるよ」
「まあそれでもやっぱり子供は子供だから、侮られることも沢山あって。やっとのことで先日、旧勢力の追い出しが終わったんだ」
君たちがこのタイミングで来てくれてよかったよ、本当に。
コルテさんはほぼ一方的にぺらぺらと話し、野菜だけを残して朝食を平らげた。じゃあまたあとでと早々席をたった彼は来たときのようにスタスタと歩いて扉から出ていった。私はその背を見送りながら、革靴を履いているはずの彼の足音が一音とて聞こえないことに少しだけ、疑問を覚えたのだった。





