9.作戦会議
私たち一行は一通り、鳥籠の経営者であるディアメントさんに挨拶してからあてられた客室へ案内される。ハイルちゃんに先導され向かったのは石造りの建物の三階、窓に面した広い部屋だった。
聞けば真下にシュワルツの客室、その両隣にアルとエリスの客室があるらしい。いくら婚約者や姉弟、護衛の騎士だといっても防犯上同じ階には出来なかったのだと申し訳なさそうにハイルちゃんが頭を下げた。
オセルスでの滞在中、ハイルちゃんが私専属で護衛してくれるという。本当は国賓なのだからセイアッドさんのような戦闘能力のある人員をあてたかったのだが、如何せん今鳥籠にいる女性能力者はハイルちゃん一人らしく、やらざるをえなかったと語る。
「僕、頑張るから……!」
ふんす、と意気込むハイルちゃんにありがとうと声を掛けて、私は窓際の椅子に腰掛けた。
私たちがオセルスに来たのは、「オセルスがステンターに侵攻しようとしている」という情報の真偽を確かめるためだ。無論そのソースは私がオセルスの宰相の筆跡を真似、シュワルツがばらまいた偽装文書であるのだが。
オセルスと交渉し、セデンタリアの政権を私たちの手に取り戻す。宰相さえどうにかすれば、王家の皇太后はどうとでもなるとシュワルツは語った。病弱な皇太后は宰相の傀儡で、実質的な実権は全て宰相が握っているのだという。
実際問題、オセルスは王家……つまりは宰相サイドと、鳥籠とに力が二分されているらしい。鳥籠はセデンタリアの独立に理解を示していて、こうして私たちをオセルスへと迎え入れてくれている。国民も王家より身近な鳥籠サイドに傾いている者が多いようだから、シュワルツの言うことも一理ありそうだ。
「セデンタリアって……あー、一応地理的にはオセルスに入るんだけど、あんまり統治下って認識はないんだよね。オセルスとの間に山脈があるでしょ? 魔獣が出るのもこっち側だけだし、セデンタリアはセデンタリアである程度治安がしっかりしてるから干渉しないっていうか。占領したはしたけど、手出ししてないんだよね」
「ハイルちゃん自身はどう思っているの? 貴女の年ならまだ戦時中は幼かったわよね」
「時々、一応巡回に行くことはあるよ。やっぱりオセルスとは毛色が違うって感じるかな。セデンタリアの人たちは、やっぱりセデンタリアの国にいるべきなんだと思う。元々のセデンタリアを知らない僕ですらそう思うんだから、たぶん他の皆は尚更思ってると思うんだ」
オセルスがどうしてセデンタリアに攻め込んだのか。思い付く限りでは資源か何かが目的かと考えていたが、セデンタリアには全く干渉せず、攻め込んだあの時以外一切武力行使もしていないなんて思わなかった。嬉しいことと言えば嬉しいが、一体それならどうして戦争なんて起こしたのだろう。
「それに、今の宰相さんって戦争のすぐあとに就いた人だからね。前の官僚さんたちは一掃されたんだよ、宰相さんに」
「僕はあの人苦手だけど、仕事は出来る人なんだろうなあ」と言いながらハイルちゃんが爪を弄る。
「あら、苦手なの?とても若い方だと聞いているけれど」
「今年でえーっと二十四?二十五だったかな……?確かにイケメンだけど、僕は嫌いだよあの人。なんだかこう、チクチクする、みたいな。何を考えてるのかわからないんだもん」
「しかも名前だって胡散臭いんだよ!?シュイノグ、ってこっちじゃキツネって意味なんだ。キツネの魔獣は頭がよくて、退治するのが大変なのは皆知ってることだよ。だから子供にキツネなんて名前、つけっこないのに!」
「キツネ……ねぇ」
面会するなら気を付けてと、ハイルちゃんは心配そうに眉を寄せる。これからの予定を尋ねれば、もう少しで夕食を運んできてくれるらしい。少し湯あみでもしないかと問われたので私は有り難くそれに頷いた。
汗を流して軽く食事をとったあと、ハイルちゃんを連れ私はシュワルツの部屋を訪れた。軽くノックすれば中から返事が返ってきて、控えていたセイアッドさんが扉を開けてくれる。ハイルちゃんと同じく護衛に当たっているセイアッドさんは、私が中へ入ったのを確認すると一礼して──ハイルちゃんもそれを真似するようにぴょこりと頭を下げて──部屋を出ていった。
シュワルツは私を一瞥すると、腰掛けていたベッドから立ち上がり片方の壁を三度叩く。同じようにノックが返ってきたあと、壁に沿って置かれたクローゼットの中からにょきりと足が飛び出した。
「……隠し扉?」
「有事の際に抜けられるように出来ているらしい。此方側からしか開かないから暗殺の心配もない。お前の部屋だって一方的にだが此方に逃げられるように出来ているぞ」
「私、聞いていないんだけど」
「そりゃあな。俺だって説明された訳じゃあない、見張りの目を盗んで自分で探した結果だ」
シュワルツはセイアッドさんのことを、いや鳥籠を、全面的に信頼はしていないらしい。しかし語られた構造を考えるに、私たちにとって都合がいいのは確かだ。
もそもそとクローゼットを抜けたアルとエリスはどうやらふたりともアルの部屋にいたらしい。部屋の奥から椅子を引っ張ってきたアルはそれをエリスに差し出すと、私の手を引いてソファへ並んで腰掛けた。
「それで、鳥籠まで来たはいいけれどこれからの予定はどうなっているのかしら」
「近日中に宰相が此処へ足を運ぶそうだ。鳥籠の面々から伝えられた話だと、」
「……話を切るようで悪いけど、鳥籠は本当に中立だって言えるの? いくらエリスさんが剣を使えて僕が魔術で対抗できるにしても、能力者のホームじゃ分が悪すぎるよ」
「コエって魔術よりも多彩なんだよね? 近距離ならともかく、能力者たちが敵に回ればオレも絶対にディーを守れるとは確約できない」
慎重な姿勢の二人に、シュワルツはあっけらかんとして笑った。いつもの、不敵な笑みだ。
「なに、役者は揃っているんだ。手を出される前に縛ってしまえばいい」
「幸いなことに此処には、口先だけなら恐ろしいほど上手いのが二人もいるんだ。幕開けとしては上等すぎるくらいだ」
膝を立てたアルがソファに置かれていたクッションを抱え顔を埋める。隙間からじい、とシュワルツを睨み付けたアルはクッション越しのくぐもった声で「姉さんに危険なことさせたら、許さないから」と彼をなじる。
「いくら鳥籠が僕らにいい面してるからっていって、僕らセデンタリアの人間にとってここは敵地ってことにかわりはないんだよ。ステンターの名を名乗ってきてる建前上、公には僕らに危害は加えられないにしても、うっかり手違いで──なんてたまったもんじゃない」
毒を吐くアルに、シュワルツはそれが正しいとわかっているからか彼にしては珍しく反論せず曖昧に笑う。エリスが不安げに此方を見てきたので私は小さく「大丈夫」と口を動かしてみせて、アルの頭を撫でた。
父様譲りの硬い髪質の私とは違って、母様似のアルの髪は細くてさらりとした絹糸のようだ。すぐに癖のついてしまう私の髪は頑固で、毎晩ロゼが丁寧にブローし朝も綺麗にとかしてくれて、やっとのことで外に出れるような状態になる。お人形のようなアルの髪が羨ましいとは思えどそうやってロゼに髪を弄ってもらう時間が好きだったから、やれ寝癖がついただのやれ前髪が跳ねただのかこつけて、小さな私は櫛を片手にロゼの膝によじ登っていた。
指の間を零れる髪をすいてみればアルはこれ以上シュワルツに噛み付く気はないようで、少しだけ首を回し私に向かって力なく微笑んでみせる。
「そういえばさっき、ハイルちゃんからオセルスの宰相について話を聞いたの。シュイノグって名前は確か以前、貴方が話していたわよね?」
「ああ。ハイル……あのガキのことか。それで、何を話していたんだ?」
「貴方、ハイルちゃんの前でまさかガキとか言ってないでしょうね? ……はあ、それは少し置いておくけれど。シュイノグって、こっちだとキツネを意味する言葉らしいの。間違っても子供につける名前じゃないし、ハイルちゃんから見れば宰相は胡散臭いそうよ」
特別何か理由があるわけではなく、生理的に無理なのだろう。毛を逆立てて警戒する小動物のようだったハイルちゃんは完璧に宰相を敵と見なしていたようだった。
オセルス国と鳥籠の不仲は私たち他国民にもほとんど周知の事実だが、あれは鳥籠としてというよりハイルちゃん個人としての嫌悪といったほうが正しいように思われた。
「まあな。当初から話をつけに来たのは皇太后ではなくその男に、だ」
「あのさ、」
唐突に、エリスが口を開いた。
「そのシュイノグって宰相と話し合ってオレたちに勝算はあるの? 聞く限り、正直かなり難しそうだと思うよ。まあシュワルツが何を掴んでいるかオレたちは知らない部分も多いからさ。何か揺さぶれる証拠とかを持っているなら話は変わってくると思うけどね」
暗にその腹のうちをあかせと言ったエリスを私は驚きを込めて見つめた。彼は普段通りふんわり微笑みながらもシュワルツに鋭い視線を向けている。エリスの言葉に驚いたのはシュワルツも同じようで、一度目を瞬いてから面白いといった調子でにやりと笑った。
「参った、エディリーンからはいつか問い詰められると思っていたんだがまさかお前に先を越されるなんてな!」
「オレだって伊達に君たちと一緒にいる訳じゃないよ。……守りたいものは、自分で守るって決めたから」
「それにシュワルツだっていつまでもオレたちを掌で踊らせておく気はなかったと思うけど、違う?」
その言葉をきいて、お腹を抱えて笑いだしたシュワルツに呆気に取られていれば突っ伏していたアルが煩そうに眉を潜める。そうしてアルはひょこりと体を起こして「笑ってないで話、進めてくれる?」と嫌悪感を丸出しにした。
笑いの波が収まったのかひいひい言っていたシュワルツはいつものように取り澄ました表情で足を組み直した。子供みたいに笑い転げたと思えばすぐにこれだから、この男は読めないのだ。
「近いうち、そのシュイノグが此方へ来ることは既に話したな。……流石に敵国と言えどステンターの王族をいないものとしては扱えないんだろう、簡易的だが顔合わせのためにパーティーが開かれるらしい」
いわば身内だけの立食会のかたちを取った、堅苦しくない程度のパーティーだという。
此方側からは私たち四名、それにハイルちゃんたち鳥籠の能力者が数名。誰が護衛をするのかは詳しく聞いてはいないが、私たちに顔が割れているのは私付きのハイルちゃん、シュワルツ付きのセイアッドさん、それにトップのディアメントさんだからその辺りが参加するのだろうとシュワルツは践んでいる。
一方オセルスからは宰相であるシュイノグ氏のみ。私たちに対する攻撃の意図がないことを示すため、護衛も最小限で来るらしい。
「宰相が能力者だという話は耳にしていないし、それこそアルフレッドのような手練れとも考えにくい。警戒するに越したことはないが、気を張るのは武力よりもコッチだろう」
一通り説明を終えたシュワルツが自らの舌を指差す。
「口先三寸、って訳ね?」
「俺やお前が言えた口ではないがな。あの若さで宰相にまで上り詰めていること事態違和感の塊だ、後手後手に回る前に優位に立っておきたい」
「気を配っておくわ。十八番だからといって慢心はしないわよ、貴方がそこまで言うのならやはりそれほどの人物なんでしょう?」
「ほう、麗しの婚約者殿は随分と俺を買ってくれているらしいな?」
「ええ。貴方のそのよおく回るお口には私、本当に一目おいているの」
口を挟まないアルとエリスがやれやれと呆れた様子で肩を竦めた。互いに王家でなかったのなら詐欺師か何かで名を馳せていたのではと思ってしまうくらい、私もシュワルツも口がよく回るのだ。
*
シュワルツの話は要は警戒を怠るな、といった内容だったようで私たちは思ったよりはやく解散できた。隠し扉経由で部屋へと戻ったエリスを見送り、部屋へ行きたいと言ったアルを伴って上の階へ上がった。
「ほら、入ってアル。紅茶は蜂蜜を入れてもよかったかしら?」
こくんと頷いたアルの頭をくしゃりと撫でてポットで紅茶をいれる。客間のソファに腰掛けたアルのすぐ横に座って、ブランケットを膝にかけた。
「ねえさん、あのさ」
「なあに、アル」
「今日、一緒に寝てもいい、かな」
カップを片手に俯いたアルに「勿論よ」と返せば彼は安心したように表情をゆるめる。
あの日も、夏めいた、空の高い日だった。
みんなみんな燃えてしまった、悪夢のような夜。
十年たっても記憶が薄れるなんてことはなかった。
アルと二人、並んで怯えて座っていた。血相を変えて助けに来たロゼにしがみついて、気がついたら私たち以外の何もかもが燃えてなくなっていた。残ったのは黒く煤けた両親だったものと、かたちすら残らなかった大好きなお兄様だったものだけ。思い出も何もかも、私たちはあの日に置き忘れてきてしまっていた。
毎年アルはこの時期不安定になる。随分とシュワルツに噛み付くなと思っていたが、慣れない強行軍で疲れが出たのに加え時期が時期だったのだろう。悪いことをした。
紅茶を飲み終えたアルのカップを受け取りベッドに移る。思い切り寝転がってぽんぽんと近くを示せばアルはおずおず入ってきて横たわった。
横向きになり私を抱き締めるような体勢をとったアルの腕をあやすように軽く叩く。それに応じるように込められていた力が少しだけ抜けるのがわかった。
「いいこ、いいこね。大丈夫、私はどこにも行かないわ」
私よりもだいぶ大きくなってしまったアルがぎゅう、と腕の力を強める。抱き締めてあやすというより私が抱きすくめられているような格好だけれどかたかたと震える愛しい弟はまるで小さい頃に戻ったようで、私はアルが眠りにつくまで一晩中、声をかけつづけたのだった。





