7.いざオセルスへ
「ディーお姉さまっ、無理しちゃだめだよ?」
旅行用の簡素なドレスを身にまとい馬車に乗り込もうとしていた私にルシィがしがみついてきた。オセルスへ向かうのは私、シュワルツ、アル、エリスの四人だ。人見知りの激しいルシィは勿論のこと、シュワルツ不在のステンターの内政を支えるためルシフェルさんは城に待機することになっている。団長も吹っ切れた顔をして帰って来た私の頭を満足そうに撫でて、今回はステンターに残ることにすると告げた。
「ディーちゃん! コイツのことは顎で使ってくれて構いませんからね!」
「え~、酷いよアルミラちゃん。確かにエディリーン嬢は綺麗だけど食指が動かないっていうか、なんていうかその──ささやかだよねぇ」
「黙れ色情魔、今すぐ埋めてやる」
ルシィごと私を抱き締めにかかるアルミラさんの真横で、今回オセルスまでの案内役を務めてくれる副団長のグレースさんが、カイム卿に首を絞められていた。
グレースさんはどうやら度々訓練を見に来ていたアルミラさんがお気に入りらしく、事あるごとに絡んでいると聞いた。アルミラさんは迷惑しているようだが、カイム卿の鉄壁の守りもありまだ指一本触れられていないようだ。アルミラさんに構うようになってからグレースの素行が良くなった、と団長が溜め息混じりに話していたことを思い出す。
「おい、離れろルシィ、アルミラ嬢。それじゃあいつまでたっても馬車を出せない」
奥からひょっこりと顔を出したシュワルツはルシィに声を掛けようとして、視界に入ったグレースさんをまるでゴミでも見るような目付きで睨んでいた。
「即日解雇してやろうか、副団長」
「うわぁ怖いですよシュワルツ王子~。僕もふざけただけですって、そんな睨まないでくださいよ。ね~?」
カイム卿の腕からさっと離れたグレースさんは何事もなかったかのように御者台に乗り込むと鞭をしならせた。私の目の前ではエリスが上司の奇行に頭を抱え、アルは我関せずといった調子で持ってきたお菓子の包みを開いている。次第に遠ざかっていくステンター城、小さくなるルシィたちに手を振り返しながら私は無事オセルスに辿り着けるのか、心底不安を覚えていた。
*
「思いの外街道はしっかり整備されているのよね」
馬車に揺られながら窓の外の景色を眺める。丸三日馬車を走らせており、この谷を抜ければそろそろオセルスに着くかという頃合いだ。山脈沿いに走っているせいか段々と見られる植物の種類も変わり始めていた。
「まあな。オセルス側はともかく山脈の中腹までならステンターの統治下だ、いがみ合ってばかりじゃ土地が死ぬ。それに城を建築するのに使った石もこの近くで採掘できる、放置しておくのは阿呆のすることだろ」
嬉しそうなシュワルツの横顔に、私は少しだけ彼を見直すことになった。確かに横暴で自己中心的なところもあるけれどシュワルツの考えは為政者のそれだ。聞けばこの街道も彼の考案で作られたものだったようで、彼に先見の明があることを思い知らされずにはいられない。
「静かにっ。姉さんまずい、いつの間にか囲まれてる」
不意に声を潜めたアルが指差した先、身を屈めながら様子を伺うと狼のような動物が見えた。灰色の毛皮に爛々と光る目、ただ一つ普通の狼と違うのはその体格だろう。ゆうに三メートルは越えるであろう巨体をした魔獣が一匹、二匹、三匹……とてもではないが太刀打ちできる気がしない。
「うわぁ、まさかこんなところで魔獣に出会うとはね~。エリス、すぐ出れそう?」
「勿論です。ディー、危ないから今は出てきちゃだめだよ」
ひらりと馬車から飛び降りたグレースさんとエリスが剣を振るう。風を切るように剣先が踊るけれど魔獣の身のこなしも素早く致命傷は与えられていない。二人の攻撃の合間を縫ってアルが雷撃を飛ばして支援するけれど上手くかわされてしまっているようだ。
「王子~、馬車動かせます? とりあえず先に『鳥籠』に行って応援呼んできてもらえると助かるんですけど」
血飛沫を浴びたグレースさんが魔獣の隙を見計らいシュワルツに声を掛ける。シュワルツにしろ私たち姉弟にしろ、人並み以上に馬は操ることができる。だがしかしいくら応援を呼ぶとは言ってもここで二人を置いていってしまうことのリスクを考えると馬車は出せまい。私と同じ結論を出したのかシュワルツはしばし思案したあと、しまっておいた剣を手にとって馬車を出ようとした。ちょうど、そのとき。
『ごらん、冬は去り雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。忘れた言の葉紡ぎだし、星降る月夜に小鳥は游ぐ。──歌えカナリヤ、彼の者を護る盾を紡げっ!』
『見よ、月さえも輝かず、星も彼の目には清くない。血を流した燐光は夜の闇に灰暗く輝き、城の鍵と共に満天に浮かぶ。──唸れや夜鷹、阻むもの全てを焼き尽くせ』
ソプラノとテノールが鋭く響く。目が眩むような眩しい光が覆ったかと思うと、ついで青白い炎が降り注いだ。流星のごとく落ちたそれらは私たちを囲んでいた魔獣を一瞬のうちに焼き払い辺りを焦土化してしまう。土埃が落ち着いて、唖然とした私の元にパタパタと駆け寄ってきた小柄な少女は満面の笑みを浮かべその手を差し出した。
「ようこそオセルスへ、僕のお姫様っ!」
少女の言葉に咄嗟に反応できず固まったまま目を瞬かせていると、同じように固まっていた彼女はかあっと顔を真っ赤に染め挙動不審に動き出す。軍服をモチーフにしているのかミリタリー風のワンピースの裾をふわふわと揺らした少女の頭を、背後にいた同じような制服を着た青年がガッと掴んだ。
「ホスト仕様はセーブしろって昨日俺はあれだけ……!」
「痛い~~っ! セドストップ、頭蓋骨にヒビがはいっちゃうよ!?」
怒りを込めた口調に比例するように手の力が強まっているらしく真っ赤だった少女の顔が真っ青に変わり必死で逃れようとする。
ようやく解放された少女は一瞬ふらりとふらついたあと、気をとり直したようにぱちんと頬を一回叩き胸に手を当てて再度微笑んだ。
「あっ、改めまして、ようこそオセルスへ! 僕は今回エディリーン様の護衛を務めさせて頂く『鳥籠』のハイルですっ」
「同じくセイアッドだ。シュワルツ王子の護衛として派遣された。滞在中コイツが迷惑かけると思うが、新人だということで目を瞑ってもらえると助かる」
突然の自己紹介についていけない私たち一行のなか、流石といったところかシュワルツはすぐにいつも通りの笑顔を貼り付けセイアッドさんと握手を交わす。セイアッドさんのフランクな態度も相まって、護衛というよりむしろ友人と接しているような雰囲気だ。
一方ハイルちゃんは不自然に跳ねたくすんだ灰髪を片手でいじりながらじっと私を観察している。その不躾な視線にアルが不機嫌さを全面に出しながら彼女と私の間に割って入ると、ぴゃっ、となんとも可愛らしい声をあげて仰け反った。
「なに、姉さんのことじろじろ見て。礼儀がなってないんじゃないの」
「ちょっとアル! そこまで言わなくても」
「いいんだよ、護衛とか言ってるけど味方か分かんないでしょ。だってオセルスの連中だよ?すぐさまほいほい信じるほうがおかしいって」
アルの言葉に警戒を強めたエリスがすっと腰の剣に手を添える。ハイルちゃんは一触即発の空気におろおろするばかりでどうしたらよいか分からないようだった。
「はいはいそこまで~。はーちゃん、ちょっと落ち着こうね。今のは不敬罪で斬られててもおかしくないよ~?」
突如ハイルちゃんの桃色のマフラーを引っ張り、その身体を近くに引き寄せたグレースさんがカラカラと笑う。額をぺしりと叩かれたハイルちゃんは「あうっ」と呻いて大人しくなった。
「アルアレン様もエリスも警戒しなくて大丈夫。この二人は僕の古い知り合いだからね。ま、裏切るようなら今すぐ切り捨てるから安心してよ~?」
驚くほど冷ややかに、それでいてさらりとそう宣ったグレースさんは、セイアッドさんと彼の腰に抱き着いた涙目のハイルちゃんを見て目を細める。
グレースさんの様子に渋々アルが身を引きエリスが手をおろすと、セイアッドさんは幾分か緊張ぎみに馬車を指した。
「鳥籠まで案内する。御者はグレースだよな? 安心してくれ、夜鷹の加護をかけるからもう魔獣は襲ってこない」
ちゃっかりと私の隣を陣取ったハイルちゃんはくるくると表情を変えながら次々質問を繰り返してくる。
「いいなあ、舞踏会って素敵な響きだよね。僕も一度でいいから綺麗なドレスを着て踊ってみたいなあ~」
「そんな素敵なものじゃないわよ? 香水は臭いわコルセットはキツいわ……。所詮腹の探り合いだし、権力誇示の場でしかないもの」
「夢は夢のままにしてあげてよディー……」
少なくともちょっとオレもショック受けたなあ、とエリスが苦笑い。対してシュワルツはへそを曲げたのか窓の外を眺めたまま会話に交ざろうとしない。何が彼の琴線に触れたかはわからないけれどあの調子だと素が出てしまいそうだ、私も触れないことにする。
「さっきのってオセルスの『コエ』ってやつだよね? 炎っていうか星みたいなのが墜ちてきたように見えたんだけど──」
「ところでそっちでは生まれつき魔法が使えるんだろ? どういった原理か詳しく──」
ハイルちゃんとは反りが合わなかったらしいアルだけれどセイアッドさんとは魔法とコエという能力もちといった点で話が合ったのか、額を付き合わせながら専門的な話に花を咲かせている。時折窓の外を流れる星はセイアッドさんの「夜鷹」というコエの能力らしく、馬車の守護と速度上昇に一役買ってくれているらしい。
「セドはね、鳥籠のエリートなんだよ! バディの僕がいっつも足引っ張っちゃってるんだけど、セドはほんっとうにすごい能力者なの! なんたって夜鷹はディオンさんの不死鳥と並ぶくらい強い攻撃系のコエで──」
興奮ぎみのハイルちゃんは両手を振り回しながら、いかにセイアッドさんが素晴らしいかを熱く語り始める。その肩にとまっていた黄色い小鳥──ハイルちゃんのコエで「カナリヤ」というらしい──もそれに合わせてバサバサと馬車のなかを舞っている。
聞けば鳥籠は要人の護衛といった今回のような任務に加え魔獣討伐も受け持っているようで、セイアッドさんの夜鷹のような攻撃に特化した能力は重要視されるのだそうだ。一方ハイルちゃんのカナリヤは歌鳥という分類上あまり優遇されないらしく、その力も弱いことから落ちこぼれ扱いされているらしい。魔法には力の強い弱いはあれど、生まれつきの能力のためかそれによって優劣がつくことはなかったから他国の風習は改めて勉強になる。
「おーい、どこに馬車停めたらいい~? もうすぐ着きそうだよ~」
御者台からグレースさんの声が飛ぶ。窓からずいと身を乗り出してみると、大きな門の向こうに石造りの堅牢な建物が見えた。思わずほぉ、と溜め息をつくとハイルちゃんは誇るように胸をそらせにんまりと笑った。
詠唱は聖書 雅歌2-11、12、ヨブ記25-5より一部引用。





