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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
2.その想いに触れたから
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6.黄昏と夜空

 ──また目をそらしてしまった。あの一件以来私はエリスを避け続けている。彼が開けかけた口をつぐみ俯くその度に、シュワルツが咎めるような視線を私に向ける。

『どういった形であれ、向き合わないまま逃げるのはお前らしくないと俺は思うがな』

 頭の中でぐるぐると回るその問いへの答えを、私はまだ探し続けている。


 執務室からの帰り道。いつものようにあてがわれた客室に戻るため角を曲がった私は扉に寄りかかって座る"何か"を見つけ目を瞬かせる。足音が聞こえたのか此方を向いた彼にあわせるように、今ではもう見慣れてしまった赤髪が揺れた。

「よおエド、邪魔するぞー」

 酷い既視感に目眩を覚えながら扉を開ける。相も変わらずへらりとした様子の団長はキョロキョロと部屋を見渡していた。

「また鍵でもなくしたんですか?」

「んー、鍵はなくしてねぇんだけど」

「……ちょっと待っていてください、お茶でも淹れますから」

 珍しく歯切れの悪い彼に首を捻りながらも、カップを二つ用意し紅茶を淹れる。アルが差し入れてくれた新しい茶葉はミルクティーによく合う。団長に出すと分かっていたらリキュールも用意していたのに。

 少しだけ残念に思いながらことん、とソーサーを置くと団長がカップを覗き込む。

「おー、ミルクティーかあ」

顔をほころばせた団長はミルクティーと私を交互に見てしみじみと口を開いた。


「エドの髪の色ってミルクティーに似てるよなあ」

「どうしたんですか、いきなり」

「いや、明るいとこで見ると琥珀色っぽく見えたからさ。うん、やっぱすげー甘そう」

 そう言って団長はわしゃわしゃと私の頭を撫でる。

「食べられませんよ?」

「いや、頑張ればいけるかもしれねぇぞ? この間ルシフェルの奥さんが『人肉ってイノシシの味がするんですよ~』とか言ってたしな」

「洒落にならないのでやめてください……」

 頭を抱えると団長は冗談冗談! と笑い飛ばす。……冗談じゃなかったら、私は今後ミーナさんに会えませんよ。


 ひきつった笑いを浮かべる私を意に介せず団長はカップを手に取り傾けた。その所作が思いの外優雅で、カップを口に運ぼうとしていた手を止めて彼を凝視してしまう。

 騎士団の皆と食事をしているときはもっと雑、というか口に押し込むように食べていた様子が記憶にあるのだ。変な顔をしていた私に気がついたのか、団長はカップを持ち上げたまま動きを止めた。

「ん、どした?」

 何か言おうと顔を上げたけれど口にしていいのか憚られた。しかし団長は私を止めることなく話の続きを促すように小さく頷いてくれる。意を決して口を開いた。

「紅茶の、飲み方。いつもと違うなあって」

 私の問いが予想外だったのかきょとんとした団長だが少しの間の後、頬を掻いて笑う。

「習慣だよ習慣。ガキの頃の躾って体に染み付いててなかなか直んねぇの」

「習慣?」

「そ。皮肉なもんだよなぁ、その度に自分の本質ってもんを嫌でも思い知らされる」

 団長の視線はここではないどこか遠くを見ているようだった。自嘲するような、彼に不釣り合いな台詞に言葉を挟むこともできず私はただ黙り込む。


 アルフレッド・ランバート。代々優秀な文官を輩出してきた名門ランバート侯爵家の長男の彼が、正反対ともいえる武官のトップである騎士団長を務めている理由を私は考えたこともなかった。それほどまで団長としての彼は自然で、違和感を覚えさせなかったのだ。


「結局どこまでいっても家飛び出したときのガキのまんま。それじゃあ俺って一体何なんだって何度も考えた。親の敷いたレールに乗んのが嫌で、逃げ出した反抗期の延長にずーっといるんじゃねえかってさ」

「そっ、そんなわけないじゃないですか……ッ!!」

 普段の彼と噛み合わない独白はわざと自分自身を傷付けているように見えて、私は思わず叫んでしまう。


「団長は団長ですよ!確かに気持ちは分かります、でも、それでも! そんな酷いこと、自分に言わないでくださいよ……」


 少し抜けてて騙されやすくて、それでいて面倒見がよくいざというときは頼りになる彼だからこそ、騎士団の皆は信頼しているのだ。勿論私もルシィも、毒を吐くアルやシュワルツ、ルシフェルさんだって。皆、全部引っくるめて団長のことが大好きだってことは分かりきっているじゃないか。


 わなわなと唇を戦慄かせて俯いた私の頭上から、柔らかい声が降ってきた。それと同時に大きな手が私の頭に乗せられる。

「それが、答えじゃねえか?」

「……へ?」

 顔をあげると団長は思い詰めたような顔ではなく、いつも通りの気が抜けるような笑みを浮かべていた。

 その表情だけで、私は彼がどうしてあんなことを言ったのか理解してしまう。ああ、そうか。

(団長はもう、乗り越えてたんだ)

「何があったってエドはエドだろ。何で無理してるかとかは聞かねぇけど、ここんとこ隈も酷いし流石にって思ってな。何言われたって、エドのこと嫌いになる奴なんていねぇよ。だから安心してぶつかってこい」


 そう言って豪快に笑う団長は、普段と変わらず私の頭をわしゃわしゃと撫でた。それを避けようと体を捩らせるも、本気で逃げようとは思えないのはきっとこれが彼なりの慰め方だから。

「……団長が思ったより大人でびっくりしました」

「おう、エドよりは大人だからな」

 照れを誤魔化すように憎まれ口を叩くけれど団長はそれすら笑い飛ばしてしまう。

 私らしく。シュワルツの言葉の意味が少しだけ見えたような気がした。折角団長が背を押してくれたのだ。それなら今、向き合わなくちゃ。


「いってきます、団長」

「おう、行ってこいエド」

 扉を閉める直前、団長は思い出したかのようなポーズをしたあとニヤリと笑った。

「エリスなら、まだ自主練で残ってたはずだぞ」

 ……やっぱり、全てお見通しらしい。



 団長に見送られ部屋を飛び出した私は一直線に稽古場へと駆けていった。日は刻々と長くなっているが、思ったより団長と話し込んでしまっていたのか眩しい夕焼けが目に痛い。赤く染まった白亜の城は、こんなときでなければ目を奪われるであろうほど鮮やかに輝いていた。

 息を切らして辿り着いた稽古場、立て付けが悪いのか微かに開いた扉から中を窺う。そこに一人剣を振るう後ろ姿をみとめ、私は息を呑んだ。一心不乱に型を繰り返すエリスの動きには一瞬の隙もなく、努力に裏打ちされた彼の自信がひしひしと感じられた。

 抱いていた心配事は全て杞憂だったのだと、その姿を見て私ははっきりと理解した。

 エリスはただ強さを立証したかった訳ではなく、彼は──そう、私が思っているより彼はずっと強かったのだ。確かに剣技大会での彼は様子がおかしかったかもしれないけれど、少なくとも逃げ回っていた私と違いエリスは真っ直ぐに前だけを見据えていた。あとは、私の覚悟だけだ。


「……エリス」

 扉を開けた。ピタリと動きを止めたエリスの、夜空のように艶やかな瞳が私を捉える。喉の奥から絞り出した声は震えていて、手のひらを握りしめていなければ口に出したい思いはすぐにでも引っ込んでしまいそうだった。

 ぎゅっとお腹に力を込めて彼に近付く。目の前のエリスは突然の私の行動に戸惑っているのか挙動不審な態度を取るものの、決して視線を外そうとはしなかった。


「エリス、あのね」

 手を伸ばせば届きそうな距離まで彼の元に歩み寄る。


「……オセルスに、着いてきてほしいの」


 エリスの瞳が揺らいだ。彼が口を開くよりはやく、私は一心不乱に言葉を紡ぐ。

「私、自分が思っていたほど強くないみたい。ここに来るのにも、皆に背中を押してもらったし、エリスからも何度も逃げた」

「でも、もう強がらないって決めたわ。だからね、エリス。これが我が儘なのも、自分が横暴なのも分かってる。今さら何を言いにきたんだって、笑われても仕方ないけど」

「私を、ディーを、守ってください。一人じゃ立っていられない私を、お願い……助けて」


 唇を噛み締めて俯いた。

 まるで時間が止まったようだった。それは一瞬にも永遠にも感じられて、私は地面を凝視したまま顔を上げることが出来ないでいる。

「──ああ、もう」

 静寂を破るかのように、不意にエリスが言葉を発した。カタン、と何かが落ちる音が響く。その瞬間何が起きたのか分からなくて、しばらくしてから私はエリスに抱き締められているのだと気付く。

「ディーは馬鹿だよ。そんなこと言われたら、離れられなくなる」

 掠れた声が耳に届く。私を抱き締めたエリスの肩は微かに震えていて、私は躊躇いがちにその背中に腕を回す。

「オレでいいの?本当に?」

「エリスがいいの。ううん、エリスじゃなきゃダメなの。だって」


「エリスは私の騎士でしょう?」


 私の言葉に、エリスが微笑んだのがわかった。彼はゆっくりと腕の力を緩めると、私と少しだけ距離をとってからその場に跪く。


「勿論。オレはもうずっと前から、ディーの騎士だよ」


 恭しく掲げられた手のひらに口づけが落とされる。ヴィスケリ領での仕草と同じようでいて違うその行動に目を瞬かせた私に、エリスは悪戯気な表情でくすくすと笑った。


「今は、それだけにしておくね。あんまり調子にのってまたディーに避けられたらやりきれないし」

「……ごめんね」

「こうやってまたちゃんと話せただけで充分。よかったよ、ほんとに。もうディーに目も合わせてもらえないのかって思ってたから」

 申し訳ない、と目を逸らす私にエリスはもう一度小さく笑ってからぽんと膝を叩く。

「よし、帰ろっか」

 気付けば日はかなり沈んでいて、辺りは薄暗くなってきている。軽く頷くと、エリスは柔らかな表情を浮かべてふっと目を細めた。

「どうしたの?」

「ううん、やっぱりオレはディーが好きだなーって思っただけ」

「……っ!?」

 さらりと口にされた言葉に顔が赤くなったのがわかる。

 全てを拒否するのではなく、ちゃんと受け入れようと決めた。真っ直ぐな感情に背を向けず、自分なりに向き合おうと。

 だがしかし覚悟を固めたばかりの私にはエリスの直接的な言葉は余りにも刺激が強すぎて、火照った顔を隠すようにしてくるりと後ろを向いて叫ぶ。

「わっ、私、後から帰る……っ! エリスは先に戻ってて!」

「え、ちょ、ディー!?」

「いいからーーっ!」

 追い出すようにエリスを扉の外に押し出してから私はその場に踞った。

 頬に手を当ててふう、と息を吐く。夕景に負けないほど赤く染まった顔は、得意の仮面でも隠せそうになかった。

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