5.それは羨むほどに眩しくて
人の間を掻い潜り、奥のテーブルで待っているはずのルシィの元へ急ぐ。来ている貴族の大半は中央で王様と王妃様、それから団長が話しているオセルスの刺客の話に聞き入っているらしく、幸いなことに私に目を向ける人はほとんどいない。
あっという間に広間を抜け壁際のテーブルに辿り着いた。そこには椅子に座ったルシィと、私に背を向けるようにその正面に腰掛けるシュワルツの姿。
「お姉さま! よかった、どこにいるのか分からなくて、アルに探してもらってたの」
「さっきアルからルシィが探してるって聞いたのよ。それで話って?」
ぱあっと表情を明るくしたルシィに微笑んで首を傾げてみせた。駆け寄ってこようとしたルシィだが、それと同時にシュワルツが私の左腕を掴んだ。反射的に肩がびくりと跳ねる。
「──ルシィ」
「お兄さま?どうしたの?」
「ちょっとこいつに話がある。少し借りていくぞ」
「え!? わ、わかった……!」
声をあげようとすると、口を閉じろと目で制された。不安そうな顔で私たちを見送るルシィの姿を視界の端にしながら、シュワルツに手を引かれるまま私は広間を後にした。
シュワルツは無言のまま私の手を掴んでぐいぐいと足を進めていく。広間から随分離れ喧騒すら聞こえないほど遠くまで来たとき、彼は私の手を離した。
「何なのよ一体。私はルシィの話を聞こうと」
「……言ったはずだよな。気を緩めるな、と」
淡々とした口調のままシュワルツはじっと私を見据えた。
「それがどうした? 全速力で走ってきたかと思えば表情すら作れていないという体たらく。お前、折角の機会を台無しにする気か?」
「それ、は、」
反論出来なかった。シュワルツの言うことは最もで、思い返してみても今日という「演技しなければならない場」においてあんな醜態を晒したのは他でもなく私なのだから。
頭を下げ謝ろうとするとシュワルツは鬱陶しいといった様子で私を制した。続けて溜め息をつくと壁に寄りかかり腕を組む。
「まあ大方、何かあったんだろう? 俺の麗しの婚約者殿があそこまで慌てるだなんて相当なものだ」
「──ねえ。私たちの偽装婚約に、それ以上もそれ以下もないわよね?」
「それは、例えば?」
「貴方が私と婚約しようと思ったのは、政治的な利用価値と利害の一致のせいだと確認したかったの」
「──そうだな。普通、心から愛しいと思う奴をこんな泥沼に引きずり込むわけがないだろう?」
しばらく逡巡した後、シュワルツは呆れた口調でそう答えた。
その言葉に、私はほっと胸を撫で下ろす。
「お前がそういった感情にそれほどまで過敏になるとは知らなかったな」
驚いたといった様子でシュワルツはそう呟いた。
「怖いのよ。……向けられた感情があまりにも真っ直ぐだったから」
声に出してみれば案外すとんと腑に落ちた。十年前の戦争で私は大切な家族を一気に失った。忙しいのにいつでも絵本を読んでくれたお父様。毎日のように一緒に遠乗りに付き合ってくれたお母様。そして、本当に本当に大好きだったお兄様。
残された幼い私とアルは、いつからか互いに「大好き」だと、まるでそれが居なくならないことの証明であるかのように伝えあうようになって。
本当に大事な人ほど、その思いを伝えたら居なくなってしまう気がして、どうしようもなく怖かった。歪な私には、エリスから向けられた好意は羨ましいほど眩しすぎたのだ。
「……それじゃあお前はこれから一生、本心を偽り続けて生きていくつもりなのか。それを全部引っくるめて自分だと、どうして胸を張れない?」
返された言葉はひどく心に突き刺さった。それが私と同じように、完璧な仮面を被っているシュワルツのものだから、尚更。
「諦めるのは、もがいて這いずり回って、それでもどうしようもなくなってからでいいんじゃないか。……どういった形であれ、向き合わないまま逃げるのはお前らしくないと俺は思うがな」
そう言い残して、シュワルツはひらりと身を翻し立ち去った。
*
脇目もふらず真っ直ぐにこちらへと駆けてくるエディリーンの顔は不安になるくらい真っ青だった。ルシィを見た途端笑顔を貼り付けた彼女だが、顔がひきつっているのをきっと本人すら気付いていない。
明らかに余裕のないエディリーンの様子に俺は思わず彼女の腕を掴んでいた。瞬間、跳ねた肩に少し疑問を感じながらもルシィに断りを入れ手を引いて広間を後にする。ルシィの話は俺も事前に聞いているし、後からこいつに聞かせても問題はないだろう。
抵抗するかと思いきやエディリーンは思いの外素直についてきた。心ここに在らずといった表情はまるで彼女にメイドのことを伝えたときとそっくりに見え、セデンタリア関係だと瞬時に察する。
俺が手を離すとやはりと言うかエディリーンは早口で捲し立ててきた。自分の様子を自覚していないのはたちが悪い。あえて核心を突かずそれを指摘すると、唇を噛み締め俯いた。
「──ねえ。私たちの偽装婚約に、それ以上もそれ以下もないわよね?」
突然に問い掛けられたその言葉に、俺はすぐに反応することは出来なかった。……いっそ全て打ち明けてしまおうか。幼い頃からの想いも、こうして過ごす中で募る想いも、いっしょくたにして。
「それは、例えば?」
「貴方が私と婚約しようと思ったのは、政治的な利用価値と利害の一致のせいだと確認したかったの」
苦し紛れに問い返したその答えに、俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。正面から俺を見据える琥珀色の瞳が揺れているのが分かってしまったから。
「──そうだな。普通、心から愛しいと思う奴をこんな泥沼に引きずり込むわけがないだろう?」
彼女の望む答えを、少し馬鹿にしたように口に出す。エディリーンはあからさまに安堵した様子で体の強張りを解いた。
「お前がそういった感情にそれほどまで過敏になるとは知らなかったな」
鎌をかけるためわざとそう言うと、エディリーンはいくらか落ち着いたのかその心情を吐露した。「アル!大好きよ!」「僕も姉さんのことが大好きだよ」。ふと、事あるごとに繰り返される姉弟の会話がよみがえる。
まるで共依存のように思えるその行動に果たしてどんな意味があるのか俺にはずっと理解出来なかった。俺とルシィだって、こいつと出会うまではそれに近かったとは思うけれどここまでべったりしていた訳ではない。
(──ああ、そういうことか)
俺の本心を隠していた歪さがルシフェルの言うような「理想の王子像」と「自分」との境が分からなくなってしまうことだとしたら、エディリーンの歪さは「愛すること」に表れているのだ。
大事な人が居なくなってしまうのが怖いから言葉で必死に繋ぎ止めようとする。何度も、何度も、まるで祈るように繰り返して。それでいて本当に思っていることは伝えられなくて、向けられた自分にはない真っ直ぐな感情に、どうしたらいいのかわからなくなる。
でも、それでも。
あの日、俺に手を差し出したのはお前だろう。影からただ眺めているしか出来なかった俺を、満面の笑みを浮かべて引きずり出したのはエディリーン、お前だろう。
俺はそんな態度なんて許さない。だって、愛することが出来ない奴に他人を救うなんて真似は出来ないはずだから。
「どういった形であれ、向き合わないまま逃げるのはお前らしくないと俺は思うがな」
思い出の中のディーならきっと、「諦めるなんて、そんなの絶対認めない!」なんて言いながら、また立ち上がってくるはずだと信じて。





