3.どこかの物語
季節は夏へと向かっているが、頬を撫でる夜風はまだ涼しく感じられた。シュワルツとの婚約披露という大イベントを終わらせた私は、熱気のこもる広間から抜け出し一人バルコニーに佇んでいる。
私の宣言のあと、各々動き出した貴族の間を掻い潜りルシィが飛び付いてきた。少し潤んだ目をしたルシィの後ろには車椅子に腰掛けた王妃様と、それを押す王様の姿。温かい目で娘を見つめる二人に、私はこれでよかったのだと初めて思うことが出来たのだった。
どれくらいそうしていただろう、ぼんやりと眼下の端に映る中庭を眺めていた私に、一筋の影が射した。人の気配を感じて振り返るとそれはどうにも女性のようで、やけに裾の長い特徴的なドレスを身にまとっているのがわかる。逆光のせいで彼女の顔は見えない。
「御機嫌よう、エディリーン嬢」
澄んだアルトの声が響く。口にしている言葉はいたって普通なのに、その響きにどこか緊張感を覚えた私は身構えた。
「本日はご婚約おめでとうございます。わたくし、まるで自分のことのように喜んでおりますのよ」
カツカツと、ヒールの音を鳴らし女性が近付いてくる。目を凝らした先に見えたのは、ストロベリーブロンドの巻き毛だった。つり上がった目をした彼女は艶然と、それでいて挑戦的に微笑む。
(この人って、あのときの──!)
私が小姓としてステンター城で働いていたとき、食堂でスープをかけてきたうちの一人。大勢の取り巻きに囲まれ黙ったまま私を睨み付けていた貴族の──名前は確か……アルミラさん。
「祝福していただけて嬉しいわ。トゥルーズ家のアルミラ嬢よね、こうして直接お話しするのは初めてだったかしら」
「あら! わたくしの名をご存じで? 流石未来の王妃様でいらっしゃること」
わざとらしく目を丸くしたアルミラさんに疑念が浮かぶ。この人は小姓としてシュワルツの側にいたエドワードが気に入らなかったのではなかったの? それとも──権力を振りかざす気はないけれど、さして身分の高い訳でもない伯爵家の令嬢が筆頭貴族であるヴィスケリ家の、そして王子の婚約者でもある「エディリーン」に噛み付くリスクを考えていないだけ?
一瞬考えを巡らせた私に、アルミラさんはにいっと口角を上げた。
「わたくし、幻滅しましたのよ」
一歩一歩、手すりを背にした私を追い詰めるかのように近付いてくる彼女は大袈裟に溜め息をつく。
「まさか、まさか! シュワルツ様の婚約者である貴女が、部屋に他の男性を連れ込んでいるだなんて思いもしなかったんですもの!」
──エリスだ。ドレスを選ぶために彼を部屋に引き入れたところを見られていたのだ。
「あの黒髪の御方は騎士でしたわよね? わたくし、何度か目にしたことがありますし、闘技大会でも活躍していらしたもの。シュワルツ様だけでは飽きたらず他の男性にも手を出すだなんて……到底、信じられませんわ」
「──彼はヴィスケリ領にいた頃からの友人なの。やましいところなんて、ひとつもありはしないわ」
迫ってきていたアルミラさんが私の目の前で足を止める。私を見上げるその瞳が、獲物を見つけた獣のように煌めいた。
「本当に、そう言い切れますの?」
「──わたくし、知っておりますのよ? 貴女がシュワルツ様を愛していらっしゃらないこと」
ぞくりと、背筋が冷えた。
(まさか、ありえない。どうして彼女が……?)
私とシュワルツの婚約が偽装だということは本人たちを含めてもアル、ルシィ、エリス、そしてルシフェルさんと団長しか知らないはずだ。思い浮かぶ誰も、目の前のアルミラさんと関係があるようには見えない。話自体も執務室でのことだから外に漏れる訳がない。
(鎌をかけているだけ?でもそれならこの自信はどこから)
黙り込んだ私にアルミラさんは満足そうに一度頷くと、ひらりとドレスを翻し私から離れる。彼女はドレスの裾をたくしあげると、仕込んでいた短剣を取り出し愛おしそうに頬を寄せた。
「ねえ、面白いと思いませんこと? この短剣でわたくしは自分の腕を少しばかり切り裂くの。大声で叫んだあとに傷口を庇いながら震えて踞れば、広間にいる方々も気付いて外に出てきますわ」
短剣を手にしたアルミラさんは歌うように続ける。
「そんな……! 嘘だとおっしゃって……! なんて言ってね? それで先程の話をしたとしたら──聡明な貴女ですもの。もうお分かりになりますでしょう? ……ふふっ、わたくし素晴らしい役者になれますわね」
「……そんなこと、誰も信じるわけがないでしょう」
「さあ、どうかしら。人は皆スキャンダルが大好きだと、相場が決まっていますもの」
恍惚とした表情で話すアルミラさん。口元をにいっと歪めた彼女は、短剣の先を自らの腕に沿わせようと片手を上げた。
「盛大な余興になりそうね。とても楽しみ───ッ!?」
その手を止めようと私が半身を動かした瞬間、ぱしり、と何かが彼女の腕を掴んだ。
「ちょっ、なんですの!? 離しなさい!」
「ったく、それはこっちの台詞だよ。なにやってんの、馬鹿ミラ」
目を丸くした私の視線の先。アルミラさんの片手を掴んだカイム卿がにっこりと微笑む。その背後から、顔を真っ青にしたエリスが駆け寄ってきた。
「ディー! なんで一人で外に出たりなんか!」
「……暑かったのよ。一人のほうが気楽だし、招待客だって城に入る前にきちんと確認されていたし、」
「現に危険に晒されてるでしょ!? 全く、どうしてディーはそんなに無用心なんだ……!」
ふい、とそっぽを向いた私の肩を掴みながらエリスが息巻く。確かにエリスとカイム卿が来なければどうなっていたかなんて想像は難くない。ちらりと目を向けると、カイム卿に取り上げられた短剣を取り返そうと、アルミラさんがきゃんきゃん騒いでいるのが見えた。
「ばかカイ! あほカイ! とんちんカイ! それはわたくしの短剣ですのよ!?」
「ミラ、これは干渉しすぎ。あくまで可能性の話なのに、なんでこう、むざむざ悪手を……」
「だって、だってわたくしが『視た』未来ではこれが最善策で、」
「……エディリーン嬢、姉が御迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ございません。トゥルーズ家当主として、姉に代わってお詫び申し上げます」
「──は、え?」
アルミラさんの頭を押さえ付けカイム卿はすらすらと謝罪の言葉を紡ぐ。疑問符を浮かべた私に、横にいたエリスはふうと息を吐いた。
「全部説明するよ、ディー」
エリスに手を掴まれたまま、私はバルコニーの端にあるテーブル近くへと連れてこられた。ちょうど四つある椅子にエリスは腰掛けると、自分の横の椅子を示す。素直にそこに座ると反対側の隣にカイム卿、目の前にアルミラさんが不服そうな顔で腰掛けた。
「風邪引くから。これ羽織ってて?」
騎士団のマントを外しエリスが差し出してくる。彼の言うとおり肩を出したドレスでは少し肌寒くなってきていたのでありがたくそれを受け取って肩に掛けた。
「ほら! やっぱりいい感じじゃない! カイ! ほら!!」
「うるさい、ミラは黙ってて」
「──むぅ」
アルミラさんはそんなことを小声で呟きながらカイム卿の肘をつついている。カイム卿はそんな彼女の口を押さえ強引に黙らせる。随分と仲の良さそうなその姿に拍子抜けしてしまう。
「ミラ──えっとアルミラは期待できそうにないので俺が説明しますね。単刀直入に言うと、俺たち双子には未来視のような力があるんです」
カイム卿の話はこうだ。
私は知らなかったが、カイム卿とアルミラさんは一卵性の双子の姉弟であり、二人はその珍しい生まれのせいか小さな頃から少し先の未来を予見することがあった。未来視のような、と言ったのは何やら二人は「起こりうる可能性のある世界」が時折頭に浮かぶから、らしい。
そして何故だかアルミラさんは自身の未来をみることは全く出来ず、自らの未来視を調べた結果そのほとんどが私に関連することだとわかったというのだ。
「話を聞いたらびっくりしたけど彼女、オレとディーが会ったときのことも知ってるんだよ。あとは家族しか知らないようなオレの小さい頃の話とかもさ」
信じざるを得なかった、とエリスが苦笑する。
「恐ろしいよ。最初は密偵か何かかって疑ったけど、オレがまだこんなちっちゃな背のときに憧れたお兄さんのことだって知ってて」
「お兄さん?」
「旅人だったのかなあ。男の人と女の人のバディで、近所のいじめっ子から助けてもらったんだ」
オレにとって、お兄さんはいつまでもヒーローなんだよ。懐かしそうにエリスが目を細める。私はその話を聞いてもどうにも不信感が拭えずアルミラさんにいくつか質問してみたのだが、アルやキースお兄様との思い出どころか昔、野イチゴを摘みにいった山で刺されそうになった蜂の話までされてしまい、渋々彼女らの話を信じることにしたのだった。
「それで、一体全体どうしたら短剣を持ち出すはめになるのかしら」
「それは、"アルミラ・ヴァン・トゥルーズがエディリーン・セデンタリアに接触する"にはそれが最善だと『視えた』からですわ」
復活したのか自慢げに豊満な胸を反らすアルミラさんを、私は虚な顔で眺める。未来視で視たそれによれば、私たちが接触する可能性があるのはあのスープを引っ掛けられた事件とこの短剣での自傷未遂事件のみだったという。
「"物語に干渉しすぎない"、未来視を持ってる俺たちは小さな頃からそうやって過ごしてきたんです。いくら未来がわかるっていっても、それは可能性の話であって確実なことじゃないってわかってましたから」
「でも闘技大会でオセルスの刺客が襲ってきたとき、とんでもないことが起こったってミラが真っ青になって」
『カイ、カイ……! 違うわ、これは、起こり得ない世界線じゃあなかったの……?』
オセルスの刺客が連れた鳥たちは一羽だけで、とんでくるのは泥ではなく水だった。それだからアルの雷の魔法である程度防ぐことができ、手が足りず王妃様が怪我を負うことはない。それがアルミラさんの視た未来だった。
基本的に未来視で浮かぶ映像は当たるか外れるかの二つに一つだから、こうしてまるでアルが雷の魔法を使えることがわかっていたかのように電気の通らない泥なんてものをとばしてくるなんて改変は起こり得ないのだと。
「可笑しいのですわ。元々貴女に会うはずのなかったわたくしがこうして、物語に組み込まれている。……だからせめてディーちゃんがどの世界線にいるのかを確かめたかったと言ったら、怒らせてしまうかしら」
アルミラさんが私がシュワルツを愛していないと知っていたのはその未来視のせい。彼女の視た未来ではいくつかの選択肢によって私がどのような結末を迎えるのかが異なるという。私の身を案じた彼女は"物語に干渉しすぎない"という約束事を破り接触を図ってきた、というわけだった。
「わかった?ミラ。これが現実、ミラはそろそろ向き合わなきゃ駄目だ。「アルミラ・ヴァン・トゥルーズ」一人の人間なように、エディリーン嬢だって感情がある一人の人間。物語の登場人物じゃないなんて分かりきってることだっただろ」
「確かにやり過ぎたことは認めるけど……」
「大体、エディリーン嬢が殺されるのを見たくないって言ってあそこまで頑張ったのに、いくら最善策だからってどうして短剣なんか持ちだすのか、俺には理解不能だよ」
不服ながらも頭を下げたアルミラさんとそれに倣ったカイム卿をはね除けることは出来そうになかった。
和解した後のアルミラさんは高慢ちきな姿とは打って異なり少しだけテンションの高い普通の女の子、カイム卿だって口調を崩してみれば打ち解けやすい普通の男の子で。話に花を咲かせしばらく時間が過ぎた後、帰り際にアルミラさんはくるりと私の方を振り返り手に何かを握らせた。
「──もう口を挟まないことにいたしますわ。けれど、これからオセルスに向かうのでしょう?」
「だったら尚更気を付けなさい。──冷たいグラスは選んじゃダメ。シュワルツ王子やエリスくんの屍の上でキスしたくなかったら、絶対よ」
ぱちん、とウィンクをして、不可解な言葉を残しアルミラさんとカイム卿が去っていく。
「……これ、護石じゃない」
開いた手のひらに乗る小さな紅い宝石に、アルミラさんこそが炎の魔力持ちだと私は初めて悟ったのだった。





