19.守るための力
エリスはその後、無事決勝に駒を進めた。準決勝で近衛兵と当たった団長も難なくそれに打ち勝ち、ついに闘技大会も残り一試合。望んだ通り、エリスと団長との決勝戦がこれから行われる。
「いよいよね……」
私は膝の上で拳を固く握りしめる。ここまでの試合運びを見る限り、流れにのっているエリスのほうが一枚上手といったところだろうか。しかし団長もさすがと言うべきか、あれだけ派手に立ち回りながらも一試合目からまったく動きが鈍っていない。
現在二人はカイム卿の紹介を受けている最中だ。むろん団長への声援は大きいが、一騎士ながら決勝まで勝ち進んだエリスにも大きな期待が寄せられているのが分かる。
「お姉さまは、どっちが勝つと思う?」
「そうねえ。個人的にはエリスに勝ってほしいわ」
ここまであれだけの勢いで勝ってきたのだ。このまま勝利を収めてほしいというのが本心。
「……見た限り、アルフレッドの右足にはかなり負担がかかってるな。それを隠そうとしてか左足も少し様子がおかしい。おそらく第一試合のときにひねったか何かしたんだろう」
「本当ね。エリスは気付いているだろうけど……あれは素人には分からないわね。会場の雰囲気を崩さないように配慮してるのかしら。まあ、団長らしいといえばそうなんだけど。──それにしても貴方、剣術詳しかったの?」
「……王家の嗜みとして一応な。そこらの騎士には負けない程度の腕はある」
「へえ、意外ね。仕事風景を見るに、どちらかというと文官寄りなのかと思ってたわ」
シュワルツ王子が剣を振るうところは正直想像できそうにない。しかし彼の立ち振る舞いの隙のなさには、どことなく構えにつながるところもあり、すぐに納得できた。
「お兄さま、とっても強いんだよ。私が小さい頃にも、すごい剣の人を倒した、ってお話を前に聞いたの」
「すごい剣の人?」
「うん。そこでは一番強い剣士さんだった、って」
目をキラキラと輝かせ、尊敬するお兄さま自慢をするルシィに、シュワルツ王子はむず痒そうな表情をしてそっぽを向いた。おそらく照れているのだろう、意外に可愛いところもあるらしい。
「ま、僕の姉さんには敵わないよ。なんたって姉さんは、エリスさんと同じ師匠に剣を習ってたんだから」
「お姉さまも強いかもしれないけど、お兄さまが負けるはずないよ……!」
肩をすくめたアルにルシィが噛み付いているのを横目に、私はステージへ視線を戻した。エリスと団長は用意を終え、互いに向き合っている。団長が中段に構えているのに対し、エリスは今までとは違い、大きく剣先を天に向けていた。
カイム卿の合図とともに試合の火蓋が切られた瞬間、エリスの剣から火柱が上がった。柄から伸びた炎は真っすぐ剣に沿って立ち、周囲の空気を揺らめかせた。
「ここまで温存してましたけど……全力で勝たせてもらいますね、団長」
エリスの魔剣は炎。以前私に護石を贈ってくれた見知らぬ誰かに込めてもらったものだ。顔も名前も分からないので自室のドアに手紙を挟んだところ、その日のうちに手紙は消え、次の日には了承の意を書いた返事が挟まれていた。すぐさま剣を数振り扉の近くに置いておいたが、いつの間にかきちんと魔力の込められた状態で私の部屋の前に届いていた。彼か彼女か分からないが、感謝してもしきれない。
「エリスもとうとう魔剣を使うかぁ。これは俺も腹くくるべきなのかもしんねぇなあ」
立ち上った火柱に頬を掻いた団長は、柄に埋められた魔石を片手で撫でた。それに応じるかのように、ゆらりと揺れた魔石が放つ輝きは、彼の髪色と同じ、燃えるような赤。
「団長の魔剣も炎──ディーがピッタリだと言ってた理由が分かりました」
「いやいや、相性は最悪だよ。俺、前にエドにこれで襲われたんだからよ。……あー、おっかねぇおっかねぇ」
これ、と団長が口にしたと同時に、剣から一筋の炎が躍り出て、体を一周してふわりと宙に浮いた。団長を守る壁のごとく立ち上る炎にエリスは一瞬嫌そうな表情を浮かべる。
「第二の盾ですか、オレじゃそこまで考え付きませんでしたよ。やっぱりディーの判断は正しかったってことですかね」
「ま、エリスみたいに剣がそのまんま炎になってるよりは気が楽だと思ってよ。それじゃあ振りにくいったらありゃしない」
二人の魔剣から放たれた熱気に圧され、周囲は少し息がしづらくなっていた。ドレスの袖で口元を抑え、二人の動向を見守る。
剣を振りかぶったエリスは、そのまま真っすぐ団長に向かってそれを降り下ろす。空気の抵抗か、少し遅れて炎がそれについていく。団長は中段に構えていた剣でそれを受け流すと、その反動を使って剣の向きを変え、エリスに向かって横向きに斬り込んだ。──この間、およそ二秒。瞬きをする暇もないほどハイレベルな攻防に、私は思わず胸を熱くする。エリスが攻め、団長が攻め、一進一退の白熱した試合だ。これはどちらが勝ってもおかしくない。
一瞬、エリスが鑪を踏んだ。その隙を突いて団長が大きく踏み込む。その足が、ずぷりと地面に沈む。
「え……?」
まるでステージに突然沸いたかのような真っ黒のその物体は、底なし沼のように団長の足を徐々にのみ込んでいく。彼は剣を支えにして慌てて足を引っこ抜くと炎を使い、それを焼き払った。
「……んだこれ。気持ちわりぃな」
忌々しげに湿った跡のついた地面を見つめる団長の目と鼻の先、先ほどと同じ物体がぬちゃりと音を立て地面に貼り付く。エリスと団長がそれが飛んできた先を見ると、数羽の鳥を従えた小柄な人影が見えた。小さな体躯には相応しくない、大きすぎるフード付きのローブをまとっているが、その下の服装を見る限り少年だろうか。彼は首を傾げ、不自然なほど口角を上げる。
「──っ、避けろ! アルフレッド! エリス!!」
その瞬間、私の隣にいたシュワルツ王子が鬼気迫る声で叫んだ。それに反応した二人が飛び退くと、彼らが元いた場所で爆発が起こる。
「敵襲! 敵襲っ! オセルスの刺客だ!! 近衛兵は一般人の避難誘導を、騎士団は周囲を囲め!」
辺りは蜂の巣をつついたように騒がしくなった。決勝戦を観戦していた近衛兵は、群衆を誘導し裏手に回らせる。フードの少年は一般人を害する意思はないのか、ステージにいるエリスと団長に向かって攻撃を繰り返していた。
「なんだ、この真っ黒のも魔法か?」
次々飛来する泥塊を燃やし、脇に捨てる。私たちのすぐ目の前で団長はわけが分からないといった調子で呟いた。
「違うっ! オセルスの能力者だ……! でも、なんでコエ持ちがっ」
「ルシィ、貴女確か、さっきオセルスの能力者は人を攻撃しないって言ってたわよね?」
「細かいことは捨て置けッ。あいつら二人じゃ押しきられる。いけるか、エディリーン」
「そういうことなら、任せておいて。……ルシィ、そこから動いちゃダメよ」
軽いパニック状態にあるらしいルシィの肩に手をのせ、落ち着かせるようにポンポンと叩く。シュワルツ王子から手渡された魔剣を手にし、邪魔くさいドレスの裾を切り裂くと、止むことのない攻撃に圧されぎみだったエリスと団長に代わるようにしてシュワルツ王子と並んで剣を構える。
「姉さん、援護するよ。タイミングは分かってるから自由に戦って」
「さすが私の弟ね。任せたわ、アル」
弾丸のように突っ込んでくる鳥たちを半身ひねってかわし、下から剣を振り上げる。そのすぐ横で雨のように降り注ぐ泥塊を、シュワルツ王子が一つも漏らさず切り捨てていった。そして隙を見てアルが放った雷撃が少年の足元を狙い、バランスを崩させる。
「お前、組織の者じゃないな……? 一体誰に雇われた、皇太后か? 宰相か?」
「…………」
少年は答えない。その代わり一層激しさを増した攻撃に、息を整えたエリスと団長が援護に入る。四人で剣を構えているからか、狭い攻撃範囲のためうまく立ち回ることができず、額に汗が流れた。その瞬間、少年は気持ち悪いほど口角を上げ、にたりと微笑んだ。
「──!」
頭を掠めた恐怖に、急いで剣を振り上げるも間に合わない。少年の肩から飛び立った鳥の一羽は一直線に私とシュワルツ王子の間をものすごいスピードで掻い潜ると、一度大きく舞い上がり、背後のルシィへとその嘴を向けた。
「ルシィ!! ダメぇぇ!!」
私は剣を投げ捨てると、彼女を抱きすくめ襲ってくる衝撃に耐えようとその腕に力を込める。
しかし鳥が襲いかかるのとほぼ同時、脇から誰かが強い力で私とルシィを押したのだった。
どん、と強い衝撃を受け、ルシィを抱えたまま突き飛ばされる。それとほぼ同時に地面に鮮血が飛び散った。慌てて顔を上げたそこには、痛みに顔を歪ませた女性が倒れ込んでいた。女性が被っていたフード付きのケープから、蜂蜜色の髪が一房こぼれ落ちる。
「おかあ、さま……?」
腕の中のルシィがそう呟くと、その女性──ステンター王妃は真っ青な顔で微笑んだ。
「よかっ、た。……ルシィ、無事で」
「フリューゲル!! お前、どうして!!」
近衛兵の間を掻い潜り駆け寄ってきた陛下。背中を大きく切り裂かれ、だくだくと血を流し続ける妻を掻き抱いた彼に向かい、王妃様は静かに言葉を紡ぐ。
「あら貴方、褒めてくださいな? わたくし、今回は、我が子を……ルシィを、守れましたのよ」
「……っ、誰か! 医師を呼べ! 今すぐにっ!」
ステンター王の声に反応し、近衛兵の一人が騒ぎに追いやられ近付けなかった救護班を案内してきた。痛々しい背中に、治療するはずの救護班さえ言葉を失っている。
「騎士団、全員持ち場に着け! 誰一人殺させはしない、必ず俺が助けてやるから安心して攻撃しろ! いいな!!」
と団長が吼える。騎士団の面々はそれに応えるように声を上げた。
標的を攻撃し損ねた鳥は、旋回して少年のもとへと戻っていく。その間も泥塊は止むことなく降り注ぎ、団長の命に従い駆け付けた騎士団の皆が攻撃しようとするも、それに阻まれて近付くことすらできない。その背後からアルも雷撃を飛ばして加勢しているけれど、雷と土では相性が悪く、大したダメージは与えられていなかった。
「……泥が邪魔だな」
忌々しげに呟き、シュワルツ王子が額の汗を拭う。私は投げ捨てた魔剣を拾い上げ、ルシィを背にすると彼とエリスのもとへと走り寄る。
「──どうしたら」
タイミングを計ろうとも、攻撃できる隙がない。襲い来る泥塊を退けるのが精一杯で、鳥たちや少年に剣が届かないのだ。オセルス側はアルが雷の魔力持ちだと知っていて、この少年を差し向けたのか……。
「皆様っ! おどきになって!」
不意に背後から甲高い声が響いた。反射的に相手から距離を取ると、地面を伝うようにして業火が立ち上る。熱風がぶわりと頬を掠めた。
「わたくしがいったん全て焼き払いますわ! これ以上はもう魔力が足りませんの! 騎士団の皆様、これでよろしいですわね!?」
「おう! 誰だか知らねぇが嬢ちゃん、恩に着る!」
慌てて振り返ると、線の細い女性が司会進行を務めてくれたカイム卿に肩を抱かれ、その場に崩れ落ちるところだった。煙に邪魔され、その姿はよく見えない。
(私に護石をくれた人──!)
間違いない、彼女が炎の魔力持ちだ。
彼女が泥塊を焼き払ってくれたおかげで視界が晴れた。騎士団の面々は一直線に向かい、空を舞う鳥たちに向かって攻撃を仕掛ける。
「シュワルツ! いけるね!?」
「ああ、任せておけ」
大きく振りかぶったエリスに少年が気を取られた瞬間、低く体を倒したシュワルツ王子が横向きに少年へと剣を走らせた。少年はそれを避けようと下がるも剣がかすり、フードの一部がはらりと落ちた。
「──!」
切れたフードの奥から覗く瞳は、禍々しい血の色をしていた。少年は何かもごもごと口にすると、腰から短剣を引き抜いてシュワルツ王子の腹部に向け、突き刺す。
「──ッ!」
近距離にいたためかその攻撃を避けることのできなかった王子は、左の腹を押さえ、数歩よろめいてその場に倒れる。エリスがそれを見て彼を支えようとするが、少年はいつの間に移動したのか次はエリスの目の前に立っている。
(──あの少年は、何者なの……?)
エリスは少年から逃れようと必死で剣を振り続けるけれど、圧倒的に圧されていて、流れは少年に向いている。団長たち騎士団は鳥たちを相手にしていて、こちらに気付いていない。それどころか、鳥の猛撃を受けて負傷した騎士たちが次々と後方へと下がっていき、今では団長を含め数人しかその場に残っていなかった。
ひどく、足が震えていた。
小さい頃から剣は握ってきたつもりだった。誰よりも強いと、魔物だって倒せるのではないかと、そんな風に思っていた。──でも、私は、ここにいる皆を守れるほど強くなかった。強いと思っていたのは、ただの自己満足でしかなかったのだと今さらになって思い知る。今私が飛び出しても、足手まといになるだけだ。
呆然と立ち竦んでいる私の目の前で、少年がエリスに向け、拳で握った短剣を突き刺そうとするのが見えた。
──間に合わない。そう思った瞬間、突風がその場を駆け抜けた。
「……!?」
振り返ると、固まった民衆や王妃様たちを庇うようにして立つルシィの姿が見えた。ルシィを中心として放射状に広がる豪風は、まるで彼女の背中から生えた翼のように大きく広がっていく。土埃を上げ舞い踊る風の中、すっくと立つルシィは凛とした顔で声を張り上げた。
「ステンター国第一王女ディフルジアが命じます! 異国の魔物よ、今すぐ立ち去りなさい! コエ持ちを騙っても、その姿じゃ私は騙されない!!」
翼から放たれた旋風は、全てをなぎ払うように少年へと襲いかかった。その様子に少年はちっ、と舌打ちすると、まるで影のようにその場に解けて消えた。それと同時に、騎士団が相手にしていた鳥たちも糸が切られたように地面へと墜落する。
「お、お兄さまぁ……っ!!」
誰もが驚きを込めて彼女を見つめる中、転びそうになりながら駆け寄ったルシィは、倒れていたシュワルツ王子の血で染まった腹部に自身のドレスを裂いて押し当てた。
「シュ、シュワルツお兄さま! だめだよ、死んじゃだめだよぉ……っ」
ぼろぼろと、ルシィの目から涙が溢れた。倒れていたシュワルツ王子の手がぴくりと動いたかと思うと、彼は優しくそれを拭う。
「──死んではいないさ。それに、ルシィを置いては死ねないからな」
「う、うう、、おにぃさまあぁ~~!! よかったああ~~」
ルシィは目を真っ赤にしてシュワルツ王子に抱きつく。王子も、目を細めて妹をぎゅっと抱き締め返した。
「──女神だ」
「女神ルチア……!」
「翼だ、王女が翼を!!」
民衆が次々と声を上げる。騒がしくなる彼らを目を見開いて見ていると、いつの間にか隣に来ていたエリスがそっと私に耳打ちした。
「ステンターの神話だよ。大きな翼を持った女神ルチアが、魔物相手に倒れた英雄アルフォンスを守った。女神が死んだ英雄を抱いて涙を流すと英雄は生き返った、ってね」
「……女神、ね」
オセルスの刺客の奇襲により騒然としていた会場に、大歓声が響き渡る。そのどれもがルシィをたたえるもので、私は思わず涙ぐみそうになった。
ルシィの周りに、暖かな風が吹く。辺りをたゆたう風は、破れたドレスの裾を微かに揺らして通り抜けていった。





