18.戦う理由
どん、と大きな音が空に響く。
席でうつむいていたルシィが驚いて顔を上げるともう一度大きな音が鳴って、まるで示し合わせ
たかのように晴れ渡った青空に大輪の花が咲いた。空に浮かんだ花火と私の顔を交互に見る彼女を
安心させるように微笑みかけ、私はシュワルツ王子の立つ壇上へと足を進めた。
そう、今日はいよいよ闘技大会だ。
「騎士団の闘技大会だなんて、まったく、楽しみで仕方ねぇよ!」
「しかも聞いたところによると、今日シュワルツ王子の婚約者が披露されるとか!」
「貴族様方へのお目見えもまだらしいよ。まずは国民に認めてもらいたい、っていう婚約者様の考
えらしいね」
「確か、宰相殿んとこの娘さんだろ? 恐ろしいほど美人だって評判らしい」
集まった観客たちがざわめきたつ。こちらの予想以上の人数が訪れていることに、私は人知れず
ほくそえんだ。
なるべく多くの人に、魔法が忌むべきものではないということを見てもらいたいと思った私は、
闘技大会の観客を貴族だけではなく国民をも巻き込んだものとしたのだ。
同じステンターの人間でも、平民は貴族よりも魔力排斥の傾向が少ない。権力があるのは貴族だ
が、この場の雰囲気を作り上げるのはどうやったって数の多い平民だ。お祭り特有の浮わついた空
気は、否が応でもこれから開かれる闘技大会への期待を高めてくれる。
その目論見はどうやら間違いではないようで、視界の端に移る貴族席に座っている人たちも、各
々楽しそうに談笑している。まず、会場作りには成功したと言えるだろう。
「いよいよだな、エディリーン」
「ええ。準備はよろしいかしら?」
「もちろんだとも、"我が愛しの婚約者殿"」
いつか、初めてシュワルツ王子と出会った時のように差し出された腕に自分の腕を絡めると私は
彼に寄り添い、群衆の前へと歩み出る。私たちの登場により、歓声は一層大きくなった。
『僭越ながら大会の進行を務めさせて頂きます、私、ステンター王室近衛一番隊カイム・ヴァン・
トゥルーズと申します! さて皆様、ただいま壇上にいらっしゃるのは我らがステンター国第二王
子シュワルツ殿と──その婚約者であらせられるヴィスケリ侯爵家のエディリーン嬢です!』
大袈裟な身振りと共に早口でそう口にするのは、カイム卿。くせのついた濃いストロベリーブロ
ンドの髪に切れ長の目をした彼は、私がステンター城で行われた舞踏会の際に踊った相手だったは
ずだが、現在はそのときの気取った様子とは正反対、素晴らしい司会役を務めている。そのあま
りの変わり様に、自分の中のことは棚にあげて若干引き気味になっている私と違い、煽られた観客
席は歓声に包まれた。
カイム卿の紹介に従い軽く挨拶を済ませた私たちが席に着くと、彼は声を張り上げる。
『それでは、さっそく試合に移っていきましょう! 皆様お待ちかねの第一試合を飾るのは──な、
なんと! 我が国の騎士団長、アルフレッド・ランバート選手です!』
現れた団長の姿に観客席が一気に沸き立つ。彼がこの試合に抜擢されたのは偶然ではなくひとえ
に私の口利きによるものだ。いくらルシィのためにこの立場を利用しようと考えたとはいえ、シュ
ワルツ王子との婚約について言いふらされたことを根に持っていない訳ではない。
くすくすと意地の悪い笑みを見せる私をじっと見つめる団長には悪いが、ここは無視を決め込ま
せて頂こう。
『対しますは、こちら私の後輩にあたります王室近衛二番隊、名門フヴァリエ家次男、ロイネッ
ト・フヴァリエ選手!』
(え、姉さん。これって近衛も出るの? )
(騎士団だけじゃ不公平だってカイム卿が言うんだもの。司会役をやってもらうからには要望はで
きるだけ聞きたかったし、なにより母数が多い方が楽しめるじゃない?)
(まあ確かに……)
『彼らに与えられたのは等しく、一振りの魔剣と盾のみ! 選手たちの日頃の鍛練の成果、お集ま
りの皆様方には、しかと目に焼き付けて頂きましょう!』
向かい合った二人はすでに相手だけを見つめ、剣を構えている。鎧の当たる音が、張り詰めた糸
のような緊張感のなかで妙に耳に届いた。
『──それでは第一試合、用意……始めっ!』
試合の開始と同時に、団長が助走をつけて一気に間合いを詰めた。繰り出された鋭い剣先を、ロ
イネットさんは手にした盾を下から突き上げて受け止める。カン、と鋼がぶつかり合い、団長の剣
が反動で弾かれる。
その直後、何かがきらりと光ったかと思った瞬間に団長の体が後方へと吹き飛んだ。慌てて追
いかけた視線の先、膝をついた団長はすぐに体勢を整え剣を構え直す。立ち上がった団長の足元に
は、無惨にも砕け散った盾の欠片が散乱している。驚いて目を移せば、彼を睨み付けるロイネット
さんの構えた魔剣は、淡い若草色の光をまとっていた。
先ほど見えた光──ロイネットさんの魔剣の先から吹き荒れた鋭い旋風は、団長の持っている盾
の半分を破壊していたのだ。
『攻撃を防いだだけでなく、魔剣の力で盾を破壊したようです! 装備の限られるこの試合、これ
はロイネット選手が一歩先んじたと言っても過言ではないでしょう! 風を起こす魔法……とんでも
ない力です!』
「……!」
「あれ、ルシィが魔力を込めてくれたものよ。それにしてもあれほどまでの威力とはね……さすが
だわ」
「団長さん、怪我……しない、かな?」
「あれくらいで負傷するようなら早々団長なんぞやめさせているさ。アルフレッドは悪運だけは強
いからな、ピンピンしているだろう」
「開き直った途端、ルシィの前でもえげつないわね。……少しは自重しなさいよ」
仰々しく足を組んだシュワルツ王子は、はなから団長の勝利を疑っていないようだった。まあ何
だかんだ言っても騎士団長なのだから、一試合目なんかで負けていたらお話にならないのだけれど。
「えへへ。私、昔のお兄さまも好きだけど、今のお兄さまも好きだよ。あのね、なんだか距離が近
くなったみたいに思えるの」
ふんわりと笑ったルシィを見て、シュワルツ王子が決まり悪そうに頬を掻く。偽装婚約の件を暴
露した時からルシィの前でも取り繕うことを止めたシュワルツ王子は、どこか吹っ切れたように見
えた。
「……ほら、見てないと試合、終わるだろ」
私たちがシュワルツ王子の態度の変化について話しているうちに試合は動いていた。ロイネッ
トさんの剣が、勢いよく振り下ろされた団長の剣に叩き落とされる。どうやら団長に一撃を入れよ
うと放った攻撃の裏をかかれたらしい。
団長は、若年ゆえかまだ型の定まっていないロイネットさんの隙に、的確に狙いを定めていた。
一気に優勢に傾いた団長の姿に観客席からひゅうと口笛が飛ぶ。
降り下ろした剣にかかった遠心力を使ってくるりと身を翻した団長は、太刀筋をそのままに剣を
振りかぶる型へと体勢を移行させる。一方のロイネットさんは剣を離してしまったことに動揺して
いるのか、逆行に照らされる剣を見て目を見開いていた。
勝負あったかと思ったその直後、最後の足掻きとばかりに斬撃を避けるように腰を低く落とした
ロイネットさんは、叩き落とされた剣を素早く手繰り寄せ──
びゅう、と何かが空を切った。剣先から土を巻き起こすようにつむじ風が走り、直線上にあった
団長の右足をなぐ。
団長の体がぐらりと揺れ、体幹がぶれた。再び剣を得たロイネットさんが好機とばかりに彼に肉
薄する。
「……っ!」
しかしその場に響いたのは団長ではなく、ロイネットさんが息を飲む音だった。
彼はいつの間にか首筋に剣を押し当てられ、地面に尻餅をついている。
『そこまでっ!』
二転三転する状況に終止符を打つように、カイム卿が二人の間に割って入る。
彼はロイネットさんが体を起こすのに手を貸すと、その一連の動作のまま剣を鞘に戻し終えた団
長の右腕をあっという間につかんで、会場中に見えるように掲げさせた。
『第一試合、勝ったのは、アルフレッド・ランバート選手ーっ!』
カイム卿が団長の名を高らかに叫ぶ。それに応えるようにそこかしこから称賛の拍手が降り注ぎ、
瞬く間に大喝采が沸き起こった。
『まさかの逆転に次ぐ逆転劇に、目の追い付かなかった方も多くいらっしゃることでしょう! 最
後の一瞬、アルフレッド選手は盾を捨てることで攻撃を受け流すだけでなく、踏み込んだ足に重心
をかけていたロイネット選手のバランスを崩したのです! これによって剣を離さざるを得なかっ
たロイネット選手は──』
立て板に水のカイム卿の司会進行及び実況解説に舌を巻く。魔法に寛容だという点だけで彼を司
会役に抜擢したが、これはわざわざ名乗りを上げるわけだ。確かに彼は司会役が板についている。
近衛兵より催事係のほうが合いそうだ。
情け容赦ない団長の手腕に呆れ顔の私やシュワルツだが、あの状況下で咄嗟に盾を捨てる判断が
出来たかと問われれば、答えることは難しい。その点についてはやはり彼の経験と、騎士団を名を
背負う者としての矜持が物語っているのだろう。
団長とロイネットさんの試合により一気に高まった会場のボルテージに応えるようにして、カイ
ム卿が第二試合の選手を紹介し始める。
闘技大会はまだ、始まったばかりだ。
***
「ひぃ~、まさかあんだけの威力があるとはなぁ」
肩を回しながら控え室に戻ってきたアルフレッドは、腰に携えた魔剣をおっかなびっくり触る。
「でも観客の皆さんも怖がるというより、一近衛兵でも騎士団長を追い詰められる魔法に感心していたみたいでしたし、目的としては十分じゃないですかね?」
「まあ、そうっちゃそうだけどよ、あんだけ追い詰められちゃ、団長の威厳もなにもあったもんじゃねえな。……おっ、さんきゅエリス」
ぶつくさと文句を垂れるアルフレッドは、エリスが差し出したタオルを手に取ると汗を拭う。魔剣を慎重にその体から離して台の上に置くと、彼はどすんと椅子に腰掛けた。
「そういえば団長は魔剣の効果、使ってなかったですよね? どんなものなんです?」
「あーそうか、エリスはセデンタリア出身だもんな。魔法には慣れてるわけだ! なんだかなぁ、エドが仕組んだのか分かんねぇけど、あんま相性よくねぇんだわ」
「……ディーは『団長にぴったりの魔法』だと言ってましたけど……」
「いや、生理的に……うん。ぜってぇエドの奴、わざとだって」
恨みがましく魔剣を見つめたアルフレッドの視線の先、剣の刃先が光を反射し、ゆらりと揺れた。
エリスは大袈裟に体を震わせたアルフレッドに肩をすくめると、自らの鎧を手にし、器用に身に付けていく。
「エリスの出番ももうすぐか?」
「ええ。そうだ団長。決勝戦、胸を借りるつもりでやらせていただきますね」
挑戦的な目付きでアルフレッドを横目で見るエリスの瞳は、まるで獲物を狩る狩人のそれだ。まだ第一試合が終わったばかりなのに、エリスは自分の勝利と、そしてその相手が目の前の男になることを露ほど疑っていない。
「オレ、勝たなきゃいけない理由があるんですよ。貴方を倒さないと、オレは大事なものを守れない」
「……たとえそれが手に入らなくても、お前はそう言えるのか?」
賢明にもアルフレッドは、それが何かとは問わなかった。エリスは魔剣を鞘から抜き出すと、その表面を軽く撫でる。
「もちろん。だからオレはこの思いが本物だって、勝って示さなきゃいけない。強くなきゃ、いけないんですよ」
***
団長の劇的な勝利に沸く会場。カイム卿が声を張り上げ、第二試合の選手の名を読み上げる。
『それでは、二試合目の選手を紹介いたしましょう! 全受験者のうち最年少、狭き門を突破し今年見事、王立騎士団への入団を果たした実力者! エリス・ローゼンバーグ選手です!』
合図とともにステージに上がったエリスは、観客の歓声に応えるように片手を挙げた。ふとこちらを向いたエリスに「頑張って」と口の動きで伝えると、彼はふわりと微笑んで首を縦に振る。
『エリス選手はエディリーン嬢と同じセデンタリアの出身だそうです。出場者の誰よりも魔法についての造詣が深かろうと思われる彼の対戦相手は──』
結論から言おう。──エリスの圧勝だった。
ものの数秒でエリスは華麗に立ち回ると相手の首筋に剣を当てたのだ。一瞬の隙もないその動きは、精巧な機械仕掛けの人形のようにも見えて、私を含めた観客は皆、息をするのを忘れたように剣を鞘にしまう彼を眺めていた。
そしてエリスはそれからの試合、ただの一回も魔剣の効果を使うことはなかったのだった。
「あ、団長。お疲れさまです」
「うっわ! ……げ、エド! なんだ待ち伏せか!?」
ステージの裏手、自身の三回目の試合が終わり一息ついていた団長のもとに、ひょっこり顔を覗かせると彼は大袈裟に驚いてみせた。
「やだなあ、違いますよ。ちょっと団長に聞きたいことがあっただけですって」
私の口調が普段のそれから、エドのものへと自然に変わる。彼が私をエドと呼ぶように、私も彼の前ではエドでいたかった。
外面を取り繕ったヴィスケリ公爵令嬢や普段のディーとも違い、演じていたときは違和感の拭えなかったエドだけれど、確かに〝エド〟は上司としての彼を慕っていたのだと今なら分かる。
「だからそれを待ち伏せって言うんだろおよ」
なんか懐かしい喋り方だなぁ、と私の頭をくしゃくしゃ撫でる団長の大きな手は、私が何者だとしても許してくれそうなくらい暖かいと思えてくる。彼にはどこか、人のとげとげしい部分を取り除き、その角を丸めてしまうような才能があるのかもしれなかった。
「それで、聞きたいことってなんだ?」
「あの、団長も気付いていると思うんですけど……」
「エリスだろ? それ以外ねぇもんなぁ。──あ、試合を見て『団長に一目惚れしました!』っていう女の子から伝言頼まれたんなら受け付けるが」
「安心してください、そんな伝言一つも頼まれてませんから」
だーよなぁ、とケラケラ笑う団長は少し膨れっ面をしている。あ、本気だったのねと今さらながら感じ、目を瞬かせると団長は私を恨めしげに見やる。……今度誰か紹介しますって。
「あー、それでエリスのことだろ?」
「はい。いつもと雰囲気、違いませんでしたか? 勝ち急いでいる風に見えたんですが」
ヴィスケリ領の稽古場で見たときとも、騎士団の練習場で見たときとも明らかに違うエリスの戦い方は、無駄がないといえばそうも取れるけれど、普段の彼を知っている身としては引っ掛かるものがあったのだ。
私の問いに団長は大きく息を吐くと、片手で鞘をくるくると放りながら言葉を紡ぐ。
「アイツ、決勝で俺と当たるつもりらしい」
「エリスの実力ならありえなくもないと思いますけど、それがどうして、あんな戦い方をする理由になるんです?」
「……強くなきゃいけない、んだとよ。大事なものを守るために」
「大事なもの、ですか」
思わず反芻した私に団長は微かに頷いてみせた。
「なあエド。もし自分が望むものが絶対に手に入らないとして──エドはそれを諦めないでいられるか?」
団長はひどく神妙な顔付きで、ぽつりとそう口にした。私はしばし考えを巡らすと、小さく言葉を漏らす。
「──正直、分かりません」
そうして一呼吸、おいて。
「でも、私だったらそばにいたいと願うと思います。そのために、努力すると思います」
脳裏に浮かんだのはロゼの顔だった。彼女にとってオセルスにいることが最善の選択だとしても、私は彼女にもう一度会いたい。会って、いつものように軽口を交わして笑い合いたい。
私の答えに団長はふっと笑うと大きく伸びをした。
「エドがこれだからアイツは──」
「団長? 何か言いましたか?」
「んーや、何でもねぇよ」
団長が放っていた剣の鞘を腰につけ直したと同時に、ステージ裏手にパタパタと駆け込んでくる足音が聞こえた。
「ディーお姉さまっ! 次の試合が始まっちゃう!」
「あら、ルシィ! ごめんね、呼びに来てくれたの?」
「お兄さまが『エディリーンが帰ってこない』って、すごく不機嫌そうだから、帰ってあげて?」
「うわ、なんなのよ。子供じゃあるまいし、私がどこに行こうと勝手じゃない」
思わずげっ、と顔をしかめると、それを見た団長は大きく口を開けて笑った。
「王子も器が狭いなぁ~。ルシィちゃん、『大事な婚約者様をお借りしてすいませんでした』って王子に伝えてもらえるか?」
「う、うん……! ちゃんとお兄さまに、伝えるね。えっと、あと団長さん。試合、格好よかったです……!」
「おおお、ありがとなルシィちゃん~~! ほぉらエドもこれくらい褒めてみろよ、俺は褒められて伸びるタイプなんだってば」
「魔剣の効果使ったら褒めてあげますね」
「鬼畜かっ!!」
ルシィに抱きつきそうな勢いの団長を一刀両断すると、私はルシィの手を取って席へと戻ることにした。
「──エドもエリスも、真っすぐすぎんだよなぁ。まあ、だからエリスはエドに惹かれたんだろうけど……なんだかなぁ……」
だから私はそう嘆いた団長の呟きを、ついぞ聞くことはなかったのだ。
***
ルシィの手を引き、観覧席に戻ってきた私を一目見るなり、シュワルツ王子はため息をついた。やれやれと首でも振りそうなその態度に、私は静かに隣へと腰掛け、彼の耳元に顔を寄せる。
(人の顔見て、何ため息ついてるのよ)
(いや? 保護者が見ていないとすぐに迷子になる子供か何かかと思っただけだが、どこか問題でもあるか?)
(ふざけないでくれるかしら? 団長のところに話を聞きに行っていただけ、よ)
噛み付くようにそう口にするも、彼は首を傾げるばかりでまるで取り合わない。もう何を言っても無駄だと判断した私は諦めて前へと向き直った。この瞬間も、どちらも笑みを絶やしていないのだから、群衆から見れば仲の良い婚約者が内緒話をしているように映るのだろう。……心底不満ではあるけれど。
「お姉さまっ! 次、エリスさんが出るよ」
くい、とドレスの左袖を引かれ視線を向けると、ステージにエリスが上がるところだった。先ほど団長の三回戦が終わったばかり、ステージに残る熱気は未だ冷めることはない。
この試合を勝ち抜けば準決勝に進出となるエリスは、群衆の歓声に片手を挙げて答えつつ、リラックスした様子で肩を回していた。
(強くなきゃいけない、か……)
団長の言葉がよみがえる。
エリスは強くなきゃ、と言ったのだ。決して、強くならなきゃではなく、強くなきゃ、と。そう言った意味が、私にはまだ理解できていない。
(エリスの言う強さって、一体何のことなの)
問いかけるように見つめても、視線は交わらない。
カイム卿の掛け声とともに、エリスの相手である騎士団副団長のグレースさんが魔剣を下段に構えた。魔剣の柄には革でできたカバー付きの持ち手のようなものが付けられていて、彼はその端をつかんでいる。
どこかひょうひょうとした雰囲気をまとったグレースさんは、その場から動くことなく、エリスの様子を窺っているらしい。
「先輩、動かないんですか?」
対するエリスも上段に構えた魔剣をそのままにし、グレースさんに話しかける。
「ん~、まずは様子見、ってところかな。なんだかエリスは調子上がってるみたいだし、僕も一応注意してるんだよ~?」
そう言ってわざとらしくにっこりと笑う。エドワード時代にも感じていたが、グレースさんは自分の魅力が分かっていて、それを誇示しているようだ。騎士団で鍛えられた体に後ろで一つに結んだ淡い蒼色をした長髪、そしてツリ眉に垂れ目の甘いマスク。
(ほら! 現に観客席の女の子から黄色い声が飛んでるもの!)
彼が隣にいることも、団長がモテない理由なのかと思うと、同情を通り越し可哀想にすら思えてくる。
確かに恵まれた容姿は活用しないと損だと思うし、私やシュワルツ王子だってそうしているけれど……グレースさんの場合、その対象は女の子限定のようだ。いわゆるチャラ男というやつなのである。
「アルフレッドに聞いたが、あのグレースとかいう奴は、モテたいがために騎士団に入ったんだと。……それで副団長なんだから、真面目に騎士を志した奴らには同情するな」
「珍しい。その点に関しては私も同意するわ。それにしても──さすがグレースさん、すごい歓声ね」
「それで? エディリーン、お前もああいった顔が好みなのか?」
ほう、と息をつくとシュワルツ王子は私の顔を覗き込んでくる。何事かと目を瞬かせた私は、悪戯気に笑う彼を一蹴した。
「ありえないわね、願い下げよ。剣の腕は尊敬するけど、あの性格はどうも好きになれないわ。それに恋だの愛だの、今の私は残念ながら必要としてないの」
「それは頼もしいな。最後までお付き合い願うよ、麗しの婚約者殿?」
「ええ、もちろん。地獄の果てまでも、共に」
まるで絵画のように綺麗に微笑んだ私たちは、どちらからともなくふっと皮肉そうに口角を上げ、意識をステージに戻す。
今の私には、この空気が一番自然だ。
ステージでは未だエリスとグレースさんのにらみ合いが続いていた。動いたほうが、負ける。誰もが息を飲み、試合の行く末を見守っていた。──瞬間、
──バリバリィッ
上段に構えていたエリスの魔剣に、空から稲光が落ちた。エリスは少し驚いたものの、柄をひねり、魔剣の先を地面へ向けるとそのまま電流を逃がす。
「……ッ、動かないなと思ってたら魔法を構築していた、と。このために様子を窺うフリをしていたんですか?」
「おやおや残念。今ので手を離してくれたらって思ってたんだけどね~?」
「結構痺れてますよ。先輩の魔剣は雷、ですか」
ちらりとアルを見やると、彼は得意気に胸を反らす。
「ただ魔力を込めるだけじゃ面白くないでしょ? ちょっとした工夫だよ。適性があれば、あんな技も出せる。まあ、曲がりなりにも雷だから剣に直接触れると自分も感電しちゃうのが難点なんだけどね。まさかこんなに速く習得されるとは思ってなかったから、僕も予想外だよ」
そう言って舌を出すアルは、この闘技大会以後に魔剣を使える人が現れれば、と思っていたらしい。
「グレースのばあちゃんがオセルス出身なんだってよ。駆け落ちしてステンターに来たらしいが、そのばあちゃんが魔力持ちだったみたいだから、適性があんのは遺伝かも知んねぇなあ」
「団長!? いつの間に!」
にゅっと首を出した団長は、そのままアルの肩に顎をのせる。アルは鬱陶しそうに彼をにらむとぺしぺしとその頭を叩いた。
「ただ待ってんのもつまんねぇからよ、グレースとエリスの試合なら見応えあると思って飛んできた!」
「邪魔です、ドヤ顔してないで顎どけてください」
団長はそんなアルを物ともせず、がははと豪快に笑う。針と糸で武装したアルに尻尾を巻いて逃げていたのが嘘のようだ。
その姿を見ながら、私は団長の言葉に少しの違和感を覚えたため、それを口に出す。
「……でも妙ね? オセルスの魔力持ち? そんな話は聞いたことがないわ」
おおかた、魔力持ちはセデンタリアに集中していた。ステンターにも、ルシィや炎の魔力持ちの人のような例外はいるが、それはごく稀だ。ましてや、オセルスに魔力持ちがいるだなんて話は一度も耳にしたことがない。
「……魔力じゃない」
「ルシィ?」
「魔力じゃないよ、お姉さま。オセルスにいるのは、魔力持ちじゃなくて、コエ持ち」
グレースさんの魔剣から放たれる雷撃をなぐように、剣先を左右に振るエリスを見ながらルシィが言葉を紡ぐ。
「あのね、オセルスではコエっていう魔法みたいものがあるの。魔力じゃなくて、詩を込めるんだ。そうするとね、光でできた鳥が出てくるんだって。それで魔物を倒すの」
「ルシィの言う通りだ。オセルスには王家とは独立した、コエ持ちを集めた民営組織がある。そこのトップのディアメント氏とは一度話してみたいと思っていたんだ」
ルシィやシュワルツ王子の話を聞くに、セデンタリアやステンターと違い、未だ魔物が蔓延るオセルスでは、いわば特殊能力を持った人を集め、魔物を倒すためにつくられた、通称「鳥籠」という組織があるらしい。
「コエ持ち、つまり光でできた鳥を操る能力者は、対魔物に特化した存在だ。『鳥籠』の連中は人を害することは禁止されているはずだから、他国には関係ないと踏んでいい。だからそこまで情報が出回らなかったんだろう」
「ほぉー、つまりグレースが魔剣を使えんのは、遺伝じゃなくて素質があったってことか! すげぇな」
首を大きく縦に振り感心する団長は、雷撃を飛ばしてエリスと距離を取ろうとするグレースさんに視線を向ける。
「ああ、でも。あれはもう、取ったなぁ」
「え?」
団長の言葉に気をとられた一瞬。視界からエリスの姿が消えた。どこへ行ったのかとグレースさんを含む全員が動きを止めたそのとき、カタン、と剣の落ちる音が響いた。
「手元が空いてますよ、せんぱい?」
グレースさんのすぐ後ろ、剣を斜めに構えたエリスは彼の耳元でそう囁く。
急いでグレースさんの剣を見ると、柄に取り付けられた革のカバーの持ち手がすっぱりと切れ落ちていた。
「エリスは、ただグレースの雷撃を避けていたんじゃない。距離を詰めつつ、ずっと持ち手を狙ってたんだ。これは正式な試合だから、剣を落としたらそれで敗北。頭脳戦、ってやつだわ」
目を丸くしてエリスを見つめると、彼は視線に気付き、にこりと笑って小さくこちらに手を振った。エリスはそのまま、剣を拾い上げたグレースさんに近付き、握手を交わす。大歓声に包まれた会場の中、エリスの手腕にあっけに取られた私は、その姿を呆然と見ていることしかできなかった。
「あと二試合、か。んー、楽しみだなぁ」
猫のように大きく伸びをした団長は、満足げにステージを眺め、空を仰ぐ。彼は剣を片手に持ち、くるくると回すと休憩所へと向かうエリスの背中目掛けて駆けていった。





