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王女様は嘘がお好き  作者: 瀬峰りあ
1.回りだした歯車
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11.一夜の宿


 シャワーを浴びた私は、ルシフェルさんにお礼を言いに執務室へと足を向けた。つい先ほど手紙と共に贈られた護石は、とりあえずズボンのポケットに入れておくことにする。後で何か袋でも探してみよう。

「失礼します。ルシフェルさん、いらっしゃいますか?」

 執務室の扉を軽くノックして中に入ると、机を囲んでシュワルツ王子とルシフェルさんが何やら話し込んでいた。私が駆け寄るとルシフェルさんは顔を上げる。

「稽古はもうきりがついたんですか?」

「はい! 実は偶然お会いした姉の友人と手合わせしていただけて。これもルシフェルさんのおかげです。とても有意義な時間でした」

 嬉しさを隠しきれずそう告げる私に、ルシフェルさんはふっと表情を緩め、眉を下げた。それとは対照的にシュワルツ王子の眉間には皺が寄っている。


「あの、何をされていたんです?」

「……少しな。そうだ、お前の意見も聞かせてくれ」

 王子はそう言うと私に見えるように机に置かれていた地図をそっとずらした。

「……これはファウスティア地方の古い地図、ですよね?」

 ここステンター、今はなき私の母国セデンタリア、そしてオセルスの三大国が位置するファウスティア地方。南北に長いこの半島に「T」の文字を記すように線を引くと、三大国の大体の位置が分かる。一番領地の多い北部に横に長く広がるのがセデンタリア。西側の山脈を下っていくとオセルス、東の海岸沿いに南下するとステンター。

 王子から差し出されたのは、このファウスティア地方に住む者なら誰だって、かつてよく目にした地図だった。地図には王子かルシフェルさんが書き込んだのか、さまざまな線が引かれており、セデンタリアの上にはなぜか黒のクイーンがぽつんと置かれていた。

「エドワード、この地図をチェス盤だと考えてみろ。セデンタリアとステンターが黒、オセルスが白だ」

 シュワルツ王子は地図上に次々と駒を並べていく。だが、その配置にはかなり違和感があった。

「これ、もともとの駒の数がおかしいですって。黒は一組なのにどうして白は二組なんです?」

 不可思議な陣が展開されたファウスティアの地図。頭をひねっているとシュワルツ王子はセデンタリアの上にあった黒のクイーンをステンター上のキングのもとへ動かした。それを追うように、黒の駒をステンターの上へと集合させる。

「現状は、こうだな」

 そうして王子は集めた黒の駒をオセルス上に動かし、もともとそこに置かれていた白の駒をざっ、と手で地図の外へと弾き出した。最後に王子は黒い駒をも地図上から除けてしまい、何も置かれていないまっさらな地図をコツコツと指で叩く。おそらく、展開されていた何かは、もうすでに終わったのだろう。

 にやりと笑う王子は、私に意味ありげな視線を向けた。さすがの私でもここまで示されて理解できないはずがない。チェス盤、と彼は言ったがこれは立派な戦況図だ。

「オセルスに、攻め込むんですか?」

「セデンタリアを取り戻す(・・・・)。お前にも協力してもらうぞ、エドワード?」


 シュワルツ王子はオセルスに戦争を仕掛ける気だ。それを知った私は、挨拶もそこそこに執務室を出てきてしまった。

 王子はセデンタリアを取り戻す、と言った。セデンタリアは私の母国であって、彼にはまったく関係のないはずだ。では、どうして彼は取り戻すだなんて口にした……?

「……わけが分からない」

 彼が何を考えているのか、まったくもって理解できない。それにいくらステンターとオセルスは昔から敵対しているからといっても、ここ数十年は冷戦状態のにらみ合いが続いているのだ。むやみに手を出すほど彼は愚かではないだろう。


 うんうん唸りながら歩いていると、廊下の角を風が通り抜けていくのが分かった。何てことのない普通のそよ風。だが、それとともに鮮やかな蜂蜜色の髪が揺れたのを見逃す私ではない。

「ディフルジア様?」

 思わず声をかけた私にディフルジア王女は壁から顔を覗かせると、ぱあっと表情を明るくした。


 私はディフルジア王女に手を引かれるまま、彼女の部屋へとお邪魔していた。いくらディフルジア王女がまだ十四歳の少女だとはいえ、エドワードの姿で女性の部屋に入り込むことには多少の抵抗があった。

 だがしかし、満面の笑みを浮かべる天使にどうして逆らえよう。

「失礼いたします」

 女の子らしい可愛い部屋を想像していたが、ディフルジア王女の部屋は書斎かと見間違うほどたくさんの本で溢れていた。壁は全て本棚で埋まり、机の上にも本が積み重なっている。

「えへへ、くつろいでね? お友だちを呼ぶなんて、初めてだから……ふふ、なんとなく緊張する、かも」

 危なっかしい手つきでポットから紅茶を注ぎ、ディフルジア王女は私へと差し出す。口にした紅茶は濃く出すぎていて渋かったけれど、彼女が一生懸命淹れてくれたことが分かるような気がした。

「ディフルジア様は本がお好きなのですか?」

「う、うん。とっても好きだよ。あと……あの、エドワード」

「なんですか?」

「敬語、じゃなく話してほしいな……? 私たち、お友だち、でしょ?」

 それと、様もいらないよ。ディフルジア王女はそう言うと私の目を見つめてきた。

 友達。小さい頃から独りだった彼女には、喉から手が出るほど欲しかった存在だろう。出会って間もない男を無防備に部屋に入れてしまうくらい、彼女は嬉しかったのだと思う。

 私がエディリーンでなくディーとして接したい人がいるように、彼女もエドワードという友人を求め、王女と小姓という垣根を越えてほしいと思っているのなら、私の答えも決まっている。

「うん分かったよ、ルシィ」

「よ、よろしくね、エド……っ!」

 ルシィは微笑むと私の手を両手で包み込んだ。溢れる笑顔につられ、私も自然と微笑む。彼女の周囲には暖かい風がたゆたっていた。


 少し渋い紅茶を飲んでから私とルシィは本の話題で盛り上がった。言葉の端々から、ルシィがかなり本を読み込んでいることが伝わってきた。その知識は多方にわたり、恋愛小説から専門書、挙げ句の果てには古代語で書かれた書物や、ここステンターでは禁忌といえる魔術書まで。博識な彼女には思わず舌を巻く。

「そういえばルシィ、机に置かれているのは何?」

 本に囲まれた部屋にちょこんと置かれた机には辞書や原稿、ペンやインク壺が置かれている。私がそちらに目を向けるとルシィは恥ずかしそうに小さく笑う。

「えっと……小説を、書いているの」

「ほんとに!? 読んでもいい?」

「エドなら、いいよ」

 原稿を手渡され、それを一目見た私は思わず息を飲んだ。

 待って、これ──え?


「ユーナ・ココット……?」


 書かれていたのはユーナの新作『儚き夜の夢』の続き。表現の仕方も、彼女があとがきに記していたサインの筆跡も、ありえないほどそっくりだった。

 目を丸くした私に負けないくらい、ルシィは驚いているようで。

「え! エド……私の本、読んだこと、あるの?」

「読んだことあるも何も、僕の一番好きな作家だよ。ファンレターも何度も送ってる。それに彼女は新進気鋭の新人作家だし、本好きなら知っているはずで──私の本!?」


 まさか、まさかまさか。

 あまりにも似ているから驚いたけれど、彼女がユーナ・ココット? 私の尊敬する作家が、目の前にいるルシィ……?

「うん。私が、ユーナ・ココットだよ?」

 思わず抱き締めたくなるような愛らしい笑みを浮かべるルシィに、私は言葉を失い、ただ馬鹿みたいに呆けたまま立ち尽くすしかできなかった。


 あまりにも驚きすぎて言葉すらまともに出てこない私を前に、ルシィははにかみながら頬を掻いた。彼女は一生懸命に何か口にしているが、右から左へと通り抜けるそれは私の耳に届くことはない。

 数分して我を取り戻した私は、ふるふると首を振り、両手で頬を叩く。ルシィはその様子を面白そうに眺めていた。

「夢、じゃないよね?」

「うん、違うと思うよ?」

「──すっごいすごいすごい! 本物のユーナに会えるなんて思わなかったちょっとこれ一生分の運使い果たしたよ僕明日死ぬかもしれない!」

 一息でそう言い切った私は、その勢いのままルシィの両手をつかんでぶんぶんと上下に振る。ルシィは私の突然の奇行に驚きながらも、ふにゃりとした笑みを浮かべていた。

 それから私はルシィと作品について語り合った。彼女は趣味が高じて小説を書きためており、シュワルツ王子の薦めで、それを匿名で出版社の人間に渡したところ、瞬く間に刊行の運びとなったそうだ。顔出し禁止を条件に書き連ねた作品を出版すると売れるわ売れるわ、さすがの本人も目を丸くしたらしい。

「少しびっくりしたけど、たくさんの人に読んでもらえるのは、嬉しいよ」

 邪気のない笑顔でそう言ったルシィは本当に、天使かと見間違うほどの可愛らしさだった。彼女の実の兄にもこういった素直さがあればいいと切実に思う。


「そういえば、あの、エド。そのポケットに入ってるのはなぁに?」

 ひとしきり興奮して話し終えた私にルシィは、首を傾げながらポケットの膨らみを指差した。私は護石を取り出すと彼女の目の前に差し出す。

「ああこれ? この間、部屋の前に届いてたんだ。何て言ったらいいんだろう、魔力で作られたお守り、ってとこかなぁ」

「え、魔力……!?」

「そうだよ。つまりこの宮殿にルシィ以外の魔力持ちがいるってこと」

 私がそう言うと、ルシィは心底嬉しそうに護石を眺めた。私だって、このステンターに彼女の他に魔力持ちがいるだなんて思っていなかったのだ。

 最初、手紙の送り主はルシィではないかとも考えた。しかし手紙に込められていたのは炎の魔法。使える魔法は個人ごとに属性が決まっているため、風の魔力持ちである彼女は送り主ではない。

「魔力持ちなら、ルシィと話が合うかもしれないよ?」

 彼女の存在が外れたことで最初に思い浮かんだのはこのことだった。手紙の送り主もきっと、肩身の狭い思いをしてきたはずだ。その点、ルシィと分かり合えるという期待は大きい。

「……その人とも、仲良くなりたいな」

「もちろん、僕も協力するよ」

「あっ、でも、私の一番のお友だちはエドだからね……!」

 まったくこの子は、何度私を悶えさせれば気が済むのだろう。


 別れ際、ルシィから護石を入れるのにちょうどいい袋をもらったので、紐を通して首に掛けておくことにした。こうしていれば失くさないし肌身離さず持っていられる。

 ルシィと話し込んだことによって時間はあっという間に過ぎており、空にはもう一番星が瞬いている。私は部屋へ急ごうと足を速めた。

 回廊を渡り部屋がある棟の角を曲がると、私の部屋の前に人影が見えた。

(もしかして手紙の……?)

 足音を立てて近付くと、扉にもたれかかっていたその人は顔を上げた。

「あれ、団長?」

 そこにいたのは、アルフレッド団長。彼は私の姿を目にとめると、こちらに向き直る。

「どうかしたんですか? まさか鍵を失くしたとか」

「おっしゃる通りだ……ちょっと今夜だけ泊まらせてくれねぇか?」

「いいですよ、団長にはお世話になってますし。……どうぞ、入ってください」

 どうやら稽古の最中に腰につけていた鍵を置いていたところ、置き場所を忘れてしまったらしいのだ。「やっちまった~」と笑う団長には反省の色はまったく見えず、私は非難の目線を送る。

「いやさ、エドいるかなぁと思ってノックしたけど返事なくてな。まさか出かけてたとは思わなかった」

「僕だって出掛けもしますよ。というか、だからといって部屋の前にいないでくださいよ。完全に不審者ですって……」

「おお、どこに行ってたんだ!? まさか彼女か!?」

「ちょ、やけに食い付いてきますね!? 友達ですよ、ともだちっ!!」

 途端に勢いづいて迫ってくる団長を押し返しながら私は友達ですと言い続ける。

 確かにルシィは女の子だし、とてつもなく可愛らしい。だが私だって男装しているとはいえ女だ。私はルシィに手は出さないし、出そうとも思わない。

 否定した私にアルフレッド団長は興味を失ったのか、ぱっと離れると部屋を歩き回る。家具や置いてある壺などを見て、何を思っているか知らないけれど「ほぉ~、これはいい品ですな」なんて言っている。ありもしない髭を撫で付けているのはなんなのだろう。


「団長、ベッド用意したので使ってくださいね。あとシャワー……なんですけど、着替えって、僕の服だと小さすぎますよね」

「あー、気遣わなくていいぞ~。体は洗ってきたし、何より俺は床で寝れるからな! エドはさっさと体流してこい」

 なおもふらふらしていた団長は、ごろんとその場に横になった。ベッドを使ってもらおうと整えていたけれど、その場から動きそうもない。

「それじゃあ、お言葉に甘えますね」

 そそくさと彼の横を通り抜け、浴室へ向かう。一晩男装したまま過ごすことになりそうだが、鬘はめったなことでは外れないし大丈夫だと思う。

 手合わせのあとにシャワーは浴びていたため、私は着替えだけにとどめることにした。一応シャワーを浴びると言った手前、団長の目をごまかすために、鬘の先だけ少し濡らしておく。コルセットベルトはきちんと巻き直したし、ゆったりとした部屋着を着てはいるがもともと凹凸のない私の体に違和感はないはずだ。

「あがりまし、た……?」

 浴室の扉を開けて戻ると床に寝そべった団長はすでに眠りについていた。大きないびきをかく彼は気持ちよさそうに目を閉じている。私は彼を起こさないようにそうっと横を通りすぎると蝋燭を消してベッドに入り、横になった。いつもの就寝時間よりは早いものの、疲れていたのか私はあっという間に眠りに落ちた。


 違和感が訪れたのは突然だった。

 枕元に気配を感じた私はうっすらと瞼を開ける。

「あーあ、起きちまったか」

 ベッドサイドにいた団長はそう言ってわざとらしく息をつく。焦点の合わない寝起きの目を何度か瞬かせると、首筋にひやりと冷たいものが当たった。

「な、……ひっ!?」

 懐剣だ。それも、本物の。

 身動きのとれない私を見下ろしながら、団長は今まで見たことのないような冷たい目付きで私を捉える。

「俺もな、本当なら手荒な真似はしたくねぇんだわ」

「だん、ちょ……?」

「なぁエド、お前──何者だ?」



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