8.偽りの姉弟
シュワルツ王子暴走事件から丸三日、しばらく違和感のあった彼だが、だんだんと元に戻ってきた。今日も今日とて、私とシュワルツ王子の間で、山のような書類が往き来する。受け渡し先にはもう顔も知られていて、行くたびに挨拶していた研究所の職員からは労いの言葉をかけてもらえるようになっていた。
まあ一つだけ挙げるとすれば、私と王子が言い争いをしている横で、ルシフェルさんが微笑ましいものを見る目付きでいることだけは気になるのだけれど。
午前の仕事を順調に終わらせた私は、足取り軽く食堂へ向かう。今日は久しぶりにアルフレッド団長から昼食に誘われていた。昼間はいないことの多い騎士団だが、今日は休みらしく私にも声をかけてくれたのだ。
(ふふ、楽しみだなぁ)
いつもは一人で掻き込むことの多い昼食だから、誰かと食べるのはそれだけで嬉しいものだ。
食堂の扉を開け、中に入る。キョロキョロと周りを見渡すが、団長たちはまだ来ていないようだった。いつも使っている窓際のテーブルを陣取るために私は人混みを掻き分けて奥へと進んでいく。
瞬間、何かが足に引っ掛かった。
「──!?」
バランスを崩した私はその衝撃で、近くにいた人の持っていたお盆に体をぶつけてしまった。大きな音がして皿や汁物が宙に舞う。床に倒れ込んだ私の後を追うように、熱いスープが頭に降ってくる。倒れ伏した私はそれを避けることもできないまま、無様にもスープまみれになっていた。
近くにいた少女が足を引っ込めながら大声を上げる。
「アルミラ様、大丈夫ですか!?」
「ドレスにスープが飛んでるわあ」
「これじゃあ、ドレスに染みがついちゃうのぉ」
アルミラ、と呼ばれた縦巻きロールで派手なドレスの少女の周りを、同じような数人の少女たちが取り巻き、口々に何かを叫んでいる。甲高い声はよく響き、ざわついていた食堂にいた人の視線は全てこちらに向けられていた。
「ちょっと貴方! 貴方のせいでアルミラ様のドレスが汚れてしまったじゃない!」
「え……」
確かにアルミラさんのドレスにはスープが飛び散った跡のようなものがついている。しかし、目の前の私はそれを頭から被っているのだ。かけられた場違いな言葉に驚きを隠せない。
「ほら、謝りなさいよ! もしかして口もきけないのかしら?」
「……え、でも僕は何も」
困惑し口を開くと、髪の長い少女がぱちんと手を叩き、私を指差した。
「ねえ、もしかしてえ。この子、新しくシュワルツ様付きで来たって子じゃなくてえ?」
「小姓のくせにアルミラ様に楯突こうだなんて生意気なのぉ」
「ちょっとシュワルツ様に気に入られてるからっていい気になるんじゃないわよ」
大袈裟な身振りと仰々しい物言いに、さすがの私もこれは芝居だと気が付いた。わざとらしい演技をする取り巻きたちはアルミラさんを庇うようにして、私をにらみつける。
「ともかく! これは責任を持って貴方が片付けなさいよね!」
「ずぶ濡れになって、いい気味よねえ。貴方によくお似合いだわあ」
「こんな子がシュワルツ様に色目を使ったってぇ、アルミラ様に敵うわけがないのにねぇ」
「はぁ……? 何言って」
私が言い返すのも待たず、取り巻きたちは再びアルミラさんを取り囲み、踵を返して立ち去ってしまう。後に残された私は、距離を置きながらこちらをチラチラと見る人々の中、落ちている皿を拾い集め、溢れたスープを布巾で拭き取った。
髪の毛から垂れる冷めたスープがポタポタと床に跡を残す。惨めな気持ちを噛み締めながら私は下を向いて、手を動かし続けた。
片付けを終え、私はそのまま駆け出し、そそくさと食堂を後にした。
「はぁ……」
食堂から離れた王宮の裏側、私は一人、壁に背をつけてうずくまり、立てた膝を抱えていた。誰とも顔を合わせたくない。今は一人になりたかった。
「ばっかみたい。なんでこんなこと」
おそらくはあのアルミラという少女がシュワルツ王子を好いているのだろう。突然やってきた私が、小姓として彼のそばにいるのが気に入らなかった──のだと思う。取り巻きたちよりも、終始黙り込んでいたアルミラさんのほうが苛ついているようだったし。
それにしても、私がシュワルツ王子に色目を使っているだなんてよく言ったものだ。確かに男色家の貴族が見目麗しい少年を小姓として雇い、そういった対象としていることがある、というのは私も知っている。
「あの王子に限って、それはないでしょうよ」
人の趣味嗜好をどうこう言う気は全くないが、あの王子が小姓に愛を囁くだなんてことをするとは到底思えない。むしろ、手足のようにこきつかってふんぞり返る性分だろう。
怒濤の昼休憩にため息がこぼれる。嫉妬からの行動だとは分かっているし、これくらいシュワルツ王子の意地悪に比べたらどうってことはないと自分に言い聞かせていた。──だがしかし、向けられた悪意を完全に流すことなんてできなかった。
「……私が、何をしたっていうの」
頭からスープを被って、大勢の前で罵倒され、誰も見ているだけで助けてはくれなかった。気丈に振る舞うことには慣れているし演技も得意、自分の気持ちなんてごまかせると思っていたけれど、私はそこまで大人ではなかったみたいで。
「せっかく、お昼ご飯、楽しみにしてたのになぁ……」
ぽつりと口に出すと、ため込んでいた思いが一気に溢れてくる。
どうして私がこんなことをされなければいけないの。一生懸命働いていたのに、結果はこのざま。スープまみれで好奇の目に晒されて──私、なんのためにここに来たんだっけ。
「君、大丈夫? どうしたの?」
不意に、頭の上から声がした。
「……へ」
「って、なんでスープまみれ!? ちょっと待ってて、何か拭くものを」
近付いてきた声の主は、奇っ怪な姿をした私にかなり驚いたようだった。
「えっ、あの、お気遣いな──っ!?」
あたふたと動くその人に、思わず顔を上げた私は、驚いて固まってしまった。
(なんでここに……)
「どうしてそうなったか分からないけど、ちゃんと拭かなくちゃだめだ──え?」
呆然とする私と、声の主の視線が交差する。
ああどうして、また私は泣きそうな顔をしているんだろう。今一番、彼には会いたくなかった。
「……ディー?」
目を瞬かせるエリスに向かって、思わず彼の名を口に出しそうになったそのとき、シュワルツ王子の言葉が頭に浮かんだ。
(そうだ、バレちゃいけないんだ)
内通者の情報を手に入れるためには、私の正体は誰にも知られてはいけない。でもエリスは私だと勘づいていて──。
もうここはしらばっくれるしかない。僕はエドワード僕はエドワード……と何度も心の中で唱え、まるで初対面だというようにエリスと目を合わせた。
「えっ、あの……すみません、どちら様ですか? 僕、思い出せなくて」
「ぼく?」
困惑の表情を浮かべるエリスに申し訳なく思いながらも必死でバレないよう取り繕う。エリスは眉を寄せて私を見つめ、唸っていたが、突然ぽんと手を叩いた。
「ああ、分かった! もしかしてディーの弟くんじゃない?」
顔立ちはすごく似てるけど、目の色が違うし! と誇らしげに告げるエリスに、むくむくと湧く罪悪感に堪えながら私はパッと表情を明るくした。ここは話を合わせたほうがいい。私の第六感がそう叫んでいた。
「ディーは僕の姉さんですが……もしかしてお知り合いなんです?」
首を傾げた私に、エリスは視線を合わせ、笑顔を浮かべた。
「うん、ディーとは稽古場でよく会ってたんだ。騎士団に入ってからは会えてないんだけどね」
「も、もしかしてエリスさんですか!? 友達が騎士団に入った、って姉さんがすごく自慢してきまして……!」
興奮ぎみに言ってみせれば、エリスは頬を掻いた。
「ディーがオレのことを? あー、なんか照れるなぁ」
「えへへ、よく話してましたよ。でもまさかエリスさんにお会いできるなんて! 王宮に来てから誰も知っている人がいなかったので心細くて……。あっ、そういえばまだ名乗っていなかったですね!? 僕はエドワードと言います。この間からシュワルツ王子の小姓として働かせてもらってるんです」
……私は何一つ嘘は言っていないはずだ。エリスに会えた嬉しさよりも焦りが大きいことを除けば、だけれど。それから、いかに自分が騎士に憧れているかや、「ディー」が話していたエリスのことなどを、拳を握りしめながら熱く語るとエリスは口を押さえ、吹き出した。きょとんとして彼を見つめるとエリスは目を細める。
「すごい、さすが姉弟だ。ディーとそっくり」
「……よく言われます」
内心、(まあ本人だからね)だなんて叫びながらも苦笑いを浮かべる。それを姉に似ていると言われた弟の微妙な心情の表れと捉えたのか、エリスはまた微笑んだ。
どうやらうまくごまかされてくれたようなエリスに安堵したとき、建物の角から見知った赤毛の男性が顔を覗かせた。
「おー、エリス。ここにいたのか! 自主練もいいが、ほどほどに──ってエドおぉぉ! お前食堂来なかっただろー!」
アルフレッド団長は駆け足でこちらに近付いてくると、私を見てすっとんきょうな声を上げた。
「どうしたエド!? 頭にマカロニが乗ってるぞ!?」
団長の言葉を聞いて、「あっ!?」とエリスが小さく叫ぶ。「オレ、何か拭くものを持ってこようとしてたんだ……!」
その場を離れようとするエリスを、団長が「まてまて」と引き止める。
「……一体、何があったんだ?」
「あ、ええと、実は……」
かくかくしかじか、食堂での出来事を団長に説明すると、彼は苛立ったように足を踏み鳴らした。
突然、エリスの腕をつかんでいた手を離し、少し頭をひねった団長はマントを取り外すと丸めて私に差し出してくる。
「拭こうかとも考えたが、そりゃあ洗ったほうがはやいな。あんまり人に見られたくないだろ? それ貸してやるから被って部屋に戻れ、な?」
「で、でも……マント、汚れちゃいます!」
私は全身スープまみれなのだ。人目を避けるためここまで来た身としては部屋に帰るまでこの醜態を晒さなくていいのはありがたいが、私がこれを借りてしまえば団長のマントにもスープの臭いが染みつくことは必至だろう。しかし団長はそんな私の言葉を気にすることなく、私の濡れた頬を手の甲で拭い、頭のマカロニをひょいと取り除いてみせた。
「エドは頭から被ってんだ。マントだって汚れて本望だろ」
「……でも」
「よく頑張ったなあ、エド。お前は強いなぁ」
「……強くなんか、ないです」
「いーや、お前は強いよ。よく耐えたな、えらいえらい」
まるで子供をあやすような態度はとても気恥ずかしかったけれど、なんだか無理に拒む気にはなれなかった。口をつぐんだ私は再度、部屋に戻るように促されたため、私はマントを被り、足早にその場を離れた。体は依然としてスープまみれのままだったが、彼の優しさに少しだけ救われた気分だった。
***
昼休憩が終わる前に執務室へ向かわないと、と丁寧に頭を下げ、立ち去ったエドワードを見送ったアルフレッドとエリスは、訓練場に向かいながら並んで歩いていた。
「まさか、お前がエドと知り合いだったなんてなぁ~。世間は狭い狭い」
「違いますよ団長。オレが知り合いなのはエドワードの姉のほうです」
「姉ぇ? エドって姉サンがいるのか」
「はい。ディーって名前でエドワードそっくりなんです」
「姉サンねぇ……俺の見立てじゃあ兄サンがいるかと思ってたんだが」
「見立てって……。占い師か何かに転職する気ですか?」
呆れ声のエリスの横を大股で歩くアルフレッドは空を仰いだ。不審げに首を傾げるエリスに向き直り、「勘だよ、勘。野生のなんちゃらってやつだな!」と笑うと彼は大きく伸びをする。
「…………」
「ん? 団長、何か言いました?」
「おう、訓練場に着くのが俺より遅かったら素振り百回追加しようかなぁって言ったぞ」
「はあ!? 待ってちょっと走りださないでくださいよ団長!?」
にいっ、と笑うとアルフレッドはエリスを置いて駆け出す。必死で追いかけるエリスの怒声に、アルフレッドの呟いた声は掻き消された。
「エード、お前も運が悪いなぁ」





