第五話 生まれ変わったその時は
自分はなんて残酷なことをしているんだろう。
翌朝目覚めたアンデルスは昨日の幸せな時間を思い起こし、そしてすうすうと寝息を立てるリナリアを目にしてそう思った。
自分もリナリアもこれ以上苦しませないために、アンデルスは真実を話したのだ。もっと近づいてしまう前に殺されようと考えて。それなのに、どうして自分はこんなことをしている。
……いや、理由なんて考えるまでもなく理解していた。自分は死ぬ寸前まで、一秒でも長くリナリアと一緒にいたいのだ。こんな自分に無邪気に笑いかけてくれた彼女と。
彼女が、自分を殺しにくくなってしまうかもしれないのに。殺すのを躊躇したり、悲しんだりしてしまうかもしれないのに。どうしても彼女といたいと、そう思ってしまうのだ。
今も、彼女の覚悟の瞳が揺らいでいることには気づいた。だけど、止められない。彼女のことを突き放すことが出来ない。
本当に、自分は酷い人間だろう。辛い行為をこれからさせるというのに、その辛さを大きくしてしまう……。
彼女のサラサラな髪を撫でる。
愛しい。そのような感情が自分からわき出てくる。
ずっと無感情でいようと努めた反動だろうか。彼女と会ってから、昔持っていた感情が溢れ出して止まない。どうにかなってしまいそうだった。
「いけない……」
呟いて、アンデルスは頭を振った。この感情に支配されてはいけないと、自分を抑えつける。
自分は死ぬべき存在だ。それもヴェルメリオと血のつながっている彼女の手によって。だから、生きたいなどと願ってはいけない。
リナリアが身じろいだ。瞼がゆっくりと開かれる。瞳がアンデルスを捉え、焦点を結んだ。瞬間、その頬が朱色に染まる。
アンデルスは彼女の反応に笑みを零し、声をかけた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「お、おはよう……」
返しながら起き上がるリナリア。同時に身体を起こすと、彼女はアンデルスを仰いでふわっと微笑んだ。倒れこむような形でアンデルスの胸に顔をうずめる。ぽつりと呟かれた。
「うん……すごくよく眠れた」
「そうか、それはよかった」
無意識にアンデルスの声も和らぐ。二人の間にゆったりとした空気が流れた。
この時間が惜しくてたまらない。そう考えてしまい、アンデルスは再び衝動を抑え込む。
アンデルスの葛藤には気づかず、リナリアはこちらの背中に腕を回してきた。咄嗟にアンデルスは彼女の肩に手を置き、優しく自分から離す。
「アンデルス?」
彼女の甘い声が耳に木霊する。どうして? という目で訴えかけてくる彼女から視線を逸らして言葉を探す。
「あー、リナリア……えっと……」
パッと目に入ったのは町で買った果物のジャム。そうだ、とアンデルスは彼女を見た。
「リナリア、この時間帯に店に並ぶパンがうまいって言ったよな?」
「え? あ、うん、焼きたてだから美味しいんだよ」
「せっかくジャムを買ったんだ。朝食はそれにしようと思うんだが、よかったら買ってきてくれないか?」
苦し紛れの頼みに、リナリアは無垢な笑顔で頷く。どうしてアンデルスがそんなことを頼んできたのかは微塵も考えないまま、すぐ買ってくるから、と小屋から出ていった。
彼女が視界から消えてから、アンデルスは大きく息を吐く。
遅れて小屋を出てそばの池までいくと、しゃがみ込んで映り込む自分に目を落とした。
「このままじゃいけない」
改めて呟く。自分に言い聞かせるように。
そう、このままでは駄目だ。自分の欲に負けてはいけない。自分には、幸せになる資格なんてないのだから。
彼女にもそれを伝えなければならない。あの様子だ。きっとこちらに情が生まれているのだろう。自分と同じような気持ちになりかけている。それでは駄目だ。こんな男と一緒にいてはいけない。
俺は、あいつを幸せにはしてやれないんだ。
地獄に行くために十年間生きてきた。今更進路は変えられない。ヴェルメリオのためにも、滅ぼしてしまったアイスベルグのためにも。
俺は、死ぬべきだ。
太陽の光は森の中でもわかるほど強く、徐々に空の頂上へと昇っていく。それを目にして、アンデルスは眉を潜めた。
「遅いな……」
リナリアが町に向かったのはまだ日が昇ったばかりの時刻だ。森から町までは多少距離があるとはいえ、ここまで遅くなることない。
何かあったのだろうか。
不安が渦巻き始める。
考えたら居てもたってもいられず、アンデルスは扉を開けた。
その時だった。
ものすごい勢いでリナリアが飛び込んできた。突然のことに反応できず、アンデルスは彼女を抱えたまま後ろに倒れこむ。痛みを感じる前に彼女が叫んだ。
「アンデルス! 今すぐ逃げて!」
言葉の意味を理解する前に、彼女は急いで立ち上がると混乱するアンデルスを連れて外に出た。森の奥、町とは反対側に走り出す。
手を引かれながらアンデルスは彼女に質問を飛ばした。
「おい、リナリア! 町で何かあったのか!?」
「兵が……アイスベルグの兵士がいたの!」
走りながら彼女はそう口にする。目に涙を滲ませて、いやいやと首を横に振りながら。
「みんなこの森に向かおうとしてた。このままだとアンデルスが殺されちゃう!」
その言葉に、アンデルスの足は動かなくなった。腕を引っ張られていることも忘れて、呆然とリナリアの言葉を繰り返す。
アイスベルグの兵が、自分を殺しに? 今の今まで来たことなどなかったのに?
これはヴェルメリオの計らいなのだろうか。それともただ単純に、自分を見つけたのが今というだけなのだろうか。
だが、そうか。自分は今もなお彼らの恨みをかっていて、憎まれている存在なのか。それもそうだろう。家々を焼き払って国を一つ滅ぼし、多くの人の居場所をなくした罪人なのだから。
ふっと笑う。自分が抱えてきたものは間違いじゃなかった。自分は死ぬことを望まれている。それならば、もう迷うことはない。むしろ、どうして躊躇してしまったのだろう。
「アンデルス? 何してるの、早く逃げないと……」
「リナリア」
彼女の名を呼ぶ。びくりと肩が揺れるのがわかる。何かを感じ取ったのか顔が俯かれた。
リナリアの顔に手を添え、アンデルスは彼女と無理やり目を合わせた。
「リナリア、聞いてくれ。俺を、殺してほしい」
「やだ」
即座に断られる。
強く彼女の手を握った。
「何を言ってるんだ。お前は俺を殺しに来たのだろう? ヴェルメリオの……兄の仇を取るために」
「そうだけど……」
再び睫毛が伏せられる。下唇を嚙み、表情を歪ませる。
それでもアンデルスは彼女に語り掛けた。
「俺は死ぬべき存在だ。皆がそう思っている」
「そんなことない! わたしは思ってない! だって、アンデルスは悪くないもん!」
「リナリア……」
きっと彼女は、アンデルスが誰かに騙されていたことに対してそう言ってくれているのだろう。庇おうとしているのだ。
あんなこと、話すんじゃなかったな。密かにそう思いながら、アンデルスは首を横にする。
「いや、選んだのは俺なんだ。殺したのは俺の意志で、その事実は覆せない」
きっかけが何であれ、命を奪ったのはこの手だ。罪は、すべて自分にある。
伝えるために口を開く。が、その前に。複数の足音が聞こえてきた。次いで叫ばれるのは見つけたという言葉。
十人ほどの兵士がアンデルスの視界に入った。こちらが反応するより先に、彼らは武器を手に散らばる。気づけば周りを取り囲まれていた。
隊長と思われる大柄の男がアンデルスの前に立つ。
「貴様がアンデルス・カールフェルトか」
「……ああ、いかにも」
彼の目を見据えて答える。アイスベルグ産の剣が向けられた。昔、アンデルスも使っていた剣が。
男が口を開く。
「亡きヴェルメリオ様の代わりに、貴様を討つ。愚かな罪人よ、潔く散れ」
「ま、待って!!」
彼の前に躍り出たのはリナリアだった。彼女はアンデルスをかばうかのように両手を広げる。
大柄の男がたじろいだ。
「ひ、姫様、何をしているのです! そいつは、貴方の兄上の仇なのですぞ!」
「知ってるよ。わたしも、アンデルスを殺すためにここに来たんだもん。ねえ、兵士さんはどうしてこの場所を知ってるの?」
強い口調でリナリアが問いかける。男は言いにくそうに視線を彷徨わせたのち、渋々と答えた。
「あなた様を、追ってきたのです」
なるほど。とアンデルスは納得した。リナリアが姫で、それに仕える兵士だったのなら不思議ではない。大方心配でこっそり、もしくはアンデルスの捜索のために着いてきたのだろう。そこでリナリアがアンデルスと会っているのを目撃して、殺しに来た。このタイミング、ということは昨日町に出た際に目撃されたのかもしれない。
男が剣でアンデルスを示す。
「姫様、お下がりください。あなた様に殺しをさせるわけにはいきません。陛下の仇は、私めが致しましょう」
リナリアは無言のまま男を睨みつける。それから、抱きつくようにしてアンデルスを仰ぎ見た。
「ねえ、アンデルスは死ぬしかないの? 生きる道は、ないの……?」
「ああ。ない」
はっきりと頷く。捕まっても逃げても、いずれは処刑されるだろう、と。
するとリナリアは目を瞑って。コートの内ポケットに手を入れた。引き抜かれたのは禍々しい赤い光を帯びた短剣。
見開かれた眼には、最初に見たような決意が灯っていた。
「……なら、わたしがやる」
彼女の言葉にアンデルスは……笑った。泣き笑いに近い笑みで。
「ああ……もとから、お前に殺されるつもりだ」
彼女と目線を合わせて、アンデルスは腕を広げた。それはまるで子供が抱き着いて来るのを待つかのような姿勢だった。彼女の顔がくしゃりと歪む。
二人の空気に男はもう入ることはしなかった。周りの兵士たちも静かにこちらを見守っている。
そんな中リナリアは短剣を構えた。まっすぐにアンデルスを見据えて、息を深く吸い込み。
そして。
「アンデルス、好き、だったよっ……!」
足を一歩前に踏み出した。
短剣はぶれることなく兄の仇である男へと吸い込まれていき、深々と心臓に突き立てられた。
痛みはなかった。目の前は霞み、口からは熱いものがこみ上げ、逆に身体中は冷えていく感覚に襲われたが、それでもアンデルスは痛いとは感じなかった。むしろ心地いい。ようやく訪れたのだ。休息が。
目の前の愛しい温もりを巻き込んで地面へと倒れる。耳元で泣き声が聞こえた。自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
ああ、やっぱり俺は彼女を泣かせてしまった。
アンデルスは自分に苦笑する。声にならない声を、彼女にかける。
リナリア、辛いことをさせてすまない。俺はひどい奴だな、ごめん。こんな男でごめんな。
でも、お前と出会えてよかった。温かい声で笑って話しかけてくれて嬉しかった。お前との時間、忘れない。
最後の最後まで、俺のわがままを聞いてくれて。一緒にいてくれて。最後の幸せを、与えてくれて。
「あ、リガ、とう……」
こんな俺だけど。もしも、生まれ変われるのならば。
次はもっと堂々と、お前のそばに――。
それを最後に、目の前は白い光に包まれた。
少女の絶叫は森中を震わせ、空まで響き渡った。
風に乗って歌が流れていく。古くから伝わる歌が涙を色を滲ませて紡がれる。
真っ赤な夕焼け空を見つめて、リナリアは歌っていた。
あれから五日が過ぎていた。もう背後に立つ森の中に、彼の姿はない。
考えたらまた涙が零れだしてきた。だが考えないでいることはできない。リナリアは一生、彼のことを忘れられずに生きていくことになるだろう。彼と同じように、手を血に染めたまま。だが、それでよかったと思っている。
彼は、幸せそうに消えていったのだから。
ふと、足元に影が落ちた。顔を上げると、リナリアを追ってきたと言った大柄の男が立っていた。
「姫様……」
彼は気まずそうに声をかけてくる。リナリアははらはらと零れ落ちる涙を拭って、首を傾げた。
「なぁに?」
すると彼は手に持っていたものを差し出してきた。目にしてリナリアは息を飲む。
「これ……」
弦楽器だった。彼、アンデルスが町で買い、リナリアの歌に合わせて奏でてくれたものだ。
男が口を開く。
「あの男の小屋にあったものです。ほかのものはすべて回収されてしまいましたが、これだけは、姫様の名前が刻まれておりましたので」
「わたしの……?」
受け取ってよく見てみると、彼の言う通り側面の部分に文字が刻まれていた。我が愛する歌姫、リナリアへ、と。
「こ、んな……っ」
それは間違いなく彼の字で。彼が刻んでくれたのだとよくわかった。
抱きしめる。ぽたぽたと落ちた涙が楽器の上を滑っていく。
ずるい人。そう思った。消えた後でもなお、こんなにも胸を締め付けてくるなんて。想いを、強めてくるなんて。
もうあなたはいないのに。わたしはどうしたらいいの。
考えて、リナリアはううん、と呟いた。
そんなの決まっている。生きていくだけだ。彼が言ってくれた、歌姫となって。
あの夜、二人で歌を奏でた日にも、彼は言っていた。リナリアは将来、素敵な歌姫になる。人々を歌で癒し、救う、女神のような存在になると。そんなお前を、見てみたいと。
だったら、そうなってやる。リナリアは思った。彼はもういない。けれど、彼の言葉はリナリアの心の中で生きている。だから。
弦楽器を抱えたまま立ち上がった。男が問いかけてくる。
「姫様はこれから、どちらへ……?」
「旅に出るよ」
迷いなく答えた。
うん、旅に出る。歌姫として。この声と想いを歌に乗せて、世界中の人に届けるために。
男に別れを告げて、一回だけ森の中に目を走らせて。リナリアは歩き始めた。足取りは強く、前だけを見据えて。
仇はもういない。親の短剣ももう胸元にはない。目的は果たした。目標はなくなった。だが新たに、夢が出来た。その夢を抱えて、少女は生きていく。
想い人、アンデルスの分まで。
風の音と共に歌声が聞こえてきた気がした。遠い昔の恋の歌。合わせて少女は口ずさむ。
小指を絡ませ、約束しよう。生まれ変わったその時は、また一緒に出掛けよう――
完結です。
短めのファンタジー。
少し展開早かったかな……。
悲しいエンドでしたが、書くのは楽しかったです。
読んでくれてありがとうございました。