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黒歴史発掘日誌  作者: あっちいけ
3、人生の終着駅(イグジスト・ターミナル)
9/30

 



 少年は絶望した。


 生まれてから今まで、そして今から死ぬまで、他人に、しかも自分の意思関係なしに決められた時間通りに動き、働き、生きていかなければならない。新鮮なことなんて何もない。目新しさなんて毎日の平凡な暮らしの中では皆無に等しかった。


 退屈でつまらない、景色が変わらない平坦な一本道をどこまでも歩かされているような、そんな下らない運命に縛られた自分の一生を想うと毎日が憂鬱だった。


 そして、そこから解放されるためには自殺するしかなかった。


 ―――少年は考えた。

 毒物でも買ってくるか?

 首を吊るか?

 でも、苦しいのは嫌だ。


 トラックの前に飛び出すか?

 でも、自分にそんな勇気があるとは思えない。


 手首を切るか?

 でも、あれは縦に、更に正確に動脈を切らないといけないらしい。それにやっぱり、痛いのはごめんだった。


 浮かんでは消え、消えては考える。


 そうして彼はパソコンであるサイトを見て思い立ち、その足を地元の駅へと運ばせたのだった。







「相席、宜しいでしょうか?」


 突然、すぐ隣から少ししゃがれ気味な声が聞こえた。少年は窓の外へと向けていた目を移し、見ると、そこには腰の曲がった老婆が一人、手すりに掴まって立っていた。


 どうやらその声は少年にかけられたものらしい、柔和な笑みで彼のことを見ていた。


「あ、ああ、どうぞ……」


 別に車内は混んでいたりはしていなかった。だが、少年の座る席は扉から一番近いところ、体力のない老いた身体ではそこに座るしかないのだろう。少年は席に深く座りなおし、手で老婆に腰掛けるように勧める。


「すみませんね」


 そうは言うものの、老婆の足元はおぼつかず、一歩進むごとにつまづいたようにバランスを崩す。席に座る前に転んでしまいそうだった。


「大丈夫ですか? 荷物、持ちますよ」


 見かねて少年は手を差し伸べ、老婆が向こうの手で持っているものを受け取ろうとした。しかし、老婆は差し伸ばされた手に首を振った。


「あっ、いいんですよ。杖ですから」


 見ると、たしかに、彼女の細く、皺が目立つ右手からは杖が伸びていた。杖を持っている老人を見るのは何回かあったが、こんなに近くで見たのは少年にとって初めてだった。


「あ、そうですか……」


 実際、そんなことはないのだろうが、自分が伸ばした手がはねのけられたような感じがして、少年は心の中で落胆した。


 それを察してか、椅子に腰かけた老婆は、


「でもせっかくですし、少しの間持っていただけますかね?」


 手に持った杖を少年の方に差し出す。


「あ、はい……」


 少年は大人しく杖を受け取り、見た目よりも意外に軽いことに驚いた。


「はぁ~、歳は取りたくないものですね。最近は足腰がいっそう悪くなって、そんなものにでも頼らないともう歩けなくなってしまって……」

「は、はぁ……」


 一応目上の人ということで話に耳を傾けるが、自分は年寄りでもないし、杖も必要ないのでいまいち実感がわかず、曖昧にしか答えられなかった。


「それでも、曾孫が生まれたと聞いたからには見に行きませんとね。だからこうして電車にも乗って行くんですけれども、それもあと何年かで出来なくなるんですね……あら、勘違いしないで下さいね、駅まで歩くのさえできなくなるって意味ですから」


 外の寒さは老体に染みたのか、老婆は手をさすり合わせながら話を続ける。電車が揺れる度に老婆の身体は少年よりも大きく揺れる。それでも弱弱しいという感じはなく、それほど血色が悪いわけでもない。


 少年は突然、老婆の年齢が気になった。


「い、いえ……あの、失礼ですけど、今年で何歳になられるんですか?」


 改めて老婆を見てみる。厚化粧をするような感じはなく、とても品のよさそうなおばあさんだった。曾孫が出来た、と言われてもあまりピンと来ない。


「ええ、おかげさまで八十九歳になります」


 返ってきた答えに少年は驚いた。思っていたものよりも二十も上だった。


「そんなに長く……大変でしたね……」

「大変でしたね、とは、また変な言い回しですね」


 老婆は、自分からわざとらしく視線を外し、窓の外を再び見始めた少年の横顔を見て呟く。


「………」


 少年は自分の思うところを察せられまいと口を閉ざす―――


「あなた、悩んでるね?」

 ―――が、図星をつかれ、はっとして少年は老婆の方に向き直る。老婆の優し気な瞳は、真っすぐ彼の方を向いていた。


「……べ、別に……」


 その視線から逃げるように、また窓の外へと顔を向ける。優しいはずのその目は、何故か少年にはとっても痛かった。


「そんなはずないでしょう」


 しかし唐突に老婆が少年の両頬をそっと手で包み込み、自分の方へと向ける。


 少年のものよりもはるかに細く、冷たいその手の掴む力は大して強くない。それにも関わらず、少年はその手を払いのけることは出来なかった。


「あなたのような目をした人を今まで何百人も見てきました。長生きしてますからね。だから何となくあなたの考えてる事が分かるんですよ……そう、亡くなった夫もそうでした……」


 老婆はおもむろに話し始め、少年はその話に耳を傾ける。老婆はそれを認めると少年から手を放し、自分の席に座りなおす。


「戦争が終わっても戦場へ駆り出されていった息子は帰ってこず、住んでいた町は焼け野原になって、わたしの実家も焼けてしまいました。住むところもなくなり、食べるにも飲むにも困る生活の中、わたしと夫は希望を捨てていました……道を歩けば人が転がっていて、どこまで行っても絶望は拭えず、わたしたちも、周りの人たちも生きる意欲を失っていました……」


 戦争の話。60年前の過去とも、10年後の未来ともいえる話。自分とは全然関係ないような、すごい密接なような、よく分からなくて、分からなくてはいけない話―――


「それでもおばあさんは生きている……どうしてですか?」

「さあ、どうしてかしらね……」


 少年の質問に老婆は曖昧に笑い、しばらく考え込むように目を瞑った。


「ただ、そのときは死ぬのが怖かっただけじゃないかしら」


 目を開き、窓の外を眺めながら言う。少年と同じ景色を見ているはずのその目は、何故か少年のそれと違っていた。


「その後少しして、死んだと思っていた息子が帰ってきて、同時に少しずつこの国も変わっていきました。それとともにわたしたちも生きる希望を取り戻し、気が付いたら今に至りました……」


 老婆は窓の外から少年へ視線を戻す。


「昨年逝ったわたしの夫はこう言っていましたよ。『あの時、死ではなく、生を選べてよかった』と」


 《まもなく、松寺病院前、松寺病院前、お降りの方は右の扉をご利用ください》


 老婆の言葉が終ると、社内にアナウンスが響き渡った。それを聞くと老婆は話を止め、今度は杖を握っている少年の手を両手でそっと包み込む。


「だからあなたも、とにかく生きてみなさい。自分の人生が本当に良かったか、悪かったか、そんなものは本当に最後の最後にしか分からないものなんだから……」


 そして、やおら立ち上がり、少年の手から杖を受け取る。


「わたしはここで降ります。あなたは、自分の本当にやりたいことをやりなさい」


 そう言って杖をつき、手すり伝いに止まった電車を降りる。


 老婆が下りた後、扉は閉まり、また少年は一人になった。しばらく茫然としていたが、ふと右を見ると動き始めている窓の外で、老婆が手を振っていることに気が付いた。


 慌てて少年はお辞儀をし、次に顔を上げた時にはもう老婆の姿はそこにはなかった。


「………」

(本当にやりたいこと、か……)


 先ほど言われたことを心の中で反芻した。それでも答えは見つからなかった。


 少年は考え込むように、そっと目を閉じた。





 自分が自殺に思い至った本当の経緯は何か、少年は考え直していた。


 たしかに、人生がつまらない、自分の身の回りのことを他人に勝手に決められ、そう、まるで『運命』とでもいうようなもので囲みこまれているような思いがあったのは事実だ。だけどそれ以上に、世の中の不公正さを感じたからかもしれない。


 彼には小学校からずっと一緒の知り合いがいる。その人はいつも明るく、周りには友達やら親友やらがたくさんいて、正直うらやましかった。


 自分もその人のようになりたいと思っても、いつも一人で友達なのかどうなのかはっきりしない人と少し話すだけの自分には叶うはずがないと思っていた。


 もしこの世が、人生を楽しめる人と、楽しむことのできない人とに分かれているのだとしたら、確実に自分は後者だろう。そんな考えもあって、自殺しようと思ったのかもしれない―――


 《次は、芝崎峠、芝崎峠》


 少年は閉じていた瞼を開け、いつの間にかうつむいていた顔を上げた。次が、彼の目的地だった。


 少年は自分のポケットをまさぐり、切符と、自殺するとき痛みもなく死ねるために用意した3錠の睡眠薬があるかどうかを確認する。


「やぁ、少年。調子はどうかな?」


 と、急に後ろ―――というよりも、上から声を掛けられ、少年は何か悪いことを企んでいるわけでもないのにポケットから慌てて手を出し、上を仰ぎ見る。そこには、さっき少年が財布を上げた車掌が背もたれにもたれていて、少年のことを見下ろしていた。


「……別に……」


 突然声をかけられたので最初は驚いたが、少年は平静を取り戻し、すぐに車掌から顔をそむけた。


「あ~ぁ、そんな卑屈な応え方されちゃうと、こっちも困るんだけどね~」


 車掌は聞こえよがしにため息をつき、座席を回り込んで少年の前にドカッと座る。なんだかさっきと印象がガラリと変わって、少年は随分と馴れ馴れしい人だと思った。


「ほらもう一度、少年。調子はどうかな?」

「……良くも悪くもない……」


 別にいいじゃないか、本当なんだからと内心毒づきながらも答える。しかしそれにも満足しなかったようで、手をひらひらと振られる。


「あ~、ダメだダメだ、そんなんじゃ。もっとこう……ユーモラスに答えろって。いいか、ユーモラスだぞ?」


 そこで車掌は一息間を置き、何か考えるように目を宙で泳がせ、


「やぁ、少佐。調子はどうかな?」


 少年の耳がピクンッと動いた。今しがた、目の前にいる青年は自分のことを少佐といったような気がしたからだ。しかし車掌はにやにやと笑っていて、聞き間違いも、彼の言い間違いでもなさそうだった。


 随分と変な趣味を持っているようで、と、少年は嘆息をつきつつ、適当に思いついたことを言った。


「調子がいいですね、大佐殿」


 およそ車掌の言う『ユーモラス』からかけ離れている自分が、よもやこんなことを言うとは思わなかった。少年は気づかれないように心の中でため息をついた。


 対して、車掌は、


「おっ、なんだ、やればできるじゃないか」


 少年の返答に満足したようで、意味深げな笑みを浮かべていた。


「よしよし、これはそのご褒美だ」


 そう言って車掌は突然、手に持っていた何かを少年の方へ放り投げる。


 少年は慌てて自分の顔面目掛けて向かってくる『何か』を、間一髪のところでつかみ取る。


「ナイスキャッチ!」


 彼の目の前で車掌は大人げなくはしゃいでいた。もとより大人げがあったわけでもないが―――


 少年は文句を言おうとして口を開きかけたが、その口は言葉を発するよりも前に、驚きで閉じれなくなっていた。


 少年の手の中に入っていたのは、先ほど上げたはずの、彼自身の財布だったのだ。車掌の意図が読めず、少年は視線を車掌へと向けなおす。


「受け取っておけよ。俺にはそんな火事場泥棒みたいにして手に入れた金を使う趣味はねぇ」


 車掌ははにかんだ笑みを浮かべ、もうそんなものはいらないとばかりに手を振っていた。


「だ、だけど……」

「急に帰りたくなった時に困るだろ? いいから持ってけって」


 頑として車掌は少年の言うことを聞かず、少年は手元に戻ってきた財布に当惑してしまう。


 《まもなく、芝崎峠、芝崎峠。お降りの方は、右の扉をご利用ください》


「ほら、着くぞ。さっさと立った立った!」


 車掌は少年の身体を引っ張り立たせ、扉の前へと持っていく。


「さっさと山登ってきて、頂上でうまい空気でも吸ってさっさと家に帰れよ! 親が心配するぞ!」


 空気が流れ出るような音とともに扉が開き、車掌は少年の身体を押し出す。少年は数歩たたらをふみ、振り返るともう扉は閉まりかけていた。


「またのご乗車、お待ちしております」


 ウィンクと一緒に告げられたその言葉が終わるころにはもう扉は閉まっており、電車は少年を置いてまた動き始めた。十秒も経たないうちに電車はホームから姿を消し、遠くの方から聞こえてくる救急車のサイレンだけが静寂を打ち破る。


 ホームには人気が泣く、長くなり始めた影は僅かに燻ぶっている吸い殻捨て場にかかっていた。今さっきまで誰かがいたようだ。


「………」


 少年は自分のもとへと帰ってきてしまった財布をしばし無言で見つめ、ポケットにねじ込んだ。


 そして彼は改札へと行き、そこに切符を入れた。


 目指すはこのすぐ先、芝崎峠の頂上だ―――



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