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二十一話 悪意なくとも


 謝りたいとマヤは言うが、ヴァイナスは彼女と今、初めて会ったばかりだ。

 出会ってすぐに、何をされたわけでもない。

 困惑するヴァイナスをよそに、マヤは申し訳なさそうに続けた。


「……わたしの息子がとった行動で、貴方達にはとても迷惑をかけてしまって……。本来なら、しなくてもいい結婚だったというのに、本当にごめんなさい」


 今の言葉を聞いて、ヴァイナスはようやく茶会の目的に気が付いた。

 自分が呼ばれたのも、人払いがされているのも、この話をすることが目的だったのかと納得する。


 マヤは、母親として息子の行動に心を痛めており、当事者である二人に謝罪する場が欲しかったのだ。きっと、心の底から悪いと思い、ずっと気に病んできたのだろう。


 優しい人らしい、優しい謝罪。


 けれど、ヴァイナスは、どうしても最後の言葉が引っ掛かった。


 ――しなくてもいい結婚。


 それはつまり、必要性が無かった結婚だ。

 きっと、どちらかが「話と違う」と言い出せば、身代わり同士の結婚などという馬鹿げた事は、行われなかったのだ。

 あの、投げやりな結婚式を思い出せば、なおの事……マヤの言葉は、正しい。


 ヴァイナスはマヤの、哀れむような視線から逃れるように目を伏せた。

 誰が見ても、そう思うのが当然だ。

 わかってはいる。

 それなのに、悪意のない他人の言葉に、どうしてここまで傷つくのか。


 ヴァイナスは胸の辺りで渦を巻く、もやもやした感情を押し殺し、なんとか笑おうとした。


(――笑いなさい、ヴァイナス)


 昔から、笑う事は得意だったはずだ。

 妹と並んだだけで失笑された事なんて、数え切れない。そういう時こそ、怒ってはいけないとヴァイナスは学んできたのだ。


 怒ってはいけない、泣いてもいけない。傷ついたとしても、それを表に出してはいけない。

 弱みを見せず、何も言わず、ただ笑って受け流せばいい。


 今も同じ事だ。

 笑って、適当に合わせればいいのだからと、自身に言い聞かせていたヴァイナスの手を、テーブルの下でセレストがぎゅっと握った。


(え?)


 驚いてセレストを見たヴァイナスだが、彼は真っ直ぐにマヤの方を見ていた。


「謝罪など結構です」


 射貫くような鋭い視線を向けながら、セレストはマヤの言葉をぴしゃりと制する。


「私は、この結婚を迷惑などとは思っていない。そんな事を言うために、わざわざ私の妻を呼んだというのならば、私達はここで失礼する。……行くぞ、妻殿」

「セレスト……!」


 マヤの悲しげな声に、セレストは静かながらも、怒りのこもった声で答えた。


「……マヤ殿、貴方の真意がどこにあれ……。今の謝罪は、私の事もヴァイナスの事も、馬鹿にしている」


 険しい顔で立ち上がったセレストは、失礼すると告げるとそのまま踵を返した。

 行くぞと言われたからには、ヴァイナスもセレストに付いて行くべきだろう。


 しかし、悲しげな顔のマヤをこのまま放っておいてもいいのだろうかと、少しだけ迷う。


「……マヤ様」


 呼びかければ、マヤはびくりと肩を揺らした。


「ヴァイナス姫……。わたし、貴方達を馬鹿にしたつもりでは……」 

「はい、分かっております」


 マヤに悪意があったとは思えない。ヴァイナスは素直に彼女の言葉に頷いた。

 けれど、どうしても伝えたい事があった。


「でも、これだけは覚えていてほしいのです。セレスト様との結婚が迷惑だったなどとは、私も思っておりません。――セレスト様と出会わせてくださり、ありがとうございます……感謝しております」


 口に出した言葉が、すとんと自分の胸におさまる。

 こんな簡単な事だったのかと、ヴァイナスは気が付いた。

 自分には負い目があるから、仕方ないと思い込むことで誤魔化していた。けれど本当は、ずっと嫌だったのだ。他人に、自分とセレストの関係を決めつけてほしくなかったのだ。


(だって私、迷惑なんて思っていないもの。セレスト様でもいい……ではなくて、セレスト様でなければ嫌なのよ)


 きっと、結婚の相手が他の誰かだったら……ヴァイナスは作り笑顔を張り付けて、楽な方へ流れて生きていたはずだ。

 セレストだからこそ、初めて人と向き合わなければと思えたのだ。

 だから、この結婚に何を思うか問われれば――自分には感謝しかないと、ヴァイナスは胸を張る。


「……ヴァイナス姫……ごめんなさい……」


 しゅんと肩を落としたマヤに、心のもやが晴れたヴァイナスは首を横に振った。


「そんな風に悲しい顔で謝らないで下さい。なんだか妹を泣かせている気分になってしまいます」  


 優しい雰囲気が、よく似てらっしゃいます。そう言って笑いかけると、マヤもようやく小さく笑った。


「……ありがとう。……引き止めて、ごめんなさいね」

「とても美味しいお茶とお菓子でした。是非また食べたいです」

「!! ……ありがとう、わたしも是非、また食べてもらいたいわ……!」


 微笑んだ彼女をみて、今度こそ大丈夫だとヴァイナスは一礼してからセレストを追いかけた。



◆◆◆



 夫婦が退席し、一人残ったマヤは、眉を下げてため息をついた。


(怒らせてしまったし……傷つけてしまったわね)


 ヴァイナスが顔色を変えた時点で、気が付くべきだったのだ。

 その反省を肯定するように、すっと音もなくクロムが庭へ現れた。


「……今のは不味かったですね、マヤ様」

「まぁ、クロム、いつから見ていたの?」

「最初からですよ。……あの言い方では最悪、立場のない者同士が否応なく結婚したという風に受け取られても仕方ないですよ」

「わたしは、そんなつもりでは」

「えぇ。マヤ様には、そんなつもりないでしょう。……ただ、セレスト様とあなた方の関係は非常に微妙だ。だから、セレスト様はきっとそうは受け取らないことくらい、わかっていたでしょう」

「……」


 マヤは、それ以上何も言えずに黙った。

 事実、セレストは怒りをあらわにした。

 普段、マヤ達とは視線を合わせようとしないセレストが、真正面から睨み据えてきたのだ。


 何が、それほどまでにあの少年の怒りを掻き立てたのかと考え――マヤはもう一度、ため息をついた。


「……わたし、また失敗してしまったのね」

「まぁ、奥方様が追いかけてくれたから大丈夫だとは思いますけどね。俺も、もう行きますよ。護衛がいつまでも傍を離れているわけには行かないので」


 そうね、とマヤは頷いた。


「セレスト様に謝罪を……といっても、貴方は伝えてくれないし、あの方は受け入れてはくれないわね」


 クロムは何も答えず、ただ笑みを返す。

 それ以上は会話もなく、一礼して去ろうとした彼の背中へ、マヤはもう一度呼びかける。


「クロム……!」

「……はい?」

「あの子から、なにか連絡はあった?」


 すっと、クロムから笑みが消えた。

 僅かに声を潜めたクロムは、しっかりと頷く。


「……安心して下さい、無事です」

「そう。……それなら、いいの。呼び止めてごめんなさい。……貴方も、気をつけて」


 マヤの悲し気だった表情が、きゅっと引き締まる。


「お気遣い、ありがとうございます」


 クロムも、真面目な顔でそう答えると、今度は振り返らなかった。

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