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一話 青の王子


『――――』


 白薔薇が咲き誇る庭園で誰かに名前を呼ばれ、少年は笑顔で振り返った。


 死んだ母のために植えられた――今はもう愛でる人もなく、少年自身も近づかないはずの白薔薇の庭。その中にいるのに、彼はとても幸せな気持ちでいっぱいだった。


 理由は簡単だ。彼女がいる。


 嬉しいような、照れくさいような気持ちで、少年は彼女を見つめた。

 花の中、彼女は柔らかく微笑んで、もう一度優しい声で少年の名を呼んだ。


『――セレスト様』


 それだけで、泣きたいほど幸せな気持ちになった少年は、衝動のまま手を伸ばす。そして、呼びかけに応えるために口を開き――。


「……ぁ?」


 ふと目を開ければ、そこは見慣れた自分の部屋だった。

 宙に向かい手を伸ばし、誰かの名前を呼ぼうと口を開けた状態で目を覚ました少年は、力なく手を寝台に下ろした。


「……夢……」


 変声期をむかえる前特有の、高く澄んだ声音は、夢の余韻から抜け出せず、情けなく震えている。少年は、ぐっと唇を強く噛んだ。


 自分の名前を、あんな風に大切そうに呼ぶ人間など、ここにはいない。


 少年は、理解している。

 分かっているはずなのに、自分はなんて浅ましい夢を見たのだと自嘲し、寝台から身を起こした。


 夢の中で聞いた優しい声が、耳の奥によみがえる。不意に目が熱くなってきた事に気付いて、誰に見られるわけでもないのに、慌てて寝巻きの袖口で乱暴に目元を拭った。


 ――少年の名は、セレスト。

 今年十歳になる彼は、ここイグニス王国の第二王子である。だが、いくつになろうがセレストの毎日には、変化がない。息を殺していれば、日々は淡々と過ぎていく。

 そして今日もいつも通り。なにも変わらない、冷たい朝を迎えた。



◆◆◆



 一度変わった夢を見たくらいで、日々に何か劇的な変化が起こるはずもない――。


 セレストは、そう思っていた。

 いつもは自分の姿など視界にも入れないはずの父親から、兄王子が消えたと言う事実と、兄の花嫁になる予定の姫君が描かれた姿絵を放られるまでは。


「結婚しろ」


 馬鹿な事を……と、喉まで出かけていた言葉を無理やり飲み込む。


「これは政略結婚だ。我がイグニスとノーゼリアの歴史は知っておろう? 此度の結婚は、争いに終止符を打つための、和平の象徴という意味合いが強い。王子がいないからと言って、白紙に戻すことはできぬ。……ゼニスの代わりを、お前が務めるのだ」


 父は、一方的に言い捨てると背を向けた。

 そうやって自分に向けられる背中だけは、何度も見てきた。

 だからだろうか、セレストは父王には何を言っても無駄だと諦めている節がある。今回も、胸の内では異を唱えていたものの、口には出せず、黙って一礼して部屋を出た。


 そのまま、部屋から離れたい一心で足早に歩けば、長い廊下の向こうで、壁にたたずむ長身の男を見つけた。

 セレストの護衛役である。

 主の戻りに気が付くと、心配そうな顔で近づいてくる。


「殿下……」


 呼びかけに答えることなく、セレストは事務的に告げた。


「結婚するぞ、クロム」

「――それは……」

「兄上の代役だ。相手は、一週間後に到着する。……ノーゼリアの至宝とまで言われる、美姫らしい。……気の毒にな」


 ちらりと手元の姿絵を一瞥すれば、そこには確かに美しい姫君が描かれている。


「はぁ~……美人ですね」


 覗き込んだクロムが、分かりやすく、感嘆の声を上げた。

 美しい姫君……だが気の毒な姫君。根深く続く、争いの歴史に終止符を打つために利用される、哀れな姫君。それでも、王妃となるべくして嫁いでくるはず。


(騙し討ちも同然だな)


 古くから争い続けた、大陸きっての不仲国に、決意を固めやって来て夫と対面する事になるノーゼリアの姫。

 いざ蓋を開けて、用意されていたのが自分では気の毒だと、セレストは子供らしい無邪気さとは対極の笑みを浮かべた。


「本当に、気の毒な姫君だ」 


 同情と自嘲が胸中で渦巻く中、呟いた自身の声は、思いのほか苦く響いた。



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