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逆襲


「くくく、これで、あの小娘も大人しくなるだろう」


 領主の館からの帰り道、馬車に乗ったセロースは笑う。

 坂道を降りる風は、彼の勝利を祝福しているかのようだ。


「この街を治めているのは誰なのか、思い知らせてやる」


 つぶやいて、街に帰ったセロースは商業ギルドの中にある寄り合い所へと辿り着く。

 古びて崩れかけの建物が多いアスセーナの街だが、ギルドの中は比較的快適だ。

 受付を通り過ぎ、大部屋の扉を開けると、そこには仕事を放棄した役人達がセロースを待っていた。


「セロース様、如何でした?」

「あぁ。万事順調だ。あの小娘の顔を諸君らに見せられなかったのは残念でなるまいて」


 くくっとセロースが笑うと、部屋の中にも嘲笑が広がる。

 ただでさえ自分たちの上に十七歳の小娘が居座る事が気に入らないのだ。

 自分たちの給金を下げると断言した彼女に、役人達が素直に従うはずもない。


「しかし、本当に大丈夫なのでしょうか?追放されたとはいえ王族に連なるお方…仮にも公爵様ですよ?」

「その点は心配ない。ピエール公爵様にも確認してあるのでな」


 ピエール公爵の名前を出すとどよめきが喜びを孕んだものに変わっていく。

 彼らのその様子に、セロースはにやにやと笑みが止まらなかった。

 元王女とはいえ、その実は国内外からも知られているほど不憫な生まれだ。

 身体の弱かった第一夫人は彼女を生むと同時に死に、母と入れ替わりに生まれた娘を父親は突き放した。

 しかも、その数年後には第二王女との間に第一王子が生まれてしまい、彼女は第一王子の予備であり、政策と外交の道具に成り下がったのだ。


 いかに公爵とはいえ、ピエール公爵の後ろ盾があるセロースは彼女以上の身分なのだ。


「くく…世渡りが下手なのですよ。イリス・オルタミア」


 セロースは貴族ではなく、富豪の次男として生まれだ。

 実家は王都にある商会を営んではいるが、次男であるセロースに継ぐ事は許されない。

 元々財務能力に優れていた事もあって役人を志し、アスセーナの財務官募集の知らせに飛びつき、ピエール公爵に拾われた。「好きにしていい。ここは捨てられた地だから」

 彼はそう言ってセロースにアスセーナの街の殆ど全てを任せてくれた。

 当初こそ、小汚く捨てられた街に来たセロースは絶望しそうになったが、それはすぐに変わった。

 捨てられた地だからこそ、少しの不正も、賄賂も、全てが思うのまま。


「貴方こそがこのアスセーナの街を任せるのに相応しい人材だと思ったのですよ」


 セロースは歓喜した。

 気に入らないもの達を排除し、都合のいい駒を周りに配置していく。

 元々戦争の被害がもっとも酷かった地なのだ。本格的に危なくなれば逃げればいい。

 彼は領地が壊れない絶妙なさじ加減で自ら甘い蜜を吸い続けた。


「我々役人達が平民を生かしているのだ。それが分からないとは、所詮は美貌だけか」


 つぶやきを漏らし、セロースは新たな領主の姿を頭に思い浮べる。


 地平線に輝く太陽のような黄金色の髪を持ち、瞳は海を思わせる深い碧。

 傷ひとつない肌はシルクよりも艶やかである事は疑う事もなく、その身体付きは魅惑そのもの。

 大きな丸い双丘をこしらえた胸は、男達の欲望を誘うのに充分すぎる。

 ほっそりとした睫毛は理知的ながらも幼さを残し、彼女の純真さを感じさせていた。

 その美貌は地上に降臨した女神の如き神々しさ。


 ()()()()()()()()


 そんな事も知らない彼らは、口々に領主の悪口を紡ぎ出す。


「大体、女に政務が務まるのか」

「お飾りでいればいいものを」

「領地に来て三日で何が分かるというのか」


 気に入らない。その一言を裏に含ませた男達にセロースは待ったをかけた。


「なに、役人達の半数がいない状態で政務など務まるはずがない。我々はただ座して待てばいい。そうすれば彼女にも我々の価値が分かるでしょう」

「さすがセロース殿。ピエール公爵に目をかけられるだけのことはありますな」

「全て私に任せるといい。絶対に上手くいく」


 彼ら全員の居場所を知り、説得できるのはセロースだけだ。

 故に、領主の館に出入りする自分に白羽の矢が立つのは当然のこと。


 うまくいけば、領主に借りを作り、その身体をも我が物に出来るかもしれない。

 薬でもなんでも、やりようはいくらでもあるのだ。


「ふふ…はっはっははははははは!!!」


 哄笑が部屋の中に響き渡っていた。








 ◆










 ——役人達の仕事放棄から五日が経った頃、セロースは寄り合い所の中で唇を噛んでいた。


 おかしい。幾ら何でも、五日も仕事が貯まれば通常業務にどれだけ支障が出るか。

 仮にも領主であり領民のことを考えている彼女ならば、すぐに自分たちを迎えに来るはずなのに。

 セロースたちが領地の仕事を投げ出してから彼女はおろか、使者の一人もセロースの元を訪れない。


 流石に仕事を放棄した者達の反応も、気が気ではないようだった。


「セロース殿。どうなっているのですか?」

「貴方が言うから、私たちは仕事を放り出したのですよ!」

「このままになれば、どう責任を取るおつもりか!?」


 彼らの物言いにセロースはこめかみを押さえていた。

 ここにいる者達は皆、セロースが集めて甘い蜜を吸ってきたもの達。

 あそこに残っている者達はセロースの言うことに逆らわず、かといって自分たちで動く事はない者達。

 ただでさえ、公爵に弓を引いているのだという事実に彼らは慄いていた。


「皆、落ち着かれよ。いかに領主様といえど、所詮は名ばかりの公爵…そういったでしょう」


 ピエール公爵からも、新しく領地となる彼女には()()()()()()という命も受けてあるのだ。

 自分たちが罰せられることはないし、後ろ盾であるピエール公爵の力は強大。


「…ですが、王族の血を引いている事実は変わらないでしょう」


 そう、唯一の問題点があるとするならばそこなのだ。

 どれだけ冷遇されようとも、どれだけ権力がなかろうとも、彼女に流れる血は変わらない。

 もしも万が一、第一王子の身に何かあれば、彼女に白羽の矢が立つだろう。


 そうなれば自分たちは王族に弓を引いた大罪人として処される事になる。

 限りなく零に近い可能性。だが、ないわけではないという事実をここに来て彼らは思い出した。

 何を馬鹿なと、王都での彼女の過去を知っているセロースは内心鼻で笑い、肩を竦めた。


「あい分かった。私が領主の館へと行き、様子を見て来る。それまで待たれよ」

「頼みましたぞ」


 …利益に群がる俗物どもが。


 内心を押し隠しつつ頷きを返して、セロース財務長官は領主の館へと向かう。

 普段ならばすぐに着くはずの馬車が、今はひどく遅く感じるようだった。

 そして館へとついてすぐに、セロースは頭に疑問符を浮かべる事となる。


「人の気配が多い…?」


 屋敷を管理するために使用人達が多くいるのは当然だが、それとは別に忙しなく動いている気がする。

 主人に気を使う使用人達が音を立てて移動するだろうか。

 否だ。妙な不安が頭に過ぎったセロースは、駆り立てられるままに屋敷の扉を開く。


 ワインレッドの絨毯が広がり、洋燈の灯りがセロースに降り注ぐ。

 外で感じた気配とは裏腹に、中は不気味なほど人が少ない。

 不審に思うセロースは不意に見つけた姿にたまらずに声をかけた。


「そこの者」

「…は」


 すらりとした長身に燕尾服を纏った初老の男性だ。確か名はーーシュバルツといったか。

 領主が連れてきた人物のうちの一人。目的を早く達せそうな事に、セロースは内心で笑う。


「私は財務長官のセロースだ。領主様に御目通り願いたい」

「…領主様は政務で忙しくされております。事前連絡もなしに…」

「いいから取り次いでこい!私を誰だと思っている!?」


 煮え切らない執事にセロースは沸騰した感情をそのままぶちまけた。

 顔を顰めたシュバルツは渋々ならも一礼し、「ここでお待ちください」と去っていく。


「くそ、応接間に通すくらいしないか…!」


 地団駄を踏むが、対外的に見て礼を失しているのは自分である事は分かっている。

 諦めたセロースが大人しく待っていると、程なくしてシュバルツが戻ってきた。


「領主様がお会いになるようです。応接間にお通しします」

「ふん。それはそうだろう。今まで大混乱だったろうからな」


 ようやく目的を達することが出来る。あの女を屈服させるのが楽しみだ。

 ほくそ笑んだセロースは、応接間でお茶を飲みながら彼女に言う言葉を選んでいた。

 やがて短くない時間が経ち、扉が開き、彼女とそのメイドが入ってくる。


「これはこれはご領主様。ご機嫌麗しゅう」

「挨拶は結構。話を始めるわよ」


 立ち上がりかけたセロースをイリスが制してくる。

 その態度にむっとしないではなかったセロースだが、自らの優位を思い出して笑んだ。


「どうやらご領主様は寝不足の様子。流石に政務は堪えましたかな?」

「えぇ…貴方達が出ていったお陰でね」


 彼女の瞼には、何日も寝ていないような酷い隈がある。

 茶器を持っている手はどこか青白く、覇気がないようだった。


「それはそれは。私に言ってくれれば、すぐに駆けつけましたが」

「…」

「領主様。無理はいけません。アスセーナがアスセーナとしての形を保てなくなる前に、恥を捨てて、私たちに頼るのです。そして領主として君臨し、私たちに全てを任せてください」


 そうすれば、貴女はその苦しみから解放されるでしょう。とセロースは言い捨てた。

 じっと、こちらを見据えてくる女の瞳を見て、彼は内心で勝利を確信する。


 …これで領主に借りを作る事が出来る。その美貌も、何もかも私の思いのままだ!


「貴方達は、()()()()()()()()()…?」

「えぇ。領主様の手となり足となり、領地を経営するのが私たちの役目です。不勉強を恥じる事はありません。貴方はまだ十七だ。これから私たちを引っ張ってくれると信じております」


 …その時には、お前もこの私に身も心も捧げているのだから!


「そう…」


 何かを決意したようなイリスの呟きに、セロースの表情は喜び勇んだ。

 これで邪魔な異分子を自分の陣営に取り込む事が出来る。

 下手をすれば、セロースは王族の一員となってもおかしくない立場になる!


「さぁ、領主様。私に命令を」


 立ち上がり、セロースは座っているイリスの前に膝をつき、頭を下げる。

 喜びと欲望に満ち満ちた表情を隠して、未だ年端のいかない女の懇願を待つ。

 さあ、その美貌で、その血に流れる身体で、私に助けろとーー







「なら貴方達は罷免とします。二度と私の前に姿を見せないように」


「ーーは?」


 告げられた言葉にセロースが固まる。

 思わず顔を上げれば、そこにはぞっとするほど冷たい顔の女がいた。


「な、なにを…」

「聞こえなかったのかしら。貴方達は罷免だと言ったのよ」


 冷たい汗がセロースの背中を伝っていた。

 何を言っているのか、彼女の言葉を理解するのに数瞬の時間を要した。

 心臓が嫌な鼓動を刻み出す。硬直が解けて、セロースは声を荒げる。


「何を言っているのですか!?いくら貴方でも、二十人以上の役人の仕事を一人で兼任出来るはずがないでしょう!」

「そうね。出来ないわ」

「あ、貴方は…私たちが気に入らないからと言って切り捨てるおつもりか!?」


 愕然とする。目の前で冷笑を浮かべる彼女がそこまでの愚物であったのかと。

 論理も理屈もへったくれもなく、ただ感情だけで敵を追放しようとする魔女だったのか。


 だが、そんなセロースを彼女は容赦なく切り捨てる。


「貴方、馬鹿なの?そんな事出来るわけないじゃない」

「な、ぁ…?」


 どういう事だ。彼女は何を言っている。

 口をぱくぱくと動かし、なぜ。と声にならない声に彼女は首を動かす。


「だって、私は一人ではないから」


 イリスが目を向けた先、そこは彼女自身が入ってきた応接間の入り口があった。

 自分も先ほど扉の先にある人気のない廊下から入ってきた。

 だからこそ、扉が開いて、入ってきた者達の姿を見てセロースは戦慄する。


「き、貴様ら…!?」


 そこには、セロースがアスセーナを任された時に追放した役人達の姿があった。

 無精髭を蓄えたもの、頭が禿げた者、役人とは思えない逞しさを持つ者。

 様々な者達がいたが、間違いない。彼らはセロースを知っているし、セロースもそれは同じ。


「私が何の策もなく、何の調べもなく、この土地に来たと、貴方は本気で思っているの?」


 ぎぎぎ、と音が出るほど緩慢な動きでセロースはイリスに振り返る。

 隠そうともしない嘲笑を浮かべた美貌の女性は、入ってきた彼らを手で示した。


「賄賂や汚職を隠すために貴方が追放した者達に声をかけたわ。それと同時に、セロース。カッペリーニ商会の次男。財務官を目指して公爵に拾われた貴方の経歴もね」

「な…!」


 この領地の誰にも告げていない事を、彼女は事もなさげに暴露した。

 唖然とするセロースを追い込むように彼女は続ける。


「過去十年間、貴方は教会への寄付金を増やし、影響力を高め、公爵に連なる者達に賄賂・贈与を繰り返してアスセーナの街…まぁ、正確には貴方に援助をさせたでしょう」

「な、なぜ、それを…」

「財務記録を見れば、おかしな箇所はいくらでも出てきたわ。なのに、国に何も言われなかったのは、アスセーナの街が捨てられた街だからというのと、貴方が公爵の息がかかったものだったから。そうね、もしかしたら王都に協力者でもいるのかしら。公爵の手のものだったり、ね」

「…っ」


 セロースは口の端から血が出るほど唇を噛み締める。

 正直、舐めていた。ついこのあいだまで引きこもりだった女とは思えない手腕だ。


「ここにいる者達一人一人に証言してもらってもいいけど、時間の無駄よね?」


 彼女が目を向けた者達は、セロースを見下した瞳だ。

 彼らに向けられる瞳が屈辱的で、セロースはぷるぷると拳を握りこむ。


「処理が面倒だからと言って平民へ割り当てる福祉金の一部を肥やしにしたわよね?」

「財務長官の地位を利用して何度も女性を買った証拠も掴んでる。連れてきましょうか?」

「自分の身の周りを都合のいい者達で固め、彼らにも汚職に関わらせたわよね?」


 まくし立てる彼女の言葉にセロースは無言を貫く。

 イリスの海色の双眸は冷気を放っているほどに冷たく、直視が出来ない。

 このままではまずい、そう思ったセロースは唇を震わせた。


「り、領主様、どうか、ご再考を。今の業務に携わっている役人達の仕事の引き継ぎもありま」

「終わったわ」

「は?」


 素っ頓狂な声を出すセロース。あくまで彼女は淡々と続ける。


「だから、全部終わったって言ってるの。私が今の業務の全てに目を通して、彼ら一人一人に教え込んでいたところよ。おかげで、五日間ほとんど眠れなかったわ」

「ば、馬鹿な…っ」

「馬鹿は貴方よね。私は忠告したのに」


 冷静にセロースを射抜く彼女の瞳はあくまで本気だ。

 獲物を狙う猛獣の方がまだ暖かみがあると思わせる凍った瞳。


「りょ、領主様、どうかご慈悲を!私は、生きるのに必死だったのです!権謀術中のこの世界で、私が生きていくにはこれしかなかった!金に頼るしかなかったのです!」

「だから、()()()()()()()()()()って、忠告したわよね?二度は言わせないわよ」

「…っ」


 彼女は立ち上がり、話は終わりだと言いたげに扉を出ようとする。

 戦慄したセロースは、自分の口は思えぬ口で喋っていた。


「い、一体、いつから…」

「王都でアスセーナを貰った時からね」

「最、初から…っ!」


 最初から、これまでの全てが彼女の思惑通りに進んでいたというのかーー!

 心が、魂が恐怖を覚える。自分よりも遥かに年下の女が、同じ生き物だとは思えなかった。

 それでもセロースは、権力と金にしがみつきたい一心で、思考を白熱させ、活路を見出す。


「わ、私はピエール・アウナ・マエストロ公爵の後ろ盾を持っている!私に手を出せば、貴女はただでは済まなくなりますぞ!」

「だから?私も同じ公爵よ?」


 こともなさげに答えて、彼女は唇を噛み締めたセロースを置き去りにする。

 何か、何かないのか。彼女の弱みになるようなことは、この場で生き残れる唯一の光明は…!


「そうそう」


 思い出したように立ち止まり、彼女は冷徹さを隠さない笑みで振り返る。

 背筋をゆっくりと切り裂かれて行く感覚が走り、セロースは呻いた。


「ま、まだ…なに、か」

「貴方の手駒だけど、森の中に放しておいたわ。生きている保証はないけど」


 手駒、という言葉を聞いて、セロースはそれが役人を指しているものではなことを悟る。

 彼女が領地へと入った当日に慌てて差し向けた暗殺者の事を言っているのだと理解した。


「さようなら。二度とこの場所に来ないようにね」


 ばたん、と遠くから扉が閉まる音が聞こえる。

 座り込んだセロースは茫然自失といった表情でつぶやいた。


「ば、ばけもの…」



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