公爵
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「あぁ…」
赤い絨毯が敷かれた大広間で、シャンデリアの明かりに照らされた私は国王と謁見していた。
玉座に座る彼の傍には第二夫人であるサリーヌ夫人がこちらを睥睨している。
周りには何人かの臣下もいて、私たちのやり取りに注目していた。
「今回は大変でしたね。イリス様。もう宜しんですの?」
「えぇ。おかげさまで。いつまでも休んでいる訳には行きませんから」
頷きを返すと、彼女はあからさまに顔を顰めた表情になる。
向こうからすれば、私の発言は王位継承権を持っているにも関わらず、手をこまねいている訳にはいかないと聞こえたかもしれないけど、あえて訂正しない。
「それよりも、この度は私が狙われた事で大変なご迷惑をおかけ致しました。既に手紙を送ってはおりますが、改めてお詫び申し上げます」
「…貴女が無事で良かったわ」
全く心がこもっていない言葉でサリーヌ夫人が言った。
私が言ったのは父である国王にであって、彼女じゃないんだけどね。
とうの国王といえば、彼女の言葉に頷くだけで何も言わない。
ーー向こうからすれば、私は目の上のたん瘤なのだ。
現在、貴族の間では王女である私に付いている者と、第一王子派で分かれている。
エルヴァン王国では男児の方が王位継承権は上だから実質的には争いはないはずなのだけど、第一王子の上にいるのは他ならぬ第二夫人、並びにそれに付随する貴族たちだ。
私に付いている者達は第二夫人やその貴族が気に食わないのだろう。
第一王子派は強大な勢力ではあるけど、私という危険分子がいる事は変わりはない。
私はまだ婚約もしておらず、敗戦国であるこの国と関係を強化しようとする国も少ない。
「陛下。恐れながら申し上げたい事がございます」
「何か」
「私は、王位継承権を返上し、公爵として領地を経営したく存じます」
「っ!?」
ーーだからこそ、この発言は効果がある。
私の発言にそれまで黙っていた貴族達がざわめき出したけど、私は目を向けなかった。
「どういう事か?」
「私を誘拐しようとした黒幕は不明ですが、私は王位継承権を持っている事は事実です。ですので…」
「第一王子派が貴女を狙ったと言いたいの?」
第二夫人の声が厳しくなる。私は首を振った。
「いいえ。私を王女と知らずに貴族を狙った者の仕業かもしれません。…それとも、お義母様には私を狙った者に心当たりが?」
「あるわけないでしょう。そんなもの」
「そうでしょうね」
かなり怪しいとは思っているけど、彼女なら誘拐よりも暗殺の方がしっくりくる。
放っておいてもそのうち王太后へなる事が分かっている彼女がやるメリットはあまり少ないわね。
ともあれ、そんな事はどうでもいい。重要なのは私が王位継承権を持ってしまっている事実だ。
「発言をお許し下さい。陛下」
「許す」
「ありがたき幸せ」
臣下の列から進み出て来たのは、顔立ちの整った美丈夫。
三十を超えたばかりのその人物は皺が少なく、大人の色気を出している。
第二王子派の筆頭であるピエール・アウナ・マエストロ公爵だ。
「姫殿下といえば、確かに勉学共に秀でており、王国でも随一の講師達に好評でございます。しかしながら、領地を経営した事ない身の上でいきなり領地経営というのはいかがなものかと」
「お言葉ですが、領地経営についても学んでおりますよ?」
「えぇ。存じております。だからこそ、私は具申したいのです」
にっこりと、その言葉を待ってましたとばかりに彼は微笑んだ。
「姫殿下がせっかく政治的な平和を願ってくださっているのです。そこで、いかがでしょう。アスセーナの街を任せてみては」
「アスセーナ…」
ざわ、と再び会場がどよめき、公爵の言葉を吟味するように国王は顎に手を当てる。
同時に第二夫人の笑みが深くなったのを私は見逃さなかった。
…アスセーナか。
エルヴァン王国の北側に位置し、カルロールの国境沿いに位置している街だ。
冬は雪が降るため冬支度に悩まされ、猛獣が跋扈する古き森に隣接している。
このため、薬草や林業を主としている街である。これだけならば、いいかもしれない。
問題は、二十年前の戦争でカルロールに攻め込まれたおり、街は荒れ果てていて、その旨味は無いに等しい筈であり、領民は飢えに苦しみ、冬を超えるごとに人口が減少しているという事。
『捨てられた街』という名前が相応しいだろう。
しかもアスセーナは、元々はピエール公爵が治める領地の一部。
そんな場所に国王自身が命じて王女である私が行くというのは、実質的に廃嫡も同然だ。
あの人がご機嫌になるのも無理はない。それほどに酷い扱いだろう。
「アスセーナですね。行きましょう」
「っ!?」
だけど私は、これを受ける。
私の目的は誰に憚れる事なく同じ女であるマリアとお付き合いをすること。
国を変える事は手段であって目的ではない。いきなり大きなところから変えるところは無理だから、小さなところから始めなくては。他にも幾つか理由はあるけれど。
といっても、まだ告白もしていないしあの子に受け入れられるか分からないけど…。
私の発言にその場にいた貴族達は驚いた表情で、さらにざわめきが酷くなった。
「静まれい!」
ぴたっと国王が一喝し、臣下達が口を閉じる。
静まり返った室内で国王は吟味するように顎に手を当てていたが、やがて口を開いた。
「イリス・オルテミアよ。アスセーナは立派な領地だ。其方に治められるか?」
「その心配は最もです。だからこそ、私の領主としての手腕が問われるところではないでしょうか。少しでも税収が上がらなければ、如何にようにもなさって下さい」
ざわっと再び動揺が広がる。
今の今まで殆ど引きこもっていた私の発言は彼らにとって意味不明だろう。
だけどこれでいい。権力闘争や貴族の派閥に微塵も興味はない。
そんな事に煩わされるくらいなら、マリアとお話をする時間をもっと増やしてやる。
ていうか、実の娘である私の事を他人行儀で呼んでいる父の方が問題だと思うけど…まぁいいわ。
何年も話していないし、父親として何かをしてもらった記憶は全くないのだから。
ともあれ、私の提案は第一王子派である彼らにとっては旨味しかない。
ピエール伯爵と第二夫人が頷いているのを見て、私は私の勝利を確信した。
「勅命を下す」
周りが静かになり、国王は続ける。
「イリス・オルテミア=エルヴァンの王位継承権を剥奪とし、公爵へと降格とする。また、本人の強い希望とあってピエール公爵の領地の一部であるアセーナの街を切り離し、新たにオルタミア領と改名。追って、正式に書面を渡すものとする。二人とも、それで良いか?」
「謹んで拝命致します」
私とピエール公爵は同時に頭を下げる。
かくして、私は公爵として領地を獲得するに至った。
◆
「それにしても、あの子があんな事を言い出すなんてね」
「全くです。それも誘拐未遂の二日後に」
王国でも随一の豪奢な部屋の中で二人の男と女が向かいっていた。
カップに手をつけているのは金髪碧眼の美人、第二夫人であるサリーヌと、ピエール公爵だ。
先の謁見の間において彼女が言い出した事は貴族社会の構図を塗り替えるに足る出来事だった。
第一夫人を慕っていた者達が勝手に祭り上げているイリス・オルテミア。
正直なところ、この二人にとって彼女の使い所は迷っていたと言っていい。
妻を娘に殺されたと思っている国王にとって、親子の情などないが、ならば、第二夫人としては第一王子と婚約させるか、ピエール公爵の派閥のものと婚約させる事が最も効率的に政争を終わらせる手段だった。
ことり、と茶器を置き、扇子で口元を隠しながら第二夫人は微笑む。
「これで私の息子である第一王子の王位継承はより盤石なものとなった」
「元より勝負が決まっていた政争ですけどね」
一年に一度の建国記念パーティ以外にイリス元王女が表舞台に姿を現わす事はなかった。
しかも、第一夫人派であった者達が彼女に接触する事も第二夫人が統制していた為、実質的な支持者はいないと言っていい。王家の血を引いているとはいえ、そんな女をどうやって繋がりを強くする為に使うか、悩みどころだったのだが、まさか彼女自身が己を処断してくれるとは。
「くくく。分からないものですね」
「まぁ、悪い顔。ねぇ、ピエール公爵。彼女の頭に影を落としたのは、貴方ではなくて?」
王女であるイリス・オルテミアの誘拐事件を起こしたのはお前なのか、という目を細めた第二夫人に対して、ピエール公爵は笑みを深めるのみ。ぱちんっと第二夫人は扇子を閉じた。
「まぁいいでしょう。それにしても、アスセーナですか…貴方も酷な事をするわ」
「おや、私は彼女の希望を叶えてあげただけですよ?」
「ものはいいようね。大した税収も見込めず、戦争の爪痕が一番酷い街をあの子に押し付けるなんて、並みの神経では出来ないでしょう」
そうなのだ。アスセーナは人口も少なく荒れ果て、領主としての経営がまともに出来る場所ではない。
いくら彼女勉学に秀でていたとしても、どうにもならないだろう。
「ですが、だからこそ面白い。全てを諦めていた王女の瞳が、あの事件を経て何かを決意するような瞳に変わっていましたし」
「そうね。そこは私も疑問だわ。…恋でもしたのかしら」
「だとしても、希望を抱いた彼女が再び絶望する様を、見たいとは思いませんか」
「貴方、本当に趣味が悪いわ…そんなところもいいのだけれど」
呟いて、第二夫人は向かいにいるピエールの隣へと座り直す。
言葉もなく頭を傾けたかと思うと、彼女はピエールの肩へと頭を擦りよせた。
「ねぇ、最近ご無沙汰ではなくて?」
「いいのですか?」
「女にここまで言わせるのはナンセンスよ」
口元に指を当てて、第二夫人はピエールの口を塞ぎにかかる。
軽い口づけの後、部屋の奥にある寝台へと公爵を誘ってくる。
「ふふ。貴女は本当に欲しがりですね」
「もう、意地悪…」
寝台に座った第二夫人は両手を広げてピエール公爵を迎える。
自ら押し倒されるように首に腕を絡めて、耳元で囁いた。
「お願い、苛めて…」
「いいでしょう。存分に苛めて差し上げます」
野獣となったピエール公爵の言葉に、第二夫人は恍惚とした笑みを浮かべた。