決意と始まり
エルヴァン王国で起きた王女誘拐未遂は瞬く間に国中に広まった。
事の詳細は建国記念日パーティに出席していた第一王女イリス・オルテミアの無用心によるものだ。
喧騒の波から外れて一人になったところを攫われ、気づいたメイドが騎士団と共に誘拐犯を追い詰め、誘拐犯は別邸に火を放って逃走。捨てられた王女は火の車に追い詰められるが、ぎりぎりのところで助かる。犯人は自決して既に亡く、幸いにも死者はなかった———。
「と、市民の間で広まっている情報としてはこんな所でしょうか」
「そう…ありがとう。マリア」
建国記念パーティの翌日、寝台に寝転がったまま、私はマリアから事の詳細を聞いた。
火を放たれた屋敷は全焼。我ながらよく生き残ったと思う。
最も、マリアが助けに来てくれなかったら、私はとっくに死んでいた事は間違いない。
だが、そんな事はどうでもいい。
…か、顔が見れない。
私の乳母の子供という事で、幼馴染として育ち、メイドであるマリアは身近な存在だ。
だけど、あの誘拐事件からというもの、マリアの顔を直視する事が出来なくなっている。
他のどんな事よりも、何に置いてもこの事の方が今は大問題だ。
…私、どうしちゃったの?
「姫様、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「へ!?」
と、そんな事を考えているとは思ってもいないだろうマリアの顔がすぐ近くにあった。
まあるい瞳で心配そうにしてくれている様は常の可愛らしさが増し増しだ。
近くに来た事でふわりと彼女の匂いが届いて、心臓が高鳴った私の頬は熱くなる。
「やっぱり、顔が赤いですよ?もう少し休まれては…」
「だ、大丈夫!全然、大丈夫だから!」
慌てて起き上がり、身体を動かした私にマリアは目を丸くして、ふわりと微笑む。
…あぁ、可愛い。抱きしめたい。手、触ってもいいかしら。いや、でも。
「大丈夫なら問題ありませんが…身体を大事にしてくださいね」
「わ、分かっているわ」
起き上がった私はマリアに着替えさせてもらい、鏡の前で髪を整えてもらう。
横の窓から見える王都の街並みは朝日を浴びて色めき出し、朝食や仕事始めの煙が建ち始めている。
いつもならば、これから朝食を食べて、勉学に励む所だが、今日は誘拐事件の翌日だ。
こうしている間にも、第一王女を心配するという名目で手紙が殺到している。
だが、あの事件で護衛も付けずに出歩いていた私の株は地に落ちている筈だ。
元々第一王子が生まれた事によって低くなっていた私の権力なんて無いにも等しい。
彼らが心配しているのは私ではなく、第一王女という身分とこの身に流れる血だけなのだ。
「姫様。他の貴族様からの手紙ですが…」
「事件のショックで耽っているとでも返して置いて。今、他の貴族の顔を見たくはないわ」
「…かしこまりました」
すぅっと、髪をすいてくれるマリアの手が優しく、妙に落ち着かない。
同じ女の子なのに。いつも同じ動作を、昨日まで繰り返していたはずなのに。
胸が高鳴って、落ち着かない。これでは、まるでーー
「ねぇ、マリア」
「はい。なんでしょう?」
そんな落ち着かない私の心情とは裏腹に、口は勝手に動いていた。
「いつもありがとう。私、あなたの事好きよ」
…………………………………………………え、今、私なんて言った!?
自分で言った言葉なのに、鏡の中の私は見る間に頬が茹で上がっていた。
マリアの答えを聞くのが怖い。鏡ごしでも彼女の顔を見ていられない。
慌てる私だったけど、マリアは拍子抜けするほど嬉しそうに頬を緩めて言った。
「…光栄です。私もお慕いしております。一生姫様のメイドでいたいです」
「え…」
「?」
がくり、と私は肩を落とす。
せっかく言葉が勝手に出てきたのに、マリアが答えた意味は全く違っていた。
きっとこの子が言っているのは主従として、主人として好ましく思っていると言う事だ。
むしろ、女同士で何を言っているのだと言われないだけ、よかったとすべきかもしれない。
そっと、髪をすいてくれている彼女の手に触れる。…すごく暖かい。
私の気持ちが本当に"そう"だとして、マリアは、どう思っているのだろう。
疑問に思った私の口は、するりと動いていた。
「マリア、例えばね、例えばの話で聞いてほしいのだけれど」
「どうされました?」
「絶対に叶わない恋があったとして、だけどどうしても諦められない時…貴女ならどうする?」
「絶対に叶わない、ですか」
「そうよ」
マリアは真剣に考え込んでいた。けど、すぐに真剣そうな表情で胸の前で両拳を握る。
「やっぱり、想いだけは伝えた方がいいのではないでしょうか。伝えずに終わるのは…あまりにも悲しいです」
「…そうね。貴族でなければそうかもしれない」
貴族社会であれば、誰が誰に懸想しているという情報だけで弱みになりかねない。
しかも貴族の結婚とは家柄と影響力で選ぶものが大半で、恋で結婚するなどごく少数派だ。
ともあれ、今聞きたい言葉はそれじゃない。だから私は問いを重ねた。
「それじゃ…その、同性同士の恋というのは、どうなのかしら?」
「同性、ですか?」
「そ、そう!例えばよ!例えばの話だから!」
「はい、そうですね…」
髪を梳く手を止めてマリアは真剣に考え込む。
だけどやっぱりどこか苦笑い気味に、ゆっくりと首を横に振った。
「ダメですよ。同性だと子供も産めないと思いますし…普通ではないと思います」
「そう、そうよね……例えばの話だから、私は関係ないけどね?」
「はい。存じております」
にっこりと、微笑んだマリアは髪を梳くのを再開し始める。
その答えに私はホッとした半分、落胆半分の心地で息を吐いた。
すると、私の顔を見た彼女は「姫様」と手を止めた。
「やはり、顔色が優れない様子…少し、休まれてはどうですか?」
「そう、ね…そうするわ」
「あとで蜂蜜茶をお持ちしますね」
その言葉に甘えて、私はせっかく着替えた服をもう一度着替えて寝台へ倒れこむ。
マリアが部屋からいなくなり、音がしなくなった部屋で私の鼓動だけが煩いくらいなっている。
さっきの、慈しむように髪を梳いていたマリアを思い出す。微笑みが、胸に焼き付いている。
「…好き」
言葉に出すと、かぁぁと顔が熱くなる。同時に、胸が締め付けられるくらい痛い。
箱入りも箱入り、殆ど監禁同然の生活を送っていた私は、恋をした事はない。
見舞いや様子見と称して男性が私のところに来た事はたくさんあるけれど、率直に言って怖かった。
あの人たち、私の胸元とかお尻とか…とにかく、嫌らしい視線ばかり送ってくるんだもの。
彼ら男にとって私は権力を得るための道具であり玩具。常々気持ち悪いと思っていた。
けど、マリアだけは違った。
『私』が必要だと言ってくれた。『私』のそばにいてくれると言ってくれたのだ。
そんな彼女の事を考えるだけで胸が弾むし、同時に、すごく切ない気持ちになる。
「女の子同士なのに…」
恐らくこれが恋という気持ちなのだろう。
まさか初めて恋をする相手が女の子になるとは思っても見なかったけれど。
「はぁ…」
この国では…正確には、この国に普及してしまっている宗教では同性愛が禁止されている。
二十年前に隣国であるカルロールとの戦争で負けた国は隣国のメシア教が広められたのだ。
かの宗教では同性愛は神が定めた愛の形との異なるとの理由で禁止だとか。
ともあれ、それは国教ではないから問題がない。
問題は、戦争で大幅に減少した人口を増やすために新たに制定された法律。
同性愛禁止法という法が、エルヴァン王国で制定されているのだ。
さらに言えば、王女である私は外交の道具であり政治的目的の為に、国王にいつ婚約を命じられてもおかしくはない立場にある。十七歳まで婚約者がいない事が奇跡だ。
身分の差、性別の壁、宗教の壁、風潮の壁。高すぎる壁を考えると、溜息も吐きたくなる。
そうして私が物思いに耽っていると、いつの間にかマリアが横に立っていた。
「姫様、お茶をお持ちしましたよ」
「あ、ありがとう。マリア」
起き上がって椅子に座った私はマリアの入れてくれたお茶に口をつける。
すーっと花と蜜の匂いが口の中にいっぱいに広がり、甘みが心地いい。
「美味しい…マリア、貴女のお茶は最高ね」
「ふふ。ありがとうございます」
微笑み、彼女は私の横でお盆を手に立っている。
こうして言葉を交わせるだけで心が暖かくなる。一緒にいたいと思う。
主従という関係は心地よくもあるけど…私の胸は、ちくりと痛む。
「ねぇマリア、二人きりの時はイリスって呼んでくれていいのよ?」
「それは出来ません。私は姫様のメイドなので」
「でも、幼い頃は呼んでくれてたじゃない?」
「何年前の話をしているんですか?姫様」
「貴女が七歳の時に私のところへ来た時かしら」
「恥ずかしいので思い出さないでください」
かぁぁと頬を赤くさせる彼女を見ると嗜虐心が疼いてくる。
恥ずかしそうにしているのは彼女だけど、見ているこっちまで恥ずかしい。
だけど私はその言葉を受け入れたくないから、首を振った。
「忘れるなんて絶対に嫌よ。貴女は私の親友だもの」
「姫様…」
本当に、彼女がいなければこれまで生きてこれなかったほどだ。
母がおらず、父も疎遠で、友人もおらず、話せるのは彼女と乳母だけだった。
「マリア、貴女は私とずっと一緒にいてくれる…?」
「もちろんです。どこまでもついて行きます」
「…ありがとね」
だけど、マリアが言っているのは主従としての関係性だ。
私はそれじゃ嫌だ。対等でありたい。親友でありたい。…恋人になりたい。
主人として命令するのではなく、彼女からそう思ってくれるように。
自分の胸のうちを自覚すると、ふつふつと燃え上がるものがあった。
だけど、私たちは女同士。同性同士で結ばれたという話を聞いた事がない。
許されない事だと分かってる。仮にも一国の王女である私が、同じ女の…メイドに恋をするなんて。
でも、それだけで諦めていいの?気持ちを伝えようともせず、自分の心を押し殺して?
段々と、自分を諌めようとする道徳心よりも、世間の常識への反骨心の方が強くなってきた。
…そうよ。同じ女だからって何なの。誰がダメだって決めたの?
そんなルール、ぶっ壊してやる。
覚悟が決まった。胸の中の確固たる意志が燃え上がっている。
「決めたわ。マリア」
「何をですか?」
カップを置いて立ち上がった私にマリアは首を傾げた。
胸の前で拳を握り、私は彼女に向かって宣言する。
「私、この現状を変える!自分の思いを変えるなんて嫌だもの」
間違っているのは私じゃない。世界の方だ!
「私は、諦めないわよ」
「姫様?」
全ては、大好きなマリアとお付き合いをする為に!




