68 大賢者、模範的大学生を目指す
振り返ってみれば、たいへんに慌ただしい一日であった。
まずは騒動の元凶たるネペロ・チルチッタ。
彼女は大学を囲む池でぷかぷかと漂っていたところを、アルガン率いる教学の面々により、まるで待ち伏せでもしていたかのような迅速な対応をもって捕縛された。
罪状は神聖なる学び舎を混沌に陥れた、いわば大学転覆罪。
――ではなく、大学が管理する池へ許可なく危険な“飛び込み”を行ったこと。
全身ずぶ濡れのまま目を回す彼女はそのまま反省房へと連行され、加えて都合一か月に渡る大学図書貸し出し禁止のペナルティが課せられた。
これを聞いたとき、私は「なんと恐ろしい」と存分に戦慄させられたものだ。
くれぐれも、池には飛び込まないようにしよう。
ネペロ本人が片付くと、そののち教学が本来の機能を取り戻して事態の収束にあたった。
彼らはその優秀さを最大限を発揮し、しち面倒くさい諸々の手続きを完了させると、すぐさま職員を総動員して学内の新聞を剥がして回り、怪我人の救護にあたった。
幸い、負傷者は数えるほどしか確認されなかったらしいが、それでもあれだけの騒ぎである。
その日の講義は(非常に残念ながら)全て臨時休講という措置がとられた。
噂によると、この膨大な事後処理の裏では学長ディヴィーナ・フランケンシュタインが三日三晩寝ずに対応に当たったとのことだが
「自業自得だね、ほっときな」
マリウスがそう言うので、静観することとした。
彼女の言う自業自得が、いったい何を指しているのかはわからない。
閑話休題。
ともあれ、我らがラクスティア魔術大学を襲った一連の騒動には一応の決着がつけられた、というわけである。
ここからはそののちの話。
「意外となんとかなるもんだねぇ」
学食。
テーブルを挟んで向かいの席に腰をかけたマリウスが、カヨネサラダをつまみながら誰に言うでもなく呟いた。
彼女の視線の先では、我らが親愛なる学生諸君が食券片手に列をなしている。
先日のような狂乱は、そこにはない。
彼らは順番待ちの退屈を紛らわせるべく、近くの友人と言葉を交わしている。
とりとめもない、ただの雑談だ。
「あれからまだ一週間しか経ってないし、もっとこう、ギスギスするもんだと思ってたんだけど」
「ふん、誰もかれもお前のような捻じ曲がった性根をしていると思うな」
私はどす黒いスープの中に沈殿した、これまたどす黒いコレド芋をフォークで突き、そのまま頬張る。
うむ、相変わらず目の冴えるような味だ。香辛料が効いている。
これで午後の講義にも精が出るというもの。
「ついでみたいに毒吐くのやめよ? ボク女の子なんだけど? そのうち泣いちゃうよ?」
「おばあちゃん、300歳超えてるでしょ」
返す刀でソユリ。
サフリ菜のスープを静かに啜りながら、実に冷徹にヤツの戯言を切り捨てる。
これにはさすがのマリウスも本当に泣き出しそうな顔である。
というか少し泣いていた。
自らの子孫にすら見捨てられたヤツの境遇があまりにも哀れなので、仕方なく彼女の話に乗ってやる。
「魔女の目はともかくとして、その後のことに関してはそもそも心配することではない」
「……みんながみんな、ネペロの新聞であられもない秘密を暴露されたのにかい?」
「今更だろう」
私は最後の一滴まで飲み終えたスープの皿を、端に寄せて続ける。
「生まれも育ちも、目指すべき場所も違う学生たちを一手に引き受けるのが大学という場所だ。その懐の深さをもってすれば、例の騒動などさした問題ではない。たちまち飲み込んでしまう」
「そういうもんかね」
「現にそうなっているからな」
ネペロ・チルチッタは、大学を欺瞞と虚飾にまみれた場所と評した。
それは、ある側面ではそうなのだろう。
しかし全体として見ればそんな単純なものではない。
我らがキャンパスは、欺瞞と虚飾と、それ以外の無数に存在するもので彩られているのだ。
たとえ学生諸君の秘密が一つや二つ暴露されたところで――大学は回る。
彼らは講義を受け、学食で駄弁り、その日の講義が終われば居酒屋などで一杯ひっかけたりもするのだろう。
そうして、何の滞りもなく受け入れられるのだ。
「……まぁ、受け入れられてない人もいるみたいだけど」
ソユリが学食の外を眺めてぼそりと呟く。
彼女の視線を追ってみると、大学前広場で般若と化した女学生たちから逃げ回るトルア先輩とクロウス先輩の姿が見えた。
彼らは鬼気迫る表情で何事かを叫んでいるようだが、残念ながらその内容は聞き取れない。
「後輩と親睦を深めているのだろうか」
「そういうことにしておこっか」
ソユリはどこか投げやりだ。
そして女学生が放った攻撃魔術を受けてトルア先輩が天高く舞う様をぼんやりと眺めていると、「そういえば」とソユリが思い出したように言った。
「アーテル君、日記、まだ続けてるの?」
「ん? ああ、今も欠かさずつけているぞ」
そう言って、私は懐から一冊のノートを取り出す。
「出たね危険物」
マリウスがからかうように言う。
危険物とは結構な物言いだ、もはや件のブービートラップは解除したというのに。
……というか例の仕掛けを組み込むことになった原因の一端は、貴様が私の日記をからかったこともあるのだぞ。
と抗議の視線を送る。マリウスは素知らぬ顔だ。
一方で、ソユリはこの日記に興味津々といった様子である。
まるでそれが名のある魔術師の記した魔術書であるかのように、熱い視線を送っている。
「……ネペロ先輩はこの日記にやたら興味を示していたようだったが、別に面白いことなど何も書いていないぞ」
「えっ? や、やだなぁ! 私、そんなに見てた? あはは……」
ソユリはいかにも照れ臭そうに笑っている。
「そりゃあアーテル君が書いた日記ならちょっと見てみたいなーなんて、考えなくもないけど……」
「別に見てもいいぞ」
「いいの!?」
テーブルから身を乗り出すソユリ。
あまりの食いつきぶりに、思わず怖気づいてしまう。
「い、いいとも……というより見てほしい、ソユリの忌憚なき意見がほしいのだ」
「意見? 日記の?」
彼女は怪訝そうに眉をひそめた。
また言葉が足らなかったらしい。私は一から説明することとした。
「元々、この日記は私が大学生としてふさわしい生活を送れているか、客観的に判断してもらうためつけ始めたものなのだ」
「そ、それは、なんというか随分と大袈裟な……」
分かっている。
彼女のような優秀な学生からすれば、模範的大学生の生活なぞ意識してするものではないと言いたいのだろう。
しかしこちとら齢300歳超えの老いぼれである。
若返って大学生へ入学することが叶ったとはいえ、果たして大学生としてふさわしい振る舞いができているかどうかは疑問の残るところ。
だから
「私の初めての学友、ソユリにこそ是非見てほしいのだ」
「あ――」
ふと、ソユリが言葉を失った。
それは驚いているような表情から、やがて噛み締めるような表情に変わり、最後には
「しょうがないなぁ、アーテル君は」
まるで春先に花が開くように満開の笑顔をもって、彼女は応えた。
ありがとう、ソユリには世話になってばかりだ――
私も最大限の感謝をもってこれに応えようとしたところ、
「私には見せてくれないんですか?」
なんだか、聞き覚えのある声に遮られた。
いや、聞き覚えがあるどころではない。
この声は
「はーい、お久しぶりです新聞サークル改め新聞同好会部長のネペロ・チルチッタです」
「出たね危険思想」
マリウスが吐き捨てるように言った。
今度はからかうとかでなく、純粋に嫌そうだ。
「どっかで刺されて、のたれ死んでるもんだと思ってたよ」
「ひどい言い草ですねぇ、先輩ですよ私」
「おや、おかしいな? ボク耳が遠いみたい。あろうことか先輩と聞き間違えるだなんて、正しくはテロリストだよね?」
「……偏屈コスプレ野郎が」
「お? なんだいやるかい?」
出会って数秒で一触即発の雰囲気だ。
なんとなくだが、以前の禍根は抜きにしても、この二人は絶望的に相性が悪い気がする。
ちなみにソユリはというと、純粋に彼女が“苦手”らしく、ひきつった笑みを浮かべていた。
「ネペロ先輩、あの日ぶりだな」
一方で私は極めて普通に挨拶をする。
すると、ネペロはわざとらしく体をくねらせて
「ああ、アーテル君はやっぱり今でも私のことを先輩と呼んでくれるんですねぇ、できた後輩は好きですよ」
などと言う。
「反省房へ送られたのでは」
「その件については二度と触れないでください」
どうやら思い出したくないらしい。ばっさりと切り捨てられる。
世にも恐ろしき反省房とやらでさぞかし絞られたようだ。
マリウスはこれが面白いらしい。
鬼の首でも取ったように卑屈な笑みを浮かべる。
「いひひ! 普通なら退学はおろか豚箱行きのところがそれだけで済んだんだ! もう一か月ぐらい反省房で暮らした方がいいんじゃないかい~~?」
「くふふ! 残念ながら私の新聞はあくまで正当なサークル活動の産物です! 魔法についても証明する手段なし! 私の罪状は許可なく大学が管理する池に飛び込んだことについてのみですから!」
いひひとくふふの卑屈な笑みがぶつかる。
「……まぁその分めちゃくちゃ絞られましたし、新聞サークルも同好会に逆戻りですけど」
ネペロが遠い目でぼそりと呟いた。
「まぁ、なんでもいいが……一応確認しておこう、またあのような目的のために魔法を使うつもりがあるか?」
「いやですねぇ、もうしませんよ、神に誓って」
くふふ、という含み笑いに若干の胡散臭さを覚えるが、まぁ本人がしないと言っているのだから信じよう。
それに万が一これが嘘だったとしても、すでに彼女の魔法の正体は割れている。
次はすぐに鎮圧して、再び池に飛び込んでもらうだけだ。
「ならいい、では改めてよろしくなネペロ先輩」
「アーテルさんのそういう気持ちのいいところ好きですよ~~くふふ」
「あなたの理念には賛同しかねるが、あなたが先輩という事実に変わりはないからな」
「くふふ、ますます興味深いですね、好きですよそういうの、いつかあなたの化けの皮も剥いであげます」
ネペロがすっと左手での握手を求めてくる。
ふむ、この人もマリウスに負けじと劣らず、大分ひねくれているな……
しかしまぁ、大学とは全てを受け入れる場所。
なれば大学生たる私も彼女を受け入れる。
「よろしくな」
私はこの握手に応えるべく、左手を伸ばしかけて。
その時、ふとマリウスが言った。
「――ネペロ・チルチッタ、なんかキミ、無理やり好きって単語ぶっこんでない?」
ぴたり、とネペロが固まった。
そしてまるで油を差し忘れた機械人形のごとく、張り付けた笑みをそのままに、マリウスの方を振り向く。
「……はて、なんのことでしょうか?」
「いや、なんのことでしょうかじゃなくて、キミ今まで普段の会話で好きなんて一回も言わなかったでしょ、もう三回も言ってるよ、なんで?」
「なんでと申されましてもそんなのは意識するまでもない気分の話でしていちいち指摘されてもまず覚えていないというか」
ネペロがいやに不自然な早口でまくし立てたかと思うと、ふいにぽろりと、彼女の懐から一冊の本がこぼれ落ちた。
「あっ!?」
ネペロが慌ててこれを拾い上げようとするが、僅かにマリウスのほうが早かった。
「えーと、なになに? 恋愛初心者向け気になる男子7つのサイン?」
「あ、ちょ、ちょちょちょ!!!?」
「男子は単純です、わざと直接的な単語を用いて反応を見ましょう……ははあ」
ネペロがマリウスに飛びつき、必死でその書物を奪い返そうとするが、時すでに遅し。
マリウスは何かを察したらしく、「いひひ」と短く笑い、状況を理解したネペロはさーっと顔を青ざめさせた。
この時のマリウスの顔ときたら、世界で一番おもしろい玩具を見つけたとでもいいたげな、実に小憎たらしい表情で……
突然、マリウスが叫んだ。
「ラクスティアのみなさぁあああああああああああああん!!! 呪術科三年ネペロ・チルチッタがこんな安いテクニックを使って、意中の男子にアピールしていまぁあああああああっす!!!!」
「あーーーーーーーー!!!!????」
マリウスが椅子から飛び降りて、絶叫しながら学食内を駆け回る。
対するネペロは絶叫しながら、マリウスを追いかける。
「この人興味があるとか言われてちゃっかりその気になっちゃってまぁああああああああああっす!! 新品で購入されたこの本が彼女の涙ぐましい努力の証明でえええええええええっす!!!」
「あーーーーーーー!!!! あーーーーーーーーー!!!!」
学生諸君が、なんだなんだとこちらの様子をうかがっていた。
昼下がりのささやかなランチタイムは今まさに終わりを告げたわけである。
私はひとつ溜息を吐いて、席を立つ。
彼女らを止めなくてはならない。
「まったく」
彼女らを止めるべく、魔術式を構築する。
果たしてこれが模範的大学生の姿なのだろうか。
なんとなくだが違う気がする。着実に模範的大学生へのルートを踏み外している気さえしてくる。
だが、それすら受け容れてくれるのが大学という場所。
間違えることも、踏み外すことも、ここでは正しいのだ。
ああ、まったく――
「――大学生というのは、面白い」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
おばあちゃんとネペロ先輩、そしてアーテル君が席を立ったのち、私は恐る恐る日記のページをめくった。
彼は、いったいこの大学生活になにを感じているのだろう。
あわよくば自分のことをどう思っているのかも知れればいいなぁ。
そんな思惑を胸に、ぱらぱらとページをめくる。
すると、あるページだけが妙に膨らんでいるので、そこを開いてみた。
「……ふふっ」
思わず、笑みがこぼれてしまう。
何故ならそのページには、あの日ルシル・モールで撮った私とアーテル君のツーショットが貼り付けられていて、その下に短い一文が添えられていたのだから。
“我が親愛なる学友、ソユリ・クレイアット”
彼ほど裏表のない人間が他にいるのだろうかと、ソユリは心中呟いた。
これにて『若返りの大賢者、大学生になる』完結となります!
これもひとえに皆さまのおかげです! ブクマ・評価・感想、全て私のパワーとなっております!
もしよろしければブクマ・評価・感想・レビュー等お願いします!
では、またお会いいたしましょう!





