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67 大賢者、エンドマークを打つ


「ああ、いよいよ終幕(フィナーレ)ね」


 誰に言うでもなく、シュリィは独り言ちる。

 無敵とも思われたネペロ・チルチッタの魔法は看破され、彼女の恐るべき大魔法“魔女の目”も、ソユリの手によって水泡と帰した。

 更に学生たちも正気を取り戻している。

 世にも奇妙な頭上花畑が展開される大講義室において、ネペロ・チルチッタは完全に追い詰められていた。


 彼女の得意とするブラフ、ハッタリはここに及び、まるで通用しない。

 誰もが確信していたのだ。

 この一連の騒動の終演を。


 もはやネペロに奥の手などない。

 唯一魔術による抵抗は考えられるが、それはむしろ悪手といえよう。

 なんせアーテルが率いるのは、腐ってもラクスティアきっての優秀なる魔術師たち。

 魔法ならまだしも、彼らに魔術勝負を挑むなど愚の骨頂である。

 つまりネペロがいかな抵抗をしようが、結末は変わらない。

 だからこそ、誰一人としてこの決闘に水を差そうというものはいなかった。


 イルノフ教授はふうと溜息を吐き出し、適当な講義椅子に腰を落とす。


「あれ? センセー、これ放っておくんすか? 神聖なる学び舎で決闘っすよ、決闘」


 クロウスはにやにやと意地悪そうに言う。

 イルノフは、まるで自身の講義を受ける学生たちがそうやるように、つまらなそうに腕組みをして、これに答えた。


「なにが決闘ですか、学生同士の他愛もない喧嘩ですよ、私は関与しません」


「いひひ、無責任だね、教育者としてどうなのさ」


「私はね、あくまで雇われ教授です。それに大学生っていうのは、もうほとんど大人でしょう」


 イルノフ教授は眉一つ動かさず、教壇の前で睨みあう二人を見下ろす。


「タバコは吸うし、酒は飲む、好きな時間に寝て、起きて、バイトをして、生活費を払い、そして学ぶ、大学生というのはまったく実に自由な生き物です。……が、自由には責任が生じます。大学生になった時点で、あなたたちは大人の仲間入りをすると同時に責任を負ったのです。そして大人というのは、なにより締めが重要です。無数の式の中から最も適切――いえ、それなりに適当な解を導き出すことこそが大人の役目なのです」


「アーテル君にならそれができるって?」


「さあ?」


 トルアの問いに、イルノフ教授はあっけらかんと答えた。

 そして「ただ――」と続ける。


「純粋に彼がこの大学生活でどのような解を導き出したのか興味があるので、聴講させていただこうと思ったまでですよ」



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「いやだ、いやだいやだいやだ!」


 ネペロ・チルチッタは髪を振り乱しながら、声を荒げる。

 頭頂部から花を咲かせた学生たちが、何事かとこちらの様子をうかがっていた。

 その様は、傍から見るとなかなか面白おかしい光景である。


 しかし、ネペロはこれが受け入れられない。


「なんで、なんで邪魔をするんですか!? 私はただこの大学を、世界を良くしようとしただけですよ!? 欺瞞に満ちた世界を正そうとしただけなのに!!」


 私はあえてネペロの発言に異を唱えない。

 ただ、彼女の心からの叫びを静観していた。


「あらゆる情報が共有されることで訪れる理想郷(ユートピア)! 全てが開示された世界においては不安や疑念などの一切が取り払われる! 人々が恐怖から脱却されるのです! 何故この素晴らしさがわからないのですか!?」


「……言いたいことはそれだけか」


 私はふうと息をつき、彼女を見据える。

 その目に宿る感情は憐憫である。


「なんで……なんでそんな目で私を見るんですか!? あなたは何もわかっていません!! 私の崇高な目的が理解できていないだけで……!」


「いや、理解はしたとも」


 私は彼女の言葉を遮って、言い放つ。


「あらゆる情報を共有することで個の境界を取り払い、全として生きる……なるほど、確かにそういった形の理想郷もあるのだろう」 


「そ、そこまで分かっているのなら……!」


「しかし、それが正義として成り立つのはあなた自身が本心からそれを望んでいたらの場合だ」


「っ!?」


 ネペロの瞳の中の光が揺らぐ。

 私は更に続けた。


「僭越ながら言わせてもらおう、私にはあなたの語る崇高な理想とやらが、陳腐な言い訳にしか聞こえない」


「言い訳!? なにを、バカな……!」


「――本当はただ、あなたが怖いだけだろう」


 ネペロは、いよいよ言葉を失う。

 虚飾で身を固めたものほど真実を突かれると弱い。

 この世界から虚をなくすことが理想だなどと、出鱈目もいいところである。

 彼女の崇高な目的とやらが、そもそも嘘の産物なのだから。


「……以前言っていたな“未知とは恐怖である”と」


 考えてみればバカバカしい話である。

 我々はこの一連の騒動を通し、ネペロの意図を探ることに躍起になっていた。

 答えなど、初めから彼女自身が提示していたにも拘わらず。


「誰よりも恐怖を感じていたのは他でもない、あなた自身だ」


「……さい」


 ネペロが顔を伏せたまま、何事かを呟く。

 彼女の細い肩がわなわなと震えていた。

 しかし私は構わずに続ける。


「あなたはいっそ病的なまでに人が信じられず、恐怖心すら抱いている。だからこそ情報の優位性をなによりも重んじるのだ。相手の裏の顔を知った気になるとさぞや安心するのだろう」


「……うるさい」


「しかし、突き詰めて言ってしまえば人に裏の顔などない、そんなにも単純にはできていないのだ。あなたの行為はあのゴシップ記事のようにただワンシーンだけを切り取り、その人間の全てを知った気になっているのと変わらない」


「……黙れ……!」


「あなたは自らがさも人の本質を突いたように振舞うが――あえて言おう、あなたはそもそも人を見ていない」


「――黙れっ!!」


 それは先ほどの音の魔法なんぞよりも、ずっと凄みのある言葉であった。

 あまりの迫力に、びりびりと大気の震えを感じたほどだ。


「間抜けどもが! テメェらはただ分かった気になって目を閉じて、毎日誤魔化し誤魔化し生きてるだけだ! 人なんて一皮剥けばゴミクズみてぇなもんなんだよ! そんなのが隣にいて普通に暮らしてるんだぞ!?」


「それが、我々の生きる世界だ」


「ハッ! いかにも大人ぶった答えじゃねえか! この思考停止野郎が!」


「……まるで自分は違うとでも言いたげだな」


 ふう、と溜息を吐き出す。

 ……どうも私は説得というものに向いていないらしい。

 私の背後に控えるソユリならばきっと、彼女の堂々巡りの思考へ何らかの解答を与え、なおかつ改心させる、超絶技巧じみた説得も可能なのだろう。

 しかし、私にはそんな芸当できるはずもなく――ただ彼女へ真実を突き付けることしかできない。


「揚げ足でも取るように他者の一面を切り取り、悪と断ずる……私から見ればあなたのソレも思考停止だ。あなたは人と接することを、徹頭徹尾拒否している」


「っ……!! だ、黙れ黙れ黙れ黙れっ!!!」


 ネペロは震える指で(フレーム)を作り、血走った眼でこちらを覗き込んでくる。

 ……分かり切っていたことだが、説得は失敗だ。


「綺麗事ばっかり、綺麗事ばっかり言いやがって!! だったらお前は近しい人間の汚れた一面を見ても、同じことが言えんのか!?」


「では、試してみるといい」


 私はそう言って、ゆっくりとネペロへ歩み寄る。

 ネペロは「ひっ」と一度小さな悲鳴をもらすと、強張った瞼で何度も何度も瞬きをし、魔法を連発した。

 炎、氷、嵐、雷、地割れ。

 まるで世界の終末を思わせるほどの多彩な幻が、四方八方から襲い来る。


「――騎竜倶楽部部長、トルア・リーキンツはなにも知らない新入生の女子ばかりを誑かし、その心を弄び続けた!」


 どこからともなく見上げんばかりの巨大な竜の幻が現れ、その鋭い牙で私の頭に噛みついた。

 これを眺めていた学生たちが甲高い悲鳴をあげ、目を覆う。

 私は歩みを止めず、唱える。


「真である」


 研ぎ澄まされた竜の牙は私の肌に触れるなりすさまじい音を立てて粉砕され、やがて竜自身も霧散した。

 ネペロは顔を歪めるも、すぐさま次の魔法を唱えた。


「星見の森部長、クロウス・ケイクライトは酒で酔わせた新入生たちを何人もかどわかしている!!」


 爆発的に膨れ上がった炎が、私を足元から焼き尽くす。


「真である」


 その言葉とともに炎はあっという間に収束し、煤も残らない。


「え、演劇サークルサバト部長、シュリィ・メルスティナは自身の演劇にかける思いから周囲の学生の学業へ悪影響を及ぼした!!」


 七色の光線が不規則に飛び回り、やがて私の体を貫く。


「真である」


 光線は私を傷つけることなく、か細い残滓を残して跡形もなく消える。


「い、いいいい、イルノフ教授は! 単位を盾に学生へ高圧的な態度をとっている! これは明確なアカデミック・ハラスメントで……!!!」


 高密度に圧縮された火炎球が精製され、一直線に私の下へ向かってくる。

 しかし、やはり


「それもまた――真である」


 火炎球は空中に溶け、私の下へたどり着くことはなかった。


「な、なんで、どうして……!」


 ネペロは、いよいよ魔法を唱えることをやめてしまった。

 揺れる眼は、ただ一つの傷もなく佇んだ私の姿を捉えている。

 私は毅然として言い放つ。


「全てが真であり、全てが偽である。所詮我々が見ているものとは一つの点でしかない、人は変わるのだ、一分一秒という単位でな」


 かつり、と一歩を踏み出す。


「しかし絶えず変化するまやかしのごときソレを人は理解したがる。己自身も絶えず変化を続けながらな。この矛盾が素晴らしく美しい解を生み出すのだ」


「く、くるな……ひゃっ!?」


 ネペロが後ずさろうとしてバランスを崩し、地面にへたり込んだ。

 しかし構わない。

 下がった分、距離を詰める。


「人はそうして学び、成長する。……時に道を踏み外すこともあるだろう、しかし間違いなく前には進んでいる、不安も疑念もかけがえのない原動力だ」


「くっ……来るなぁっ!!」


「そして成功も失敗も、希望も堕落も、奮起も挫折も、真も偽も、全てを許し、受け入れるのが大学である。あなた一人の都合で、そこへ集う皆の学びの機会を奪うのは看過できない。――が」


 とうとう、彼女が目と鼻の先に迫る。

 腰を抜かしてしまった彼女は、もはや逃げることすらままならない。

 ただ恐怖に瞳を揺らし、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見上げるだけだ。


 そして、いよいよこの緊迫感に耐え切れなくなったのか、彼女は「ひっ!」と短い悲鳴をあげて両手で頭を守った。

 殴られるとでも思ったのだろうか?

 残念ながら、違う。

 私はただ率直な感想を口にするだけだ。


「――それはそれとしてネペロ先輩、私は個人的にあなたへ興味がある」


 なんとなく、本当になんとなくだが。

 千もの学生を収容できるとされている大講義室が、一瞬にして凍り付いたような気がした。


 は?

 静寂の中、誰かが間の抜けた声をあげた。


「…………は?」


 ネペロ先輩もまた、素っ頓狂な顔でこちらを見上げて言う。

 ふむ、今私はそんなにもおかしなことを言っただろうか?

 それとも私が言葉足らずなだけか。


 多分、後者だろう。

 昔イゾルデにもよく注意されたしな。

 では懇切丁寧、理路整然と言葉を足そう。


「分かりにくかったならすまない、私はネペロ先輩のことが知りたいのだ、あますところなく」


「…………はぁっ!?!?」


 これは何故か頬を真っ赤に染めたネペロ先輩の声。


「はぁ!?」


 これは背後に控え、今まで事態を静観していたソユリの声。


 ……ううん? まだ言葉が足りないか?

 しかしこれ以上足す言葉など……


「ええと……そうだな、私は、ネペロ先輩にとても惹かれている」


 もう死ねよアイツ!

 とは、階段教室の最後列で講義机に頬杖をついていたマリウスの叫び。


 ……どうも私の言葉が、私の意図とは全く違う形で伝わっているような気がする。

 後になって、もしや「とりわけ、ネペロ先輩がいかにして魔法と魔術を両立させたのか、そして魔法と魔術の融合は可能なのかに興味がある」と言えばよかったのか?

 などと思い至るが、どうやら色々と手遅れだったらしく。


「ふ、ふふふふ、ふざけんな!!」


 怒り狂ったネペロから力任せに突き飛ばされた。

 魔術も魔法も使っていないだろうに、一体彼女の細腕のどこからこんな力が出るのだろう。

 見ると顔面だけでなく、指先に至るまで全身真っ赤に染まっている。

 呂律も回っていないところを見ると、相当トサカにきているらしい。


「て、ててててテメェ! 自分が何言ってるか分かってんのか!? イカレてんじゃねえのか!?」


「何故そこまで……魅力的な人について深く知りたいと思うのは、大学生として当然の欲求だろう」


 私は魔術学的好奇心に従ったまでのこと。

 しかし、ネペロは更に顔面を紅潮させて、頭上からは湯気まで出しそうな具合である。


「と、時と場所考えろ! 馬鹿か!? 馬鹿か!?」


「時と場所も関係あるものか」


「な……あ……!?」


 極めて真面目に、極めて普通のことを答えているだけなのだが……なんだ?

 なにか、喋れば喋るほど状況が悪化しているような気がする。


 よし決めた、ボクが殺す。

 これはマリウスの言である。


 一方でネペロは爆発寸前だ。

 真なる魔女でもなく、崇高なる理念とやらを果たそうとする狂人でもなく。

 そこにいるのはなんらかの感情に支配されて平静を失った、一人の年若い女性である。


「――う、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」


 ネペロは熱を帯びた顔面を強制的に冷まそうとするように、ぶるぶると首を振った。


「欺瞞だ! 虚構だ! どうせテメェも一皮剥いちまえばただのくだらねえペテン師なんだろうが!!」


 そう言って、ネペロはある物を高く掲げる。

 あれは――なんと器用なことだ。

 どうやら先ほど私を突き飛ばした際に掠め取ったらしい。


 ネペロの手にあるのは、私の日記だ。


「……そんな物を手に入れてどうしようと言うのだ?」


「決まってんだろ! これを見て、テメェの薄っぺらい仮面を引っぺがすんだよ!!」


 ふむ……そういえば彼女は出会った当初も私の日記に妙な執着を見せていた。

 なるほど日記という赤裸々な私生活を綴られた書は、彼女で言うところの“情報”を得る手段としては単純明快で効果的だ。

 しかし


「……やめておいた方がいいと思うぞ」


「はっ! 今更なんだ! やっぱテメェみてーな偽善者はさぞ見られちゃ困るもんでも書いてあるんだろーなぁ!?」


「見られて困る、というのは確かにその通りなのだが、その、困るのは私だけではないというか」


「なにブツブツ言ってやがる! もう遅ぇーんだよ!!」


 私の制止もむなしく、ネペロの手により日記は開かれる。

 ああ、私は忠告したからな。


「まああなたの理想や理念はともかく、そもそも論として……あまり人のプライベートに踏み込みすぎるのは良くないな、単純に、危ない」


 言い訳だけ先にさせてもらおう。

 好奇心は猫を殺す。

 その諺はむろん私も知っていたが、よもや私の拙い日記などに好奇心を抱く者がいるとは、夢にも思わなかったのだ。


 言ってしまえば、ただの貧乏性。

 せっかく作ったものを、使わずに捨ててしまうのは勿体無いと、そう思っただけのこと。


 瞬間、日記が光り輝いた。


「へっ?」


 さて、勘のいい皆様ならばすでにお気付きのこととは思うが、僭越ながら今一度解説させていただこう。


 二つ折りにした顔写真の内側に極小のインク袋と魔術式を仕込み、開封と同時に発動する魔導ブービートラップ。

 これはその、応用である。


「――うぶぅっ!?!」


 かくして、妙な悲鳴をあげながら後方へ数十メートルほど吹っ飛んだネペロは、そのままの勢いで窓ガラスをぶち破り、大学を囲む池へと真っ逆さまに落ちていった。


 遅れて聞こえてきた、ある種小気味のいい音と、朝日を受けて光り輝く水飛沫が、この一連の騒動のエンドマークとなった。


毎度のごとく遅れて申し訳ありませんでした……

ともあれ長かった第二章もいよいよ完結です!

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