66 大賢者、魔女を追い詰める
「あ、ああ、ありえません!」
偽証の魔法使い、ネペロ・チルチッタ。
皮肉にも彼女の第一声は、目の前の確かな現実を否定する言葉であった。
彼女は狼狽しきった様子で、私を指さす。
「私の魔法の正体を見破ったこと、それ自体ではありません! 私の、私の魔法は――!」
そこまで言ってからネペロは指で枠を作り、瞬き。
するとネペロの魔法により、私の足下から凄まじい勢いで氷が這い上がってきて、あっという間に全身を氷漬けにされてしまう。
だが
「――偽である」
この一声により、私を包む分厚い氷はいとも容易く弾け飛んだ。
宙に舞った細氷は、きらきらと講義室の照明を跳ね返して、やがて消える。
所詮はまやかしである。
タネさえ分かれば、どうということはない。
しかしながらネペロは声を荒げる。
「馬鹿な! 私の魔法はタネが分かったところでどうにかなるようなものではないんですよ!?」
「現にどうにかなっている」
「ありえません! 私の魔法は対象の深層心理にすら干渉し、偽を真にねじ曲げる! これが幻だと知っている程度で無効化できるようなものではありません!」
「普通ならそうだろうさ、でも相手が悪かったね」
ネペロの問いに答えたのはマリウスだ。
彼女は獲物を追い詰めた猫のごとく、意地の悪い笑みを浮かべる。
「大体、思い込みの強さでそこの魔術馬鹿に勝てるヤツなんていないのさ。たとえどれだけ精巧な幻覚だろうが、アーテルが偽と断じれば、それはもうまやかし以外のなにものでもない」
「そ、そんな馬鹿なことが……くっ!」
ネペロが咄嗟に魔法の対象を変えた。
フレームに収められたのは、マリウスを含めた私以外の全員だ。
「彼がどんな手段で私の魔法を防いでいるのかは知りませんが、あなたたちは別でしょう!」
刹那、マリウスたちの足下がぶくぶくと泡立ち、この広大な講義室を埋め尽くさんばかりの溶岩が湧き上がる。
灼熱の溶岩は、あっという間に彼女らの半身を飲み込んだ。
もはやネペロは加減というものさえ忘れたようだ。
こんなものをマトモに食らえば、強制的に証明させられた無詠唱式魔術により、各々の魔護符は一瞬の内に焼け落ちてしまうだろうに。
だが、そうはならなかった。
数秒後、彼女らは全てを溶かし尽くす地獄の釜の幻から全くの無傷で生還する。
「ああ、本当にちっとも熱くないわ! 不思議!」
「半信半疑でしたが、魔法というのもなかなか興味深いですね」
シュリィ先輩とイルノフ教授が、どこか楽しそうに呟く。
もちろん彼らの身体にも傷は一つとて無い。
「な、なんで、どうして……!?」
「んー? 何か言ったかい?」
マリウスは相も変わらず意地悪く、かつ見せつけるようにして、両耳にはめられたソレを取り外した。
他の五人も同様に、ソレを取り外す。
ソレは――何の変哲も無い、先ほどマンドラゴラの断末魔を凌ぐために使った、単なる耳栓である。
ネペロはそこでようやく自らの魔法が不発に終わった理由を知ったらしく「ひゅっ」と短く吸い込むような悲鳴をあげた。
これを見下ろすマリウスはいかにもご満悦だ。
「精巧な幻覚で相手のイメージに干渉して自分自身を攻撃させるなんて繊細な芸当、極論を言っちゃえば耳を塞ぐなり目を閉じるなり、一時的に外部からの情報を遮断しちゃえば無力化できるんだよ」
マリウスは、ころころと手の内で耳栓を転がしている。
「ボクらはアーテルほど馬鹿じゃないからね、事前に皆へ渡しておいたんだ、ネペロが魔法を発動したらとりあえずこれをつけてくれって。単純だけど効果あるでしょ」
「な……あ……!」
ネペロはもはや口をぱくぱくさせるばかりで、マトモな言葉を発することすらできない。
「――さあ、負けを認めろネペロ先輩、そして魔女の目などという馬鹿げた魔法を解除するんだ」
私は彼女を諭すように言う。
彼女の魔法はすでに封殺された。
つまるところ魔法の正体が割れた時点で、彼女の敗北は確定していたのである。
もはや彼女に我々へ対抗する術など残っていない――はずなのだが
「くふっ、くふふふふふ」
彼女は絶望の表情から一転、狂気に歪んだ笑みを浮かべる。
「くふふ……いやぁまさかここまで追い詰められるとは、正直思ってもみませんでした……」
「もうその手には乗らない、詰みだ、いい加減に諦めろ」
「いいえ? まだ手はありますよ」
そう言って、彼女は指で枠を作る。
この期に及んで悪あがきを……いや、様子がおかしい。
枠が大きすぎる。
「ええ、確かに私の魔法は看破され、最早あなたたちを倒す術はありません、しかし私の勝利とはあくまで魔女の目を発動させること! あなたたちを倒す必要は無いのです!」
ネペロは枠を覗き込むのではなく、口元に当てる。
いや、あれは枠ではない!
「まさか――全員、耳を塞げ!!」
私はすんでのところでネペロの真意に気付き、声を張り上げた。
しかし、時すでに遅し。
ネペロは両手で作った拡声器を用いて最大級の〝音の〟魔法を放ったのだ。
マンドラゴラの断末魔にすら匹敵する、質量を持った爆音。
放たれた音は広い講義室内でこれでもかと反響し、我々を蹂躙する。
「うぐ――――っ!?」
「なに――――れ――――――!」
上も下も分からなくなるほどの音の激流が我々を揉みしだく。
我々は一様に身を屈め、耳栓の存在も忘れて両耳を押さえ込んだ。
しかしそれも一瞬のこと、ネペロは思いの外すぐにこの騒音を打ち切り、残響の中でにやりと口元を歪めた。
それもそのはず、これは我々に向けた攻撃ではない。
これは、マンドラゴラの断末魔で気を失った学生たちに向けたものだ!
「うん……? あれ、俺なんで……」
「冷たっ!? え? なに? 床?」
「あったまいてぇ……」
マンドラゴラの断末魔にも匹敵する音の魔法で、気を失っていた学生たちが続々と目を覚ます。
それと同時に、各々の額に刻まれた魔女の目の刻印が、淡い光を放ち始めた。
気絶した学生たちを純粋な大音量で覚醒させ、サバトを再開する――これが狙いか!
「ま、まずいよアーテル! 大いなる力の奔流を感じる! 魔法発動の前兆だ!」
「マジかよ! こんな呆気なく終わるのかよ!?」
マリウスに続き、クロウス先輩が叫ぶ。
トルア先輩もシュリィ先輩もイルノフ教授も、なんとか魔女の目を引き剥がすべく額をかきむしっていた。
まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図と言った具合だが、しかし、どうしようもない!
魔術のことならともかく、一度発動した魔法を打ち消す方法など存在しないのだ!
「――くっふふふふふ! 初めから私の勝ちは決まっていたのです! さあ、いよいよ魔女の目が開きますよ!」
ネペロ・チルチッタが勝ち誇ったように笑った。
感覚で分かる。
魔女の目はあと数秒足らずで完全に開ききる。
そうなれば、やってくるのはあらゆる情報が共有されたディストピア。
――そんなものは看過できない!
私はこの一瞬のうちに、脳が焼き切れるほど思考した。
逆転の一手、起死回生の一手を死に物狂いで模索する。
これにより何十倍にも引き延ばされた一瞬。
全てが緩慢に動く世界の中、焦燥に震える私の眼が、あるものを捉えた。
絶望に支配された彼らの中から弾丸のごとく飛び出した、我が親愛なる学友。
――ソユリ・クレイアットの姿を。
「さ、せ、る、かああああああああ!!」
おそらく身体強化の魔術を使っているのだろう。
ソユリは魂を絞り出すような叫びとともに、階段教室の頂上から高く跳躍した。
高く、高く。
私の頭上を飛び越え、それこそ、教壇に立つネペロ・チルチッタへ届くほどに――
「くふふっ! 誰かと思えばあなたですかソユリ・クレイアット! あなたなど恐るるに足りません! 無駄なあがきですよ!」
ネペロが空中から迫り来る彼女を迎撃すべく、火炎の魔術を飛ばす。
しかしこの魔術は、すんでのところでソユリの眼前に展開された空間の歪みに飲み込まれ、かき消えた。
ソユリは、あの一瞬で証明して見せたのだ。
自らの祖先たるマリウスの十八番――マリウス式魔術障壁を。
「なっ――!?」
ネペロが驚愕の声をあげる。
そしてすかさず次の魔術式を証明しようとするが、一足遅かった。
上空より飛来したソユリは、自らの額に刻まれた魔女の目と、ネペロの額に刻まれた魔女の目をかち合わせた。
すなわち――頭突きを決めたのだ。
「ぐえっ!?」
魔護符が弾け飛ぶほどの凄まじい衝撃で、ネペロとソユリはお互いに吹き飛び、一つになって地べたを転がる。
魔護符がダメージを肩代わりしているとは言え、見るからに痛々しい光景に私たちは思わず顔をしかめた。
「あ、頭おかしいんじゃないですか……!? 私を攻撃したところで魔女の目は止められないというのに……!」
ネペロが頭を押さえながらよろよろと立ち上がる。
ちなみに頭突きを仕掛けた当のソユリは大の字になってぐるぐると目を回していた。
「妙な邪魔が入りましたが……時は満ちました! 魔女の目が開きます! 新世界の到来です!」
ネペロは再び天を仰いで宣言する。
彼女の額に刻まれた魔女の目の刻印が、ひときわ強い光を放つ。
万策尽きたか――!
誰もがそう思ったその時、私は気が付いた。
魔女の目に走る、妙なノイズに。
そして次の瞬間、いよいよ彼女の大魔法〝魔女の目〟が発動し――
――ぽん、と一輪の花が咲いた。
「……………………は?」
ネペロは、気の抜けた声をあげる。
自らの頭上に咲く、大輪の花を見上げて。
そのあまりにも間の抜けた様に、私たちもぽかんと口を開けて、呆けたように立ちすくむしかない。
「……え? なにこれ?」
ネペロが私たちではない誰かに問いかける。
その直後であった。
我々の額に刻まれた魔女の目が光り輝き、ぽんぽんぽん、と花が開く。
マリウスにも、トルア先輩にも、クロウス先輩にも、シュリィ先輩にも、イルノフ教授にも、そして目を覚ましたばかりの学生たちにも、勿論、私にも。
魔女の目の刻印は綺麗さっぱりと消え去り、その引き換えと言わんばかりに、なべて全員の頭に色とりどりの花が咲いたのだ。
この状況で言うのもなんだが――それはいっそ見惚れてしまうほど見事な花弁であった。
一つとて同じ色形はなく、そのどれもが素晴らしく美しい。
かくして大講義室内には、瞬く間に、世に奇妙な頭上花畑が展開されたわけである。
「うお!? なに? 花?」
「あ、その花きれーい」
「これなんていう花なんだろ?」
限界まで張り詰めた空気が、一気に弛緩する。
それは我々だけでなく、目を覚ました学生たちも同様だ。
皆が皆、頭上の花の美しさに目を奪われて、脳天気な言葉を交わしている。
もはや誰一人として、ネペロが記したゴシップ記事などには目もくれなかった。
「な、ななななな、なんだよこれぇ!?!?!??」
そんな中、肩をわなわなと震わせ、声を荒げる無粋物が一人。
言うまでもなく、ネペロ・チルチッタである。
「あれだけ溜め込んだ大いなる力が空っぽに!?!? なにこの花!? 魔女の目は!? 情報の共有は!? 新世界は!?」
自分で発動した魔法だというのに、ネペロは困惑を極めていた。
我々とて何が起こっているのか、まるで把握できていないのだ。
ただ一人、彼女を除いて。
「……私が、書き換えました」
ソユリは足下もおぼつかないままに起き上がり、彼女の問いに答えた。
ネペロは咄嗟に彼女の下へ振り返る。
「書き換えた、だと!? ソユリ・クレイアット!! お前、私の魔女の目に何をした!?」
「そんなに難しい事じゃありません……さっき頭突きをした時に、魔女の目が溜め込んだ力を別の方向で発散させるよう先輩の魔法に少しだけ干渉しました……」
「ばっ、馬鹿なことを言うな! どうしてお前なんかに、お前みたいな一介の学生に、そんなことができる!?」
「知りません」
「はっ!?」
あまりにも簡潔な答えに、ネペロは両目を見開いた。
一方、ソユリは落ち着き払った表情で、まるで赤子にでも諭すかのように優しげに言うのだ。
「……ただ私は、ネペロ先輩が言う新世界より、綺麗な花が見たいなって思っただけです……見てるだけで、皆が幸せな気持ちになれるような、花畑が……」
「そ、そんな理由で私の大魔法を!? 魔女の目を!? 崇高な目的を!? 答えろ! ソユリ・クレイアットぉぉぉっ!!!」
ネペロは鬼気迫る表情でソユリを問いただす。
これに対し、ソユリは私の方を一瞥すると、にっかりと笑って
「――僭越ながら、邪魔させていただきました」
一体誰の真似なのか、芝居がかった口調でそう答えたのだ。
「こ、ここ……こんのクソ女がぁっ!!!」
ネペロが指で作った枠にソユリを収め、血走った眼で瞬きをする。
押し寄せる溶岩流――
私はすかさずソユリの前に立ちはだかり、そして唱えるのだ。
「――偽である」
煮えたぎる溶岩は私の下で堰き止められ、やがて蒸発した。





